引っ越し(完)
一番の大物である食器棚を組み立て終えると、灯達はそれぞれ、小さめのパイプベッドと本棚、それからメタルラックのテレビ台を組み立て始めた。大きな食器棚に比べればどれもこれも小さくて、組み立てる手間は大したことがない。
ただ……
「ジェリドがベッドって……なんか、ヤだ」
と、伶奈が言い出したり、それに対して母親がわがままを言ってはいけない……ではなく――
「年上を呼び捨てにする人が居ますか! ちゃんと『ジェリドさん』って呼びなさい」
と、天然ボケをかまして、なんか、ぐだぐだな空気になったりもしたが、大きな問題もなく、家具は一通りくみ上げられた。
そこまでは良かったのだが、降ってわいた問題が一つ。
「あれ……このテレビ、同軸がついてないぞ?」
呟いたのはテレビのつなぎ込みをしていた灯だった。
三十二インチのテレビを箱から出してみれば、付属品の中に同軸ケーブルは入ってないし、部屋の中も壁にテレビコンセントはあるけど、ケーブルはない。
「ああ……そー言えば、俺が買ったテレビにもついてなかったから、慌てて、買いに行ったんだよな……駅前の百均で売ってたぜ?」
「じゃあ、俺が買ってくる」
悠介が答えるのを聞いて、灯が立ち上がる。
「良いんですか? 私が……」
「家主に居なくなられても困るし、俺、チャリがあるから。駅前の百均なら、毎朝、通ってますから」
シンクの前で母娘並んで洗い物をしていた由美子に灯が答えると、彼女は大きめの財布から五千円札を一枚取り出し、彼に預けた。
「では、何か甘い物でも……適当に……」
「ああ、解りました」
答えて灯は、梱包材が散らばる部屋から外に出た。
日差しがまぶしく、汗ばむくらい。この間までの冷たい風が嘘のように、春真っ盛りだった。灯はその日差しに目を細めながら、階段へと向かう角をひょいと曲がった。
「わっ!?」
曲がった先に響く、甲高い声。
少し視線を落としてみれば、階段一つ下から見上げる大きな目があった。
「なぎぽんの弟君じゃん? どったの?」
適当にざっくりと切り飛ばしましたというような中途半端な長さの黒髪、概ね可愛いんだけどすっぴんな顔、汚れたつなぎに無理矢理押し込まれた凶悪なスタイル……一つ年上のはずなのに年下にしか見えない女性――
「えっと……アマナツ先輩」
「ミカンじゃない! 天城夏瑞!!」
「……いえ、冗談です。あれ……この辺に住んでるんすか?」
目を剥いて怒るとますます年下っぽく見える。そんな一年上の先輩に笑みを浮かべて尋ねると、彼女はあごで階上を示して答えた。
「そこの階段を上がりきって右側の部屋だよ? あれ……なぎぽんって、地元だって聞いたけど……」
「うちは地元ですよ。ジェリドの家が上がって左の突き当たりなんです」
「ああ、そうなんだ? それで、何急いでたの? 危ないよ」
尋ねる夏瑞に灯は、手早く、西部家の引っ越しの事やらテレビの同軸ケーブルがないことなんかを答えた。すると、彼女は大きな胸元のやっぱり油汚れがしみこんだ、女性の物とは思えない手をパチンと打ち付けて言った。
「同軸ケーブルならエイケンに沢山あるから、一本、貰ってあげようか?」
「良いんすか?」
「うん。良いの、良いの。この間、二四研の活動動画を撮って貰ったときにも『いらないケーブルがどんどん溜まる』ってぼやいてたし」
「じゃあ、お願いします」
「ちょっと待ってね? 今、聞いてみる……」
頭を下げる灯の前、つなぎのポケットからスマホを取り出して、彼女はどこかに電話を始めた。
すぐに繋がって誰かと会話をし始める夏瑞、それをぼんやりと一段上から眺めること、一分足らず……
「OK、うちに持ってきてくれるってさ。届いたら持ってくよ。階段の向こう?」
「そうそう。じゃあ、よろしくお願いします」
ぺこっとまた頭を下げると、夏瑞は気安い口調で軽く答える。
「可愛い後輩のためだから。気にしないで良いよ」
「よろしくお願いします」
改めて、そう言うと灯は踵を返した。
そして、ふと思う。
(可愛い後輩って……まだ、入会届は出してないんだけどなぁ……)
