入学式(完)
 英明の中等部は女子しか取らない。昔は、高等部も女子しか取らない完全な女子校だったのだが、十年ほど前から少数の男子を取るようになっていた。いわゆる『少子化対策』という奴だ。将来的には中等部も男子を取ろうという話になっているのだが、なぜか店ざらしになっているというのが現状らしい。
 その英明学園の臨時駐車場になっているグラウンドへと美月が車を乗り入れ、そして、停める。
 その車から降りると、伶奈は学校を見あげて、呟いた。
「……迷いそう」
 伶奈の言葉通り、迷いそうなくらいに英明学園は大きい。
 四階建ての校舎が四つ……いや、五つか? グラウンドも普通のグラウンドが一面の他にテニスコートや野球場もあるしいし、グラウンドの向こう側には大きなプールが見えてる。それにこれから入学式が執り行われる体育館も小学校の頃のそれと比べると倍くらいの広さがありそうだ。
「こっちみたいですね」
「うん……」
 伶奈は本日の保護者役の美月と共に、案内にしたがって校舎の方へと歩いた。入学式は高等部と中等部、合同で行うらしく、自身よりもずいぶんと大人びた生徒達も親に付き添われ、グラウンドを歩いているのが見えた。
「良い天気で良かったですね」
「うん……」
 人波に従って、二人は歩く。
 高い空の下、真っ白い雲が一つ、二つ。遮る物のないグラウンドはまぶしくて、暑いくらい。その周りには植えられたさくらが、最後の花びらを散らしていた。
 そのゆっくりと落ちるさくらの花びらを横目に見ながら、伶奈は美月とともに校舎の前へ……
 校舎の入り口には小さな人だかりが出来ていた。
「クラス分けの紙、張り出してますね」
 その人垣の向こう側に、大きなホワイトボードが見え隠れしている。どうやら、そこにクラス分けの紙が貼られているようだ。すでに大半は自分のクラスを見つけて、教室の方へと向かったらしく、そこに居るのは二十人に満たないくらいだった。
 その人垣をかき分け、伶奈は美月と共に前に出て、ホワイトボードを見上げる。
 一クラス二十人くらいで四クラス。私立中学だけあって少人数制のようだ。あいうえお順で名前が書かれている紙を順番に眺めて、伶奈は自分の名前を探す……も――
「あれ……ない?」
「そんなことないでしょう?」
 人混みの中、伶奈がぽつりと呟くと隣にいた美月もホワイトボードに目をやり、名前を探す……も、やっぱり、
「あれ……?」
 見当たらない。
 人混みを縫うように右往左往して探すこと数分……
 小さな声で誰かが言った。
「せいぶれいな?」
「えっ?」
 声の方へと視線を向ければ、そこには一人の少女が人好きのする笑みを浮かべて立っていた。伶奈と背はあまり変わらないが、少しふっくらした感じ。肩口を少し超えるくらいまで伸ばした黒髪が綺麗で、少し美月に印象が似ていた。
 その少女が伶奈の顔を見ながら、綺麗な指先で二組と書かれた紙の一角を指さし、言った。
「あるよ、せいぶれいな」
 言われて伶奈はその一角、『そこにはないだろう』と無意識のうちに除外していた部分へと目を向ければ、『西部伶奈』の四文字が燦然と輝いていた。
 見つけてくれたことははありがたいことなのだが、疑問が一つ、わき上がる。
「……名前……なんで解ったの?」
 伶奈が尋ねると、少女は笑みを浮かべて自身の胸元を指さした。そこには『東雲』と書かれたネームプレート。釣られて伶奈も胸元に目を落とせば、『西部』のネームプレートがエンブレムの入った胸ポケットに安全ピンで留められている、と言うか、今朝、自分で着けた。
「ああ……」
 とつぶやき、伶奈は改めて少女の胸元、ネームプレートに目をやりぽつり……
「ひがしくも」
「しののめ!」
「……だと思った。私も『せいぶ』じゃなくて『にしべ』だよ、『れいな』じゃなくて『れな』で、『にしべれな』」
「知ってるなら……って、でも……」
 そう呟き、東雲という少女は指をまたクラス分けが張られたホワイトボードへと指を向けた。
「あの並び……前二人が『きたはら』『しののめ』で、その次が『そがわ』『つちや』だから、『せいぶ』で扱われてると思うよ」
 言われてもう一度、伶奈もホワイトボードを見る。確かにそういう並びになっているし、そうなってる以上、自分が『せいぶ』扱いになってることも理解出来た。
 理解出来たからと言って納得が出来るわけがない。むしろ……
「ああ……後で先生に言っておきますから……まあ、そう怒らないで……ね?」
