For All Lovers(完)
「さっき、吉田さん、私が責任者だって言いましたよね!?」
 そう言って良夜の胸元につかみかかってきた三島美月さん、その大きな瞳には涙が浮かんでいて、今にもこぼれ落ちんばかり。周りの連中はみんな逃げて、取り残されてるのは、彼女と彼の二人きり。どう答えて良い物やら……と思案するも、青年の貧相な辞書に上手い返しの言葉など記載されているはずもない。
「えっ……えっとぉ……」
「なんですかっ!?」
「いや……その……」
「言いたい事があったら、はっきり言ってください!!」
 言葉を選ぶ良夜の胸元、ギュッ! と美月が引っ張れば、二人の顔は引っ付かんばかり。良い匂いがするなぁ……なんてどーでも良い事が頭に過ぎった瞬間だった。
「ぎゅ〜」
 愛らしい音で彼女のお腹が言いたい事をはっきりと言った。その何よりもはっきりと解る言い分に、涙目だった美月も頬を引き攣らせていた良夜も、共に真顔になって互いの顔をじーっと凝視。
 沈黙の三秒……
「……言いたい事をはっきりと言ってください」
 ぽつり……先ほどの勢いは何処へやら。囁くように彼女が尋ねたので、青年は自身と彼女がお腹の中で飼育している虫の本音を素直に、はっきり、きっぱりと言った。
「……腹減った」
「……私も……」

「と、言うわけで、クリスマス特別営業、お疲れさまでした! かんぱーい! 頂きま――はっ、はやいですよ〜」
 美月の乾杯の音頭もいい加減なもんだが、聞いてる方もいい加減だ。彼女の宣言が終わるよりも早く、皆が一斉に大皿に手を伸ばす。ある者は唐揚げをビールで流し込み、ある者はローストビーフとレタスをバケットに挟んでサンドイッチを作り、ある者はサラダを取り皿に盛ってと、思い思いに食事を楽しみ始める。そして、美月もその勢いに負けぬよう腰を浮かせたまま、お箸を唐揚げの一つにズブリ! 勢いに任せてぱくりと口に放り込んだら、肉汁が熱い熱いと大騒ぎ。
 そんな感じで最初の十分は嵐かと思うような慌ただしさ。その嵐の十分が過ぎ去れば、皆の空腹も一段落だ。食うため、飲むためだけに動いていた口をそれ以外に用いる余裕も生まれてくると言うもの。
「ふぅ……一息ついたぁ〜」
 最初にそう言ったのは、凪歩だった。油か何かで汚れた指先をペロッとなめたら、彼女はビールの缶に手を伸ばす。パシュッ! とビールは気持ち良い音を立てて開かれる。そして、コクコクと白い喉を鳴らせば、あっという間にその中身は空っぽだ。ちなみにすでに二本目。一本目はバケットを流し込むために利用された。
 その二本目の空き缶を指先でベコベコとひしゃげさせながら、凪歩は言う。
「きつかったねぇ〜? 今日」
「……キッチンも、きつかった……」
 答えたのは、アルコールではなく、お冷やのグラスを手にした翼だ。数日前に友人達との忘年会で深酒をやった彼女は、今夜は飲まないことに決めてるらしい。ただ、先ほどから他の面々の手元を目で追いかけてるのを見る限り、その決意がいつまで保つか、怪しいもんだと良夜は思う。
「吉田さん、キッチンに取られたのが辛かったよ〜」
「なぎぽんよりも……吉田さんの方が……手が早い、から……」
「そりゃ、解ってるけどさ……」
 翼に言われずとも解っているというか、そういう事情は十分に話し合った上でのシフトだったらしい。されど、それでもやっぱり、言わずには居られないという奴。凪歩は円柱の形を保ちながらも、表面に無数の皺が刻まれていた缶をメキョ! と握り潰して、ゴミ袋に放り込む。そして、休む間もなく、三本目に突入……
「だいたいさ、クリスマスイブにイタメシ屋来て、ディナーコース食うようなリア充共は、全部、爆発しちゃえば良いじゃんか? 特に女! 食いに来てるだけでも許せないのに、奢りとか!? 後から刺しても許されると思うんだよね! 私!」
「……許されない……」
「いやいや、裁判官が独身なら、許してくれるって!」
「……なぎぽん……あれ……と、それ……」
 三本目の缶ビールを握って高らかに物騒なことを抜かす凪歩に対して、翼はスーッと指を持ち上げた。その細い指先が指し示す先には、のんきにワイングラス片手にローストビーフを食べてる美月、そこから右に動けばショットグラスにワイルドターキーを注ぐ貴美の姿が合った。
「あれ……」
「それ……」
「……恋人が居ても……あの調子だから……この業界」
 ポツリと呟き、翼は食事を再開。我関させじを決め込む様子に、『あれそれ』呼ばわりされた上司達もその相方も、「ハハ」と苦笑とも微笑とも取れる小さな笑みを浮かべた。