階段を上がりきって左へと曲がる先輩の背中を見送り、灯はポリポリとほっぺたを掻く。
「まっ……良いか……バイク、いつ買えるかわかんないけど……」
つぶやき、彼は部屋に帰る。
「あれ? どうしたんですか?」
お早いお帰りに由美子が食器洗いの手を止め、首をかしげた。その彼女に彼が手早く事情を話すと、彼女は再び、深々と頭を下げて、礼を言った。もっとも、現物を貰ってくるのは彼ではないわけだから、礼を言われても困るだけ。苦笑いで、そのお礼の言葉を受け取ると、彼は預かった五千円札をポケットから出した……――
「灯センセ……」
瞬間、伶奈がちょいちょいと灯の袖を軽く引っ張り、そのすだれ髪越しに青年を見上げた。
「なに?」
そう尋ね返したのは呼ばれた灯だけではなく、その灯と話をしていた由美子共々。反射的に発せられた言葉に、少女は表情をこわばらせて、口を開いた。
「…………アルトが、だよ? アルトがね、うん……アルトが、同軸ケーブルは良いけど、甘い物はどうしたの? って、アルトが聞いてる」
「……アルトがアルトがってくどいわよ」
由美子が苦笑いで言えば、伶奈はサッと頬を朱に染め、そっぽを向いた。
そのそっぽを向いた顔に由美子は軽く笑みを浮かべ、そして、先ほど返して貰ったばかりの五千円札を灯の手元に押しつけた。
「申し訳ありませんが……」
「ああ、良いですよ。五人分かな?」
「アルトは私のを突くって」
頭を下げる由美子に灯が答えると、明るい声で伶奈が言葉を付け加えた。
そして、青年は脱いだばかりのスニーカーを足に引っかける。トントンと軽くつま先を玄関のタイル張りの土間に叩きつけたら、外に出る。
やっぱり、外は日差しがまぶしい。その日差しを手のひらで受けながら、彼は先ほど、夏瑞と出会った階段をトントンと下っていた。
そして、駐輪場。そこに出るとますます日差しは暖かくて、ちょっとした夏を感じさせるほど。
その日差しの下、先ほど止めた愛車を駐輪場から引っ張り出す。ママチャリよりかは多少マシと言った風体の自転車だ。その愛車にまたがり、国道を一気に下る。
春の陽気に火照った頬を、心地よい向かい風が優しく包み込む。
坂を一気に下って、駅前まで……相変わらず、周囲は田んぼばっかりだが、それでも百円ショップと併設されたコンビニが一軒、ちょこんと可愛く建っていた。ちなみに、ここのコンビニは身分証のない学生には酒やアルコールを売らないことで有名。
そのコンビニでシュークリームを五つ買ったのは、伶奈がシュークリームやエクレアの類いが好きだって話を少し前に聞いたから。
うら若い女性定員からおつりとレシートとを受け取ったら、さっさと店を出て、自転車にまたがる。それから、えっちら、おっちらと自転車をこいで坂を上る。姉が毎日押して上がってる坂だが、灯は自転車で上がることが出来るのは、日頃の鍛錬の差という奴だろう。
もっとも、いくら鍛錬しているとは言っても、このきつい坂を自転車で一気に駆け上がれば、結構、きつい。息は上がるし、鼓動は高まる。さらに、四階まで階段で上がれって言うんだから、そのきつさはひとしおだ。
そして、なんとか部屋に帰り着いたら……――
「あっ……お帰り、なぎぽんの弟君」
ベッドを置いたリビングルームの真ん中、片付けも一通り終わってくつろぐメンバーの中に六人目の人物――天城夏瑞がちょこんと座っていた。
「…………」
「……お前の言いたいことはだいたい解る」
呆然と突っ立ってる灯に俊一がぽつりと言う。そして、彼は部屋の隅っこ、無造作に置かれていたナップザックをひょいとつかんで持ち上げた。それは灯が教科書やノートの類いを入れて持ち歩いてる物だ。ちなみに、その『類い』にはスマートフォンも含まれる。
「……携帯電話は持ち歩くから携帯なんだぞ?」
「でかくて、ポケットに入れると邪魔なんだよ……」
ため息をついてザックを受け取り、中からスマホを取り出す。案の定、そこには着信ありの文字。そのアイコンを消して、灯は再び、スマホをザックに戻した。
