四方会(1)
 入学式の翌日、その放課後、伶奈は中学に入って最初の友人――東雲穂香に呼び出されていた。
「放課後、教室に残っててね」
 って言われただけで、何をするとも言われないでの呼び出しに、まさか……
「……虐め?」
 と、緊張したもんだが、そうでもないらしい。
「てか、はっきり、聞かないでよ……虐めてる人間が虐めてるって言うわけないよ?」
「ああ……そうだよね……じゃあ、やっぱり……」
「違うって! 私たち、友達じゃん!?」
「……友達だから、金を出せとか……」
「……じゃあ、来月から定期代、寄越せ。そして、歩いて通学しろ」
「ヤだよ」
 と、くだらない会話をしつつ、放課後直前、ホームルームである。
「……――という感じで今日は終わり。えっと……一番、号令」
 クラス担任の桑島瑠衣子がそう宣言すると出席番号一番の女子生徒が少々気恥ずかしそうな声で「起立」の号令を掛けた。その声にあわせて二十名の生徒が一斉に立ち上がれば、彼女がやっぱり、気恥ずかしそうな声で「礼」の一言。
「おう、気をつけて帰れ、おめーら」
 投げやりな言葉を吐いて、瑠衣子はその場を後にする。
 そしたら、めでたく放課後だ。
 残ってろと言われた伶奈は突っ立ったまま、視線を隣に向けた。そこには同じく立ったままの穂香の姿。どうするつもりなんだろう? 座って待つべきなのだろうか? と思っていたら、三々五々に教室を後にする生徒達に混じって、穂香の顔をチラ見している生徒が一人。
 隣の列の最後尾、そこにいた少女をを穂香がちょいちょいと手招きで呼び寄せる。
 すらっとした長身に引き締まったスタイル。短めに切り込まれた髪と少しきつめの目元がボーイッシュで格好いい。そんな彼女ではあるが、
「なに? なに? 何か面白いことでも始めるの?」
 屈託なく笑いかけてくる表情は楽しげで、親しみやすく感じられた。
「来た来た。北原さん」
 穂香が改めて「北原」と呼びかけると少女は不思議そうな表情ではあるが、「はーい」と気持ちいい声を返した。
「それでね。こっちが西部さん」
「……初めまして、北原さん」
「ああ、こちらこそ、西部さん」
 改めて紹介されると、伶奈と北原という少女は互いの顔を見合わせ、ぺこりと頭を下げる。
「それから、西部さんの後ろの席でぼーっと座ってるのがハイノさん」
 言われて伶奈は、そして、北原という少女も伶奈の後ろの席へと視線を向けた。
 そこにはぼんやりと頬杖をついてこちらの方を見上げている少女が座っていた。明るい茶色の髪がふんわりとしていて、大きな瞳に大きなメガネ。色白だけどほんのり朱色が入ったほっぺがふっくらとしていて、まるでお人形さんのような少女だ。彼女は、少しぼんやりした表情で伶奈達の顔を順番に見ていくと、か細い声でぼそぼそと言った。
「南風野蓮……南の風に野っパラの野、レンコンの蓮で、南風野蓮<はいのれん>……って、読む」
「あっ、私は北原美紅……北の原っぱで美しい紅<べに>で、北原美紅<きたはらみく>だよ」
「東の雲で東雲、稲穂の穂に、香り。東雲穂香<しののめほのか>ね」
 と、三人がそれぞれに名前の漢字を名乗り合うと、最後に残るのが伶奈。三人の視線が集中する中、伶奈が沈黙を守る。
 そして、三十秒が過ぎた。
 結局、彼女は――
「西部伶奈……こう書く」
 と、ノートに書いた自分の名前を見せることにした。
 伶奈の『伶』の字をなんと言って説明して良いのか、思いつかなかったからである。

 さて、伶奈、美紅、蓮の三人に集合を掛けたのは東雲穂香だった。
「まあ、何となく自己紹介も終わったことだし、解るとは思うけどさ。ここに集まったみんなには一つの共通点があるんだよ。そう、それは……――」
 と、芝居がかった口調で説明をする穂香に対して……
「ねえねえ、南風野さんって言うの? 名字、変わってるね」
「少し……格好いいね」
「うーん……時々、言われる……かな?」
 美紅が後ろの席に座ってる蓮に声を掛けたものだから、伶奈も何となく向いて、二人の会話に参加しちゃう。互いの名前の話題が終われば次は、どこの小学校から? って話。伶奈が「神奈川」と答えれば、美紅は「横浜?」と定番の言葉を返した。その言葉に、「県外の人にとって神奈川は全域横浜」と言う冗談が冗談ではなかったことを思い知ったり、後は……
「都会? 良いよねぇ〜ネズミーランド、行ったことある?」
 美紅の何気ない言葉にぴくん! と肩をふるわせる。
 車で二時間と掛からないところに住んでたから、家族で行ったこともあるし、小学校の遠足で行ったこともある。そして、その小学校の遠足の後……
(お父さんの仕事が決まったら、また、行こうねって……)
 そんな話をしてたことを思い出して、嫌な気分に――
「人の話を聞け!」
 嫌な気分になるよりも先にパチン! と心地よい音が三つ。二つ目の音と同時に、伶奈の頭頂部に軽やかな痛み。
 その痛みに振り向き見れば、どん! と仁王立ちになってる友人。可愛らしい頬をプーッと膨らせて居る姿が、そこにあった。
 その彼女が頬を膨らませたままに言う。
「だから、良い? みんなをここに呼んだのはね――」