「……夢も希望もないじゃんか……」
 そして、相方の居ない凪歩はがっくりと俯き、ため息を漏らした。
「まあ、なんだかんだ言って、イブは外食って人、多いですから……どうしても、忙しくなっちゃうんですよねぇ〜申し訳ありません――」
 と言って、美月はぺこりと頭を下げる……も、すぐに頭を上げて、彼女は言った。
「あっ、でも、明日からはとってもお暇になるので……」
「嬉しそうに明日から暇とか言わない!」
 良い笑顔を浮かべる美月の前、貴美がばん! とテーブルを叩けば、美月がビクン! と体を震わせる。そして、ワッと沸き上がる歓声のような笑い声。
 喫茶アルトの忘年会は概ね賑々しく続いていた。
 ただ一人を覗いて……
「あれ……?」
 ただ一人、真っ赤な顔に手を当て、俯いてる青年が居た。浅間良夜だ。
「どうしたの?」
 その青年の手元、ショットグラスに注いだビールをチビチビやっていたアルトが、青年の顔を覗き込む。眉と眉の間に深い谷を刻んだ表情は、珍しく彼女が青年を案じていることをうかがい知ることが出来た。
「ああ……空きっ腹に酒を入れたからかな……? 一気に酔いが回っちまったのかも……」
 普段の酒量から考えれば、今夜の彼が飲んだのは大した量とは言えない程度だ。しかし、昼からサンドイッチ一切れにクッキー三枚で重労働をやってた青年が一息に飲んじゃうには多かったよう。一気に体中をアルコールが駆け回り、彼の頭はグラグラ、心臓はばくばく……
「ったく……普段の労働が足りてないのよ。翼にお冷やでも貰いなさい」
「うるさいよ……ああ……それよりもちょっと風に当たってくる……――直樹、俺、ちょっと風に当たってくるから……アルトのショットグラス、空になったら注いでやってくれ……」
「えっ? あっ、はーい」
 あきれ顔の妖精とキョトンとしている直樹、そして、訳解ってないって風体の残りのメンバーをその場において、青年は一人、席を立った。アルコールに浮かされ、ふらつく足下。自身から見てもおぼつかない足取りは、油断したらすっ転びそうで怖い。
 ふらつきながらも、なんとか、彼はキッチンから裏口に抜けた。
 外に出れば外は雪景色。月は分厚い雲に覆われ、国道の外灯は遙か遠く。雪を照らすのはキッチンからこぼれる明かりだけ……その明かりだけでも解るほどに辺りはすっかりまっ白。駐車場もゴミ箱も二台並んで止まる良夜のジムニーも美月のアルトも、全てが雪に覆い隠されていた。
「さむ……」
 呟き、青年は足下の雪を蹴っ飛ばすようにして払う。すると、雪に埋もれていたコンクリートブロックが顔を出すので、彼はそこにペタンと腰を下ろした。
 白い吐息が一つ……二つ……アルコールの熱に火照った頬に冷たい風が心地良い。
「こんな雪……生まれて初めてかもなぁ……」
 大きめの牡丹雪がゆっくりと舞い降りる空を見上げ、彼は呟いた。彼の生まれ故郷もここと同じか、それ以上に雪が降らない。ここよりも幾分市街地に近く、ヒートアイランドの影響もあるのだろう。彼の記憶の中にこんなに大きな牡丹雪が空から落ちてくる様はなかった。
 そんな事を考えながら、青年はぼんやりと空を見上げ続ける。そんな時間を五分ほど……体に廻っていたアルコールも少しは落ち着いたのだろうか? 頭の痛みも動悸の激しさも一段落ついてきた。
「りょーやさん、なにしてるんですか?」
 そろそろ戻ろうかと思って居たところ、斜め上、背後からの声に青年は顔を向けた。そこには覗き込むように微笑む恋人の姿……
「ああ……何って……雪、見てた」
「えへへ、そうだと思いました。はい、これ、どーぞ」
 言って美月が良夜に渡したのは小さなおちょこだった。鮮やかなブルーで染め抜かれたそれは、少し大きめでぐい呑みと言った方が正しい感じ。こんな物がイタリアンメインのカフェにあったのか? と不思議に思ったが、どうやら、貴美が今夜のために持ってきた物らしい。
「って……えっと……美月さん、俺、酔いが回ったから風に当たってたんだけど……」
「ふえ? そうなんですか?」
 間抜け顔を見せる美月の手には当然のように徳利。頭の方を親指と人差し指でつまんでる様などは、何処の飲み屋の親父かと思ってしまうほど。
 キョトンとしながらも、彼女は手にしていた徳利を引っ込めることはせず、青年の隣に腰を下ろした。そして、彼の顔を覗き込むよう見ながら、彼女はその頬を柔らかく緩めた。
「まあ、良いじゃないですか〜向かい酒ですよ、向かい酒」
