みんなでお出かけ(4)

「よし、じゃあ、この日曜日、四方会の家庭訪問をしよう。どうせ、行かなきゃいけないし」
 事の説明をしつつ、昼食を終わらせたら、激辛カレーうどんを食ってた瑠依子がいきなりそう言った。
「いきなりだね……先生」
 穂香の呆れ顔も意に介さず、瑠依子は答える。
「いや、今日の帰りのホームルームで来週から家庭訪問するって話をしようと思ってた矢先だったんだよ……まあ、四人の家庭の事情って奴も鑑みないとダメだけど……出来れば西部の所は終わらせたいな……なにげに飛び地なんだよ、西部の家」
 と、言って少し考えた後……
「…………お母さんいなきゃ、三島さん相手に話をして、それでOKってことにしちゃうか……保護者だし……」
 つぶやく担任を見て、四人は一様に――
(ダメな人だ……)
 と思ったらしい。

 さて、そういう感じでお昼ご飯を終わらせたら、午後の授業があって、部活で作りかけの某直立歩行するビーグル犬がデザインされた刺繍をちまちまと作ったら、彼女の学校生活が終わる。平々凡々に時が過ぎ、特に重大事件が起こるわけもない感じ。
 強いて、事件があったとするならば――
「なあ……西部ぇ……? 何で、こう……そのひと針に人類の命運が掛かってるって感じに肩に力が入っちゃうのかな? もっと、肩の力を抜きなよ。失敗しても誰も死なないからさ」
 と、顧問の瑠依子に言われたくらいだが、これはほぼ毎日言われてることなので、いちいち、事件のうちには入れないのが不文律。
 下駄箱で更衣室から出てくる美紅を出迎えたら、まっすぐ素直に下校。仲間三人が金欠だから、ハマ屋でのたこ判はしばらくお預け。周りみんなが食べないのに、一人で食べられるほど伶奈の神経は強くない。てか、きっと、おいしさも半減だと思う。
 空が紫色に染まる下校時間、正門前には部活を終えて帰る英明学園の生徒達。ちょっとした人混みに紛れて、四方会四人組も下校していく。とは言っても、四人が一緒に下校できる距離は長くない。
 下駄箱から校門を経て、大通りへと出たら、すぐにバス停。蓮がここからバスに乗って帰るから、ここで蓮、それからついでに穂香と別れる。本来、穂香は逆方向なのだが、ここまで着いてくるのが日課だ。
「三分が五分になるだけだもん」
 らしい。
 ここで蓮が乗るバスが来るまで、同じバスに乗る英明学園の生徒達に紛れて、あーだのこーだの、くだらない話に興じる。
 これがだいたい五分くらい。
 バスが来たら、
「またね」
 と言い合って四人は別れる。
 それから、美紅とは駅まで一緒なのだが……
「走るよ!」
 美紅が言って駆け出す。
「うん」
 それを追って伶奈も走る。
 バス停で蓮のバスが来るまでだべっていると、だいたい、電車の時間がぎりぎりになるのだ。だから、ダッシュしなきゃいけない。だったら、だべるのは止めろって話だが、楽しいのだから仕方ない。
「はぁ……はぁ……」
「腕、もっと振らなきゃ……足も上げて、ガンバ、ガンバ」
 割と全力疾走のつもりの伶奈の隣、スポーツウーマンな美紅は軽く流してる程度……と言ったところか? はっきり言って、運動音痴で体力のない伶奈にそれを確認する余裕はない。
 伶奈の息が上がって、足が痛くなり始める頃、夕焼け空に沈む小ぶりな駅舎が見え始める。その駅舎、出てくる人影がなく、入ろうとしている英明の制服が四つか五つか……もうちょっと。彼女らがのんびりと歩いているのを確認すれば一安心。
 走る足を緩めて歩き始める。汗がすだれの前髪を伝ってひとしずく、落ちる。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「今日も間に合って良かったねぇ〜」
 なんて、軽く言う友達を一瞥。いつも何か言ってやろうって思うんだけど、息が切れてるから言えない。
 その上がった息が落ち着くよりも先にプラットフォームへと二人は上がり、それぞれの乗るべき電車へと滑り込む。
「また、明日〜!」
 って、元気よく言うのは美紅だけで、伶奈はそれにこくんと頷くだけが精一杯。
 乗り込んだ車内は満員と言うほどでもないが、席を確保するのは無理と言った趣。伶奈は出入り口傍のバーにぶら下がるようにしがみつくと、息を整えながら、流れゆき、そして、暮れてゆく景色を眺めた。
 椋鳥の一団が山に帰っていくのが、赤い夕焼けの空に見えた。
 待つことしばし……電車に揺れてる間に弾んでいたい気も少しは整ってくるが、電車を降りれば待っているのが、心臓破りの坂(命名伶奈)だ。この坂をヒーヒー言いながら登り切り、四階までの階段を上がりきったら、ようやく、おうち。
 長い旅路お疲れ様って感じだ。
 と、玄関のドアノブに手をかけると鍵が掛かっていない。
 すだれ髪に覆われた眉をかすかにひそめると、伶奈はドアを開いた。
「ただいま〜」
 声を掛けても返事はなし。まあ、半ば予想できてたこと。
「……また……」
 つぶやき、鍵をかけて、伶奈は部屋に上がった。
 ダイニングキッチンの片隅に鞄を置いたら、寝室兼用のリビングへと入る。単身者用の学生マンションに親子二人が住んでるわけだから、部屋は手狭だ。それでも整然とした部屋を維持できているのは、忙しくても掃除を欠かさない母の努力と伶奈の助力、それと一部の荷物を三島家の二階に置かせてもらえてるおかげ。伶奈の着替えなんか、半分くらいはあっちにある。
 そんな部屋の中、一番大きな家財道具は伶奈が普段使っているベッド。パイプベッドという奴だ。そのベッドの上では……
「スー……スー……」
 と、気持ちよさそうに伶奈の母親――西部由美子が気持ちよさそうに眠っていた。通勤着代わりにしているジャージのまんま。ちなみに仕事着のナース服にストッキングが必要だからと『ジャージの下にパンスト』という割と面白い格好をしているのだが、それもそのまま。
