アルバイト(完)
 その日、瑠衣子は朝から久しぶりに旧友の綾音と会っていた。本当は二人きりで会うのではなく、瑠衣子が英明の生徒会長をやってた当時の仲間、数人とも会うつもりだったのだが……
「……地元にいる連中、みんな、男とデートとか……! 許せないって! リア充爆ぜろだよ!」
「わたくしも今日はお姉様の方がお父様の仕事で東京に行かれてるから……」
「お嬢まで私の敵なの!?」
「……そー言うわけでもないですけど……」
 って事で、地元に残ってて暇そうな綾音と一緒に映画を見に行っていたらしい。某ネズミーの作った大作アニメ、吹き替え女優の歌が話題になってるアレだ。
 その映画も終わって、お腹もすいたし、「何か食べよう」って話になったとき、綾音にとっては卒業以来行ってない懐かしの店、瑠衣子にとっては行ったことはないけどローカル紙にも取り上げられてるちょっと話題のお店って事で、喫茶アルトが選ばれた。
 で、やってきたら、教え子がかわいらしい制服を着てウェイトレスをしてた。
「びっくりだよねぇ……」
 あきれた口調で瑠依子はつぶやく。
 その説明を、伶奈は身が縮こまる思いで聞いていた。
 客の少ない喫茶アルトの窓際隅っこの席……の後ろ。いつもの席ほどではないが、割と目立たない四人がけの席を伶奈は隣に美月、正面に瑠依子と綾音を置いて座っていた。
 ワンピースの私服姿で美月がここにいるのは、「責任者を呼んできて」と伶奈が瑠依子に頼まれたとき、最初は和明を呼びに行ったのだが、その和明が、
「ここの責任者はもう美月さんですよ」
 と、言い出したので美月を呼んできたという流れ。
 ちなみに――
「後、五分遅かったら、出かけててお祖父さんに任せられたのに……」
 なんて言っちゃって、白い目で見られたのはちょっとした余談である。
 と、そのメンバー以外にもう一人いた。伶奈の頭の上を椅子代わりにしてる妖精さんのアルトだ。
「しかし、綾音は良い迷惑よねぇ〜」
 そのアルトが頭の上でぽつりとつぶやくのを聞き、伶奈は正面の少しふっくらとした優しげな女性へと視線を、ちらりと向けた。
 彼女は英明の卒業生で、瑠依子の高校時代の友人らしい。その彼女は瑠依子の隣で微苦笑を浮かべながら、コーヒーをすすっていた。時折お腹を押さえているところを見ると、どうやら、お腹もすいているようだが、それを言う雰囲気ではないのだろう。
 ちなみに伶奈もお腹は空いていたのだが、こちらの空腹は瑠依子の顔を見た途端、どこかに飛んで行ってしまった。
「……あの……ごっ、ごめんなさい……」
「……はぁ……一応、相談くらいはして貰いたかったんだけどね……担任としてもさ」
 消え入るかのような声で伶奈がわびれば、瑠依子はため息をもう一つ……彼女は少し身を乗り出すと、伶奈の顔を真っ正面からのぞき込んだ。二重の大きな瞳が伶奈のすだれ髪越しの目をじっと見つめ、そして、尋ねる。
「……何で、そんなにお金が必要なの?」
「えっ? あっ……あの……」
 事実を素直に……すなわち、『ハマ屋でたこ判食べたいから』なんていえるはずもなくて、しどろもどろで言葉に詰まっていると、頭の上から降ってくる助け船。
「母子家庭でお母さんが大変だから、スマホの料金やお小遣いくらいは自分でどうにかしたかったって言いなさい」
「えっと……ぼっ、母子家庭でお母さんが大変……だから……すっ、スマホの料金とか……お小遣いとか……――」
 視線をそらしてぼそぼそと答える言葉がぴしゃり! と、瑠依子の言葉で遮られる。
「ハマ屋でたこ判食べるお金を稼ぎたかったんでしょ?」
「あっ!? うぐっ……」
「あら……ばれてた」
 言葉に詰まる伶奈の上、アルトが他人事のような声を上げた。
