さて、前回のラスト、あっさりと話が決まったように書いてあるが、実のところはそうでもなかった。
「でさでさ、お給料いくら?」
うれしそうに尋ねるのは穂香だった。ベンチに座った伶奈の膝と中腰になった穂香の膝がぶつかり合うくらいの所にもう一回しゃがみ込むと、そこから楽しそうな表情で伶奈を見上げて言った。
「にっ、日給で……五千円」
その穂香の勢いに押されるように、伶奈が答えれば、穂香はずいっともう半歩、膝と膝とが絡み合うくらいにまで近づいた。
長い黒髪がさらさらと流れて、まん丸な目が伶奈を見上げ、そして、言う。
「おぉ〜じゃあ、月四−五回で二万円は超えるね! 奢っ――いっ、痛っ!」
その無駄に近づいた頭に振り下ろされる小さな右手。ぎゅっと強く握りしめた拳が縦方向に穂香の頭、つむじの辺りに振り下ろされていた。
「……しのちゃん……めっ!」
持ち主はじっと強い目元で穂香を見下ろしている蓮だった。
「えっ……あっ……」
言いよどむ穂香に対して、蓮の目元がさらにきつくなる。普段はトロンとした半開きな瞳がカッと見開かれ、まっすぐに彼女を射貫く。
そして、蓮は一文字ずつ区切るような口調で、はっきりと言う。
「し・の・ちゃ・ん……めっ!」
「うっ……あっ……はい……冗談です……奢りとか、いらないから……ホント、マジで」
蛇ににらまれたカエルのように目をそらすことも出来ず、穂香は小さな声でぼそぼそと答えた。
すると、蓮の無駄に力が込められていた目元から、すっと力が抜ける。普段のトロンとした半開きの瞳。固く握りしめられていた拳も開いて、その小さな手のひらで穂香の頭をなでなでと優しく撫でて、言う。
「良い子、良い子……」
「えっ……えっと……ありがとう」
ひとしきり穂香の頭を撫でたら、一段落。後は、見開いてたら目が乾いたとか言い出して、持参してた目薬を取り出したのは、どこまで本気なのか、それとも全部冗談なのか、伶奈にはよく解らなかった。とりあえず、目薬は差してるようだけど……
その横では部活を決める話をしたときにも、睨まれていた美紅が穂香に向かってとともに――
「ね? 蓮ちゃん、怒ると怖いでしょ?」
「……可愛い子がすごむと、迫力あるね……」
と、語り合っていた。
で……
「毎週土曜日なの? うへ……それ、ダメじゃん……」
そう言い出したのは、美紅だった。
そういうのも、彼女の所属するソフトボール部が毎週土曜日は朝から夕方までみっちりと練習を行うからだ。一方、日曜日は完全休養日として練習はお休み。美紅のように軽いジョギングぐらいは行う者も居るが、それ以上はやらないのがルールになっている。
「じゃあ、日曜日に遊びに来たら? そしたら、私ものんびり出来――」
「「「意味ない!!」」」
見事な唱和はどうしようもない現実を教えてくれて、そして、膝の上で妖精さんが、
「美月に代わって貰えば良いのよ。土日で一日休めれば良いだけだもの、美月は」
って、余計なアドバイスをした。
「…………」
じっと奴の顔を見つめる。
無言のまま。
「ねえねえ……そんなにイヤ?」
その沈黙を別の理由で受け取ったのか、足下で中腰になってる穂香が伶奈の顔を見上げる。その愛らしい顔が少し不安そうにゆがめば、心の内に小さな罪悪感がわき起こる。その罪悪感に突き動かされるように、伶奈は反射的に首を左右に振っていた。
「うっ……ううん……凄くイヤって訳じゃないけど……でも、恥ずかしいから……ほかの人みたいに格好良く働けないし……」
「そんなことないよ〜中学生で仕事してるってだけでかっこいいじゃん!」
そう言ったのは伶奈の隣に座っている美紅だ。彼女は伶奈の手を握りしめんばかりの勢いで、顔を近づかせると、大きな瞳をさらに大きく輝かせて、伶奈の顔をのぞき込んだ。
そして、その『かっこいい』という言葉に顔が赤く、そして、熱くなるのを感じながら、伶奈はぼそぼそと小さな声で答える。
「……イヤ……ホント、ふらふらしてるだけだし……美月お姉ちゃんが家の洗濯とか掃除してる間、店番してるだけ、みたいな……」
「ねえねえ、お給料、なんにつか――いや、蓮ち、にらまないで……ただの好奇心だからさ……」
「……しのちゃん……下世話……」
やっぱり目を輝かせてる穂香に対して、蓮がもう一度にらみつければ、穂香は慌てて言い訳を並べ立てる。
「せっ、先月は一回だけだったから、お母さんと回転寿司に食べに行って、あとは今までのお年玉とか貯金してる口座に入れて貰って……来月からはスマホの料金もそこから引き落として貰うことにしたから……スマホ、あんなに高い料金が掛かってたなんて知らなくて……そんなにたくさん、自分で使えない――あれ? どうしたの? みんな?」
穂香と蓮がやりとりしている横、伶奈がぽつりぽつりと小さく控えめな声で答えれば……
「……お年玉、貯金してるの……? 全額、きっちり、使ってた……」
「……ケータイの料金、自分で支払うんだ……」
「………………大人」
ほかの三名、穂香、美紅、それから蓮までもが大きなショックを受けていた。
