みんなでお出かけ(完)

 さて、そんなこんなで当日、日曜日。
「ああ、良いんじゃないの? 部屋を見せるくらい。廊下と階段は綺麗だし、美月や和明の部屋は見せなくて良いんでしょ?」
 と、言ったのは喫茶アルトに住んでる妖精のアルトさん。掃除の手伝いもしない癖に、言うことだけはやけに立派。ちょっと、むかついたので、自室の掃除をする時に強制連行してやった。何かの役に立つわけでもないが、閉め切った部屋の中での掃除中、ずっと閉じ込めてやったら、臭いとか汚いとかぶーぶー言ってるのが面白かった。
 まあ……おかげで換気も出来なくて、部屋の中が心なしか埃っぽいままだから、素直に勝ったと思えないのが辛いところ。
 そして、ほかの二人はと言えば……
「良いですよ。二階の部屋はご自分の部屋だと思って使ってくださいと、前にも言ったとおりですよ」
 安請け合いしちゃったのが、この店の老店長さん。
 もう一人の関係者、美月は――
「ふえっ!? そっ、掃除しないと!!」
 と、顔色を変えて、大掃除を始めた。
(……断れば良いのに……)
 当日朝から大忙しで掃除をしている美月を見て、そう思ったものの、その一方で断りもしないで大掃除を始めてくれた又従姉妹に、感謝もした。
 そんなわけで、伶奈自身は土曜日に部屋の大掃除をやって、日曜日は大掃除をやり始めた美月に代わって、店番をして居ていた。
 日曜日の喫茶アルトはとっても暇。店内の客はカウンターで和明相手に新品のパイプを見せて喜んでる老紳士と国道側の席で眠そうにパンケーキを突いてる女子大生一人の合計二人だけ。その二人にも注文の品を持って行ってるから、やることはもはやない。
 それは、あれだけいやがっていた四方会の訪問を
「……みんな、早く来ないかなぁ……」
 と、心待ちにしてしまうほど。
 そんな風に心待ちにしたところで、足になってくれる教師の瑠依子が午前中は四方会三人の家を家庭訪問で回っているし、四方会の面々だって金がないから家で昼食を食べないことには出掛けられない。
 結果、伶奈はレジ横の丸椅子に座って、ふくれ面を晒す以外にやることはない。
 その頭の上、椅子代わりに座っている妖精が顔を覗かせて尋ねた。
「何時くらいに来る予定?」
「……一時半くらい……かな? 一時に校門前で集合だから……」
 開いた足の間に手を突いて、丸椅子の縁をつかむ。古くてちゃちな丸椅子は据わりが悪いらしく、こうして体重を前後させると、スティールの足が床を叩いて、カタカタと小気味よいが耳障りな音を立てる。
 カタン……と、一度だけ音を鳴らして、伶奈はつぶやく。
「……新しい椅子、欲しいよね……」
「随分前から貴美と凪歩も言ってたんだけど、なんとなく、そのまんまなのよ」
「……ふぅん……」
「カウンターに行ったら?」
「お客さんが居るから……落ち着かない……」
 つぶやき、伶奈は椅子の上でもう一度身じろぎをした。
 カタン……コトン……と、椅子の脚が床を叩く。
 その音に混じって、伶奈はつぶやくように言った。
「……早く、みんな、来たら良いのに……」
 大きな窓から差し込む光が、伶奈の暗い顔を明るく照らしていた。

 と、時は緩やか過ぎるほど緩やかに流れてようやく、お昼前。
 さすがに十二時前後になれば多少は客も入る物。国道を抜けて県外へと行く車、もしくは市街地へと入っていく車、それらがドライブイン代わりに利用してくれるし、ご近所に住んでる大学生のお兄さんやお姉さん方だって、普段ほどではないが来店する。
 そんな客をさばきながら、
「わっ、小学生が店番してる!」
 の声にむっした顔を見せ、
「中学生……です!」
 と、訂正したり、
「あれ、毎週土曜日じゃなかったっけ?」
 と尋ねる大学生に事情を説明したり……
