アルバイト(1)
 さて、前回のラストシーン、一分後……
 伶奈たち四方会のメンツは英明学園から歩いて三十秒の所にある小さな……店? にやってきていた。
 店の言葉にはてなマークがついているのは、その店が何の店か、伶奈にはよくわからなかったからだ。
 古びた屋根瓦の平屋建て、立て付けの悪そうなガラス戸が開きっぱなしになっていて、入ってみると結構な広さ。
 その中に入ると土間に平たい陳列棚が置かれていて、その上にはノートやら鉛筆やらシャーペンの芯やらが綺麗に並べられているから、文房具屋かと最初は思った。
 しかし、その奥には調理器具のような物が置かれていて、そこでは母よりも少し年かさの、恰幅の良い女性が何かを調理している姿が見える。どうも、単なる文房具屋とも違うようだ。あと、よく見ると店内の隅に古びたベンチらしき物が二つ置かれて、そこで何かを食べながら歓談している生徒もいる。制服のデザインが若干違うから、高等部の生徒だろうか?
「おばちゃーん、たこ判、四つ!」
 きょろきょろしている伶奈を置き去りに、穂香が大きな声で言えば、奥のおばちゃんが
「はーい」
 と、これまた大きな声で答える。
「一人、百二十円」
 そして、穂香が手を差し出した。
「……勝手に注文しないでよ……」
「れなちが食べないんなら、私が二つ食べるから良いよ」
「食べるけど……」
 とか言いながらも、素直にお財布の中から百円玉一枚と十円玉を二枚、穂香の小さな手の中に落とす。
「私、絶対に家まで保たないよ。ホント、マジでお腹、すいた……」
 そう言ってソフトボール部初日の美紅がお金を支払い、それに続いて蓮が無言のままで小さめのがま口から小銭を取り出した。
 そんな感じで穂香の小さめの手には小銭が九枚、そこに穂香本人の分も加えられた四百八十円、それが小太りなおばちゃんが差し出した包みとトレードされる。
「お待たせ」
 穂香が持ってきたのは、ビニール製の使い捨てタッパーに入った……――
「お好み焼き?」
 お好み焼きソースにたっぷりの青のり、それからマヨネーズが小さじ一つ分くらい。見た目はまんま、お好み焼きだ。綺麗な円形で厚みがあるのは、どうやら大判焼きの焼き型を利用しているからのようだ。
「たこ判焼きだよ、大きなたこ焼きみたいな感じ。れなち、知らない?」
「……初めて」
 穂香と言葉を交わしながら、店の外へ……そして、店の外、ジュースの自販機の横に置かれた、あまり大きくないベンチに腰を下ろす。四人で座ると、互いの肩が触れあう程度に少し狭い……というか、伶奈たち四人が比較的小柄だから四人座れてるだけで、もうちょっと育ったら、一人は並びから追い出されるであろう事が容易に想像が出来た。
 そんな小さめのベンチに、東西南北の順番で座って、早速、たこ判焼きに箸をつける。
 味としては思った通り、ほぼ、お好み焼き。でも、大判焼きの型で焼いてる分、厚みがあって、その分厚い生地の中心部分は生地がとろとろのふわふわ。しかも、そのとろとろの生地には半熟の卵が混じっていて、それがマヨネーズとお好みソースのブレンドソースと絡まると凄く美味しい。その中に混じっている大粒のタコも食感の良いアクセントになってる。
「おいしいね」
 素直な感想を伶奈が言えば、周りで食べてる友人たちもコクコクと何度も頷き合う。
 そして、その感想が四人だけの物ではないことを示すかのように、部活に精を出していたらしき中学生や高校生たちが入れ替わり、立ち替わり、店――英明では「ハマ屋」と呼ばれているらしい――に入っては、たこ判焼きやそのオプション付きの商品を買っていく。むしろ、オプションのついてないたこ判の方が少数派。『餅チーズ入り』とか、美味しそうだ。
「おばちゃん、ごちそうさま〜」
 最初に食べ終えた穂香が立ち上がり、ゴミを店内の大きなポリバケツのゴミ箱へと突っ込む。
