ずっと……(2)
 前回のラストシーンから二時間後……
 浴衣に丹前姿の彼は再び、萬屋のガラス戸を開いていた。
 彼に付き従うのは案の定、忍者みたいにマフラーを顔に巻いて懐に潜り込んでる妖精さんと、これも宿屋のロゴが入った浴衣と丹前姿の美月さん。ただし、美月の様子だけは違っていた。
「もーいっぱいのみましょー! もういっぱい! あじみですよ〜あ〜〜〜じ〜〜〜み〜〜♪」
 上機嫌なれどもはや足腰立たないって感じ。歩くことも能わず、彼女は良夜の方にだらんとぶら下がっていた。
 そのぶら下がったままの美月を引きずり、青年は宿屋の中へと入る。
「お帰り――あっ? お連れ様、大丈夫ですか?」
 良夜達を迎え入れるも目をまん丸くさせたのは、チェックインの時にも対応してくれた仲居さんだった。彼女は良夜の右肩にぶら下がった美月を見ると、カランコロンと心地よい下駄の音を響かせ、駆け寄った。
「ああ……良いです、良いです。そこの酒屋の試飲で飲み過ぎただけですから……」
 良夜が早口でそう言うと、仲居の女性も「ああ」ととっさに相づちを打った。
 この辺でコンビニの類いを除くと酒屋は一軒しかなく、そこはビールや酎ハイの類いではなく地酒を中心に扱っていた。この店は、周辺何軒かの温泉宿と提携を結んでいて、そこの宿泊客はここで試飲も出来るし、ここで購入したお酒は宿に持ち帰ると夕食時に燗して貰えるというサービスが行われていた。
 で、前回ラストの一件を不幸な事故だと、一応は納得しながらも、不機嫌さを納めない我が恋人、美月さん。そのご機嫌取りのためにその酒屋に連れて行った……のは良いのだが、ただの試飲だったはずなのに、美月はがぶがぶ飲み始めるし、それを中年の店主はとがめるどころか煽るわ、勧めるわ……
 結果、美月はべろんべろん。
「すいません、あの人、若い女性が来たら、いつもサービスしちゃうんで……」
「さーびしゅはよいことですよ〜ってわけなのれ〜これはぬるきゃんにしてくださいね〜」
 ぺこぺこと頭を下げる仲居の女性に美月の右手がぬっと突き出される。その右手には先ほど買ったばかりの日本酒の五合瓶。飲みやすい甘口でありながらも後を引かないすっきりとした舌味わいは、「バカ舌」と一部で言われている良夜でもおいしいと思った代物だ。
「って、あんた、まだ、飲む気!?」
「らって〜あそこれかっらのは、きゃんひてくれるひゃくそくらひぃ〜りょーやひゃんもかえったらってひったし〜」
「……帰ってから?」
 なんとか聞き取れた言葉をオウム返しに尋ねてみれば、返事をしたのはべろんべろんのたこ人間ではなく、懐からひょっこりと顔を出してる忍者……もとい、妖精だった。
「言ったわよ。美月が買おうとしたときに『帰ってから飲め』って」
「………………」

「りょーやさん〜これ、おいしいですよ〜飲みましょうよぉ〜」
「ハイハイ、帰ってからね、帰ってから」

 確かにこんなやりとりは行った。
「……家に帰ってからのつもりだった……」
「旅館に帰ってからのつもりで受け取ったのね」
 美月の体を支えたままで良夜が呟き、アルトが美月の理解を代弁する。そして、美月はダルンダルンの溶けた餅みたいになった体の中、右腕だけは心棒でも入ってるかのようにぴーんと仲居さんの方へと突き出されているし、突き出された仲居さんはどう対応して良いのかが解らなくて、引きつった笑顔で固まったまま。
 美月にそれを引っ込めるような様子もないし、少しくらいなら自分が飲んじまおうとの打算を持って、良夜は言った。
「ああ……じゃあ、とりあえず、一合だけ」
 そう言うと仲居が五合瓶を受け取る……も、彼の恋人は甘くなかった。
「にごーーー!!」
 仲居さんが五合瓶を受け取り空っぽになった手、その指がピースサインを作る。
「……」
