入学式(1)
 灯の指導が良かったのか、そもそもの出来が良かったのかは、定かではないが、伶奈はめでたく英明学園中等部に合格した。
 教えてる方の評価は「もうちょっと手が掛かる方が教えがいがある」ではあったが、逆に教わってる方の評価はと言えば、
「うーん……よく解らないけど……よく解ると思う……」
 と言う物だった。解るのか解らないのかはっきりしろと言いたいところではあるが、ともかく、続けて欲しいのか、欲しくないのか? と尋ねたら
「先生が良いなら……私は、どっちでも……」
 とのこと。
 それで、結局、「勉強中は食べ放題、それとランチも食べに来て良いので、安月給」という灯の家庭教師は試験以降も続けられることになった。
 さて、その試験、前回でも軽く触れたが正確に言うと『入学試験』ではなく『編入試験』だった。伶奈は四月の入学式にも普通に出席するが、書類上では『編入生』と言うことになる。伶奈の問題が発生した時点で普通の入試は募集どころか試験すら終わっていたから、こういうアクロバティックな方法を採るしかなかったのだ。
 こういうアクロバティックな真似が出来たのは、伶奈の一身上の都合という物を学校側が配慮してくれたという部分もあるが、一番は『英明の黒雪姫と四人の小悪魔達』の一人が未だに理事として英明の経営に関わっていたからと言うのが大きい。
 和明が最近アルトに顔を出し始めた明菜に頭を下げて、その明菜が理事をしている友人に頭を下げたら、
「真雪の面倒ごとは二十年ぶりね」
 の二つ返事で編入の手続きを取ってくれた。
 ちなみに二十年前の面倒ごとは『制服をワンセット売ってくれ。新品で良いから』だった。それは学祭の催し物に利用された。余談である。
 もっとも、配慮してくれたのは手続きだけで、試験に関して言えば規定の合格点は一点たりとも配慮はしてない、らしい。そのことが立証されるのは入学して最初の中間試験、八十三人中十五番をたたき出した時のことになる。
 そんな感じで順風満帆に入学を待っていると思われていた伶奈ではあったが、その機嫌はすさまじく悪かった。
「……いい加減に機嫌、直しなさい……」
 と、半ば以上あきらめ顔で言ったのは、妖精のアルトだ。ちなみにその頭、美しい金髪はほつれ毛だらけの三つ編みになっている。やったのはもちろん、オーバーオールの少女――西部伶奈だ。
 彼女は朝からずーっとアルトの頭の上でちまちまと手を動かし続けていた。
 ここは喫茶アルト、窓際隅っこの席。
 早春の優しい太陽が差し込むこの席は、景色こそ良いが奥まったところにあるせいで店内の死角になりやすい。下手すると店員すら、ここに客がいることを忘れてしまうような席だ。だから、あまり客を通すこことはなく、特定の客だけが使う『指定席』のような扱いになっていた。
 この間まで、この指定席の主は浅間良夜という青年だったが、ここふた月弱のうちにすっかり伶奈がここの主に成り代わってしまっていた。
 一般的な小学六年生も卒業式を終えた三月半ば、今日は灯が用事があるとかで家庭教師もお休み。暇つぶしに、と良夜が固定ゲーム機を二種類とゲーム十数本を置いて行ってくれてるのだが、それにも手を付けず、彼女はちまちまとアルトの髪を弄くりまわして遊んでいた。
「聞いてる?」
「…………」
 アルトがぶすっとした声で言っても、伶奈は返事もせずにちまちまとアルトの髪を結い上げてはほどいて、ほどいてはまた別の結い方で結い上げたりを繰り返していた。綺麗にやるのならまだ良いのだが、どーもこの娘、不器用らしい。不器用な上にアルトの頭は小さいし、髪は細い。そんなもんだから、綺麗に出来るはずもなく、綺麗に出来ないことが気に入らないからいっそう一生懸命に髪を弄くりまわし続けるという悪循環に伶奈は陥っていた。
 それでも単に『暇だから』でやってるのなら救いがあるのだが……
