お出かけ準備(完)
 一月三日、三が日最終日。その日、良夜は朝からパソコンの前に向かって、プログラムの制作をしていた。
 一方の姉は起き抜けこそ、パソコンをいじってなにやら作業をしていたようだが、それも一時間ほど。それ以降はずっとテレビを眺めて、あくびをかみ殺している。
「……つまんないなぁ……」
 背後、姉の呟く声が、窓を揺らす木枯らしの音と共に聞こえる。朝食に雑煮を食べてから三時間で三度目のつぶやきだ。一時間に一度は言ってる計算になる。
「暇ならさ……どっか、行ったら?」
「寒いよ?」
「……冬だからね……」
 背中越し、キーボードを叩きながらの会話はここまでで終了。CMが終わったらしい。テレビ画面の向こう側からわーっと大きな声が聞こえ始める。姉は再び、そちらに意識を集中させているようだ。
 ともかく芸能人が集まってわーわー騒いでるだけのつまらなさそうなな番組だと言うことは、背中越しに音を聞いてるだけでも伝わってくる。良夜の知ってる姉なら、決して見ないタイプの番組。普段の姉ならこんな物は見ないで本でも読んでるところだが……
「……本、読まないの?」
「持ってきてるのは全部読んだ〜図書館はお正月休み〜本屋も新刊の入荷なーし」
 歌うような姉の声が聞こえた。
 目の前のモニターにエラーの表示が浮かぶ。
「ちっ……」
「なに?」
「こっちの話。パソコンの方」
 コンパイル中だったソースを開いて、中身を調べていく……非常に面倒くさい。
「でね」
 話しかけるな、と思うが言わない。もっと話しかけてくるから。仕方ないから、パソコンの画面を見入ったまま、返事をする。
「なに?」
「ねーちゃん、帰ろうかと思うんだよ〜」
「……帰れば?」
「駅まで送って〜」
「ちっ……」
「また、パソコン?」
「ううん、あんたに」
 そして、沈黙の数秒。
 間違い探しはまだ続いていた。
「……りょーや君?」
「何?」
「……立たないと、足下のコンセント、引き抜くよ?」
 と、足下から声が聞こえた。
「止めて、マジで」
 立ち上がろうとした瞬間、間違いが見つかった……と思う。その場所にわかりやすいコメントを放り込んでから、ソースを保存。シャットダウン。モニターが暗転したのを確認してから、椅子から立ち上がる。
 そして、弟は姉の方へと顔を向けた。
「何時からだよ?」
 青年が面倒くさそうに尋ねると、姉は満面の笑みを浮かべて答えた。
「今から、アルトに行って、お昼食べて、ねーちゃんが美月ちゃんと適当におしゃべりしてから出たら、ちょうど良くなる時間だよ」
「……最後のは止めろ」
 うんざりとした表情で彼は言った。しかし、最後のが本題なんだろうな……とも頭の片隅で考えていた。

 外は薄曇り。風も強い。今の気温がどのくらいかは調べてないが、おそらくは体感気温は実気温よりもずいぶんと低いことだろう。
「……もう、アルトまで行くのが面倒くさいな……」
 良夜が冷たい風に抱擁されながら、顔だけを姉に向けて言った。
 今日の姉は最近よく着ていたポンチョではなく、白地に襟元や袖口が白いファーに覆われたコートだった。さすがに今日はあのポンチョだけでは寒いらしい。でも、相変わらず、ぶかぶかな感じで、必要以上に着ぶくれて見える。
 その着ぶくれた姉が、荷物のつまった大きなカートを引きずりながら、言った。
「りょーや君、取ってきてよ、車。ねーちゃん、部屋で待ってるから、駐車場まで着いたら電話して」
「いやだ――……」
 その台詞に反射的にこぼれた言葉を飲み込んで、彼はニマッと笑って言う。
「……――取ってくるけど、代わりに、駅に直行するぞ?」
「もちろん、その場合は、ねーちゃんが運転して、アルトに行くよ?」
 言って姉は、つかつかと木枯らしの中、歩き始める。振り向きもしない。
 色をなくした山の間を北風が抜けていく。
「……なるほど……」
 どや顔も消え失せ、こぼれるため息一つ。とんとんと早足で、数歩先行く姉を追いかける。
「遅いよ」
「悪かったね」
 二人が並ぶ。
 白と黒のコートを着た姉と弟が、灰色の空の下を歩く。
 少し急ぎ足で、言葉は少なめ。
「次はゴールデンウィーク、来れたら、来たいなぁ……」
「……好きにしたら?」