 それを目で追いかけていると穂香はベンチの並びには戻らず、その正面に立って、伶奈の顔を見下ろした。
「えっ?」
「おじゃま〜」
 座らない穂香をきょとんした表情で見上げれば、穂香の体温が残るベンチに見知らぬ女子中学生がストンと腰を下ろした。襟元を飾るスカーフが白色なのを見るに、三年生だろう。その周りには同じく白いスカーフをつけた中学生たち数人が立ったりしゃがみ込んだりしながら、思い思いにたこ判を突いている。どうやら、伶奈の隣に座った三年生もその一団の一人らしい。
 その数名の三年生が伶奈たちをそっちのけで、あれやこれやとしゃべっているのを、ぽかんと眺めていたら、立っていた穂香が軽く伶奈の頭を突いて笑う。
「終わったら、待ってる人と代わるのが不文律だよ。それから、詰めてね?」
 穂香がそう言ったのは、穂香とは逆隣に座っていた蓮が食べ終えて、立ち上がろうとしてたから。まだ半分近く残っている伶奈が、慌てて一つ席を詰めれば、歓談しながらたこ判を食べていた上級生の一人がそこに腰を下ろした。
「ちょっと……狭い」
「こっち、押さないでよ」
 伶奈が言うと半分落ちかけてる美紅もちょっぴり不機嫌そうな声を控えめにだが上げた。成長期二年分の身長差に押されて、ただでさえ狭い四人のベンチはギュウギュウ。もっとも、最後に座った一人も同じく足が片方落ちてるから、大きな声で文句は言えない。
 その狭い中で何とかたこ判を食べ終えて、伶奈が立ち上がる。
 その隣では美紅も食べ終えたようで、折った割り箸を汚れたタッパーの中に入れて、立ち上がった。
「美味しいけど、ちょっと落ち着かないよ……これ」
 美紅が膨れたのは、彼女がそもそも食べるのが遅い上に、猫舌だから。今も口からぺろっと出した舌は真っ赤。何で同じものを食べてこうなるのか不思議な物だが、なる物は仕方ない。
「じゃあ、明日はどこかほかのところで食べようか?」
「……駅、とか?」
 穂香の提案に伶奈がつぶやき気味の声で答えれば、白いスカーフの三年生が顔を上げた。最初に伶奈の隣に腰を下ろした女子生徒だ。
「駅はダメだよ。みんながあそこでたこ判を食べて、駅のゴミ箱が空き箱だらけになって以来、駅で飲食してるのばれたら、お説教なの。毎年、知らないでやっちゃう一年が多いからね」
「あのときは盛大にしかられたねぇ〜」
「うんうん。結局、中か外のベンチが空くのを待つのが一番なんだよねぇ〜校内も放課後に残ってたこ判食べてたら、怒られるし」
 と、言われれば四人で顔を見合わせるしかない。
「東雲さんちは?」
「買い食いなんて、親に見つからないところでやるから良いの」
 美紅の言葉に穂香が肩をすくめて苦笑い。すると、見知らぬ三年生たちも含めて、みんなで「あはは」と軽い口調で笑っちゃう。
 いつの間にか、名前も知らない三年生たちと話してる自分に、伶奈は少しだけ驚いた。
 西の空に光る太陽に照らされ、伶奈のほっぺたが少しだけ熱い。

 さて、そんな感じで何となく、放課後のひとときを仲の良い友達やら見知らぬ人たちやらと、たこ判片手に楽しく過ごし始めた……
「……――のは良かったのよねぇ……」
 頭の上でアルトがつぶやいた。
 ハマ屋に始めていった日から二週間ほど経ったある日の夜。その夜、伶奈はアルトの二階にある旧三島家夫妻の部屋にいた。今夜はここに泊まることになっている。
 そういうのも、彼女の母、由美子が今夜は夜勤で帰ってこないから。さすがに中学生の一人娘を一人で留守番させるわけにはいかないと言うことで、三島家の方に預かって貰うって話し合いが、伶奈の居ないところで決まっちゃっていたらしい。
 若干、親ばかというか、過保護というか、そういう物だと思うが……親心という物も理解できるし、何より、アルトのお風呂はアパートのユニットバスよりもずっと広くて気持ちいい。それに営業終了後のお茶会に出たら、余り物のケーキとココアがもらえるのもうれしいので、いくら親ばかだと思っても、文句は言わない。