「「「名前が東西南北」」」

 穂香以外の声が一つになった。
 ぽかーんと口を開いたまま、残りの三人に見つめられて、彼女は絶句した。
 そして、拗ねた。
 床にしゃがみ込んで、のの字を書き始めた……と思ったら、
「って、その程度で負けてたら中二病はやってられないの!」
 と、言って三秒で蘇った。
(メンタル、強いなぁ……)
 三名、全員がそう思ったらしい。
 さて……
「クラス分けの紙を昨日見た時点で、これはもう、神の配剤だと思ったの!」
「廃材……TOKIOに再利用されちゃう」
 穂香の言葉に、ぽつりと小さな声ではあるが、妙に通る声で蓮が囁けば、
「上手いこと言ったつもりか!?」
 穂香が一喝。
 そして、蓮はぼんやりとしながらもピースサインをずいと突き出し、一言言った。
「……いぇい」
「…………意外と、面白い子ね」
 美紅のつぶやきにコクコクと他の二人が何度も頷いた。
 とりあえず、いつまでも突っ立っても居られないので、美紅が近くの主が帰っちゃった席から椅子を確保し、穂香は自分の椅子を動かして、そして、伶奈は椅子を横に向ける。
 三人が蓮の机を囲んだら――
「……いぇい」
 蓮はぼんやりと自分の席に座ったまま、ピースサインをつきだしていた。
「それは、もう、良いよ、南風野さん……で、折角、東西南北揃ったことだし、仲良くしようという、ただそれだけの集まり?」
 美紅が尋ねる言葉に悪びれることもなく穂香が答えた。
「うん、そうだよ〜どうせ、小学校の時の同級生なんてほとんど別れちゃってるんでしょ? みんな。だから、みんなで仲良く、楽しい学校生活〜って良いじゃん」
 その単純な答えに伶奈は美紅と蓮の顔を順番に見た。
 美紅の方は伶奈同様、若干呆れては居るようだが、概ね、穂香が言ってることに異論はないようだ。
 そして、蓮はと言えば……ぼんやりとした視線で穂香の顔を見ているだけ。何を考えてるのか、良く解らない……ポーカーフェイスというのと少し違うよう……はっきり言うと、何にも考えてなさそうな感じ。
 そのぼんやりとした顔に伶奈を含めて三人の視線が集中…………
 そして、三秒。
 不意に彼女は言った。
「いいよ」
 その唐突な言葉に、他の三人が黙り込む。その時間、やっぱり三秒……
 沈黙の後に、三人は互いの顔を見合わせ、アイコンタクトで会話したら、こくんと頷きあい、そして、穂香が一同を代表して訪ねる。
「……えっと……もしかして……考えてた?」
 穂香に問われると、蓮はとりたてて表情を変えることもなく、こくんと首を縦に振り「うん」と答えた。
「……変わった子ね……って、でも、ほら、一人、入ったし、他のみんなは? いやだったり?」
 穂香が今度は残る二人に尋ねる。
 伶奈は今のところ、穂香がただ一人の友人というか、友達というか、顔見知り。別に断る理由もないから、蓮同様にこくんと控えめに頷き、改めて言った。
「うん……よろしく……」
「あっ、私も!」
 伶奈の言葉に釣られるように、美紅もブンッ! と音を立てて手を振り上げた。
 と、これにて見事に四人組は完成。
 それに気をよくしたようで穂香はその整った顔を思いっきり破顔させると、薄い胸を誇るように反らせてみせる。そして、彼女は高らかに宣言した。
「よーし! それじゃ、早速、四方会、第一回目会議始めるよ〜」
「ちょっと待って!」
 振り上げた手のひらが机の上に叩きつけられ、まるでその反動が伝わったかのように叩いた彼女――北原美紅の体が跳ね上がる。
「何!? その、四方会って!!」
「名前だよ? グループの」
「いや、それは解ってるよ、そうだと思ったよ! なんで、いきなりグループ名がついてるの!?」
「折角だから」
「折角だからじゃないよ! やめようよ! 恥ずかしいよ!!」
 蓮の机を挟んで、穂香と美紅との間を言葉が行ったり来たり。ぽんぽんと言いあってるけど、穂香の方は柳に風、馬耳東風。顔を真っ赤に怒鳴り散らしている美紅の言葉を軽く受け流すばかり。
