迎春準備(2)
 大掃除の日から二日が経った十二月二十七日。この日、良夜は最悪な気分で目を覚ました。彼をたたき起こしてくれたのは、枕元に転がしてあった携帯電話だ。勿論、冬休み中だから、アラームはオフにしてあったはず。それが朝十時に鳴った。
「……なんだよ……?」
 世間一般の常識的には起きるには遅い時間だ。しかし、深夜までネットをしてたり、レポート書いてたり、プログラムを組んでたり、やっぱり、ネットをしてたり……と、ほぼ昼夜逆転で生活している人間にはきつい時間帯だ。
 寝ぼけ眼で二つ折りの携帯電話を開いてみると、そこには『着信:喫茶アルト』の文字。チッ……と小さく舌を打ったのは、掛けてきた相手が誰だかを察したから。電源切って無視してやろうかとも思ったのだが、きっと、後で血を見るから、素直に出る。
「……なんだ? アルト……少ししたら行くから……」
 枕に顔を埋めて、ボソボソ……っと彼は呟き、通話を切る。切れた電話を握る手から、力が抜ければ、携帯電話は手からベッドへ、ベッドから床へと滑り落ちていく。
 その携帯電話が落ちる、ごとって音を青年は意識の外側で聞いていた。

「すまん」
 窓際隅っこ、いつもの席。その席に腰を下ろすよりも先に、青年はテーブルに手を突き、頭を下げた。
 青年がアルトに来たのは、あれからたっぷり二時間後のことだった。勿論、二度寝していたから。グースカ眠って起きたのは、いつも通りか、それよりも少し遅めの十一時少し過ぎ。お手洗いに行って、顔を洗って、歯を磨いて、ふぅと一息吐いた時点で、ようやく思い出した。思い出して、ヤベ! とばかりに飛び出して、喫茶アルトまでやってきたら、妖精さんがいつものテーブルで仁王立ち……と言う素敵な事態に発展していたのだ。
「……少ししたらって言ったわよね?」
 両足は大きく開いてすっくと立つ姿。右手に持ったストローをペチペチと左手に叩きつけながら、彼女は大きな金色の瞳で青年をまっすぐに見詰める……と言うか、睨みつける。
 その姿の迫力に若干……否、大いにたじろぎながら、彼はテーブルの前に腰を下ろした。
「で……なんのようだよ?」
 ぶっきらぼうな口調で言えば、彼女は大きな目をすっと細く開きなおして、ぽつり。
「……良い夢、見た?」
「……ぐっすり寝てて、夢なんて見てない」
「……二回目も?」
「……二回目も」
 尋ねた言葉に青年はコクンと小さく頷く。すると、アルトの頬からふっと力が抜けた。そして、軽く微笑み、彼女は言う。
「夜は寝ないと体に毒よ?」
「解ってるよ」
 柔らかい表情に諭すような口調、まるで母親か姉のような態度に、何処かバツの悪い物を感じながら、青年はぶっきらぼうに答える。視線は窓の外、数日前はくまなく山を覆っていた雪もすっかり溶けた。所々に白い物を残しては居るものの、葉を落とした木々と地面の茶色が寂しく見えていた。
「で、本題は?」
 その殺風景な風景をぼんやりと見ながら、彼が尋ねれば、妖精は視野の外側からさくりと答えた。
「とりあえず、お手」
「……んっ……――待て!」
「遅い、待たない!」
 反射的に出した手のひら、そこに振り下ろされる一振りの刀……じゃなくて、ストロー! ザクッ! とイヤな音共に激痛が手のひらを襲う!