 後で、ひねってやろう……と、伶奈は心に決めた……なんてことを知るよしもなく、瑠依子は頬杖をついて、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、言葉を続けた。
「四方会四人が毎日連れ立ってハマ屋でたこ判食べてれば、いやでも目立つわけよ……まあ、それに、恒例だしねぇ……なけなしのお小遣いで毎日買い食いして、破産する馬鹿。英明は通学に時間がかかる子も多いから、その道中で何か欲しくなるのよ、みんな」
「何もかもばれてるわね、さすが、先輩って所かしら? あきらめてしかられなさい」
 本当に頭の上に居座ってる妖精は百パーセント他人事のよう。すでに座ることすら飽きちゃって、寝転がっている気配がはっきりと頭から伝わってきた。
(後で、足に紐つけて、ぐるぐる回そう……絶対にやってやる……)
 うつむき、ココアの置かれたテーブルに視線を落としながらも、伶奈は心の中でアルトへの怒りを新たにする。
 その少女の横、美月がおずおずと言った雰囲気で声を上げた。
「あの……伶奈ちゃん、何か処分とか言うことは……」
 尋ねられた言葉に軽く首を横に振って、瑠依子は答えた。
「私も細かいことをねちねち言いたいわけでもないし、ましてや、英明にすばらしい伝統があるとか、思ってるわけでもないんだけどさ……」
「東京の旅館に出入りを禁止されてしまった学校ですしねぇ〜」
「うるさいよー、お嬢……ってね、でも、うるさい人はうるさく言うわけだし、何より、中学生を働かせるのはどうかと思うんだよね」
「「働いたら、ダメなんですか?」」
 上がった二つの声、片方は当然、美月ではあるが、もう片方は――
「お嬢まで何言ってんのかなぁ?」
 お嬢こと、河東綾音だった。
「こっちの人はどうせ、中学生くらいからフロアーをうろちょろしてたんだろうなって思うけど、何で、お嬢まで……?」
「お母様のお茶席で、振り袖を着て、お茶を運んでお小遣いを……後、お姉様は生まれたときから、ご実家で着物のモデルをなさっていたとか……そのお給料がギャンブルの種銭になってたとか……何とか……」
「特殊な家庭の事情を一般化しない! それから、お嬢、ばくち打ちとつきあうとろくな事にならないから、考え直せ」
「あはは……まあ、そのお話はまた後ほど……」
 と、そんな話をしているときに……
 から〜ん
 ドアベルがいつもの音を立てて、客の来店を従業員たちに教える。
 それに美月はもちろん、伶奈まで顔を上げれば、瑠依子はまた軽くため息をついて、伶奈に言った。
「いっといで。一応、今日は日給貰うんでしょ? どういういきさつでも、始めた仕事は最後までしなよ。話はこっちの休んでる人とするから」
「ふえ!? 今日、デートなのに……」
「なら、もう、一日中、話し合ってやる」
「大人げないですよ……会長……」
 そんな大人たちの声を背後に聞きながら、伶奈はぱたぱたとスニーカーの音を立てて、その場を離れた。
 この時、美月のデートの相手は窓際隅っこの席で突っ伏して寝ていた。

 と、ドアベルに呼ばれて入り口へと出向けば、そこにいたのは一人の男子大学生。すらっとした細身の長身に中性的な面持ちはジャニーズ系のタレントのよう。着ている服、紳士服はよくわからないけど、カーゴパンツの上にTシャツアンサンブルって言うのはなかなか、決まっているような気がする。
 まあ、おおむねイケメン大学生と言って良いだろう。
 されど、伶奈はその青年の名前を、ひそめた眉とともに苦々しい口調で呼んだ。
「……ジェリド……」
「あれ? 灯んとこの姉貴か吉田さんは?」
 ジェリドと呼ばれた青年――勝岡悠介だ。彼がきょろりと辺りを見渡すのを下から見上げていると、伶奈は自信の額のしわがますますを深くなるのを感じていた。
 そして、彼女はぶすっとした口調で答える。
「……休み。凪歩お姉ちゃんならさっきまでカウンターでコーヒーを飲んでたけど、お昼から用事があるって帰っちゃったし、吉田さんは実家に帰ってる……」
