年越し……新年(完)
『暇なんですぅ〜遊びに来てくださいよぉ〜お昼くらいでしたら、出しますからぁ〜』
 そんな電話がかかってきたのは、お昼少し前の頃だった。その数時間前にも『帰宅しました』コールがあったわけで、今年は元日早々二回も美月からの電話を受けたことになる。
 ちょうど、その頃、良夜もすさまじく退屈していた。良夜は趣味と言えばゲームかネットか漫画かというような青年だ。そのゲームも漫画も冬休み中堪能し尽くしたせいで、いい加減飽きてきているし、テレビはつまらないしで、やる事がない。
 そんな状況だから、至極単純に――
「ああ、良いよ。じゃあ、十分くらいしたら行くから」
 と、安請け合いをした。
 それから電話を切って、パソコンデッキの前から立ち上がると、ガラステーブルの上にノートパソコンを開いて座っていた姉が、青年の顔を見上げて言った。
「出かけるの? 美月ちゃんところ?」
「……まぁね? ねーちゃんは?」
「行かなきゃ、ねーちゃんのご飯はどこで段取りするの?」
「餅でも食えよ」
「ひどっ!? りょーや君はアルトでイタメシで、ねーちゃんにはおうちでお餅かじれって言うの!? 朝もお餅だったのに!」
 一息に言い切る姉、その目にはなぜか涙。そんな彼女へと向けて、青年はため息一つ……
「はぁ……じゃあ、ついてきたら良いじゃねーか……」
「まっ、おごれ、とまでは言わないから。社会人だし?」
 軽く言った顔には、当然、涙も何もない。演技派な姉に、またもや、青年はため息がこぼれた。
「ため息ばっかりついてると、癖になるよ」
 そんなことを言って、彼女はパタンとノートパソコンの蓋を閉じて立ち上がった。だぼだぼのマキシ丈というのだろうか? 詳しくはよくわからないが、ともかく、恐ろしく長いワンピースの上から、やっぱり、ふんわりとしたポンチョを羽織るという格好。相変わらず、ゆったりとした格好と言うよりもだらしない格好に見えた。
「元日だろうが年末年始だろうが、ともかく、ジーパンか綿パンのりょーや君に言われたくないよ」
「レパートリーが少なくて悪かったな……」
 姉が言うとおり、今日も良夜はトレーナーにジーパン、その上からかぎ裂き補修の跡が痛々しいコートを羽織って、外に出る。
 元日の朝は気持ちよく晴れているが、晴れているがこその強い冷え込み。放射冷却で冷やされた山間の風が、青年の体を包み込む。
「よく冷えてるな……」
「寒いね」
 弟と姉は、そんな話をしながら、アルトまでの道を少々急ぎ足で歩く。
 数分後、アルトのドアベルがから〜んと乾いた音を立てた。
「いらっしゃいませ〜」
 来店した二人を美月の声が出迎えた。
「で、何食べます? 何でも良いですよ。軽食でもケーキでも、元日早々、とんかつとかステーキとか、がっつり、行っちゃいますか? それともやっぱり、パスタですか?」
「いや、まだ良いよ」
 矢継ぎ早に尋ねる美月に、軽く首を振って答えると、彼女はきょとんとした表情を見せて、言った。
「えっ? そうですか?」
「朝ご飯が遅かったから。お昼はもうちょっとしてからもらうね?」
 と、小夜子。
「ああ、そうですか?」
 そう言って、美月は二人を席に通した。
 今日の良夜が案内されたのは、ほぼ専用席となっている窓際隅っこの席ではなく、カウンター席の方だった。元日で客が少ないからと言うだけではなく、良夜がいつもの席へと通される最大の理由である妖精さんが、今日、この場にいないから。
「あいつも元日早々、忘れ物になるとは……ついてないなぁ……っと、あっ、明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとうございます。なぁに、アルトのことです、どこに行ってもそれなりに楽しんでますよ、きっと」
 老店主の言葉に「はは」と笑って首肯し、青年は勧められるままに、カウンター中央の席に腰を下ろした。その青年の右隣には姉の小夜子が座り、美月は席ではなく、カウンターの内側に入っていった。
 そして、姉弟が異口同音に熱いコーヒーを頼むと、老人はすぐに水をくんだポットをコンロにかけ、コーヒーの豆を挽き始める。カリカリという豆のひかれる音、ふわっと鼻腔をくすぐるコーヒーの香り……ゆったりとしながらも無駄のない動きをぼんやりと二人きりの客は眺めていた。
「お腹、減ってなくてもこれくらいは食べられますよね?」
 そう言って美月が取り出したのは、小さな取り皿の上に盛られた小さな和菓子だった。数個の栗の甘露煮に透明感のあるサツマイモのきんとんが絡みついたそれは、おいしそうな栗きんとんだ。