 差し出される徳利、暖かそうな湯気が登るそれをジトッと見詰めて、青年は溜め息と共におちょこを差し出す。
「とりあえず、用法、間違えてる……――沢山入れないでね?」
「はいはい」
 軽い調子の返事は無駄に不安感を抱かせる。そして、注ぎ込まれる熱燗……それはだいたい、おちょこの七割から八割と言ったところか? それが多いと言うべきなのか、少ないと言うべきなのかは、判断の分かれるところ。
「頂きます」
「どーぞ」
 チロッと半分ほど、良夜は喉の奥へと流し込む。少し癖はあるが飲みやすい日本酒。少し熱めの燗にされているようだ。その暖かな固まりがスーッと、冷えた喉へ流れ落ちていく感触が心地良い。
「ああ……美味しいね……これ……」
「はい、返杯、下さい」
 言って美月はすっと徳利を持った右手と空っぽの左手を差し出した。その両手と右手の中、三割ほどまで日本酒が満たされたおちょこを数回見比べる。ついでに美月の顔に視線をやっても彼女はニコニコと楽しそうに笑っているだけ。
「……俺を潰してなんか良い事あるの?」
「大丈夫ですよ〜まだまだ」
 笑う美月にため息一つ。残りのお酒をクイッと一息に煽る。少し落ち着いてた顔の熱さがまたぶり返してくる。そのフワフワとした感覚に身をゆだねながら、彼は彼女におちょこを手渡す。代わりに渡されるのが、思ったよりもずっしりしている徳利だ。それを彼女が差し出すおちょこの上に傾け、彼女が入れてくれたのと同じくらいの量をそこに注ぎ込む。
「どーぞ」
 青年がそう言えば、彼女は
「ありがとうございます」
 そう言って、ふっくらとした唇におちょこを押し当てる。それを傾け、中身を半分ほど喉の奥へと流し込むと、美月は「ふぅ……」と何処か艶っぽい吐息を一つ漏らした。
 その横顔に青年はしばし見惚れる……そして、彼女がこちらへと視線を向ければ、青年はその事を誤魔化すように口を開いた。
「……美月さん、ここで脱いだら、凍死するよ?」
「……良夜さん、私が飲んだら脱ぐって思い込んでません?」
 青年が言えば、雪景色を見ていた美月の視線が良夜の方へと向く。少し膨れた恋人を可愛いと思うと同時に、彼は「その通りだよ」とも思うが、前者はともかく、後者は言えば確実に拗ねるので言わない。代わりに「あはは」と笑って誤魔化すと、彼女もふくれっ面を緩めて笑みに変えた。
 そして、二人はぼんやりと雪降る空を見上げる……
「良夜さんのお家の方は……雪、降るんですか?」
「全然。去年、里帰りしたときはみぞれが降ったけど、それくらいじゃないかなぁ……?」
 ポツリと尋ねた言葉に青年もぽつぽつと言葉をこぼす。その視線は互いの顔ではなく、白く大粒の、真綿のような雪がフワフワと降り注ぐ空へと向けていた。
 しばしの沈黙……とは言ってもほんの十秒か十五秒と言ったところ……
「良夜さん」
「何?」
 ふいに呼ばれた名前に青年は反射的に美月の方へと顔を向けた。されど、彼女の視線は雪の舞い降りる空へと向けられたまま……その視線を動かすことなく、彼女は言葉を紡ぐ。
「雪、降ってくるとわくわくしません?」
「……思う……かな? でも、いまは、明日のバイトどうしよう、とか? 思ってる」
「あはっ……そっちはそっちで切実ですよね?」
 反らしていた体を青年の方へと向け、彼女は微笑む。その笑みに答えるように、青年も彼女の方へと体を向けた。
「でも……」
「でも?」
 青年がポツリと言えば、復唱するように美月もぽつり……
「……えっと……あれだよね……ほら……『恋人が居てもあの調子』なイブに美月さんと雪を見られたのは……良かった、かな?」
 言った言葉に耳まで赤くなるのを、青年は自覚する。そして、それを誤魔化すように、彼は美月が置いたおちょこに手を伸ばす。手酌で注がれる熱燗はすでに少し温め……
「良夜さん……来年も再来年も……ずっと……『恋人が居てもあの調子』なイブ……おつきあいしてくれますか?」
 尋ねる美月の顔も真っ赤……その赤い顔にやっぱり赤くなった顔を向け、青年はなみなみとお酒の注がれたおちょこをコンクリートの上に置いた。
「……来年も……雪、降ると良いね……」
「……迷惑、こうむる人、居るかも知れませんけど……」
 呟く二人の唇が重なり合った。

 その夜、雪はもうしばらくの間、降り続いた……

 全ての恋人達といつか恋人達になる人々のために……

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