「……それで、ジャリが代わりに店番? 今日の売り上げ、かわいそうなことになりそうだよなぁ〜」
 冗談めかしたというか、本人は冗談のつもりなのだろうと言うことがよくわかる楽しげな笑みで、彼はそう言う。
 その言葉と笑顔にますます自身の頬が膨らむのを感じながら、伶奈はすっと腕を上げる。その細くて長い指先で店内を指し示し、彼女は投げ捨てるように言った。
「……好きなところに座ったら?」
「……おいおい」
 悠介にくるんと背を向けたら、ちょうど、一人の女性が席を立つのが見えた。
「あの人、帰るわよ」
「えっ?」
 頭の上から振ってくる言葉に視線を向けると、アルトがすっと指をあげて言葉を続けた。
「伝票、持ってるもの」
 確かに彼女の手には自身が先ほど置いた伝票が握られている。その伝票を持った女性はまっすぐにこちらへとやってくると、伶奈の頭の上から妖精がふわっと顔を覗かせて、言った。
「ジェリドには好きなところに座らせてほっとけば良いわ。水くらいは和明が出すわよ」
「私、レジしなきゃだから……好きなところに座ってて」
「へいへい。働くのも大変だな? 糞ジャリ」
 むかつく捨て台詞に何か言ってやろうかと思ったものの、時すでに遅し。ひらひらと軽く手を振り、青年は客の少ない店内へと入っていき、入れ替わりで、女子大生のお客さんが伶奈の方へと近づいてきた。
「おねがいね」
「はっ、はい」
 手渡される伝票、それを持って、レジの中へ……使い方は昨日習ったけど、まだ少し自信がない。カチャカチャとテンキーと部門の書いてあるキーを教えられた通りの順番に押していく。
 あまり自信はないけど、頭の上からのぞき込んでるアルトが何も言わないんだから、問題はないのだろう。
 後はお金を貰っておつりを渡したらおしまい。
「ごちそうさま」
「あっ、ありがとうございます」
 そして、彼女はから〜んとドアベルを鳴らして店内を後にした。
 少し開いたドアから春のさわやかな風がさっと店内へと流れ込む。少し肌寒いけど、心地良い風……新緑の香りがした。
「ふぅ……」
「って、落ち着いてないで……食器、片付けて」
 アルトに言われて伶奈はぱたぱたとスニーカーの音を立てて、先ほどまで女子大生が座っていた席へと向かった。
 国道側の窓際、後方の席……についた瞬間、アルトが言った。
「トレイなしでどうやって持って行く気?」
「えっ?! あっ……うん」
 テーブルの上にはグラスやカップやパスタ用の大きなお皿やら……どう考えてもトレイなしでは持って行く事なんて出来ない。仕方ないから、レジに戻って、その隅に置かれているトレイを手にしたら、再び、国道側の窓辺の席へ……
 明るい日差し、暖かな席に取り残された食器をトレイの上に並べたら、それを両手で支えて――
「あっ、ジャリ、俺、ボロネーゼをフォカッチャのセットで。コーヒーはアイスブレンドな」
 行こうとしたら、空気を読まないのか、嫌がらせなのかは知らないけど、悠介が声をかけた。
「あとで!」
 言葉を投げ捨て、よたよたと彼女は歩く。ここのトレイは結構大きいし、それに食器も良いものを使っているからなのか、一つ一つが割と重たい。大人ならそうでもないのかも知れないが、成長途上にある中学生には結構辛い。
「後でって……」
 そう言って笑う悠介の声も聞こえたけど、言い返す余裕は皆無。
「そもそも、注文は私が覚えてるんだから、貴女は覚える必要ないわよ」
「そー言う話もあとで!」
「……あっ、そう……」
 頭の上から降ってくるあきれ声をお供に、キッチンへと到着。とんとシンクの片隅にトレイを置いたら、ため息一つ、また漏れた。
「注文はボロネーゼをフォカッチャとアイスブレンドのセット、ね?」