「どーせ……どーせ……」
 と、伶奈がぶつくさ言いながらこんな辛気くさい作業をやり続けているのは、彼女が現状に深い不満を抱いているからだ。八つ当たりに近い。
 現在、伶奈は母親とは一緒に暮らしてなく、アルトの二階、三島家の居住スペースに居候している。
 例の事件が発覚して伶奈は母親に連れられ、すぐにこちらに引っ越してきた。小学校の方は、まあ、いろいろと複雑な手続きもあったが、どうにかなった。中学の進学先も、上記のように決まった。問題はない。住むところも学生マンションではあるが、今住んでる四年生が卒業して美装が行われたら引っ越す手はずになっている。
 あったのは母親の方である。
 彼女の母親――西部由美子は看護師だ。
 全般的に人手不足の医療業界、その中でも特に人手不足になりがちな救急病院に、由美子は勤めている。
 勤めて、いる、のだ。
 まだ、辞めてない。
 と言うか、辞めさせて貰えない。
 救急病院は仕事もハードだし、勤務時間も不規則になりがち。必然的に看護師はなかなか居着かない。居着かないから居着いてるの看護師にのしかかる義務と責任は高止まり。しかも、由美子は、一家の大黒柱として朝早かろうが夜遅かろうが、いきなり『若い看護師が夜逃げしたから、明日の休みを返上して!』と言われようが、文句の一つも言わずに、それも稼ぎの一環として黙々と働く、便利な看護師だった。
 当然、院としては手放したくない。
 それでも、伶奈を連れて家を飛び出した当日は半狂乱に近い状態で電話をかけた物だから、あっさりと休みが貰えた。
 されど、その翌日に辞めると言い出せば話は別。大騒ぎになるのは当たり前だ。
 しかも、辞める理由が……
「夫と別れて里に帰ります。別れる理由ですか? えっと………………あっ、飽きたから!」
『飽きたから』はないでしょうに……とアルトを始め、聞いた人間、全員が思ったが本当の理由を言うことも出来ず、テンパってしまっていた由美子がツイ言っちゃったことだし、今更取り消すことも出来ないしで、まあ、仕方ないと言ったところだ。
 しかし、雇ってる側としたら、そんな理由で辞められたんじゃたまらない。人手も足りないし、緊急搬送でも落ち着いて対応できば、手術の助手も行える由美子は貴重な戦力だ。なんだ、かんだと理由を付けられて引き留められるし、由美子としても夫(もうすぐ元夫)に娘を預けられない理由も言えないしで、結局、グダグダと流されるままに三月いっぱいの残留を、新天地での就職先の紹介と引き替えに飲まざるを得なくなっていた。
 で、
「……由美子相手には『大丈夫、美月お姉ちゃんもアルトもいるから……』って言っておいて、後からぶりぶり怒ってんじゃないわよ」
「……うるさい、馬鹿アルト……」
 ぼそっとこぼして、ぺちん! と伶奈の指先がアルトの後頭部をデコピンの要領で弾く。
「いたっ! 貴女の指、しなるから結構痛いのよ!? むち打ちになったらどうするのよ!」
 叫んで振り向き見上げれば、半泣きの伶奈の顔、目に一杯の涙が溜まっているのを見上げたら、何も言えなくなって、アルトはため息を一つついた。
 妖精の瞳が窓の外、早春の山へと向けられる。
 この間まで寂しげだった山にも若葉と新緑が帰ってきて、みずみずしさを増している。そろそろ、桜のつぼみも膨らむ頃か?
 その風景をぼんやりと眺める後ろ頭に少女の声が響く。
「だって……引っ越したら家具とか新しい服とか、いろいろ買わなきゃいけないからお金も掛かるし、お母さんが仕事しなきゃいけないのは解ってるし、お母さんのお仕事は死にそうな人を助ける立派な仕事だし……」
 ごそごそと弄くられる髪、その後頭部に伶奈のぽつりぽつりと呟くような声が聞こえていた。その声は淡々としていているけど、髪を弄くる指先には不必要な力がこもっていて、それが彼女の感情を言葉以上に語っているように思えた。