「無理なら、夏休みかなぁ……」
「……ほんと、好きにして」
 ぽつりぽつり……相談と言うよりも独り言の趣が強い言葉が、姉弟の間を行ったり来たり。
 そんな感じで寒い国道を登って下ったら、目的地の喫茶アルトはすぐ目の前だ。
 から〜んとドアベルの乾いた音を響かせて、店内に入る。暖かな暖房とコーヒーの香りが姉弟の冷え切った体を優しく包み込む。
「ふぅ……」
 二人の口から吐息がこぼれた。
 二人が入った店内は閑散としていた。最終日とはいえ、まだまだ三が日と言ったところだ。カウンターには美月と凪歩、それから老店長の三人。翼が今日は休みだと言っていたのを良夜は思い出す。他には昨日も見えていたでっぷりとした老紳士が一人きり、何かの資料を眺めながら、コーヒーを飲んでいるくらいだ。
「いらっしゃいませ〜」
 カウンターの内側から美月の声。軽く手を振って答えると、彼女もぱたぱたと元気よく手を振り返してくる。
 暖かな店内をまっすぐにカウンターへと向かう。そこに着けば、一人でカウンターを占拠していた凪歩が彼の顔を見上げて言った。
「三日連続ご出勤? 新年早々ラブラブだね」
 そういう彼女の前には大量の伝票やら領収書やらがスクラップブックとコーヒーカップと共に置かれていた。この伝票やら領収書を整理して、スクラップブックに見やすく貼り付けておけと言うのが吉田貴美から与えられた冬休みの宿題だ。彼女は昨日からこれに取りかかっているのだが……
「……時任さん、最近、吉田さんに似てきたよ。余計な事言っていないで仕事したら?」
「わっ、ひどっ!」
 良夜ぶすっとした表情で言えば、凪歩は芝居がかった仕草で泣き崩れて見せる。まあ、この程度の余裕はまだあるらしい。
「……仕事、終わらせてないと吉田さんにはっ倒されるぞ?」
「大丈夫、大丈夫、今日中に終わらせとけば、問題ないって。帰ってくるの、明日だし〜」
 泣き真似から復活し、彼女はケラケラと太平楽な口調で言った。
 凪歩と話をしているうちに姉が凪歩の隣に腰を下ろしたので、良夜もその姉の隣の席に陣取る。
 そして、青年は美月に声をかけた。
「日替わり、二人前ね」
「それから、あっついコーヒー、先にね。もう、寒くて、寒くて」
 弟の言葉を受けて、姉が言う。
 二人の言葉にカウンターの中に居た孫とその祖父が口をそろえて返事をし、それぞれの持ち場――孫はキッチン、老人はカウンター内のコンロ前へと向かった。
 その二人を目で追う。
 隣では凪歩も仕事を始めた。
 青年はあくびを一つこぼした。
「暇そうね?」
 どこからともなく、アルトの声。きょろりと辺りを見渡すと、カウンターの端っこからとことこと歩いてきてる姿が見えた。
「おまえほどじゃないよ」
「暇だから遊びに来たのでしょう?」
 言ってアルトは凪歩のコーヒーカップの上にとんと飛び乗ると、そのカップの縁にちょこんと腰を下ろした。細く長いストローがコーヒーの上に小さな波紋を作る。
「ねーちゃんが帰るから、その前にここで飯が食いたいんだと……」
「ふぅん……次はいつ来るの?」
「さあな……ゴールデンウィークか夏休みか……好きにしろって言ってる」
「まあ、小夜子はいつでも好きにしてそうだけど」
「……おまえもな」
 そんなやりとりをしながら、日替わりランチが出てくるのを待つ。今日のランチメニューはパスタがメインらしい。熱々のスープで食べるスープパスタだ。この時期はこういうのがありがたい。
 と、から〜んとまた乾いた音を立てて、ドアベルが鳴った。
「明けましておめでとうございます〜」
 入ってきたのは、小柄な青年――里帰りをしていた高見直樹だ。どうやら、実家からこっちに直接来たらしい。小脇にはファイヤーパターンがまぶしいヘルメット。小柄な体を包む真っ黒い防寒ジャケットとオーバーパンツは同じ素材で出来てて、上下でワンセットらしい。それをピッと着こなしている姿は、なかなか決まっている。
「あけおめ! ことよろ!」
 次いで賑やかな声で入ってきたのは……
「えっ!?」
 皆の言葉がつまった
 入ってきたのは、間違いなく吉田貴美だ。この人を小馬鹿にしたような新年の挨拶と態度、それから緩んだ垂れ目、何より、直樹が連れてる女が貴美以外の女だったら、大変なことになる。