 そのピースサインに良夜とアルト、それから仲居の視線は釘付け。
 そして、彼女はもう一度言った。
「にごーーー!!」
「……二合で良いです……俺、飲むから……それと、毛布、お願いしますね」
 ため息交じりに青年は応える。後は、部屋に毛布を持ってきて貰うことと、夕飯は一番遅くの八時から用意して貰うよう頼むと、逆に仲居からは多少遠回しではあるが、安全のためそのべろんべろんのお嬢さんを風呂には入れるなと結構固く言われて、その場を後にする。
 そして美月は、酒を手放したからかどうかは知らないが、その体は先ほど以上に脱力。タコかイカか伸びた餅か……油断すれば落としてしまいそうな体を支えて歩くこと数分。最初に歩いたときの倍ほどの時間をかけて、青年はようやく与えられた部屋へと帰ってきた。
「すーすー……」
 へとへと、汗だくの青年をほったらかしにして、諸悪の根源は気持ちよさそうに眠っていた。
「……ほんと、幸せそうね?」
 丹前も脱がずにすーすー寝てる彼女を見下ろし、彼女の姉貴分は呆れ声。
「……おまえの教育が悪いんだよ」
 不機嫌に言えば、彼女はそっぽを向いて一言だけ言い切った。
「親よ」
「……親もおまえの子分じゃねーか……」
 言って青年はレザーコートを、着の身着のままで眠る彼女の体にふわりとかける。
「あら、気を利かせたわね?」
「……すぐに布団が来るだろうけどな」
 案の定、先ほどの仲居が厚手の毛布を一枚持って部屋に顔を出した。毛足の長い上等そうな毛布だ。それを入り口の所で受け取り、良夜は美月の体にふわっとかける。
 時間はまだ五時を少し過ぎたところ。夕飯の時間まであと三時間もある。
 何をしようか? と数秒考えた結果、先ほど見損ねたテレビのスイッチを入れる。
「また、AV?」
「……カードはもう抜いた」
 頭の上からのぞき込んでる妖精に応えて、良夜はリモコンのボタンを押す。チャンネルの数はあまり多くないようで、やっているのは、地元のローカル情報番組かサスペンスドラマの再放送くらいだ。その中からサスペンスドラマの再放送を選んでぼんやり眺める。
 もう半分以上が終わってしまっているようだ。
「って、こんな所まで来て、良くテレビなんて見てられるわね……」
「他にやることもないしなぁ……」
 十五分が経った。
「……だいぶん、つまらないわね、船○英一郎」
「……○越を責めるな」
 彼の手元にはおいしい梅茶とせんべい、それから妖精。足下というかあぐらを掻いた膝のそばには死んだように眠る恋人、そして、視線の先には船越○一郎がいた。
「ああ! もう! 好い加減にして!! ここ、温泉よ!? 料金! きっと、すごく高いのよ!! それで! 何で! 船越英一郎を見てなきゃ行けないのよ!!!!」
 いきり立っても所詮は手元を卒業できぬ身。その小さな姿をじーっと見下ろし、彼はぽつりと突っ込んだ。
「……おまえの妹分が酒かっ食らって、グーグー寝てるからだな」
「…………まあ、そうね」
 機先をそがれたのか、思い当たる節があったのか、ともかくアルトはすとんと再び、テーブルの上にお尻を落ち着けた。視線は良夜の顔から船越へと向く。
「……そろそろ、崖かしらね?」
「……そろそろ、崖だな」
 アルトが言って、良夜が応える。
 お互い、相手の顔は見ない。見てるのはテレビ。主に船越。
 実際、そろそろ崖だった。崖の上で船越が犯人を責め立てて、はい、おしまい。エンディングテーマが流れて、そのバックで脳天気な後日談が演じられる。様式美と言っても良いようなサスペンスドラマだった。
「……つまんなかったわね」
「……まあ、古い奴みたいだし……」
 やっぱり、アルトが言って、良夜が応える。
 お互い、相手の顔は見ない。見てるのはテレビ。主にCM。ドラマはもう終わった。次はニュースらしい。
「……船越以上にどーでも良い番組ね」