「……物わかりの良い娘を演じるのも大変ね……」
「でも、説明会、みんな、お母さんが来てたのに、うちは美月お姉ちゃんだったし、もの凄く若くて綺麗だから周りからじろじろ見られるし……こんなのだと入学式もどうなるか解らないし……」
「あそこの仕事は三月いっぱいでしょう? アパートにも四月から入ることになってるし」
「お母さんが何日は休むとか、何日は空けておくとか言って、守ったためしがないもん……」
 むにーっと髪を引っ張るけど髪は伸びるはずもなくて、アルトに一方的な痛みだけを与えるのみ。
「……ああ……そう……――って痛いって!! 引っ張らないでよ!」
 悲痛な悲鳴を上げてもぐいぐいとアルトの髪を引っ張る伶奈の手から力は抜けない。
「去年の誕生日だって、帰ってこなくて、どうしたのかと思ったら、同い年の子が交通事故に遭ったからって、その子の処置してたら、夜が明けてたとか……お母さんはわたしよりもよその子が大事なんだ……」
「良い加減なさい。言いたいことがあったら、言えば良いでしょう? グダグダ、陰口叩いてないで」
「……どーせ、わたしの誕生日なんて祝わなくても、わたしは死なないもんね……よその子はお母さんが面倒見ないと死んじゃうもんね、どーせ、どーせ……だから、よその子が死にそうになったら、わたしの入学式にも来ないんだよ! 入学式にお母さんが来なくても、わたしは死なないから!!」
 ブチッ! と嫌な音がしてアルトの髪が数本、伶奈の指に絡んでキラキラ光る。
「痛いってばっ!! 好い加減にしないと怒るわよ!?」
 ぶんっ! と頭を振って少女の手から逃げ出したら、テーブルの上で華麗にターン。腰を低く落として、ストローを構えて威嚇する。
 そして、叫ぶ言葉は――
「刺すわよ!?」
 定番のこれだった。
 しかし、伶奈も負けてはいない。
「うるさい! うんこみたいな頭のくせに!」
「うっ、うんこって何よ!? どんな頭にしたのよ!!??」
 ちなみにアルトの頭はアルト本人からは見えないが、くるくると頭のてっぺんで巻き上げられていて、おそらくはいわゆる『盛りヘアー』って奴にしたかったのだろうが、生来の不器用さが出て、どう見ても巻○ソっぽい感じになってる。
 って事を後から知って、アルトはもう一度激怒した……のは余談。
「うんこはうんこだよ! 東京に行ったときに見たビール屋さんの上に乗ってる奴がクルンって巻いてる感じのうんこ頭!!!」
「なによ!? それしたの、貴女でしょ!? すだれ髪!!!」
 大声を上げ合って、互いに互いを威嚇し合う不毛な時間が約十数秒……
 ガチャン!
 と音を立てたのは……
「なんなんですか!? 良夜さんは!」
 眉を釣り上げている美月さんだった。
 彼女の前には二つのトレイ。一つは、大盛りナポリタンにピザ四分の一とサラダとお冷や。別のトレイにはイチゴのパフェとチョコレートケーキとアップルパイ、それからもちろんホットコーヒー。先ほどの音はこれをテーブルの上に無造作に置いた音だったらしい。あんな賑やかな音を立てておいたというのに、のっぽなパフェグラスが転ぶことも、なみなみと注がれたお冷やが零れることもなかったのはさすがと言えよう。
「ふえ?」
「えっ?」
 きょとんとした顔を見せる伶奈とアルト。その二人を無視して、美月はずるずるとパスタをすすり、ピザを囓り、そして、パフェを飲んだ。それも半分を一気に。
「……パフェって飲み物?」
「……真似るんじゃないわよ」
 伶奈が呟くように尋ねたら、アルトは喧嘩していたことも忘れて小さな声で答える。それに伶奈もコクコクと何回もうなずいているから、おそらくは彼女も喧嘩していたことは忘れたのだろう。
 と、伶奈とアルトが見守っていることを気づいたかどうか……むしゃむしゃと咀嚼し、ゴクンと飲み干したら中身が半分近くに減ったパフェグラスをテーブルに叩きつける。
 どん!