「……ボロネーゼをフォカッチャとアイスブレンドのセットで、です、翼さん」
 伝えたら忘れない間に伝票へ書き込んで……おこうとしたら、作業台そばから大きな寸胴の前へと移動した翼が冷たく言った。
「だから、コーヒーは店長……」
「あっ……」
 伝票の上を走っていたペンが止まって、視線が頭上へと向く。
 頭の上からのぞき込んでるアルトと目が合った。
「全部言えとは言ってないわよ?」
 ニマッと笑って言う妖精に、ぶすっと膨れて彼女は応える。
「……底意地が悪い……」
 負け惜しみのようにつぶやき、彼女はきびすを返す。
「それと、ジェリドのグラスが空になってたわよ」
 返す頭の上から、妖精の指示が飛んだ。
「うっ……ピッチャー?」
 視線を上に持ち上げて、言葉を絞り出せば、すでにアルトはその場にいない。代わりに頭、てっぺん当たりの髪が軽く一回引っ張られた。Yes、の意味だ。
「重いのに……」
 と嘆いても仕方ないので冷蔵庫のドアを開く。様々な食材と一緒に分厚いガラスで作られたピッチャーが二つ、押し込まれていた。そのどちらにも澄んだ水がなみなみ一杯。
「よいしょ……」
 小さな声でつぶやき、それを引っ張り出す。
 そして、彼女は重たいピッチャーを持ってよたよた歩く。
「ペンギンみたいよ?」
「……うるさい」
 大きなピッチャーを抱えるようにして歩くのが、伶奈の精一杯。アルトの声に返す言葉も力不足だ。
 それでも何とか悠介の座る国道際の席へとたどり着いたら、彼の空のグラスによく冷えた水を注ぎ込む。グラスの上まで持ち上げて、さらに傾けてるのが凄く怖い。
 震える両手でグラスを水で満たしたら、もう一度、安堵の吐息。
「……そのピッチャー、置いといて良いぜ? チビが無理して運ぶなよ」
「……チビじゃないもん」
 膨れて見せたところで、重い上に歩きづらかったのは事実。置いていって良いと言われて安堵したことも認めざるを得ない。
「チビだろう?」
「ふん!」
 小馬鹿にしているとしか思えない笑みから、ぷいっと視線を切ったら、彼女はぱたぱたとカウンターで暇そうにパイプを吹いてる和明の方へと足を向けた。
「アイスブレンド一つ」
「はいはい。がんばってますね。先生の方はどうですか?」
「……わかんない。美月お姉ちゃんが話してるけど……」
「そうですか……先生と話をしてきてください。こちらは私と寺谷さんでどうにかしますから」
「……うん。解った」
 優しい笑みの老人にこくんと頷き、伶奈はきびすを返す。
 少し駆け足気味で、女性三人が座る窓際の席へと行ったら、伶奈はおそるおそるに言葉をかけた。
「あの……決まった?」
 その言葉に、女性三人は互いの顔を見合わせ、そして、声を合わせていった。

「「「ゴメン、なんか、よたよたしてるのがかわいかったから、ずっと見てた」」」

 そして、伶奈が、すねた。
 以降、伶奈は瑠依子と綾音が食事を終えて帰るまで、それから美月があくびを連発している良夜とともにデートに出かけていなくなるまで、レジの中に座り込んで、出てこなかった。

 なお、伶奈のバイトの件は……
「保護者も着いてる事だし、後は、私が時々覗きに来るって条件で何とかしてみるわぁ……何とかなったら、尊敬してね?」
 と、瑠依子が言って、実際にその通りになった。
 ただし、伶奈が瑠依子を尊敬することはなかった。

 そんでもって……
「……いや、今日は、お金ないし……」
「蓮も……」
「お母さんに怒られた……」
 伶奈はともかく、穂香、蓮、そして美紅が見事に破産。毎日、たこ判食べ放題という夢の学園生活はお流れ。
 何となく、週に二回というペースに落ち着いたのは、余談である。
 当然だが、ほかのメンバーに働ける先なんてなかった。

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