 ぎゃっ! と小さめではあるが、割と本気で悲鳴を良夜に上げさせ、この一件は終了。ジンジンと熱を持って痛む手のひらを良夜に与えて、妖精はようやく、本当の本題へと話を進めた。
「まあ、これを見なさい」
 言って彼女はどこからともなく、丁寧に折りたたまれた布を取り出した。それは、人から見ればそんなに大きくないが、アルトにしたら結構な大きさだ。両手で持っても長さが余りそうほど。それをやっぱり丁寧にテーブルの上に置くと、彼女はその後にペタンと正座した。
 白い生地に桜の花びらが薄桃色で染め抜かれた生地は少々くたびれているようだが、それでもまだまだ美しく見える。
「これがどうした?」
「こっち面」
 言って彼女は二隅をつまんでぺろんとそれをひっくり返す。
「げっ!?」
 思わず、青年は声を上げた。
「……まあ、こうなっちゃったのよ……」
 白地に雪のように舞い落ちる薄桃色の花びら、その白と薄桃色との対比が美しかった生地の上、色とりどりに別の色が混じっていた。ある部分は黄色、ある部分は青、緑の所もあれば赤いところもある。その奇妙な色の部分には細かな毛も生えていて、それが――
「カビちゃったのよねぇ……」
 アルトが言うとおりだって事は良夜にも一発で解った
「うへ……酷いな、これ……」
 思わず青年の眉がへの字を描く。そして、彼は微かに指を伸ばすも、直接触るのはさすがに戸惑う。戸惑う物の、やっぱり、触ってみたいとも思ったりもして……手を出したり引っ込めたり……繰り返して、結局、触らずじまい。
「いや、そこまで手を出すなら、素直に触りなさいよ……」
「……やっぱ、気持ち悪いし。んで、なんで、こうなったんだ?」
 青年が尋ねるとアルトはぴっ! とストローの切っ先を青年の方へと向けた。
「貴方のせい」
「はぁ?」
「良い? 良く聞きなさい……」
 そう言って彼女は説明を始めた。
 毎年、彼女は元旦一日だけ着物を着るようにしていた。で、着終わったら、陰干しして、新しい乾燥剤を入れて所定の場所に片付け込んでいた。まあ、彼女の年中行事のような物だ。
 が、去年。忘年会の後、バスケットの中で寝ていたアルトは、そのまま、良夜のお弁当と一緒に、良夜の実家へと帰省。年末年始はそのまま過ごして、帰ってきたのは年明け四日だ。その頃になれば、喫茶アルト店内はその周辺も含めておとそ気分なんてすでに抜けちゃっていて、すっかり平常運転だ。今更、一人晴れ着を着るって雰囲気でもないし、まあ、良いか〜とほったらかしてたらこの体たらくである。
「だから、貴方のせい」
 もう一度、アルトのストローが良夜の顔をピッと指し示す。その切っ先を指先で軽く払って、彼はきっぱりと言い切った。
「ひゃくぱー、お前の責任だ」
「中身を確認しないで持って帰ったのは貴方でしょう!?」
「何処の世界にあんな所で寝てる奴が居るんだよ!?」
「ここの世界にいたじゃない!」
「あっ……うん、居たね……」
「…………」
 互いに出し合ってた大声から一転、シミジミとした口調で言えば、アルトも言葉に詰まった。
 そのまま、数秒の沈黙……そして、彼女はコホンとわざとらしく咳払いをした後、言葉を繋いだ。
「まっ、ともかく……よ。どうにかならない?」
「どうにか……って言われても……」
 呟き、青年は意を決して着物をつまみ上げた。軽くつまんで持ち上げただけで、フワッとカビの胞子が煙のように舞い上がる。それのざまに思わず、彼の表情も曇った。なんか、触ってるだけで病気になりそうだ。
「……コタツの上にほったらかしてたみかんみたいになってんな……?」
「……大事な物なのよ……」
 ぽつり……と、アルトは呟く。俯いた彼女の表情は、上から見下ろす青年には見えることはない。されど、彼女が随分と落ち込んでいる様子だけは、察しが悪いと良く言われる青年でもなんとなく感じ取ることが出来た。
 その頭をちょこんっと軽く突く。小さな頭が上を向き、大きな金色の瞳が青年を見上げる。その表情はやっぱり不安そう。青年はその見上げる額をもう一度、ちょこんと突いて、笑みを浮かべて見せた。
「まあ、そんな暗い顔すんなよ、似合わないぜ?」
 青年がそう言うと、アルトはペチン! とストローで良夜の指先を叩いて、頬を膨らませた。
「ふんっ! それより、そんなに大きな事を言うんだから、少しくらいはアイディアがあるんでしょうね?!」
「ないよ」
「ちょっと!?」