「ああ……そー言えば、栗きんとんだけは毎年作ってんだっけ?」
「そーなんですよ〜これだけはないと、お正月が来たって気にならなくて……って話、しましたっけ?」
「聞いたよ」
 尋ねる美月に良夜が笑って答えてる隙に、一足先に姉は添えられていたスプーンで栗をぽんと一つ口に含んだ。
 数回の租借、こくんと飲み込んだら、にこっとこぼれんばかりの笑みを浮かべて、彼女は言う。
「うん。おいしいね。去年はお正月らしいコトって何一つとしてなかったんだよねぇ……元日早々、ご飯は中華だったし。今年はお雑煮も食べたし、栗きんとんも食べたし、幸せ〜」
「なんだ……お袋、去年は作らなかったのか? おせちも雑煮も」
「えっ……? ああ……うん。オーストラリアだと材料が手に入らなくてね?」
「ふぅん……」
 姉との受け答えに、海外だから、そんな物だろうか? と軽く考えながら、青年も自身の前に置かれた取り皿から栗を一つすくって、口に運んだ。ほくほくとした栗の食感、きんとんの上品な甘さが口の中いっぱいに広がる。
「おいしいよ、美月さん」
 素直にそういえば、美月ははにかむような笑みを見せた。
 小さな皿からちまちまと栗きんとんをすくって食べる二人の前に、淹れ立てのコーヒーが置かれた。
 ふわっと暖かな香りが二人を包む。
「まあ、飲み物がコーヒーというのは、出してる本人からしてどうかと思いますけどね?」
 そう言って笑う老人に
「意外と合いますよ」
 と言って、笑って答える。その言葉に、老人は「ありがとうございます」と笑みを浮かべたままで答えた。
「ところで、美月ちゃんところはお雑煮は作らないの?」
「ああ、うちのお雑煮、コンソメスープにトースターで焼いたお餅が浮かんでるんですよ〜ほら、開店休業みたいなもんだって言っても、スープとか作らないわけにも行きませんから……」
「……おいしいの? それ」
 眉をひそめる小夜子に美月は軽く肩をすくめて答える。
「まあ……コンソメスープに浮かんだお餅の味です」
「コンソメスープがおいしいなら、おいしいのかなぁ……?」
「意外とおいしいんですよ? 揚げおこわ的な味わいで」
 などと姉と恋人が、良夜を挟んで仲良く話し始めると、良夜は猛烈に嫌な予感がした。なぜなら――
「浅間家はどんな感じなんですか? お雑煮。なんだか、変わってるって話を聞いたんですけど」
「うち? ああ、白味噌仕立ての少し甘いお味噌汁にお餅が浮かんでる奴だよ。お餅にあんこが入ってるってのが変わってるみたいだけど、うちのあたりじゃ、みんな、こんなのだからねぇ〜」
「へぇ〜食べてみたいですね」
「……――って言ってるよ? りょーやくん」
「……ほら来た」
 姉の視線がこっちを向いた瞬間、青年は顔を背けた。向ける方向は斜め下、床の上。綺麗にワックスがかけられて、ぴかぴか。新年早々、掃除が行き届いてるようで、めでたい限りである。
「ふえ? 何で、良夜さんに? 良夜さんが作るんですか?」
「うん。うちの家ね、雑煮は男が作るのが習わしなんだよ〜毎日、ご飯を作ってくれてるお母さんを休ませてあげようってコンセプトらしいよ」
 姉と恋人の会話を側頭部の辺りで聞く。おおむね、想像通りの会話がなされているようで、頭が痛くなってくる。
「ね? りょーやくん」
 その頭痛を覚え始めた頭に姉の右拳、コツンと軽くこづかれる。その衝撃に青年は力ない表情で、顔を上げた。そして、苦笑いと共に口を開く。
「で、中学に入って、家庭科の授業を受けるようになったら、親父が『良夜がやれ。やらなきゃ、お年玉はやらん』って言い出して、以来、俺の仕事になってる……あれ、絶対に毎年面倒くさかったんだぜ、親父の奴」
 青年がそう言うと、美月はぱっと表情を輝かせて言った。
「作ってください! 私も食べてみたいです!」
「……うん、絶対にそう言うと思ってた」

 と、言うわけで喫茶アルトのキッチンである。
 コンクリ打ちっ放しのキッチンは暖房がかかってても、底冷えがして、居るのがつらい。そんなつらい空間に、青年は、自身がプレゼントしたダマスカス鋼の包丁を握り、まな板の前に立っていた。
 材料の大半は良夜の自宅から持ってきた奴。わざわざ、車に乗って取りに帰ったのは、喫茶アルトには使い慣れた白味噌も、細身で甘みが強い金時にんじんも、あんこ入りの餅もないから。それでも、一応、一般的な合わせ味噌とか醤油とかが置いてあることに良夜は少し驚いた。隠し味に使うそうだ。
(飯、食わせてもらいに来たのに、何で、飯を作ってるんだろう?)
