年越し……新年(5)
 元旦早々、妹分の忘れ物になるというすてきな事態を経験したアルトちゃん、とりあえず、
「今年の厄払いは終わったわね。もう、後はすてきなことしか残ってないに決まってるわ。和明がついに死ぬとか!」
 なんてことを思っていた……訳だが、彼女の人生は無駄に理不尽に出来上がっていた。
「参ったわね……」
 そう呟いた妖精さんは、薄暗い館内、少々短いもさらさらとした髪の上に座っていた。彼女の椅子になっているのは、深くうなだれ、規則正しい吐息を漏らす女性、寺谷翼さん。その隣では彼女の同僚であり、アルトにもなじみ深い女性、時任凪歩が翼の肩に頭を預けているし、さらにその向こうでは凪歩の弟、確か灯とか言っただろうか? かの青年がヘッドレストに頭を押しつけ、ぽかーんと口を開いている。
 ここまで読めば察しのいい人は解るだろうが、三人とも、見事に爆睡中、である。
 理由は簡単。
 この映画がつまらないから。
 つまらないというか、退屈なのである。
 シナリオはSFの体裁をとった悲恋物と言ったところだろうか? 邦画でSFという時点で爆死必然な雰囲気を妖精さんは的確に感じ取っていたのだが、実際に大爆死。アイドル上がりの俳優が張ってる主役はいい年したはずなのに、感情的に叫びまくってるだけで、魅力は皆無。ヒロインは見た目だけの小娘で、台詞は棒読み、胸元が豊かなのも許せない。シナリオもどこかで見たことのあるような話にSFの装飾をつけてるだけで、先の展開は何となく読める。ついでにSFXもハリウッドのそれに比べるとちゃちで新鮮な驚きという物は皆無だ。おまけにBGMも穏やかな物が多いので、寝るには良い子守歌になってる。
 そんな代物であるから、始まって三十分が過ぎた頃には、アルトの連れ、三人は見事に爆睡した。周り、半分ほどが埋まった客席でも結構な割合で居眠りを扱いてる連中を見つけることが出来た。
 そんなつまらなくて退屈な映画を元旦早々から見ているとか、どんだけ今年はついてないのだろう? と、アルトは思う……思うのならば、アルトも寝れば良いってところなのだが、それもうまくはいかない。
 そういうのも……――
 かくん!
「ひゃっ!」
 アルトの足下というか、お尻の下、彼女の椅子が――正式には翼の頭という物体が二センチほど、かくんと落ちる。そして、左右に二三回振られた後に、元の場所へ……
 普段から揺れる頭の上を生息地としている妖精さんだけあって、それで振り落とされるというわけではない。しかし、これが寝入りっぱなの良いタイミングに発生すると、おちおち眠ってなんていられる物じゃない。
 翼にも頭の上から居なくならないように言われてるから、外に遊びにも行けないし、遊びに行ったあげく、こんなところに忘れられたらたまらない。
 で、仕方ないから、つまらない映画を見てる。
「そー言えば、前に翼が『一時間潰すために何時間かかるんだろう?』とか言ってたそーねぇ……一時間は一時間よって思ったけど、まさに『一時間潰すために何時間必要なんだろう?』コースだわ……この映画」
 ぶつくさ言っても仕方ないから、まじめに映画を見る。
 まずは突っ込みどころを数えてみる……すぐに両手の指がオーバーフローを起こしたので、足の指を折ってみたら、痙りそうになったので、辞めることにした。
 鼻歌を歌ってみる……映画のBGMに混じっておかしくなったので、辞めることにした。カラオケでも流してくれれば良いのに……
 思いっきり暴れて、寝てる翼を起こそうかとも思ったが、あいにく、今日は昨日に引き続き、晴れ着なので暴れるのは無理。おとなしくしてないと、すぐに着崩れて、大変なことになる。直すことは出来るが、乙女の恥じらいというやつ。
 そう考えると、ほかにやることは………………
「あっ……」
 思いついたので、早速始める。
 ちまちまちまちまちまちまちまちまちまちまちまち…………………………………………
 さて、明けない夜はない。終わらない試験期間はない。終わらないくそ映画もない。されど、悪夢を見終わるまで明けない夜、手遅れだった試験期間、そして――