その日はショッピングモールに戻って楽しくウィンドウショッピング……とは言っても、所詮は中学生だ。ファンシーグッズの店で小物を一つ二つ買ったり、買わなかったり、アイスを食べて大騒ぎしたり……買い物そのものよりも、一緒に騒ぐ友達がいることの喜びを存分に味わうのがメインと言ったところ。
そんな感じで、今週のお出かけは終わったのだが……
三日後、ゴールデンウィークも終わった七日、水曜日、お昼。
伶奈はお昼ご飯を英明学園の食堂で食べていた。
給食を出す中学校も多いが、英明には給食はなかった。代わりに、中等部高等部共用の食堂がある。
中等部だけで二百五十人、高等部まで含めると七百人からの生徒、それ以外にも教師、職員もいて、彼らの腹を満たさなければならない食堂は大きくて、明るい。ぱっと見、おしゃれなフードコートのようだ。もっとも、それでも全員が一度に食事が取れるわけはなく、教室でお弁当を突く者、登校中にコンビニでパンや弁当を買ってくる者、中には学校を抜け出してハマ屋でたこ判と言う生徒もいるくらい。
四方会は母子家庭の伶奈を筆頭に、共稼ぎの家庭も多くてほぼ毎日、ここでの食事になっていた。食券をひと月分まとめて買うと給食費くらいしか掛からなくて安いのだ。それに種類も多くて、味もそこそこ美味しい。
そんな楽しい食事風景ではあるが、今日はちょっぴり渋い声が聞こえていた。
「うーん……どう計算しても、次の日曜、喫茶店でお茶会ってのは無理だよね……」
そう言い出したのはあじフライ定食のあじフライを解体していた穂香だった。さっくり揚がったあじフライにタルタルソースがたっぷり掛かった逸品である。
「……まあ、そうだよね……」
「………………蓮も……」
それに対してほかの面々、美紅と蓮も苦々しそうに首を上下に振って、うなずいた。
もちろん、出来ない理由は一つ――
金、
である。
アルトの支払いくらいはどうにかなる……と言うか……伶奈が伶奈用に買ったココアを、伶奈が煎れて、伶奈が運べばお金はいらないという算段は着いている。それから喫茶アルト裏定番、パン耳スティックでも皿に盛れば、ロハでのお茶会は可能だ。暇な日曜だし、そういうことをしてもかまわないという了承は、仕事を土曜日ではなく日曜日にして貰うこと共に、美月からもちゃんと取ってる。
問題は……
「それもわびしいっちゃわびしいけど……電車賃がねぇ…………去年までは半額だったのに……」
頬杖をついてとんかつ定食(ご飯大盛り)を突く美紅がため息交じりにつぶやく。
そして、穂香もやっぱりため息とともに言った。
「日曜日にさ、帰ってからさ……」
「お母さん、来週、友達の家に行くから、電車賃、ちょうだい」
「ふざけんな、バカ、呼べ」
「……――いやぁ、とりつく島もないってそういうのを言うんだよねぇ……まあ、友達と映画に行くからって、三千円ふんだくったその日のうちに言ったのが悪かったのかも知れないけど」
「東雲さんちにココアとパン耳スティック持って行こうか? 私がこっちに来るのは定期があるし」
「だーかーら! 伶奈ちが働いてる喫茶店で伶奈ちが働いてるところを見たいの! ココアとパンの耳が食べたいだけじゃないもん! ココアは欲しいけど……」
「…………それを見せたくないのに……」
提案を穂香に速攻で却下されれば、伶奈はため息をついて、親子丼をレンゲですくうしかない。ぱくりと一口。卵に包まれた鶏肉が非常に美味しい。
「お父さんかお母さんに送り迎えして貰うとか?」
「うーん……でも、お父さんたちに待たれても面倒くさいよね? 帰ってくれたら良いけど、喫茶店だったら……」
提案したのは美紅、その提案に渋い言葉を返したのは穂香だ。
「ああ……待たれるのもイヤだよね……」
「そもそも、日曜日なんて、お父さん、いつ起きてくるか解んないし……」
「うちは朝からゴルフか釣りかも……」
「パンツとTシャツで夜までぶらぶらしてるし……」
お隣と正面、盛り上がってる話題はちょっと聞きたくない話題。ごまかすようにそっぽを向けば、斜め前でラーメンをすすっていたはずの蓮の姿が見えない。
「あれ……南風野さんは?」
伶奈がふと尋ねれば、美紅も穂香も辺りをきょろきょろ……伶奈も一緒に辺りを見渡してみるも、目に付くのは見知ってたり見知らなかったりする中高生ばかり。お目当ての蓮の姿はどこに見えない。
「ラーメン、まだ残ってるよね?」
「意外と出汁まできっちり飲むタイプだもんね、蓮ちゃん」
穂香と美紅が不思議そうにそう言い合う横で、
「お手洗いかな?」
と、伶奈がつぶやく。
それに、穂香と美紅が「あはは」と軽く笑っていると……
「……ただいま」
蓮が帰ってきた。
「なんか……呼ばれたっぽいけど?」
右手にお箸、左手にうどんの丼鉢を持った担任桑島瑠依子を連れて……
その瑠依子の顔と食事を再開した連の顔、まるで自分で呼んできたとは思えないほどの他人事な横顔、そして、互いの顔を見合う。
きょろきょろと視線を動かし続ける数秒が過ぎたら、彼女らは、
「「「それだ!!」」」
大きな声を上げた。
「えっ……何? 君ら? 何言ってんの?」
瑠依子だけはよく解っていなかった。
と、言うわけで、瑠依子が足になることが決定した。
もちろん、ロハで。
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