 世の中は理不尽なことばかりである。
 ぼやいても仕方ないので、ひとまず、包丁を置き、にんじんを握って、辺りを見渡す。使い慣れてない台所では何がどこにあるかが……――
「はい、どうぞ」
 その声と共に、良夜の視野にピーラーが飛び込んできた。そのピーラーから伸びる腕沿いに視線を動かせば、この声の主――三島美月嬢がにこにこと楽しげなほほえみを浮かべていた。
 探していた物を受け取り、青年が声をかける。
「えっと……よくわかったね?」
「まあ、にんじんを握って、辺りを見てれば、何を探してるかくらい、解るもんですよ〜」
「……まあ、そんなもんかぁ……」
 さすがプロだなぁ……とか思いながら、しゃーこしゃーこっとピーラーで皮をそぎ落とし……ていると、その手に感じる強烈な視線。
「えっと……美月さん?」
 もちろん、見ているのはこの恋人様。背をかがめて、顔を良夜の手元に近づける様は、まさに、食い入るように、と言った調子だ。
 そんな美月に声をかければ、彼女は腰をかがめたまま、顔だけを良夜の方へと向け、青年を見上げて、言った。
「はいはい?」
「……えっと、なんのよう?」
「えっとですね……ピーラーの使い方が危なっかしくて、そのうち、指を削っちゃいそうだなぁ〜とか、食べるところを多めに削ってる割に、所々、皮が残るなぁ〜とか、思いまして〜」
「……使い慣れてないからね……ともかく、あんまり、見ないで。やりづらいから」
「はぁい」
 世界で二番目に当てにならない『はぁい』である。一番は、アルトのそれだって事は余談だ。
 さて、世界で二番目に当てにならない『はぁい』はやっぱり、当てにならなかった。
 彼女は良夜の一挙一動を見逃さないよう、じーっと監視してくださる。それに気づくたびに……
「あの……美月さん?」
 と、言うのだが、美月はと言えば……
「その包丁の使い方、危ないなぁ〜と思いまして……それから、にんじんや大根の厚さ、そんなにばらばらだと煮える時間が変わっちゃいますよ? ああ、大根さんは先っぽと根元で直径が全然違うから、大きさを考えないと食感が……」
 ……
 とりあえず、使っていた包丁をコトンと、まな板の上に戻す。そして、くるんと向きを変えて、美月の顔を真っ正面から見つめ、彼女の両肩にぽんと手を置いたら、
「えっ? あの……良夜さん?」
 と、美月は顔を真っ赤にするも、それには気づかないふり。今度はくるんと美月の体を半回転させたら、ずるずると、彼女の体を押して、キッチンの外へと追い出してしまう。
 フロアでは、姉の小夜子が先ほど同様、カウンターでコーヒーと栗きんとんを片手に老店長と語り合っているので――
「ねーちゃん! とりあえず、この人お願い!」
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……邪魔だから、この人の相手しててあげて」
「ふえっ?! 良夜さん!? ひどいですよ〜!」
 と、目を白黒させている美月を、ストゥールに無理矢理座らせる。
 抗議の言葉が背中に飛んで来るも、それは無視をしつつ、彼は急ぎ足でその場を後にした。そして、キッチンに飛び込めば、刻みかけでほったらかしてた鶏肉や大根を刻んだり、お湯を沸かし始めたり……と、作業を再開。監視の目も、横から差し込まれる的確ではあるが、鬱陶しい注意もなくなって、作業がはかどる……
 訳がなかった。
「でさ、りょーや君ったらね、あー見えて、結構、方向音痴だったんだよ〜友達の家に遊びに行って、『道がわかんない』って半泣きで電話してきたことが何回もあるんだよ〜小学校の頃」
「わぁ〜かわいいですね〜」
「行きは友達と一緒だから迷わないけど、帰りは一人で帰るから、迷っちゃうんだって〜」
 美月を姉に預け、キッチンに帰ってから、わずか、一分弱。
 背後、作業台の前に置かれた二つの丸椅子に座って、姉と恋人は話に花を咲かせている。コーヒーカップと栗きんとんの皿まで持ち込んでの本格的な雑談だ。そこで饗される話題は、当然のように良夜の恥ずかしい過去だった。
「一回なんて、反対方向に三キロも歩いた後で電話してきて〜」
「あはは〜良夜さんだって、ぼけてるじゃないですか〜」
 しばらくは我慢していようとは思っていた物の、耐えられたのは結局、三分足らずだった。
 コンロにかけた鍋が沸騰し始める。