「……ふざけないで……」
 それから一時間ちょっと後、ショッピングセンター、一階隅のトイレに一人の女性が居た。自身の手をぎゅっと握りしめ、それを見つめながらにぶつぶつ言う姿は、一見すると関わっちゃいけないかわいそうな病気を患っているかのよう。しかも、その頭の一角、十センチ四方くらいがちんちくりんな……
「三つ編みは……ない、でしょう……?」
 そう、このとき、翼の頭、てっぺんのあたりから後頭部にかけてが、無数の小さな三つ編みの群れに化けているんだから、なおさらだ。もちろん、犯人は――
「ヒマだったから……つい」
 犯人は翼の手の中、金髪危機一髪状態で捕らえられているこの妖精さんだ。さすがの妖精さんもこのときばかりは、神妙な顔をしてみせる物だが、残念ながら、その神妙な顔を見られる青年はこの場には居ない。翼には見えていないはずだが、適当に振り回した手のひらに上手にゲットされてしまった。おそらくは、あまりにも美しすぎるアルトちゃんへの神様の嫉妬心が原因……だと、アルト本人は思うことにしていた。
 と、明後日な事を考えていたら、翼の手に力がこもり、その普段から無表情な顔面からいっそう、表情が消えた。
 そして、彼女は普段以上に落ち着き冷たい声で尋ねる。
「……覚悟は……出来てるの?」
「……むしゃくしゃしてやった、今は猛省している」
 そう答え、妖精は無駄だろうと思いながら、唯一動く足を二回動かし、自身を拘束する手のひらにぶつけてみた。
 が、予想通り、彼女に容赦はなかった。
「……聞こえない……」
 この後、アルトは水攻めにあった。

「……お待たせ……」
 そう言って翼が帰ってきたのは、ショッピングセンター一階、レストラン街にあるとんかつ屋だった。肉は分厚く、衣はさくさく、ついでにご飯と味噌汁、大根サラダが食べ放題とすてきなお店だ。
 元旦の上、ランチタイムには少し遅めの時間帯。店内は閑散としている。埋まっているのは、窓際の四人がけの席が二つとカウンター席が一つ、残り、大部分は空席のままだ。
 その四人がけの席の一つ、翼の連れが向かい合って座っていた。
「あっ、お帰りなさい。大丈夫?」
 尋ねたのは翼の頭に大量の三つ編みが生えていることを教えてくださった時任灯君。その正面では、凪歩が必死になって笑い出すのをこらえているので、とりあえず、人によく「怖い」とおっしゃっていただける視線でひとにらみしておく。すると、凪歩はその視線から逃げるようにわざとらしくそっぽを向くも、肩が震えてる。それが翼には許せなかった。
 その凪歩の隣に腰を下ろして、正面に座る青年へと視線を向け、そして、答える。
「……大丈夫……整えてきた……」
「何で、あんなに三つ編みが生えてたの?」
 余計なことを聞く青年に、ちっ……と内心で舌打ちするも、一言。
「……寝癖」
「えっ?」
「ぷっ……」
 弟がきょとんとした顔を見せるのと、姉が吹き出すのはほぼ同時。
 姉の方の足をテーブルの下で一発蹴っ飛ばせば、彼女が「うぐっ!」と口ごもった声で悲鳴をあげる。その声に溜飲を下げながら、彼女は、もう一度、青年の目をまっすぐに見つめて、言った。
「……ただの、寝癖」
「えっ……あっ……」
 その勢いに気圧されたかのように、彼は背を椅子に押しつけた。
 つーっとひとしずく、先ほど濡らした髪から、水滴が額へと流れる。それをハンカチで丁寧にぬぐい、彼女は、また言った。
「……なぎぽんの弟なら……私より、年下……?」
「えっ……ああ、たぶん……」
「……じゃあ……年上の言うことは、素直に、信じる……べき」
 そう言ったら、隣で凪歩はもはや我慢することすらあきらめたかのように大爆笑しているし、弟君は訳もわからないと言ったような表情でぽかーん……
「……黙れ、なぎぽん」
「あはは、だっ、だってぇ〜ああ〜〜〜おっかしい!」
 凪歩の爆笑を聞きながら、翼はため息一つ。また、髪から額へと水滴がひとしずく流れたので、それを彼女はハンカチで丁寧にぬぐった。
「……凪姉……この人、おもしろい人だね……」