 俄に忙しくなった店内で、伶奈は他の人よりも一つか二つ多い仕事を手早くはないが、手堅くこなしていた。
「……何で、みんな、一斉にご飯を食べるんだろうね……十時くらいに食べれば良いのに……」
「……お昼は十二時前後って、昔から決まってるのよ」
 伶奈が愚痴って、頭の上で妖精がため息交じりに答える。
 平日昼間には比べるべくもないが、それでも活気づいた店内、未だ慣れない接客業に右往左往しながらも、ようやく、一段落。女性ばかり四人、OLさんグループは先ほど会計を終わらせて出て行った。家族連れらしき四人組全員に料理は届いてる。大学生数人のグループは食事を終えて歓談中。しばらくは店員が呼ばれることもないだろう。
「そろそろ、お昼、食べますか? 一時くらいから、お友達がいらっしゃるんでしょう?」
 レジ横、丸椅子に座って一息ついてる伶奈に、ひょっこりと顔を出した美月がそう言った。
 洗いざらしのジーパンにくたびれたトレーナー、リボンで長い髪を束ねた姿は彼女のお掃除仕様の服装らしい。普段見る美月とは随分違っていて、スマートなイメージを見る者に与えていた。
 そのズボンとトレーナーの上に真っ白いエプロン、腰の紐を止めながら、彼女は言葉を続けた。
「もう、翼さんにまかないを作ってくれるように言ってますから」
「あっ……うん。掃除、終わったの?」
「はい。もう、ばっちりですよ〜廊下もワックスを掛けましたし、部屋だって、何年かぶりに天井の隅に張ってた蜘蛛の巣も撤去しましたし」
「……もうちょっとこまめに掃除なさいよ……良夜の部屋より汚かったわよ、貴女の部屋」
「……――ってアルトが言ってる」
「良夜さんは毎週、お掃除してますからねぇ……たまには私の部屋をしてくれれば良いのに……」
「……お姉ちゃん……」
 同情の視線で見上げてつぶやけば、美月は明後日の方向を向いて「あはは」と笑ってごまかした。
「まあ……美月は相手にしてても仕方ないから、キッチンに行って、ご飯、食べましょう? お腹が空いたわ」
 頭の上から振ってきた言葉に軽く頷いて、伶奈は丸椅子の上から立ち上がった。
「伶奈ちゃん、たっち」
 言って美月が軽く右手を挙げるから、その手に軽くハイタッチ。パン! と思ってたよりも大きな音がしちゃって、ちょっとびっくり。
「あはは」
 美月の照れ笑いに伶奈も頬を緩めて、キッチンへと向かった。
 キッチンに入ると、すでに翼はコンロの前に居て、フライパンにゆであがったパスタを投入しようとしていた。
 入ってきた伶奈に気づいたのか、翼が振り向き、ぼそぼそと聞き取りにくい小さな声で言った。
「……もう、出来る……から……そこに座ってて」
 そう言われて、伶奈は素直に作業台のそばに置かれた小さな丸椅子に腰を下ろした。レジの奴と同じでちょっと古くて据わりの悪い丸椅子だ。
 その椅子の上、借りてきた猫のように座っていれば、ひょっこりと上から妖精が顔を覗かせた。
「相変わらず、翼が苦手なのね?」
「……別に……少し……話しかけづらい、だけだよ……」
「そういうのを苦手って言うのよ……」
 なんて、正論はすぱっと無視して、丸椅子の上、身じろぎもせずに、伶奈は翼が調理をしているのを待った。
 待つこと一分少々。
「……出来た……」
 小さな声で言って、翼は伶奈の前、作業台の上にパスタの載った皿を置いた。
 ケチャップの匂いが香ばしいナポリタンパスタ。野菜クズやらハムの端っこやらを大量に使ったそれは、翼の得意料理らしい。もちろん、メニューには載っていない。
 具材の大半は野菜の切れっ端や皮やへた、肉類も皮とか端っことか、生ゴミ一歩手前みたいな物ばっかりだが、その分、大量に入ってて食べ応えはある。それに言われなきゃ、入ってる物がそういう物だってわからないほど。作ってる人は少々苦手だが、作られた物は大好き。