そんな灯に夏瑞の軽い声が掛けられる。
「あはは、みんなにも言ったけど、私はいらないよ。部屋から持参してきたし。それに、欲しかったら自分で買いに行くよ。私、単車があるからさ」
言われてみれば、少し大きめの座卓の上にすでにポテトチップやクッキーなんかがごっそりと置かれていた。
その座卓の上に買ってきたばかりのシュークリーム五つを置いたら、おつりとレシートを由美子に手渡して……と、自身も座る場所を探す……も、あいにく座卓は狭めで座れるような場所はなさそう。仕方ないから、組み立てられたばかりで、未だ空っぽの本棚にもたれるような感じで座った。
腰を下ろすと、俊一から緑茶入りのマグカップが回ってくる。それを素直に受け取り、軽く口を付ける。渇いた喉に少し温めのお茶が心地良い。
「ところで、なんで、天城さんまで座ってんです?」
一息ついて、灯が尋ねると、軽く肩をすくめて夏瑞は答えた。
「ジェリドのバカと真鍋のアホが私のことを、ハッサクだ、ポンカンだ、伊予柑だって言ってるうちに、伶奈ちゃんに『ミカンのお姉ちゃん』として、懐かれちゃったから、ここに居るのよ」
「……すんません、理解できないです」
夏瑞の言葉に灯が呆れ顔を見せれば、由美子の方が微苦笑で答える。
「今日は知らない男の人がずっと居たから、女の人がきてくれて嬉しいんですよ」
確かに母親の由美子と夏瑞の間には、ちょこんと座って、ポテトチップをちびちびと食べている伶奈の姿があった。その伶奈は灯の視線に気づいたのか、サッと頬を朱色に染めて、顔をうつむけた。
そして、言い訳のような言葉をぽつぽつ……
「別に……そー言うわけじゃなくて……ただのお隣さんだから……」
「あはは、私も子供、好きだから……ねっ? おとなりさん同士、仲良くしようね?」
ぽんと、伶奈の頭を一つ叩き、彼女の癖っ毛をワシャワシャとかき混ぜると、夏瑞は屈託のない笑みを浮かべてみせた。それに伶奈も恥ずかしそうにこくんと一つ頭を下げる。
それをぼんやりと眺めながら、灯は自身が買ってきたシュークリームに口を付けた。味の方は値段なりという奴だろうか? アルトで食べ慣れてると、コンビニのスィーツは少し物足りない物がある。
「ここのスィーツ、結構、美味いんだよなぁ〜」
もっとも、これはこれで喜ぶ悠介のようなヤツもいるから、良いのだが……
と、それぞれの手元からシュークリームが消え失せる頃……
「それじゃ、そろそろ、帰るか?」
そう言って、最初に立ち上がったのは、俊一だった。彼は部屋の隅に置いてあった自身のショルダーバッグを取り上げると、その肩に引っかけ、再び、口を開いた。
「女所帯に長居するのもアレだろう?」
「ああ、そうだな……」
灯がそう答えて建てば、悠介も素直に立ち上がった。
「それじゃ、私も……」
それに続いて夏瑞も席を立つ。
「あの……もう少し、ゆっくりしても……」
「ありがとうございます。でも、今日はそろそろ……」
由美子の言葉を固持すると、灯はぺこりともう一度頭を下げ「ごちそうさまでした」と共に言葉をつないだ。
「ゆっくりするなら、ジェリドんちの方が落ち着くし」
「俺んちはたまり場じゃねーぞ?」
「たまり場だよ」
膨れる悠介に、軽く言葉を返しながら、四人はそれぞれの靴を引っかけ、部屋を後にする。
「あっ……あの!」
部屋を辞しようとする背に、少女の声。
「今日はありがとうございました……灯センセも、シュン君も……ミカンのお姉さんも…………後、ジェリドも、一応」
振り向けば母に付き添われた少女は恥ずかしそうにそう言って、ぺこりと又、頭を下げた。
その言葉に四人はそれぞれ、頬を緩ませ、異口同音に――
「また来るよ」
そんな言葉を返して、部屋を辞した。
取り残されるのは、母と
「…………少し、部屋、広いね……」
ぽつりと漏らす娘、そして……
「また、来るわよ、そのうち」
少女の頭の上でくつろぐ妖精さん。
少女の新しい生活がここで始まった。
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