 呟くように彼が言えば、凪歩は未だ笑い声が収まらないといった風な様子で、答える。
「あはは……まあまあ、この話は、辞めようよ、ね? そろそろ、ご飯も来るんじゃない?」
「そりゃ……まあ、良いけどさ……」
 灯は納得できないとでも言いたげな面持ちで、翼と凪歩の顔を数回見比べていた。されど、それ以上にこの話題を引っ張ることもなかった。
 それに翼が手洗いへと立つ前に注文していたメニューも順次届き始める。そうなると、話題の中心は分厚いカツの方へと移っていった。
「あっ……おいしい」
「……うん、上手に揚がってる……」
 凪歩が言うと翼もそれに素直に頷く。
 一方、灯も口数こそ少ない物の、ご飯も味噌汁も大根のサラダもおかわりをして食べてるところを見るに、十分に満足しているのだろう。
 後は、アルトのカツも分厚くしようだとか、あげるのが面倒くさくなるとか、千切りキャベツにはマヨネーズだ、ソースだ、いや、ドレッシングだで大騒ぎしてみたり……あと、アルトにも食べやすいように大きく分厚いとんかつを箸でがんばってカット……してると、また、灯が「どうしたの?」と尋ねるので――
「……何……文句、あるの?」
 と、すごんで見せたら、
「いえ、ないです……」
 と、あっさり引っ込んだり、そしたら、今度は凪歩が
「うちの弟にすごまないでよ」
 苦笑いを見せたり……
 少し遅めのランチタイムはそんな楽しい会話とともに進む。
「それで、凪姉、これからどうするの?」
 灯がそう尋ねたのは、彼がおかわりした大盛りご飯があらかたなくなりかけたときのことだった。
「そうだなぁ……」
 尋ねられた凪歩は、とんかつの最後の一切れをつまんで箸を止めた。そして、そのまま、翼へと視線を動かした。
「翼さんは?」
「開いてる店……見て回って、時間潰してから……アルトに、いく」
 淡々と翼は答える。
 それに凪歩が「うーん……」とかすかにうなり始めると、そのうなり声が消える前に灯が口を開いた。
「じゃあ、俺、飯が終わったら予備校に行こうと思うんだけど……良い?」
 灯が言うと、凪歩がちらっと翼の方へと視線を投げかけてきた。
「……ヒマなら、ついてきたら……良い……」
 翼は、また、ぶっきらぼうに答えた。そして、箸でつまんでいたとんかつをぱくりと口の中に放り込み、租借を始める。冷えてもおいしい衣の中から、豚肉らしい甘みのある肉汁がしみ出し、口の中いっぱいに広がっていく。
「じゃあ、そういうことだから……元旦、早々から勉強って灯も暇だよね?」
「……この場に居ることの方が暇……」
 言ったのは、最後の一口を喉の奥へと送り込み終わった翼だった。ソースに汚れた口元を紙ナプキンでぬぐうと、また、額に流れ落ちてきたしずくをその紙ナプキンで拭き取った。
「たまには弟とデートもしたいんだよって……髪、なかなか、乾かないね?」
「……頑固な、寝癖だった……から」
 翼の言葉に凪歩も灯も「あはは」と声を上げて笑った。
 また、翼の額に新しい水滴がひとしずく、滴った。
 
 食事が終わると、三人はいったん、ショッピングモールのエントランスにまで戻ってきた。ここから灯が通う予備校までは、バスで三十分ほどかかるらしい。
「じゃあ、今日は付き合ってくれてアリガトね?」
「いや……良い息抜きになったよ。それと、寺谷さんも、姉のこと、よろしお願いします」
 そう言って、彼はぺこりと頭を下げる。
「……別に……なぎぽんの面倒は……吉田さんの受け持ち……だし」
 頭を下げた青年から、少しだけ視線をそらして、翼は答えた。
「あっ……えっ?」
「私はフロアで、翼さんはキッチンだから」
 言葉の意味をはかりかねている青年に、姉がそう言うと、彼は「ああ……」と納得した様子を見せた。
 そして、彼はその場を後にした。
 姉とその同僚はぱたぱたと急ぎ足でバス停へと向かう青年を見送り、きびすをかえし、再び、空調の効いた店内へと入る。
 何か欲しい物があるわけでもないが、初売りに賑わうショッピングモールの中を、翼と凪歩、そして、翼には見えないが彼女の頭の上に座って居るであろう妖精、三人でぶらぶら……