 しれっとした顔で言っちゃえば、アルトは目を剥いて叫んだ。それに青年は軽く肩をすくめて、言葉を返す。
「お前の服は俺しか見えないわけだし、俺はカビた着物の洗い方なんて知らないからな……これ、木綿とか化繊とかじゃないんだろう?」
 そう言えば激昂していたアルトも落ち着きを取り戻し、ペタンとテーブルの上に腰を下ろした。そして、「はぁ……」と大きなため息一つ。見るからに落胆している様は、溜飲が下がる……のを通りすごして、少々、哀れに感じるほど。
 哀れに感じるが、良夜にアイデアがあるわけでなし。つまみ上げたカビだらけの着物をひっくり返してみたり、軽く振ってみたり……裏側というか、後身頃というのか? 背中側に当たる部分は綺麗なのだが、前側、胸元の辺りがカビがべったり。それを見聞しながら考えてみても、良いアイデアなんて全く浮かんできたりはしない。
 互いにため息しか出ない時間が五分ばかり……
「どーしたんですか? なんか、物凄い勢いで入ってきたとか……凪歩さんが言ってましたよ?」
 お気楽な口調で声を掛けたのは、美月だった。彼女の手にはランチプレートが二つ。手のひらと腕を使って器用に持ってる様は、さすがにプロなんだなぁ……と変なところで感心してしまう。彼女はそのプレートを一つは良夜の前に、もう一つは無人の席に置き、そして、その無人の席へと腰を下ろした。
 彼女の腰が落ち着くのを待って、彼は口を開く。
「仕事、どうですか?」
「そりゃもう、暇ですよ〜この辺りの人は皆さん、帰省しちゃいましたから」
「そー言えば、タカミーズも帰省しちゃったしなぁ……俺も普段なら帰省してるし……」
 年末から年明け、三箇日が終わるくらいまでは貴美は帰省で丸々休み。残った三名も交替で休みを取り、店内は店長和明合わせて常時三人で経営することになっているらしい。
「それでもディナーは結構人が来てくれてるんですけど、昼の暇なのはいかんともしがたいです」
「あはは。そっかぁ〜でも、他にやることも色々あるんでしょ?」
「ああ、ハイハイ。明日は買物に行きたいので、おつきあいくださいね。しめ縄とか……お餅とか」
「りょーか――ぎゃっ!?」
 のんきな会話を切り裂く激痛と間抜けな悲鳴。キョトンとしている美月からゆっくりと痛みの元へと視線を動かせば、そこには右手で右手にストローを突き刺し、左手でカビた着物を掴んで良夜の方に突き出すアルトが居た。ジロッ! と目に力を込めて、唇は横一文字。
「こっちの話、終わってないわ……よっ!」
 よっ! の所で彼女は力を込めてストローでさらに良夜の手の甲を深く抉る。いつも以上にえぐい攻撃に思わず、青年は手を払いのける!
「いってぇよ!!!」
 慌てて手を引っ込め、青年は顔を真っ赤にして怒鳴りつける。されど、アルトの目から殺気が抜けることはなし。睨みつけたまま、彼女はぐいっ! と指を突き出し、また、口を開いた。
「それ! どーすべきか考えなさいよ!!」
 そのアルトの言葉に合わせるかのように、美月が小首をかしげて尋ねる。
「どーしたんですか?」
 しかたないから、簡単に前後の説明すると、彼女も「うへ……」と思わず眉をひそめる。
「……マーマレードでカビを培養してた貴女に言われたくないわよ……」
「……――って言ってる」
「ふぇっ!? その話はもう終わった事じゃないですか〜」
 終わった話を引っ張り出されて、美月が半泣きになって、説明は終了。どうしたものか? と三人が頭を捻る。
 食事もしないで、考え込むこと、一分弱。最初に「あっ」と言葉を発したのは美月だった。
「二条さんに聞いてみたらどうですか? ほら、お家が呉服屋さんですし」
「ああ……確かに……」
 青年がそう答えると、美月は「えへへ」と照れたような笑みを浮かべてて見せる。その笑みに自身も笑みを返しながら、青年はポケットの中から携帯電話を取りだした。一応、去年、海で出会った時、綾音のと一緒に陽の連絡先も聞いて置いたはず。あれから一度も連絡をした事はないのだが、作った連絡先を消したと言う事もなかったはず……と、探せば、すぐに見つかるのは、彼のメモリーに登録されている人数が余り多くないから。
「……友達、少ないのね……」
「うるさい」
 胸元に浮かぶアルトが中を覗き込む。その視線から液晶を隠すようにそっぽを向いて、メールを作ったら送信。携帯電話をテーブルの片隅において、待つことしばし……その時間、食事をしながらに過ごせば、十数分の待ち時間はあっという間に過ぎ去った。