 仕方ないとばかりに伶奈の方へと視線を向けて、美紅は言った。
「西部さんだって、そう思うでしょ?!」
 と、言われて伶奈は少し考える……
 思うのは、彼女の家庭教師である灯とその友人二人が『三馬鹿』とか呼ばれてたり、後、吉田貴美と高見直樹のカップルが『タカミーズ』とか呼ばれてるって話も聞いたことがある。それらに比べてみれば……――
「……格好いい……かな?」
「って、西部さんもそっち側なの!? じゃあ、南風野さん!」
「……………………………………」
 振られた蓮が、頬杖をついたまま、ぼんやりと宙に視線を遊ばせる。
 結構な時間が過ぎた。
 やおら、彼女は左手でピースサインを作って言う。
「四方会朱雀の南風野……いぇい」
「あっ、良いねぇ〜南だから朱雀か〜じゃあ、私は東だから龍だよね、青龍!」
 それに早速穂香が食らいついて喜んでるので、伶奈も好奇心から尋ねずには居られなかった。
「西は?」
「白虎、白い虎だよね、確か」
 確認するように穂香が答えれば、蓮がこくんと小さく頷く。
「……虎……ベイスターズの方が……」
「元横浜だもんね」
「……横浜じゃないけど……」
 と、三人、主に伶奈と穂香が盛り上がっていれば、突っ立ったままだった美紅も興味を押さえきることは出来ないようだ。机の上に両手をついたら、恥ずかしそうではあるが、穂香の方へと顔を近づけ、ぼっそっと尋ねた。
「……えっと、念のために聞きたいけど……北は?」
 その美紅の言葉に穂香ははっきりと手早く答える。
「玄武だね!」
「玄武って?」
「亀!」
「えっ?」
「亀! 尻尾が蛇!」
「ちょっと待ってよ!! なんで、亀!? しかも、尻尾が蛇!? おかしいじゃんか!!! なんで!? イジメ!!??」
「昔の中国の人に言ってよ……私が決めたんじゃないし……」
 穂香が弁明したところで、まあ、納得できるわけじゃないのだろう。彼女はばんばんと机を叩きながらの演説を始めた。
「いやだよ! 亀も! 蛇も!! 私、ハ虫類嫌いだもん!! てか、南風野さんが朱雀? 朱雀って火の鳥だよね?! それから、東雲さんが龍? それで、西部さんが白い虎? みんな、格好いいのに、なんで、私だけ亀!? しかも、尻尾が蛇とか!! おかしいじゃんか!!! せめて、熊にしてよ! 熊!!」
「ぷーさん?」
「なんで、そこだけ、素早く反応するの!!!! さっきまで、凄く考えながら喋ってたじゃんか!!!」
 ぽつりとこぼした蓮に一息にまくし立てると、彼女はぺたりと椅子の上に崩れ落ち、机に突っ伏してしまう。
 その伏せた顔の中から、えぐえぐと言う泣き声と共に……時折、「カメが〜」とか「ヘビは〜」とか言ってる。よっぽど、いやなのだろう。伶奈もその気持ちはわかる。ほんと、北が名字に混じってなくて良かった。
 その突っ伏した頭の上、ぽんと穂香の小さな手が置かれた。
「じゃあ、こうしよう」
 穂香がそう言うと、美紅は泣きはらした目で顔を上げた。
「何?」
「四方会血の掟第一、四神の話はもうしない」
「血の掟とか、やめてよ!! 恥ずかしいから!!」
「ちなみに第二は、『会を脱するを許さず』だよ?」
「ハードル高いよ!!! どこのヤクザだよ!!!」
「ああ、龍神会的な?」
「また、龍とか!!!??」
 賑やかに怒鳴る美紅と軽く聞き流してるとしか思えない穂香を見やり、伶奈は相変わらず頬杖でぼんやりしている蓮に小さな声で言った。
「……あの二人、仲、良いね……会ったばっかなのに……」
「……………………うん」

 こうして、仲良しグループ四方会が成立した。

 なお、血の掟、第一条は『出来るだけ仲良くする』に変更され、そして、第二は『突っ込みの声は控えめに』になった。
「って、私、狙い撃ちじゃんか!!! あと、『出来るだけ』ってなんだよ! 『出来るだけ』って!! そこは言い切ってよ!!!」
 って、また、美紅が叫んだ。

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