 と、美月が言うくらいなのだから、明らかに不機嫌な顔になっていたのだろう。実際、結構、むかっとは来てる。
「そうだよ。おかげで西部さんと知り合えたし。よろしくね。私、東雲穂香<しののめほのか>だよ……――お母さん、私、この子と一緒に教室に行くね?」
 穂香と名乗った少女が四十代前半くらいに見える女性に声を掛けた。その女性も彼女の母親らしく黒髪が綺麗だけど、伶奈の母親とかに比べるとずいぶんとふくよかだ。そのふくよかな女性が少女の言葉に軽く笑って首肯したので、伶奈はぺこりと頭を下げた。
 そして、自身も保護者である美月に視線を向けた。
 向けられた美月が、伶奈が口を開くよりも先に答える。
「じゃあ、私は出席番号のこと、先生に伝えておきますね」
「うん。お願いします」
 美月にもぺこりと頭を下げて、伶奈は穂香と共に教室へと足を向けた。
 一年二組の教室は一番道路側の校舎一階にあった。もっとも、道路とは職員用の駐車場や駐輪場が隔ててあるし、高いブロック塀もある。それに道路と言っても通学用の細い路地のような道なので、車の音が耳につくと言うことはなさそうだ。
 教室の広さ自体は小学校の頃と変わらないが、当時は人数が三十人ほど居たのに対して、今は二十人程度だから若干ゆったりとしている。その教室の席はすでに七割ほどが埋まっていた。外でクラス分けの張り紙を見ていた人達の分を考えれば、じきに全ての席が埋まることだろう。
 伶奈は黒板に描いてある『父兄は後ろに。生徒は出席番号のシールが貼ってある席に座ってください』の文字に従い、自身の出席番号六番が付箋紙で張られた席に腰を下ろした。
(後で変わらなきゃいけないかも……)
 ぼんやりとそんなことを考えながら、荷物を机の上に置く。
 一つ前の席には、先ほど知り合ったばかりの穂香。彼女も伶奈同様、真新しい鞄を机の上に置いて、腰を下ろす。そして、彼女は体を捻って半身を伶奈の方に向けると、早速声を掛けて来た。
「ところでさ、さっきの綺麗な人、誰? お母さんじゃないよね?」
「えっ?」
「だって、あんなに綺麗で若いお母さん、居るわけないよ」
「ああ……うん。そうだよ。親戚のお姉さん……お母さんは仕事が忙しくて……」
 伶奈がそう言うと穂香は「そっかぁ〜」と少しだけ表情を曇らせるも、すぐにその表情を明るくし、言葉をつないだ。
「私、あんな風な女の人になりたいんだよねぇ〜黒髪が綺麗で〜すらっとしてて、スーツとかびしっと着こなしてる、大人! って感じの女性」
 うっとりとした表情でそう言う穂香を見やり、伶奈は少々考えてみた。
(……この間、愚痴、聞かされて大変だったなぁ……あの後、翼さんに叱られてたし……良夜くんが来たら、デレデレになっちゃうし…………)
 しばしの間、沈思した結果、彼女ははっきりと言った。
「普段は駄目な人だよ?」
「……はっきり言うね」
 苦笑いの穂香に伶奈は少しだけ頬を緩めて、答える。
「だけど、大好きだよ……凄く、優しいから……」
 恥ずかしそうに伶奈がそう言えば、彼女はクスリと小さく、そして優しく笑った。
「じゃあ、お母さんが来てない分と併せて……トータル、少しマイナスくらい?」
「うーん……少し、かな? うん、少し、マイナス」
「ところで、お母さんの仕事って?」
「看護婦。忙しいんだって」
「へぇ〜それも格好いいなぁ〜」
「うーん、そーでもないよ?」
 と、そんな適当な話ではあるが楽しい会話を弾ませていると、空席だった三割ほどの席も全て埋まった。
 そして、さらに待つこと五分……
 壁に掛けられたチャイムが鳴ると、二人の教師らしき女性が、教室の前側のドアから入ってきた。片方は美月と同じか少し年上くらいで、もう片方は伶奈の母親より少し上くらいだろうか? どちらもスーツ姿で絵に描いたような教師と言った風体だった。
 それと同時に後ろ側のドアからは、どうやら、職員室で話をしていたのであろう、美月が入ってきた。そして、先ほどからそこらにたむろしていた父兄達の列に紛れ込む。やっぱり、周りに比べてずいぶんと若い上に遅れて入ってきたのも伴って、妙に目立っているようだ。一部では三人目の教師と思ってる生徒も居るくらい……ぼそぼそと噂されているのを聞けば、伶奈は顔が熱くなる思いがした。
 そのざわめきも暫くすればすぐに落ち着く。
 そして、最初に行われたのは、手違いにより伶奈の名字の読みが『せいぶ』と扱われていた一件の処理だ。彼女の出席番号は正しくは六番ではなく、十番になるらしい。