 出来たて熱々のパスタをくるくるとフォークに巻き付けて、フーフーしながら、すする。火傷しそうなくらいに熱くて、なかなか食べられないけど、具だくさんのナポリタンは非常に美味しい。
「伶奈ちゃん、ご飯、終わりました?」
 と、パスタをすすっていたら、先ほど、レジ横で別れた美月がひょこっとキッチンに顔を出した。
「今……食べてるよ?」
「……お友達、来ましたよ? 先生も」
「えっ? もう!?」
 目を丸くして、慌てて立ち上がれば、臙脂のネクタイが真っ赤なナポリタンの上にぽちゃり。
「わっ!?」
 って、声を上げるけど、時すでに遅し……どころか、慌てて手で払った物だから、ケチャップソースの付いたネクタイがプランプランと揺れる度にブラウスに真っ赤な花びらを散らしていく。
「あっ、わっ! ブラウスまで!!」
「どっ、どうしよう!?」
「どうしようって言われましても……とっ、とりあえず、タオルか、フキンを!」
 美月と伶奈は大慌て……
 その隣、シンクの前で洗い物をしている翼も、そして、作業台の隅、降りしきるケチャップソースからとっとと逃げ出してる妖精さんも、他人事のようにつぶやいた。
「……似たもの親族……」
 食器洗いの手を止めてつぶやいたのが翼。
「ホント、二人とも三島家の女なんだから……」
 ストローの先にキープしていたハムをかじりながらつぶやいたのがアルトちゃん。

「……私服じゃん」
 落胆を隠すこともなく言ってのけたのは、東雲穂香だった。
 彼女を始め四方会の三人プラス付き添いの瑠依子は窓際の席に座っていた。いつも伶奈が座っている席の一つ後ろ、四人がけの席だ。いつもの席ほどではないが目立たないし、景色も良い席。
 その席に四人を通したのは、伶奈ではなくて美月だった。
 そして、伶奈がここにやってきたのは、彼女らがこの席に通されてたっぷり十五分以上も経ってからのことだった。
 その十五分、半分はケチャップに汚れたシャツを着替えるのに費やした。
 今の格好はズボンこそアルトの制服だが上は柄物のシャツ、ネクタイはなし、それから頭の上には妖精さん。制服のブラウスもネクタイも「週一だから」の理由で洗い替えを買ってなかったのだ。
 と言うのをいちいち説明するのも面倒くさい(恥ずかしい……とは認めたくない)ので、
「……みんなが悪いんだもん」
 そうだけ言って、ブスーっと膨れた顔でそっぽを向いた。
「少し早く来ただけじゃん」
 不思議そうに小首をかしげる美紅に、「そうだけど……」とやっぱり不服そうな顔で答えながら、伶奈はトレイの上にのせた物をテーブルの上に置いた。
 まずは山盛りのパン耳スティック。翼が作ってくれた物。今日は粉糖じゃなくてイチゴのジャムが添えられている辺り、ちょっとはサービスしてくれてる模様。
 それから、みんなにごちそうすると約束していたホットココアが四つ。このココア四つを作るのに必要だったのが、十五分の残り半分というわけだ。
「あら、私のも?」
 瑠依子が少し驚いたような表情で伶奈の顔を見上げると、伶奈は空っぽになったトレイを胸の前でぎゅっと抱いて、ぽつりと言った。
「……一人だけ、なしって言うのも……悪いから……味は、保証しないよ?」
 恥ずかしそうにぽつりぽつりと言えば、瑠依子は「奢りに文句は言わないよ」と言って笑うと、カップに手を伸ばした。
 それに習ってほかの三人もそれぞれに自分のカップに手を伸ばし、一口、口を付ける……
「あっ、美味しい……」
 最初につぶやいたのは、意外、と言えば少し失礼かも知れないが、いつも口数の少ない蓮だった。
 少し大きめのマグカップを両手で包むように持った彼女は、舐めるようにゆっくりと飲みながら、伶奈の顔を見上げて、もう一度、言った。