 ぐつぐつと言う鍋の音をかき消すように、声が響く。
「ねーちゃん! 何で、わざわざ、ここで、そんな話するんだよ!!」
「だってぇ〜」
「だっても糞もねーよ、何で、ここでしゃべってんだよ!? 嫌がらせか!?」
「ここでしゃべってるのは嫌がらせみたいな物だよ」
「ちょっ!?」
「でもね、でもね、ねーちゃん、陰口って嫌いだからぁ〜」
「表に出てれば、悪口言っても良いってもんでもねーぞ!?」
「じゃあ、陰に回っていった方が良いの?」
「よかーねよ! だいたい、俺が友達んちから帰ってこれなかったのは、小学校の低学年の頃の話だろう!?」
「懐かしいよねぇ〜あのとき、ねーちゃんが迎えに行って、泣いてるりょーや君の手を引いて帰ってきたんだよ」
「その話すんなら、ねーちゃんが高校の時にムカデが出たって、お袋と二人で台所の隅で抱き合って震えてたこと、吹聴して回るぞ!?」
「わっ、ひどっ!? 女の子だよ!? ねーちゃんもお母さんも女の子なんだから、ムカデが気持ち悪くても仕方ないでしょ!!」
 と、姉と弟がもめてると、弟の目の前にひょいと小さな取り皿が差し出された。
「えっ?」
「味見、どーぞ」
 白い小さな取り皿を差し出してるのは、いつの間にか、いなくなっていた美月さん。
 彼女が持ってきた小さじ一杯分くらいのスープは、
「あっ、おいしい……」
 そんな言葉が反射的に漏れるほどにおいしい、味噌汁だった。
 もちろん、白味噌。
 食べ慣れた味をベースにしながらも、それよりもずっと深いうまみを感じるのは、良夜が簡単に出汁の素を使うところを、鰹節と昆布でちゃんと出汁を取ったから、だそうだ。
 後は
「経験ですかねぇ?」
 とのこと。
 まあ、それは良いとして……
「えっと……何してんの?」
「刻んだまま、ほったらかしだと、しなびちゃいますし、お湯も沸いてましたから〜」
 で、良夜が小夜子ともめ始めたので、仕方ないから相手をしてもらえない自分が調理をしてしまったという流れらしい。
 そんな説明をする美月にちょいちょいと手招きをすれば、彼女はまるで呼ばれた子犬のように、ひょこひょこと近づいて来る。
 そして、彼女の少し広めの額に手が届く位置まで彼女がやってくると、その額に――
 ぺちん! とデコピン一発。
「ふえっ!?」
 さらに後二発。
「ふえっ!? ふえっ!?」
 間抜けな悲鳴を上げる美月に溜飲を下げ、彼女が文句を言う前に一言言う。
「俺に作れって言ってなかったっけ?」
「いったぁ〜いって――ああ!」
 ぽん! と手を叩いて顔を輝かせる恋人にため息一つ。即座に、
「代わりましょうか?」
 そう尋ねたが、青年は苦笑いを浮かべて、かぶりを振った。
「良いよ、もう、美月さんが作って」
「あはっ、次回は……」
「餅がないよ、白餅――ああ、普通の餅ならともかく、あんこ入りの奴はこっちじゃ、売ってないし……大福じゃダメですか? ってダメだろう……たぶん」
「ああ、そうなんですか? っと……吹いちゃってますね」
 コポコポと音を立て始めたコンロに美月が再びとりつく。
 コンロの火を弱くしたり、鍋をかき混ぜたり……忙しそうでありながらも、どこか楽しそうに働きながら、彼女は言った。
「じゃあ、来年作ってくださいね。それと、お餅はどうするんですか? 焼くんですか? それとも、このまま、煮るんですか?」
「お餅はそのまま煮てくれれば良いよ。柔らかくなったら出来上がり……後、来年も再来年も美月さんが作ってよ。美月さんのそばで料理するのはこりごりだよ」
 言うだけ言って、青年は底冷え厳しいキッチンを後にした。
 暖房のよく効いたフロアに入って人心地。新しいコーヒーを老店長に頼んだら、先ほどまで座っていたストゥールに腰を下ろした。
 その背後、置き去りにした姉が――
「ずーっと味噌汁作ってくれだって……プロポーズかなぁ?」
 と、ぽつり……と、小さくはあるが確実に美月に届く大きさの声で言ってることも知らずに……
 そして、そのつぶやきに美月がぽん! と顔を真っ赤にしていることも、良夜は知らなかった。

 で……
「こっ、焦げちゃいましてぇ〜」
 雑煮は焦げて、お昼は予定通りにイタリアンだった。

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