「聞いてください!」
 美月は一息吐いて、大きめの声で語り掛ければ、アルトが口元を押さえて呟いた。
「あっ……しまった」
 されど、伶奈は気づかない。ほとんど反射的に彼女は答える。
「どっどうしたの?」
「ああ……相手しちゃった……」
 アルトは天を仰ぎ手呟くけど、もう、襲い。
「良夜さん、今週末も卒業論文を書くから出かけられないって言うんですよ!? 先週も先々週も出かけてないのに!! どー思いますか!? 平日は平日でセミナーや説明会があるとか、研究室での作業しなきゃとかで全然来てくれないし!!」
「えっ……えっとぉ……あの……りょっ、良夜お兄ちゃんに何か言った方が……」
「言えるわけないじゃないですくゎっ!?」
「……ひっ!? ごめんなさい!」
「就職活動や! 卒業とか! 大事な時期なんです!! 私としては就職なんてしないで! お祖父さんの代わりに力仕事とか! 私の代わりにパソコン入力とか! パソコン入力とか! パソコン入力とか! パソコン入力なんて、良夜さんが本職なんだから、代わって欲しい位で・す・が!! 男性としては、女性経営者の下で働くのは辛いというのも解りますし、ましてや、それが恋人とかなると、立つ瀬がなくて、お嫌だというのも解るので、もう、頑張って貰わなきゃらならないんです!! 知ってますか!?」
「……じゃあ……我慢して……」
「我慢できないから、やけ食いしてるんです!!!」
「ひっ!?」
 美月の勢いに伶奈もその顔色をなくして、アルトの方をちらりと見やる……も、アルトもすでに逃げ腰。こうなると長くなるのは、長いつきあいの中で十分に知っているからだ。
 されど、伶奈も甘くなかった。
 彼女の小さな手がひょいとアルトの羽をつまむ。
「はーなーしーてー!」
 じたばた暴れも、伶奈はつまんだアルトの羽を離すことはない。彼女は、すーっとそのつまんだアルトの体をテーブルのほぼ中央、置かれた二つのトレイの間に突っ込んだ。
「って、ここ!?」
 そこは美月の手が右に左にと降ってくる危険地帯。さすがに頭の上に何かが落ちてくることはないと思うが、パスタが汁を飛ばしながらすすられて行ったり、コーヒーカップがうなりを上げて落ちてきたり、お冷やのグラスが叩きつけられて、雫が飛んだりする場所に突っ込まれているのは、なかなかスリリングだ。
「それにです! お昼は毎日毎日、購買のジャムパンと自販機のカップコーヒーとか! コンビニのサンドイッチと缶ジュースとか! 不健康な生活! してて良いわけないじゃないですか!? だいたい、良夜さんは舌が安物なんです! ファミレスの安いセット、おいしそうに食べてるし!! あんなの、レトルトですよ! レトルト!! 同じ舌と口で、私の料理をおいしいって言われても、なんか、微妙な気分になるんです!!」
 と、美月が力説し始めれば、伶奈は助けを求めるようにアルトの顔をちらちらと何度もチラ見。
 それにため息をついて、アルトは答える。
「……ただの思い出し怒りよ、流しとけば良いわ……」
「なっ、流せって……」
 アルトの言葉を咀嚼するように呟けば、それを聞きとがめた美月の手がどん! テーブルを叩いて言った。
「何か言いましたくゎっ!?」
「言ってないです!」
 と、さんざんな伶奈とアルトであったが、一つだけ救いがあった。
「……――それでですね!? もう、毎日毎日、あんなおいしくないジャムパンで……――」
 美月の食事も終わって、さらに長くなるかと思われたそのとき――
「美月さん、そろそろ、帰らないと翼さんが切れかかってるよ?」
 ひょっこりと顔を出したのは、フロア担当の凪歩だ。
「あっ! はい! ごめんなさい! じゃあ、伶奈ちゃん……愚痴、聞いてくれてありがとうございます〜」
 さっきまでの激怒が嘘のように美月は立ち上がったかと思うと、ひょいひょいと二つのトレイを手にしてその場を後にした。その美月と一緒に凪歩がその場を離れるとき、伶奈の顔を見て軽く手を振ったから……もしかしたら、助け船だったのかも知れない。
 そんな感じで、ようやく嵐が去って、伶奈はため息一つ。
「ふぅ……疲れた……」
 呟く言葉に同意はするも、アルトは言わずにはいられなかった。
「…………でもね、伶奈」
「……何?」
「……貴女もあれと同じ事をやったのよ……」
「……うぐっ」
 言葉につまる。表情が苦々しくゆがむ。
 それにアルトは、ピッとストローを彼女に降り出して追い打ちをかけた。
「……どう思ったの?」
「……みっともない……」
「……どうしたら良いと思うの?」
「……お母さんにメールしてくる……」
「後、良夜にもちょっとはこっちに顔を出すように伝えておいて……凪歩にでも言付ければ良いわよ」
「解った」
 言って伶奈はぽんと椅子から飛び降りると、パタパタと居住スペースのある二階へと駆け出していった。おそらくは先日買い与えられたスマホを取りに行ったのだろう。
 駆け出す妹分の後ろ姿にアルトは呟いた。
「まあ、根は良い子よね……それよりも……――」
 そして……
「それよりも、なんで、あの子は一回り違う子にみっともないとか言われるようなこと、するのよ……」
 もう一人の妹分に関して、頭を抱えてた。

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