 そういうわけで、今夜の伶奈は三島家夫妻の部屋でベッドの片隅に腰を下ろしていた。
 そして、財布の中をのぞき込んでいた。
 その財布の中にあるのは百円玉が二枚と一円玉と五円玉。後レシート数枚。
 それを見つめれば、伶奈はつぶやかざるを得なかった。
「……まずい……」
 ちなみに次のお小遣い支給日まで十日以上ある。
「百円とか百十円とかでも、毎日、買ってれば、こうなるわよね……」
 もちろん、たこ判焼きだけでここまでなくなったわけではない。あまりたくさん買ってるわけでもないが漫画の本を買ったり、かわいい小物を買ってみたり、後は手芸部で必要な材料も買った結果、彼女のお財布の中身はこのていたらく。
 ちなみに彼女の母由美子は基本的に甘いが、お小遣いがなくなったからと言って、追加でお金をくれるほどには甘くない。
「どうしよう……アルト……」
「どうしようもこうしようも……どうしようもないわよ」
 冷たく言葉を返されれば、薄桃色のパジャマに身を包んだ伶奈はふてくされたかのようにパタンとベッドの上に寝転んだ。
 ダブルベッドは広くて、横方向に寝転がっても足が少し余る程度。そのまま、蛍光灯の明かりがまばゆい天井へと視線を向けて、彼女はため息を一つ吐いた。
「……みんなにつられちゃった……」
「自業自得よ。由美子に頭を下げるか……――」
「下げるか……?」
 アルトの切った言葉を復唱する。
 額にアルトがちょこんと立つと、彼女はニマッと底意地の悪い笑みを浮かべて、伶奈の顔をのぞき込んだ。
 そして、妖精は言った。
「自分で稼ぎなさい」
「稼ぐって、どうやって?」
「働くのよ」
「どこで?」
「ここで」
 蛍光灯の明かりが金色の髪越しに輝いて見えていた。

 アルトがここで、すなわち喫茶アルトで働けと言い出したのは何も突拍子もない思いつきだったわけではない。
 現在の喫茶アルトは人手不足がきわまっているのだ。
 まず第一に、人の三倍は良く働く吉田貴美が就活と卒論でほとんど出社できなくなっていた。
 最初から四年になったら仕事は出来ないって言われてた。だから、これは仕方ないことだと、半ば覚悟とあきらめもついていたのだが、実際に来てくれなくなると、切羽詰まるのは仕方ないことだろう。
 しかも、そんな調子だというのに、地元ローカル紙がまた喫茶アルトのことを取り上げてくれた物だから、客も増え気味。週末だからと言って、油断できなくなってきている。
 結果。
「……私、四月に入って休めたの、伶奈ちゃんの入学式の一回だけなんですよ……」
 と、従業員二人に優先して休みを与えている美月が半泣きになるような状況に陥っていた。
 仕方ないから、新しい従業員が見つかるまで、今まで週休二日だったのを、二週で三回にするか? という話をしていたことは、伶奈もちらっと小耳に挟んでいた。
「だからって、何で私が……」
 喫茶アルトの制服に身を包み、伶奈は土曜日の朝、せっかくの休みを早朝から喫茶アルトのフロアで過ごしていた。
 ちなみにその制服は、久しぶりにアルトに顔を出した良夜経由で、アルトの提案を教わった美月がその場で注文した物。基本的なデザインは臙脂のスラックスに白いワイシャツ、やっぱり臙脂のベストに、ネクタイ。大人が着ている制服と同じだが、ネクタイが蝶ネクタイではなく、普通のストレートな物になっている。
 蝶ネクタイにしたら、美月曰く『七五三みたい』だったから。
「その格好も十分七五三だけど……」
「うるさい……後でねじってやる」
「いつもいつも良いようにやられないわよ……って、ぶすくれてないで、しゃんとなさい、しゃんと。給料、貰うんでしょ?」
「うっ、うん……」
 なお、給料は日給五千円。ひと月分のお小遣い以上を一日で稼げるとなれば、いやが上にもやる気は上がる。