『You’ve Got Mail!』
 丁度、パスタの最後の一口を食べ終えたころ、買ったときから変えてないメールの着信音が鳴り響く。フォークとスプーンを置いて、携帯電話を開いてみれば、ディスプレイには新着メールのアイコン、送信者は勿論陽からだ。
「来た来た……っと……えっとぉ……」
「いかがですか?」
「どうなの?」
 呟きながら青年はメールを読む。それに美月とアルトは興味津々と言った様子、アルトは勿論、余り関係の無い美月まで身を乗り出さんばかりの勢いだ。その様子を横目で捉えながら、青年はメールを読み、結論を言った。
「……持って来い、だって……」
「あっ……ああ……」
 アルトが呻くように声を上げる。
「ふえ? どうしたんですか? 持っていったら良いじゃないですか?」
 と、解ってない美月にアルトの服が見えない事を改めて説明。納得させるのに数十秒掛け、ようやく、青年は息を吐いた。
「状況を見てみないとわかんないし、質の良い奴は扱いも難しいし、クリーナーも選ばなきゃいけないし……まあ、素人には無理だよって事だな……」
 美月にメールの内容を教えながら、青年は返事のメールを考える。アルトのことを今更説明するのもめんどくさい。ひとまず、遠くに住んでる友人の相談っていった風を装い、彼は返事のメールを書いた。そこに彼女がその着物を大事にしていること、でも、事情があってクリーニングには出せないことを、アルトのことをなんとか誤魔化して書き込み、最後に『ありがとう、参考にする』とだけ付け加え、彼は送信した。
 送信終了の文字がすぐに浮かぶ。それを確認すると、青年はポンと携帯電話をテーブルの片隅に投げ置いた。唇からこぼれ落ちるのは溜め息ばかり……
「じゃあ、もう、諦めるしかないですかね……?」
 諦め気味の口調で美月が漏らした。
「……真雪が残してくれた物なのよ……」
 クシュンと俯き、彼女は掴んでいた着物をギュッと胸元へと押し付ける。そこにはたっぷりとカビが浮かび上がっているのだが、落ち込む妖精はそんな事も気にしていないような様子。
 その様子を美月に伝えれば、いつも明るい美月も言葉に詰まる。
「…………子供の頃、一度、お祖母ちゃんが小さな着物を何処かから持って帰ってきた事がありましたね……あれですか?」
 美月が尋ねると、アルトは小さくコクンと頷いた。勿論、その仕草は美月には届かないので、青年が通訳する。すると美月は微かにその表情を曇らせた。
「……お祖母ちゃん、私も欲しいって言ったら、大人になったら買って上げるって言いまして……それで楽しみにしてたんですけど、その後、すぐに体を壊してしまって……形見みたいに思ってるのかもしれませんね……」
 寂しそうな笑顔で美月はそう言った。その美月の言葉にアルトは反応は示しはしない。良夜も何を言って良いのかと……と言葉を選びあぐねていた。
 数秒の沈黙……その後、青年は抑え気味の口調で言った。
「代わりにはならないかも知れないけど……新しいの、見に行くか? 明日……どうせ、正月飾り、買いに行くしさ、美月さんと」
「ああ、そうですね。それが良いですよ〜お金は私が出しますから、ね? 元気、出してください」
 青年の言葉に美月もポン! と手を打ち答える。
 その明るめの言葉に、アルトはまた、もう一回、コクンと頷き、そして、今度は美月の手元まで、とことこと近付くと、その指先をちょんっとストローで突っついた。
「現金な奴だな」
「あはっ、そうですね」
「うっさいわね……傷ついてるんだから、優しくなさい……」
 吐き出す毒は少々勢い不足、上げた顔には力ない笑顔だけがなんとかこびり付いていた。
『You’ve Got Mail!』
 そして、もう一度、メールが届く。
 青年が開いてみれば、やっぱり、送り主は二条陽。
『無理なら……』
 そんなタイトルが付けられたメールには、一つのアイデアが記載されていた。
 そして……

 数日後……元旦。その日、アルトは買ったばかりの真っ赤な振袖を着ていた。その彼女の右手には、白地に桜の花びらが薄桃色で染め抜かれた、小さなポーチが握られていた。  そして、左手……真っ白い肌に小さな疵痕が桜の花びらのようにいくつも浮かび上がっていた。

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