 初対面の折、アルトは由美子を『年齢以上に老けて見える』と評価したらしいが、年相応の化粧をして、髪を整えれば決して老けてるわけでもない、と伶奈は思う。まあ、娘の欲目が混じっていることは否定できないが……
 定規を当てたかのようにピッとまっすぐに切りそろえられた髪、その髪がかすかに掛かる肩口に薄手の夏布団を掛けて、伶奈はつぶやく。
「寝るなら、鍵をかけてよ……」
 そのつぶやきに反応するかのように、母がパイプベッドの薄いマットレスの上で軽く身じろぎをした。
「んんぅ……ふぅ……」
 小さなうなり声を上げて、由美子がまぶたを開いた。そのまま、ぱちくりと数回瞬き……彼女は相手が伶奈であることを確認したら、むくりと体を起こして、大きくのびをした。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!! ふぅ……お帰りなさい。早かったわね」
「早くないよ、いつも通りだよ……寝るときはちゃんと鍵かけてよ……危ない」
「あれ……もう、そんな時間? 一休みのつもりだったんだんだよね」
「お母さん、宿直明けはいつもそれだし……それより、今週、日曜日、仕事は?」
「冷蔵庫のシフト表を見て……たぶん、また、宿直明けだと思うよ」
 言われて伶奈はきびすを返し、キッチンへと足を向けた。
 伶奈の家の冷蔵庫は、ツードアの小さな奴だ。そのドアにはゴミの日程やらすれ違いの多い二人がメッセージを残すためのホワイトボード、それから学校からのお知らせなんかが磁石でぺたぺたと無造作に貼り付けられていた。
 その中の一枚、母の勤務表もここには貼られている。
 その勤務表をひょいと手に取り、来週の日曜日を見てみれば……
「うん……宿直明けのお休み……一日、居るの?」
「予定はないかなぁ……何か用事?」
 顔も見せずに声を上げれば、隣の部屋から衣擦れの音に混じって母の返事が聞こえた。
「うん……先生が家庭訪問だって」
 そう答えながら、先ほど置いたばかりの鞄を取り上げ中からスマホを取り出す。そして、瑠依子のアドレスを呼び出したら、メールを作成……してたら――
「時任さんの弟さん?」
 の声に思わず手が止まった。
「……違うよ、学校の先生。桑島先生。何で、灯センセが家庭訪問するんだよ……」
「ああ……そりゃそうよねって……随分、急ね?」
 尋ねる母にかくかくしかじかと事の成り行きを語って聞かせれば、隣の部屋から「ぷっ」と吹き出す声が聞こえた。
「まあ、せっかく友達が来てくれるんだから、無碍にする物じゃないわよ。だいたい、その流れで『ふぅ〜ん』で終わらされた方が立つ瀬がないでしょ?」
「……それは……そうだけどぉ……でも、恥ずかしいし……からかわれるし……ぶつぶつ……ごにょごにょ……」
 素直に「うん」と言えない感情が言葉を口の中に押しとどめさせて、その言葉が口の中でモゴモゴとこもった音に変える。それは、次第に本人すら何を言ってるかよく解らない愚痴とも文句とも着かない言葉の羅列へと変わっていく。
「言いたいことは三十文字以内でまとめなさいって……それより、いつまでスマホとシフト表を握りしめてるのよ?」
「まとめられないから困ってんだよ……――うん。問題なかったら、メールしろって言われてるから……メール、送る……」
 通勤着のスーツからスェットの上下、部屋着に着替えた母がひょこっとキッチンに顔を出した。グレイの地味なジャージ……着替える最中に崩れてしまったのだろうか? さっきまで綺麗に整えられていた髪もなんか、あっちゃこっちゃが乱れて台無し。心なしか、顔つきまでだらしなく見える。
 そんな母を伶奈は不思議そうな表情で見上げ、そして、尋ねた。
「……何でお母さんってオフになるとそんなに力が抜けるの?」
「家でまで仕事中のテンション張ってたら、疲れちゃうでしょう?」
「それはそうかも知れないけど……せめてジャージは止めてよ……ジーパンで良いから」
「はいはい。それじゃ、当日は何か考えますよ……それより、さっさとメールしちゃいなさい。先生、待ってるんでしょう?」
「……うん」
 つぶやくように答え、伶奈はキッチンテーブルに置かれた椅子に腰を下ろす。
 そして、母が冷蔵庫を開け閉めする音を聞きながら、彼女はメールの制作に取りかかった。
「今夜、何?」
「アスパラ……あっ、ニンジンもあるから、アスパラとニンジンのベーコン巻き、卵とほうれん草の炒め物、味噌汁、漬け物の予定」
「……ベーコン、好き……あっ……時間は?」
「何時でも良いわよ」
「……解った」
 メールの文面を考えながら、のんびりと打ち込んでいく。伶奈は未だにこのスマホでメール作りというのは少々苦手。いっこうにメールを打つ速度が速くならない。ガラケーではあるが穂香なんて結構手早く打っちゃうのだが……
 それでも今日のメールは簡単な内容だ。そんなに時間が掛かる物でもない。母が背後で包丁を振るう音をBGMにメールを作る作業は、ものの数分で終わり。送信のボタンをタップしたら、黒クマのマスコットがメールのアイコンを持って右往左往。その愛くるしいマスコットが万歳三唱し始めれば、送信終了の合図。これで一安心――
 ――と、思った瞬間、それまでリズム良く聞こえていた包丁の音が止まった。
「あっ、ごめん」
「なに?」
「何時でもって言ったけど、夕方にしようか? お昼からでも良いけど……掃除、しておいた方が良いわよね?」
「もう……お母さん、遅いよ……送っちゃったよ」
「ゴメンゴメン。朝しかダメって言うなら、あきらめるけど……メール、して見て?」
「……もう……」
 つぶやき、伶奈はメールを新しく作り直す。