 それなのに……
「……何かあったの?」
 思わず、アルトが呟く。
 それはこの場に居る全員の感情だった。
 そんな皆の態度に、貴美はかすかに格好を崩し、ため息交じりに呟いた。
「……ちょっと人が髪を切って――」
 細い指先が前髪をひとつまみする。
「黒く染めたらその態度かい……?」
 真っ黒いショートヘアを……
「お待たせしまし……」
 そこへ美月がトレイを二つ持って、キッチン現れた。
「まあ……気持ちはわかりますけど――あっ、明けましておめでとうございます」
 直樹が苦笑い混じりにそういった瞬間、美月はキッチンとフロアーの境目にぴたりと足を止めた。表情がこわばる。こわばったままで、彼女は直樹の顔と貴美――おそらくは貴美と認識してない女性の顔を何度も見つめる。
「なっ、直樹君……直樹君が浮気!? わっ、私は何も見てません! 見てませんよ!!」
 大慌てでぶるぶると首を左右に振る美月を見やり、貴美は盛大なため息をついた。
「……私のことを髪の毛で認識してたんな?」
 このとき、貴美は美月とのつきあい方を考え直そうと思った……らしい。

「就職活動するのに、あんな真っ金々な頭で出来るわけないじゃんか……」
 と、言うことで昨日、二日の朝早々、美容室に行ってきたらしい。
 よく考えてみれば当たり前だよなぁ……と思いつつも良夜は、直樹の向こう側に座っている貴美へと視線を向けた。
 良夜のよく知っているショートカットと言えば翼だが、その翼よりも幾分短い。翼は普通にしてればうなじが見えない程度の長さだが、今日の貴美はその白いうなじがばっちり丸見え。そのせいもあるのだろう、ふわっとした感じで整えられているのと併せて、ベリーショートなのに女性らしさが強調されているように見えた。
「どーりで、最近、プリンになってるなぁ……って思ってたんだよね」
「プリン?」
 何かを納得している凪歩に良夜が聞き返す。
「茶髪が伸びて、てっぺんだけ黒くなってる頭の事よ」
 答えたのは、手元で和明が煎れたコーヒーの上前をはねている妖精さんだった。
 その言葉を凪歩に伝えてみると、どうやらそれで正解だったらしい。ふんぞり返っている姿に向かっ腹が立つが、それは流す。
 タカミーズは高速のインターチェンジで何かを食べてきたらしく、注文はコーヒーだけ。それを老店主につげると、貴美は不機嫌さを隠すことのない口調で言葉を続けた。
「うん、ある程度伸ばしたら、脱色と染髪で痛んでるところをざっくり切り飛ばそうと思ってたんよ」
 で、昨日、『痛んでるところはざっくり切ってください』と、美容室で頼んだら、こんな感じにされてしまったという体たらく。貴美としてはもうちょっと上の方まで許されると思っていたのだが、相手は許さなかったのだ。まあ、髪が切られちゃったことに関しては、自分の説明も悪かったんだと納得できるのだが……
「納得できないのは、会う人、会う人、みんなが『こっちのが良い』って言うところなんよ」
 そして、両親までもが「ずっとその頭で居ろ」というのが頭にきたから、予定を一日繰り上げてこっちに帰ってきたらしい。
 と言うことを、貴美がむっつりとした口調と表情で言えば、その場にいた人間、一人を除いて、全員が言った。
「確かに今のが似合ってる」
「まあ、どちらもよく似合ってますよ」
 と、一人だけ逃げたのは三島和明老である。
「……こうやってすぐに自分だけ良い子になろうとするんだから……」
 吐き捨てるように言ったのは、凪歩のカップから良夜のカップへと椅子を変えた妖精さんだ。
 その言葉が聞こえた良夜は軽く鼻で笑って、聞こえない連中は聞こえないまま。老人だけが、タカミーズのコーヒーを用意しながら、ちらりとマグカップの方へと視線を投げかけた。
 二人の視線が交わる。
「ふーん、だ!」
 そして、アルトがそっぽを向いた。
 老人がクスッと笑う。
 まるで、見えているのかと思うようなやりとりだ。
 そんなやりとりがあったことなどつゆ知らず、貴美はカウンターの上に頬杖をつくと、そこから店長を見上げて言う。その顔の情けなさと言ったら……垂れ目が余計に垂れて、ひどいもんである。