 服屋で目についた服を合わせてみたり、靴屋で靴の試着をしてみたり、それをアルトからの合図も含めて三人で似合うだのに合わないだので盛り上がったり、本屋を冷やしてみたりしていれば、店外が夕闇に包まれる時間まであっという間。結局、これという物を買ったわけでもないが、一年の最初の一日はひとまず、三人にとって楽しく過ぎていった。
 三人は駐車場をバス停に向かって――数時間前、灯が小走りに駆けていったコースをのんびりと歩いていた。日が落ちればただでさえ、寒い気温は一気に落ちる。吹きさらしの駐車場を流れる風が、身を切るかと思うほど。翼はさっきまで頭の上に感じていた妖精の気配を、分厚いダッフルコートの胸元で感じていた。
 ここからアルトへと行こうと思えば、電車とバスを乗り継いで一時間強と言ったところだ。バスで一度、始発駅まで出なければならないのが面倒くさいが、通勤に使っている定期が使える分、安上がりと言えば、安上がり。
 バス停からバスに乗り、そして、始発駅に到着すると、電車に乗り換える……
 カタンカタンと規則正しく揺れる電車にしばらく乗っていると、凪歩の家の最寄り駅へと滑り込む。されど、凪歩は座ったままで、立ち上がる様子を見せなかった。
「アルトまで……ついて……来るの?」
 翼がそう尋ねると、凪歩は少しだけ困ったような笑みを浮かべ、軽く頷いた。よく見れば、コートの下はアルトの制服だし、元旦早々、弟と一緒に映画館に来てたのは、単に暇だから……と言うだけの理由ではないのだろうと、翼でも察することが出来た。
 その理由は問わず、翼は別の言葉を小さな声で呟いた。
「……弟君、良い子……ね」
「えっ? ああ……まあ、うちの自慢の弟君だしねぇ〜」
 冗談めかした口調で彼女は答える。それに翼はかすかに頬を緩めた。
「私は……一人っ子だから……」
「ああ、そうだったね……」
 相づちを打ち、凪歩はしばし口を閉じた。
 元々、口数の少ない翼も何も言わない。
 数秒……借り切りのような電車がカタンコトンと静かに揺れる。
 最初に口を開いたのは、凪歩の方だった。
「欲しい?」
「……くれるの?」
「彼女は居ないらしいよ? あれ」
「……同僚で年下の姉が付いてくるから……いらない」
「私も同僚で年上の妹はいらないなぁ〜」
 そう言い合うと、二人は顔を見合わせる。そして、凪歩が控えめながらもはっきりと声を上げて笑えば、翼はほんの少しだけ頬を緩めて見せた。

 さて……
 喫茶アルトに入ると、そのカウンター席には珍しく良夜が座っていた。その隣には彼の姉、小夜子の姿も見えるし、向こう側には美月がクッションを抱えて座っていた。
「いらっしゃいませ」
 声をかけたのは、カウンターの中でコーヒーを煎れている老店長だ。その彼に「明けましておめでとうございます」と二人は声を掛けると、小夜子の並びに腰を下ろした。
「アルト……連れてきた……と、思う……」
 そう言うと、胸元でゴゾゴゾと何かが動く気配……そして、ほっぺたをペチン! と小さな何かで叩かれるような痛みが走れば、二つ向こうに座っていた良夜が「あっ」と小さな声を上げた。
 その小さな声に痙られて顔を動かせば、良夜が翼の顔をまじまじと見ていた。
「……何?」
 尋ねれば、彼は渋い顔を見せ、そして、自分の頭を指さし、言った。
「えっと……寺谷さん?」
「なに?」
「頭のうえで……アルトが洗濯物、干してる……今……取り込んでる」
 どうやら、水攻めで濡れてしまった着物を、ストローで翼の髪に刺して、乾かしていた……らしい。
「…………」
「……寺谷さんが濡らしたのが悪い……ってうそぶいてる」
 と、良夜がアルトの言葉を伝えた瞬間、翼の手が電光石火で跳ね上がり、頭の上で洗濯物を取り込んでいた妖精の体を握りしめた。
 この後、アルトは元旦早々二度目の水攻めに遭遇した。

 今年の喫茶アルトは元旦早々から賑やかだった。
 

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