 それに伴い席を動けば……
「後ろじゃなくて、横だったんだね?」
 元居た席の斜め前、ほぼ中央、前から二番目と、勉強するには絶好この上ない位置が伶奈の席として与えられた。そこは穂香の隣。同じ教室に居るのだから、多少遠くてもどうと言うことはないだろうが、それでも近くに親しい人が居るのは心強かった。
 それから入学式の式次の説明。
 先に父兄と在校生が入場し、その後に、中等部の生徒、それから高等部の生徒が入場する。その際、三年生が入場前に胸にバラの造花を着けてくれるとか……
 と、一通りの説明が終わると年若い教師が壇上に上がった。
 ダークブラウンの髪をアップにまとめた女性教師は壇上から、彼女の受け持ちとなる生徒達をぐるりと俯瞰……右から左まで一通り見終えると、軽く咳払いをして言った。
「さてと、これから入学式な訳だけど、私は君らの担任の桑島瑠衣子、教科は英語。去年、大学を卒業して働いてる、社会人二年目のペーペー。そんなペーペーを別に尊敬しろとか言わない。その代わり、これから一年、一緒に楽しもう! そのための協力は惜しまないから!」
 そこまで一息に言い終えると、彼女は一旦言葉を切って、ひときわ大きな声で言った。
「少し早いけど、入学おめでとう。英明学園にようこそ!」
 彼女がそう言うと、誰からともかく、パチパチと拍手がわき上がり、話は終わり。続いて副担任の初老の女性教師が先に父兄達を案内して、教室を後にした。
 後は事務的な雑事だけ。それを終わらせると、いよいよ、入学式。
 一年二組の面々も廊下で整列をすると、瑠衣子を先頭に校舎を出た。
 キッキキッ!
 伶奈達が校舎から出た瞬間、鋭いスキール音を響かせタクシーが、校舎前の駐車スペースに止まった。
「あっ、ありがとうございます!!」
 無駄に大きな声が聞こえると、伶奈は根っこの所で繋がった期待と不安に突き動かされ、視線をその黒塗りのタクシーへと向けた。
「あっ! 伶奈!!」
 出て来た女性が叫んだ。ダークブルーのパンツスーツの女性は見まごうことなき母親、西部由美子……なのは良いのだけど、そのスーツと言ったら――
「おっ、お母さん!? 何、その格好!?」
 思わず、伶奈は悲鳴を上げた。
 真新しいスーツなれど、その右膝の所は見事に破れて、擦り傷だらけの生膝が丸見え。右腕も肩から肘の辺りに掛けて真っ白だし、かぎ裂きのような物もいくらか見えてる。
「駅で転んじゃった! 駅の階段で! それでハンドバッグに入れてたスマホも割れちゃって、電源入らなくなって……あっ、あの、先生ですか?! あっ、いえ、大丈夫です! こういう裂傷とか、打撲とか、見慣れてますから!」
 その艶姿に心配している瑠衣子の前でぺこぺこと頭を下げる姿を、一年二組のクラスメイトといわず、他のクラスの生徒までもが注目されていることを知れば、伶奈の顔がすだれの髪の向こう側でかーっと熱くなる。
「ごっ、ゴメン! ほんと、ぎりぎりで!! 連絡しようにも、お母さんのスマホ、ばきばきに割れちゃったし! 公衆電話はあったけど、スマホがないから、伶奈やアルトの番号も思い出せなくて!!」
「そんなの良いから! その格好、なんとかしてよ!!」
 黒塗りのタクシーを挟んで二人が叫び合えば、周りの生徒や教師、父兄までもがクスクスと笑い始める。
 結局母は手の空いていた教師に伴われ、体育館へと連れて行かれた。そして、そのぼろぼろのスーツ姿のまま、入学式に列席することになった。「なんとかして」って娘が叫んだところで、父兄用の着替えなんてこの大きな学園、どこを探したってあるはずないのだから……
 式の最中はともかく、その式が終わった後、美月と交代した母の目立つことと言ったらなかった。
(かっ、帰りたい……)
 ズタボロの母を背後に置いて、机の上でうつむく伶奈の隣、穂香がこっそりと身を乗り出して尋ねた。
「トータルは?」
 静かな声で尋ねる友人の台詞に伶奈はうつむいたまま、消え入るような声で答えた。
「……ちょっと……ほんのちょっとだけ、プラス……」

 オマケ……
「……回ってる」
「しょうがないでしょ……スマホ、割っちゃったから、また、お金がいるのよ……」
 今夜のお祝いは回るお寿司だった。
 腹が立ったので、伶奈は二百円の皿だけを選んで食べ続けることにした。

 そして、その話を聞いてアルトは言った。
「三島家の女ねぇ……」

前の話   書庫   次の話

ご意見ご感想、お待ちしてます。