「店長だけだよ〜私の味方は……だいたい、今朝、この頭のセットし直すのに何分かかかったと思ってんだか……ふわっとさせなきゃ、なんか、男の子みたいになるし、寝癖だって……絶対、短い方が寝癖になりやすいって……」
「長くてもつくときはつきますけどね……寝癖」
 愚痴る貴美に長髪代表の美月が突っ込めば、小夜子の隣でやっぱり長髪組の凪歩がうんうんと大きく頷いて見せた。
 そんな二人を貴美は冷たい瞳で一人ずつ、順番に見やる。
 そして、ぽつり……
「二人とも、くくって誤魔化してることがちょくちょくあるじゃんか……」
 瞬間、くるん! と二つの顔がそれぞれ別の方向へと向いた。
「……そうなのか?」
 と、良夜は手元、カップに腰掛けた妖精に控えめな声で尋ねてみれば、彼女はため息交じりに答える。
「……気づきなさいよ……」
「ふぅん……」
 呆れ顔のアルトから美月へと視線を動かした。確かに美月は仕事中、特にキッチンに入ってるときは髪をカラフルな紐で括ってることが多い。今もそうだ。ここからでは何色かは解らないが、首の後ろ辺りで縛っていることだけはうかがい知ることが出来る。
 見ていることに気づいたのか、美月がこちらを向いて小首をかしげた。
「どうしました?」
「いや……誤魔化してるのかなぁ……って」
「……ちゃんと朝、起きれたら、とかしてます!」
(起きられない時があって、起きられない時は誤魔化してるんだな……)
 全員が、そう思った。
 さて、そんな感じで食事をしながらの歓談を楽しんでいると、隣に座っていた姉がぽんと良夜の肩を叩いた。
「そろそろ……帰らないと」
「えっ? ああ……そうだな」
「いってらっしゃい」
 姉の言葉を受けて、青年が立ち上がると、アルトはコーヒーカップの上からぴくりとも動かずに見送りの言葉。ちっ……と舌打ちを噛まして、彼はコートを肩に引っかける。
 そして、姉が言った。
「先に行って、暖房、入れといてよ。車。寒いもん」
「……送らせようとしてその態度かよ……」
「その代わり、ここの会計は私が出すよ――美月ちゃん」
「えっ? あっ、はい!」
 声をかけられた美月がぱたぱたとカウンターの中から外へと回る。
「あっ、そーだ、なぎぽん、宿題、出来とんな?」
「えっ!? あっ、いや、今、絶賛、片付け中……」
「……ったく、半分、よこし」
「はぁい……ゴメン」
 小夜子の言葉が雑談タイムを終わらせたようだ。貴美と凪歩のフロアー組もカウンターの上に置かれていた伝票や領収書相手の仕事を再開。やり方がおかしいとか、雑だとか……凪歩が貴美に注意を受けているのを背後に聞きながら、青年と姉は美月と共にレジへと向かう。
 そして、青年だけが一足先に外へ出た。
 先ほどと同様に冷たい風が良夜の体を抱擁する。
「寒ぅ……」
 ぶるっと震えて愛車の元へ……ドアを開いてエンジンをかければ、送風口から出てくるのは、身を切るかと思うほどの冷風だった。車が古いからなのか、それとも軽四だからか……もしかしたらその両方。ともかく、この車の暖房が効き始めてくるには結構な時間がかかる。
 暖房の効かない車内に入るのも嫌だし、外で待ってるのもつらい。会計を済ませるだけだから、すぐに来るだろうから、戻ることもないか……
 と思って、何となく、外で待っていたら、姉が来たのはそれから五分ほども経ってからのことだった。
「って何してんだよ……」
「あはっ、不出来な弟君をよろしくね? って、お願いしてただけだよ」
「余計な事、言ってないだろうな?」
 じろりとボンネット越しに姉を見やりながら、青年は運転席へと滑り込む。五分も待たされたおかげで車の中はすでに暖か。冷え切ったからだが一気に温もるのを彼は感じる。
 そして、姉も素直に助手席に潜り込むと、底意の見えない笑みを浮かべて答える。
「してない、してない」
「……どーだか……」
 帰ったら美月に話を聞いとかなきゃなぁ……と思いながら、彼は車を駅に向けて走らせる。

 その頃、レジで美月が真っ赤にゆだりきっていることも知らずに……
 このとき、姉が美月に何を言ったのか、それを良夜が知るのはもうちょっと先のお話……

 なお、出かけしなに見つけたと思ったプログラムの間違いは間違いではなかった。

前の話   書庫   次の話

ご意見ご感想、お待ちしてます。