 から〜ん
 話をしていると、喫茶アルトのドアベルがいつもの乾いた音で従業員を呼んだ。
「来たわよ」
 アルトが頭の上からささやく。
 それを一瞥、ぱたぱたと駆け足でドアへと向かえば、伶奈がつくよりも先に客が店内へと入ってくる。
「いっ、いらっ……――って、凪歩お姉ちゃん……」
 入ってきたのは、毎日のように顔を合わせている女性、時任凪歩。
「おはよ。伶奈ちゃん。遊びに来たよ?」
 女性の平均値よりも高い背の上、さらに高いところでポニーテールを作った女性が、眼鏡の奥の目元を緩めて笑う。今日の彼女は、普段の制服姿ではなくて、私服姿。長袖のワンピースにレザーのノースリープジャケット。少し短めの裾から伸びる足がすらっとしていて、長身とも相まってかっこいい感じ。
 少し見違えた。
「って、なんで? 今日、休みじゃなかったの?」
「休みだから、喫茶店に軽食食べに来たんだよ? ほら、ちゃんと案内しないと、ダメだよ?」
「えっ……えっとぉ……」
「一人だからカウンターで良いわよ」
 早速しどろもどろになった頭の上から、アルトのアドバイス、天地逆さまになった顔とそこからぶら下がる美しい金髪とともに降ってくる。
「あっ、うん。カウンターで良い?」
「良いよ」
 笑顔とともに頷く凪歩を、伶奈はカウンター席へと案内する。ここに客を放り込んでしまえば、後はここを守る老店長のお仕事。お冷やを出す所から注文を受けるところまで、この老店長が行ってくれる手はずだ。
 そこに最初のお客を押し込んで、再び、伶奈は出入り口傍、レジの横に戻ってくる。
「はぁ……何とか、一人目……」
「この世の終わりみたいな顔をしなくても良いのよ?」
 定位置に収まりため息一つ。
 緊張で鼓動が高まり、顔が妙に熱いことを伶奈は自覚する。
「死にそうな顔になってんじゃないわよ。別に頭から取って食う客が来るわけでなし……」
「わっ、解ってるよ……」
 と、答えて見るも、その言葉に勢いはなくて、その上、尻すぼみ。
 客が来れば来たでどきどきするが、来なければ来ないで、次の客にうまく対応できるかと、不安になる物。しかも、アルトの店内には時計が置かれてないから、腕時計をつけない伶奈には、どのくらいの時間が過ぎたかもよくわからない。
「……そんな直立不動になってたら、体が保たないわよ」
「……だっ、だって……」
 そして、また、ドアベルが乾いた音を奏でる。
「ひっ!?」
 びくん! 伶奈の体が跳ね上がり、開くドアへと顔が向く。
「よう……アルト、それに伶奈ちゃんも……お疲れさん」
「あっ……良夜くん……」
 二人目の客も顔見知りで、とっさに自身の頬が弛緩するのを伶奈は感じた。
「どうしたの? 今週、二回目じゃない?」
「美月さんが今日は休みが取れるから、どーしても来いってさ。おかげで寝てなくて……ああ、モーニング、アイスブレンドで。いつもの席でいるから……」
 アルトが伶奈の頭の上から尋ねると、良夜は眠そうなあくびを一発。そして、伶奈に……ではなく、アルトに注文したかと思うと、大きなあくびをしながら、いつもの――最近は伶奈自身の指定席になっている窓際隅っこの席へと勝手に足を向けた。
 ネルシャツにジーンズ姿の後ろ姿を見送る。
 その目の前に落ちてくる金色の紙と小さな顔、そして、なんかむかつく黄金の瞳。
「顔が不機嫌よ?」
「別に……」
「モーニング、アイスブレンドらしいわよ?」
「……アルトが注文を聞いたんだから、アルトが行けば良いんだ……」
「まっ、適当な対応で女を怒らせるのはいつもの事よ。いちいち、気にしてても始まらないわよ」
「別に……怒ってないもん」
「『気にするな』って言っただけで、『怒るな』とは言ってないわよ?」
「うっ……」
 アルトの指摘に言葉が詰まれば、目の前を揺れる妖精の目がニマリと底意地悪く緩んだ。