「……うん、美味しい……ぐっじょぶ」
 両手に包み込んでいたカップをテーブルに戻すと、すっと指を二本立てて顔の横で軽く振る。少しぼんやりしてて締まりのない顔、その顔がふんわりとほほえむと普段以上に可愛く見えた。
「お金、取れそうだよね」
「うんうん、確かに美味しいね」
「へぇ……思ってた以上だ……」
 その言葉に続いて、穂香、美紅、そして、瑠依子までもが口々に褒め立てる。
 まずいと言われれば当然腹が立つだろうが、逆に手放しで褒められるのもなんだか居心地が悪くなる。
「あの……美月お姉ちゃんはもっと上手だし……私は油断すると焦がしそうになるし……」
 しどろもどろになっていると、不意にココアを飲んでいた瑠依子が席を立った。その口にはジャムがたっぷりと付けられたパン耳スティック。
「まあ、こっちのパンの耳ラスクは、パンの耳だなぁ〜って味だけど……と、それじゃ、私はあっちの席にでも行ってるね。傍に教師が居たんじゃ、話せることも話せないでしょう? ああ、西部は四時くらいになったら、ちょっと部屋を覗いてから、家の方に行くから、そのつもりで」
「えっ? あっ、はい……」
 言うだけ言うと、瑠依子はカップを持って別の席へと歩いて行った。良いも悪いも言ってないのに、彼女は店内ほぼ中央部、空席だった四人がけの席を陣取り、ハンドバッグからスマホらしき物を取り出して、なにやら弄り始めた。
「ねえ、それで、仕事はどう?」
 瑠依子を呆然と見送っていた伶奈に、美紅が楽しそうな表情と声で尋ねる。
「暇な時は凄く暇だけど……忙しい時は凄く忙しいって感じだよ……」
「まあ、それでも平日に比べたら、どうって事ないけど」
 頭の上でうそぶく妖精をちらっと一瞥。視線をすぐに友人達に戻すと、伶奈は言った。
「でも、平日の昼間はもっと凄いから……」
「へぇ〜流行ってるんだね? 来月、お小遣いのある時に来たいなぁ〜」
 美紅が言えば周りの二人もコクコクと大きくうなずき合う。
「でも、結構、良い値段しちゃうよ?」
 割と金遣いの荒い穂香がテーブルの片隅に置かれたメニューを手に取り、見ながら言った。少し眉を潜めて、落胆の様子は隠しきれない。
「ケーキ一つと伶奈ちゃんココアなら……」
「ケーキはだいたい外注だけど……ああ、今度、まかないのナポリタン、作ってもらおうか? 美味しいよ」
「ほんと?」
 メニューをまじまじと見ながら考え込んでる穂香に、伶奈が言えばパッと顔を上げて、その頬を紅潮させた。
「材料、生ゴミ一歩手前の野菜クズだけど……だいたい、翼に話しかけられない癖に、何を安請け合いしてるのよ」
 頭の上で茶々を入れるアルトにぽつり……小さな声で囁く。
「……アルト、後でねじる」
「おぉ〜こわ〜♪」
 鼻歌交じりにうそぶく妖精にむかっ腹が立つも、ちらっとすだれの前髪越しに頭の上を見上げるだけ。なんとなく、友達の前ではアルトと話をしづらい。
「……にしちゃん?」
 そんな伶奈の様子に気づいたのか、蓮が伶奈の顔をしたから見上げて呼びかけた。その言葉に慌てて首を左右に振って、彼女は答える。
「ううん、なんでもない……――」
 から〜ん……
 伶奈の言葉を喫茶アルトのドアベルが遮る。
 反射的に首をひねれば、開いたドアから入ってくる人影が目に付き、そして、国道を走る車の音が少しだけ大きく聞こえた。
「……行って、良いよ?」
 蓮が控えめな声で言えば、
「そうだよ、伶奈ちの仕事ぶりを見に来てるわけだし」
「制服じゃないのが残念だけど」
 穂香と美紅が言葉をつなぐ。
「……もう……仕事中には来ないでよぉ……」
 情けない声で言って、その場を後にする。
 背後から聞こえる楽しげな笑い声……それに送られ、伶奈はぱたぱたとかけだしていく。