『出来ればお昼か、夕方にしてください。母が掃除をしたいと言ってます』

 そんな短いメールを作って、瑠依子に送信。今度こそ本当に一安心。
「送ったよ……」
「ありがとう……いっそのこと、アルトで家庭訪問でも良いかしらね……注文すればお茶も出てくるわけだし」
「……お母さん、三者面談じゃないんだから……だいたい、周りに知ってる人がたくさん居るところで、三者面談なんてイヤだよ」
「二階の部屋でやったら良いじゃない? 一応、あそこは伶奈の別宅な訳だし」
「……お昼どころか、夜にして貰わないと困るよ……」
「たまには掃除しなさい。よそ様の家なんだから……」
「ちっ、違うよ……おじさんやおばさんの荷物もまだ残ってるし……こっちの荷物も預かって貰ってるから……それにあっちに行く時は、いつも寝るだけだし……」
 そんな話をしながら、母は料理を制作中。伶奈は手にしていたスマホをテーブルの上に置いて、母が料理をしている姿をぼんやりと眺める。
 待つことしばし……
『メール♪ メール♪ メールが届いたよ♪』
 メールの着信ボイスは、なんか、ものすごい脳天気で甲高い女性の声。何でこんなのにしてるのかと言えば、ほかのが愛想のないチャイムみたいな奴やつまらない男性の声だけだから。あと、アルトに楽しいのが良いと言われたから。
(変えようかな……これ……)
 思いながら、スマホを手に取り、新着メールを呼び出す。新着は一通、送り主は当然桑島瑠依子。内容は……と、読んでいけば、事務的に三時か四時くらいが伶奈が抜けるにしても都合が良いだろうとの提案。確かにそのくらいの時間が抜けるにしてもちょうど良いかも知れない。
 了承のメールを簡単に書いて送り返せば、それと入れ違いにまたもや――
『メール♪ メール♪ メールが届いたよ♪』
 脳天気な声。
(やっぱり、変えよう……)
 心に決めて、伶奈は再び、新着メールを表示させる。
 そこには……

『ああ、そうそう、自分の部屋って、アパートになくて、アルトの二階に別宅があるんだっけ? そっち、見せてもらっても良いか、三島の人に聞いておいて』

 そのメールを読んだ時、伶奈の顔色が変わった。

前の話   書庫   次の話

ご意見ご感想、お待ちしてます。