 そのツラにむかついたので、軽く頭を後ろに引いて、不意打ちのように前へと思いっきり、勢いよく突き出す。
「いたっ!?」
 突出した頭の勢いについてこれず、アルトの小さな頭が結構な勢いで額に激突。妖精の小さなおでこが伶奈のすだれ髪越しの額に当たるも、一方的に痛いのは頭の小さな妖精さんだけ。
「何するのよ!」
「ふん!」
 大声を上げる妖精に、吐き捨てるような言葉だけで返事をしたらぷいっとそっぽを向く。
 そして、つかつかとキッチンへと向かったら、作業台に向かって何かの作業をしている翼に、伶奈は言った。
「良夜くんがモーニング、アイスブレンドだって!」
「……名前まで聞いてない……し、コーヒーはカウンターの店長……」
 淡々とした翼の口調に毒気が抜けたのか、
「あっ……うん」
 そうとだけ答えると、くるっと背を向け、伶奈はキッチンからフロアの方へと足を踏み出した。
「……伶奈」
「何?」
 立ち去ろうとする背中に声がかけられると、伶奈は立ち止まり、振り向く。
 作業の手を止め、こちらを見ている翼と視線が交わった。
「……」
「……」
 無言のまま、待つこと、数秒。
「…………なんでもない」
「えっ?」
 予想外の言葉に目を丸くする伶奈をほったらかし、翼は再び、作業台へと視線を落とし、愛用の牛刀でざくざくとなにやら肉を切り分け始めてしまった。
 その作業風景をぼんやりと見ていたら、頭の上から降ってくる声が一つ。
「何かアドバイスしようと思ったけど、何も出てこなかったのよ」
 頭の上から振ってくる言葉に、少しだけ頬が緩む。
 そして、伶奈は
「ありがとう、翼さん……」
 そうとだけ言うと、ぱたぱたとフロアへとかけだした。
 その背中に、翼の小さな声だけが帰ってくる。
「……んっ」
 その声が少しだけ気恥ずかしそうに聞こえたのは、伶奈の勘違いではないと思う。

 おかげで少し気が抜けたのか、どうなのかは解らないが、アルトの的確な指示のおかげもあって、伶奈はそこそこ暇な土曜の午前をそこそこに勤め上げた。
「初日してはなかなかの物じゃない?」
「お客さん、少ないもん……」
「まあ、土曜日だもの。こんな物よ」
 フロアには数名の客、その中の一人は良夜だし、もう一人は凪歩。名前を知らない客は二人か三人と言ったところで、特に緊張する必要もなく、のんびりと時間は流れていた。
「そろそろ……お腹がすいてきた……」
「翼に言って、まかないを作って貰えば良いわよ」
「うん……」
 と、レジ横、大きな窓から差し込む光を全身で受けながら、伶奈はアルトと言葉を交わしていた。
 そんなとき……
『お嬢も元気そうで何よりだよねぇ〜あのオカマの彼氏とはまだ続いてんの?』
『続いてますよ……それより、会長が教師とか……びっくりですわ』
 そんな会話をしながら、ドアを開くのは女性二人組。
 から〜んと、ドアベルが鳴って伶奈が顔を上げれば、
「いらっしゃい――せっ、先生??!!」
 伶奈の顔がこわばり、そして、彼女――伶奈のクラスの担任教師で元英明学園名物生徒会長桑島瑠衣子は一瞬目を丸くしたかと思えば、しばしの後に、ため息一つ。
 固まる伶奈を置き去りに、深いため息の奥で彼女は言った。
「……お嬢」
「何ですか?」
「これ……私の教え子で中学生なんだけど……対応しなきゃ、ダメだよね?」
「……わたくしに聞かれましても……」
「はぁ……オフなのに……オンでも仕事なんてしたくないのに……」
「……相変わらずですわね……」
 ぶつぶつ言われながらも、伶奈は対応されることになった。
 なお、隣に居る少しふっくらとした、いわゆるマシュマロ系美女が、この間まで喫茶アルト常連客の一人だった河東綾音女史であることを伶奈は知らなかった。
 

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