 そして、付いた先に居たのは三人の男子大学生。
「なんだ……ジェリドと灯センセと…………えっとぉ……んっと……」
「……伶奈ちゃん、お兄さん、JCには優しくしようと常々思ってるけど、その優しさにも限度があるよ?」
 がっくりと落胆しているのが灯の友人って事は覚えているのだが、名前は出てこない。お隣さんと家庭教師の先生に比べれば、この日本人離れした顔の好青年のことは忘れがち。
 申し訳なさにきょろきょろしていれば、頭の上からアルトの顔がふわりと落ちてきた。
「確か、俊一とか言ってたでしょ? 名字は真鍋だったかしらね……?」
 頭の上でアルトが教えてくれたのを、俊一に言えば、彼は軽く肩をすくめて応えた。
「妖精さんに聞いた?」
 図星を突かれた気恥ずかしさにうつむき、ぼそぼそ……消え入るような声で彼女は言った。
「……えっと……うん……まあ……」
「あは、やっぱり。まあ、お隣さんと家庭教師とに比べたら、影が薄くなるのは仕方ねえよ」
「ジェリド呼ばわりよりかはマシだろう? 生意気な糞ジャリなんだから……」
「いや、お前はジェリドだよ、紛れもなく」
「二研でも定着しちゃったんだぞ? どうしてくれる?」
「どうもしない」
 灯とジェリドこと悠介がぽんぽんと言葉を交わす隣、俊一はぽんと伶奈の肩を軽く叩き、彫りの深い顔を人好きのする笑みに変えて言った。
「シュン君って呼んでくれれば良いよ」
「えっと……じゃあ、シュン君」
「よしっ!」
 伶奈がおそるおそるに言えば、シュンは小さくガッツポーズ……って、何でガッツポーズなのかは伶奈にもよく解らない。
「JCに愛称で呼ばれるとか、もはや、俺の人生、今日、終わっても良い」
「……バカか? お前」
「バカだな、シュンは」
 灯と悠介もあきれて、伶奈は――
「……やっぱり、真鍋さんで……」
「……名字にさん付けか……さん付けは寂しいなぁ……」
 と、やっぱり、肩を落とした。
 まあ、いつまでもここで引っかかってるわけにも行かないから、とりあえず、三人を空いてる窓際の席へと案内する。
 どうやら、昨夜は二研のみんなで集まって麻雀をしていたらしい。いわゆる徹マンだ。ちょくちょくやっているって話は聞くし、何より、お隣に人が集まってれば、うるさいってほどでもないが集まってるなって事くらいは解る。もっとも、昨日はアルトの方に泊まっていたから、知らなかったのだが……
 そんな三人を席に案内、座らせた辺りで頭の上でアルトが言った。
「灯は普段はそこそこしゃんとしてるのに、三人が集まると、立派に三馬鹿よね……朱に交われば、かしら?」
「……――ってアルトも言ってる……」
 アルトの言葉を伶奈に教われば、灯は割と本気で首肯し、つぶやき返した。
「……ツレは選ばないとなぁ……」
 つぶやく灯の隣で俊一が大きく頷く。
「ジェリドが悪い」
「……どうせ、地球が丸いのもポストが赤いのも俺のせいだよ」
 その言葉に悠介は投げやりな口調で応え、そして、もう一度、俊一が言った。
「お前にそんな影響力ねーよ。せいぜい、パンダが白黒な事くらいだって」
 そんな二人に、灯は肩をすくめながらに言う。
「……結構な影響力だな」
 楽しそうだけど、バカな会話をしている三馬鹿にため息一つ残して、その場から離れる。
 とことことカウンターに行ったら、お冷やをグラスに注いで、トレイに乗せて……と、伶奈は自身がやるべき仕事をこなす。
 そのトレイを持って三馬鹿の席へ……注文はすでに決まってたらしくて、カルボナーラにペペロンチーノ、それからボンゴレ、フォカッチャにスープ、それから食後のコーヒーが付いたセットをご所望らしい。
 それらの注文を受け取りキッチンへ……パスタが茹で上がるまでの時間は退屈だったけど、まさか、友達の所に行ってだべっていたりすることも出来ない。仕方ないから、キッチンに引きこもり、丸椅子に座って、パスタを待つ。