「まあ、そうだな……」
 呟くアルトへと視線を動かして、青年が答えた。
 そして、アルトが立ち上がる。
「お風呂に行ってくるわ」
「いってら」
「……ちゃんと行ってらっしゃいって言いなさいよ。貴方は?」
「この人が寝てるからな……」
 足下というか膝の横というか、ともかくグーグー寝ている恋人を指さして、彼はまた言った。
 その良夜へピッとストローを差し向けて、アルトは言う。
「寝込みを襲うんじゃないわよ?」
 ジト目が良夜の顔を下から見上げる。
 その顔を見下ろしながら、彼はため息交じりに答えた。
「……酒飲んでひっくり返ってる女を襲うほど、切羽詰まってないよ」
「……成人式から丸一年経って未だに童貞なんだから、そろそろ、切羽詰まりなさいよ……」
「うるせーよ、とっとと行けよ、そして、帰ってくんな!」
 少し大きめの声で怒鳴りつけるとアルトはぽーんと飛び上がる。トントンッと手のひらから二の腕、肩口へと数回ステップを刻んだら、最後に頭を踏切台代わりにして、大きく宙に舞い上がる。そして、出入り口の方へと向けて飛び立つと、彼女は首だけを良夜の顔へと向けて言った。
「夕飯までには帰るわよ」
「だから、帰ってくんなってんだよ、腐れ妖精!」
 良夜の罵声は聞こえないふり、顔を進行方向に向けて、妖精は軽い言葉を投げ捨てる。
「まったね〜」
 その妖精の後ろ姿を眺めて、青年はぽつり……
「何が、まったね〜だよ……腐れ妖精……しかし、出られるのか?」
 つぶやき、しばし、彼女の消えた方を眺める。ここから出入り口は少し死角になっていて良くは見えないのだが、その死角に入った妖精さんが出てくることはなかった。おそらくはどこか出入りできるところを見つけたのだろう。そういえば、先ほどもいつの間にか部屋に入ってきてた事を、良夜は思い出す。
「……空き巣だな……アイツ……」
 ぽつり……また呟き、視線をテレビの方へ……
 テレビではあまり興味の持てない外交問題を、さも一大事のように語るキャスターが大写しになっていた。確かに船越英○郎のサスペンスよりもつまらない番組だ。
「ふわぁ……」
 大きなあくびが青年の唇からこぼれた。
「んっ……ふぅ……」
 それに呼応するかのように良夜の膝先、座布団を枕にして眠る美月からも吐息がこぼれる。
 その美月の顔を見下ろす。
「結構、うるさく喋ってたつもりなんだけどな……」
 ものすごく幸せそう……悩みなんてないんだろうなぁ……と青年は思う。
 と、数分眺めてみたが、相変わらず、彼女は幸せそうだし、起きる様子も全くない。美月に寝汚いところがあるのは、彼も知ってるところだ。
 見てても仕方ないから、視線をテレビに戻す。
 頬杖をしてテレビを眺める。
 相変わらず、なんか、真剣そうな顔をしたキャスターがどうでも良い話をしていた。
「ふわぁ……」
 あくびがもう一つ。
 遠くで雪の落ちる音がした。
 ゆっくりと、良夜のまぶたも落ちる……
 彼は自分も割と少なくない量の試飲をしていたことを、かすれゆく意識の片隅で思い出していた。
 そして、数分の時間が過ぎる。
 相変わらず、テレビでは真剣そうな顔をしたキャスターがどうでもいい話をしていた。
 もう一度、雪が落ちる音がした。
 ……
 その中、むくりと起きたのは、眉間に皺を寄せた美月さん。
 彼女の視線が向くのは、テーブルの上、突っ伏して眠る恋人の頭だった。
 二秒の沈黙。
 そして――
 ぱん!
 と、心地よい破裂音がした。
 その後、すっきりとした表情で、彼女はもう一度、眠りについた。
 毛布は良夜の肩の上、自分は大きなかぎ裂きがついたレザーコートをかぶって……
 

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