「……って、美月なら平気で友達の所に行ってるわよ」
「……美月お姉ちゃんって、時々、凄いね……」
「時々じゃないわよ……いろんな意味で凄いのは」
 と、キッチンの片隅、アルトとしゃべってるうちに時は流れる。
「カルボ……完成」
 控えめな翼の声が聞こえた。
 大きなトレイの上、翼が作ったカルボナーラにフォカッチャとスープを並べればようやく一人前完成。よたよたと思いトレイを持って運ぶ様はまさに「ペンギン」だ。その評価、忸怩たる物はあるのだが、格好良く運ぼうとして、危うくひっくり返りそうになった反省から、
「ペンギンさんはペンギンさんで可愛いじゃないですか〜」
 って言う美月の言葉を心の支えに、開き直ってペンギンと言う評価は甘んじて受け入れることにしている。
 で、一往復してキッチンに帰ってくると二つ目、ペペロンチーノが出来てるから、それを持ってさらに一往復。もう一度、帰ってきたらボンゴレも出来てるから、やっぱり、さらに一往復。三往復する頃にはすっかり肩で息をしている始末。
「……体力ないわね……」
「……うっ、うるさい……」
 息せき切って、友の待つ席にようやく帰り着けば、そこで待っていたのは――
「では、第二回、四方会人民裁判を執り行います。被告人は伶奈ちで、罪名は『かっこいいお兄さんとか、紹介してくれないなんてひどいよ!』罪」
 そう言って伶奈を待ち構えている穂香と、静かに拍手をしている蓮と美紅だった。
「……もう、帰ってよ……そして、もう、来ないで……」
 と、泣いてみた物のごまかされる物ではなく、結局……
「だから、お隣さんと家庭教師の先生と、あと一人は……えっと……うんっと………………もう一人は……おっ、おまけ?」
 説明させられる羽目になった。

「ふっくしょん!」
 そして、おまけがくしゃみをしていた。

 なお、その頃、美月は伶奈に店番を任せて、洗濯物の取り込みを行っていた。
 五月、五月晴れ、まぶしい日差しが美月の黒い髪を明るく照らしていた。

 そして……
 ドタバタとした四方会の伶奈ちゃん職場訪問はいったん幕を閉じて、やっとこ、家庭訪問。
 アルト二階の部屋に関しては
「まあ、借宿だね」
 の一言で終わり。勉強道具がろくにないこと、やけに目立っているのが部屋の隅に置かれたゲーム機って事には瑠依子に苦言を呈された。されど、勉強道具は自宅の方にあるし、ゲームに関しては良夜が気を遣って置いて行ってくれただけのことで、伶奈のせいではない。
 それから瑠依子の車に乗って一分足らず、自宅アパートに帰ったら、今日は珍しくちゃんと鍵が掛かって一安心。
 そして、カチャリと鍵を開けて部屋に入ると、そこには母が居た。
「スー……スー……スー……」
 ベッドの上で通勤着代わりのスーツ姿のまま、気持ちよさそうに寝ている、母が、居た。
 もちろん、部屋を掃除しているような様子は……――
 ――ない。
 だって、昨日の朝、脱いで部屋の隅に押し込んだ伶奈の寝間着がまだ転がっているから。
 そんな様子に頭を抱えながらも、娘は彼女の責務を果たす。
「おかーさん!!!!」
 日曜の夕方、廊下で待つ瑠依子の耳と伶奈の頭を椅子代わりにしていた妖精さんの耳を伶奈の悲鳴にも似た声がつんざく。
 そして、アルトはやっぱりつぶやいた。
「……三島家の女ねぇ……」
 なお、この後、家庭訪問の課程において、伶奈は瑠依子から
「将来の希望とか、ある?」
 と、尋ねられたので、彼女はきっぱりと答えた。
「喫茶店のウェイトレスと看護婦、以外の何か!」

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