For All Lovers(2)
 大学傍の駅、下りの電車が入ってくる。時間は夕方の終わり、夜の始まり。この時間、下り電車に乗っている客は少なく、ましてや、この大学最寄りの駅で降りる客はもっと少ない。普段なら規定の時間停車するだけで、ドアも開けずに出て行く便も少なくない位だ。
 しかし、今日は珍しく、ドアが開く。開いたドアから、一人の女性が下りてくる。
 背が高いのは良いのだが、痩せすぎと言うくらいに痩せていてる体つきは、余り良くない歯並びやそばかすだらけの顔とも相まって、正直の所、魅力的な女性とは言いづらいものがあった。
 その女性を改札の出口で待っていたのは、背が低めで小太りな青年だった。頬も丸くて二重顎な青年は野暮ったい服と合わせて、やっぱり、魅力的な男性は言えない。
『どっちもどっちで釣り合いが取れてる』とは彼の口さがない友人が言った言葉だ。
 黒い原付スクーターにまたがっていた青年は軽く手を上げると、改札を抜けた女性がスクーターの荷台に腰を下ろした。
「お待たせ」
「いや、待ってないよ」
 ノーヘルの女を荷台に乗せて、スクーターは急な上り坂をえっちらおっちらと青息吐息で登っていく。
「相変わらず、この辺は田舎だね!」
「そうだな!」
 真冬、冬至直後の日の入りは早い。時間的にはまだ夕方を言い張れる時間帯だというのに、太陽はすっかり山の向こう側。学生達が多く住むアパートからは窓の明かりが漏れ始めているが、賑やかな商業施設もないこの辺りでは、彼らの行く道はすでに真っ暗だ。
 その真っ暗な国道を交通違反のスクーターが駆け上がっていく。
 峠の坂道を登って下りて、目的地の喫茶店までは十分少々。
 スクーターを喫茶店の広めの駐車場に停めたら、彼は半キャップのヘルメットを脱いだ。脱いだヘルメットはポンと無造作に前カゴの中と放り込まれた。
 そして、彼は店の方へと向き直り、小さな声を上げた。
「あれ?」
「どうしたの?」
 それに女性が尋ね返した。
「なんか、妙に暗くない?」
「ああ……そうだね、このお店、前に来たときはもっと、明るかったよね?」
 互いの顔を見ながら言葉を交わし、そして、二人同時に店の方へと視線を向ける。普段は店内の明かりが大きな窓から煌々と溢れ出ているのに、今夜は随分と控えめだ。中に人影が見えてるから、営業してないというわけでもないのだろうが……
 そんな事を二言三言。立ち話をしていたところでらちがあくわけでもなし、二人はどちらからともなく、店のエントランスに足を向けた。
 から〜んとドアベルがいつもの乾いた音で鳴ると、ポニーテールの眼鏡がひょっこりと顔を出した。
「いらっしゃいませ。二名様ですか? 今夜はイヴの特別営業になっています。店内、お足元が暗くなっておりますので、お気を付け下さいませ」
 ぺこりと頭を下げるポニテ眼鏡、その背後に二人は視線を向けた。八割ほどが埋まっている店内、普段なら付いているペンダントライトが今日は全く光を放っていない。その明かりを失ったペンダントライトの代わりを担っているのが、各々のテーブルの上に置かれた燭台だ。三本の蝋燭が互い違いの高さに着けられたそれは、暖かな光をぼんやりと放っていた。全体としては普段の七割くらいの明るさだろうか? 少しは慣れたところに立つ人の表情も解りづらいほどだ。
「へぇ……」
 そう呟いたのは女性の方だった。
「凝ってるね?」
 女性がそう言うと、ウェイトレスは「ありがとうございます」ともう一度頭を下げてから、二人を席に案内した。
 窓際の席は国道側も山側もふさがってしまっているようで、二人にあてがわれたのは、中央、奥の席だった。その席、蝋燭を挟んで向かい合うように二人は座る。だいだい色の光が静かに揺れ、互いの顔に複雑な陰影を付ける。
 メニューを置いて去ろうとする従業員に青年が「スペシャルディナーのコースを二つ」と言えば、女性の方は「私は魚料理で」と付け加えた。
「じゃあ、俺は肉の方……」
「かしこまりました」
 恭しく頭を下げて、その場を後にした。薄暗い店舗の中、キッチンの方へと足を向ける彼女を見送り、青年は蝋燭の向こう側に居る彼女に顔を向けた。
「どーでも良いけど、今夜、イブだよ……肉料理、チキンじゃないか?」
「……あっ、そうだった……交換して?」
「嫌だよ」
「ケチ」
「奢ってケチとか……」
「あはは……ありがと。ごちそうさま」
 そう言って彼女は屈託なく笑う。その笑みを男は蝋燭の揺れる炎越しに見詰める。
 数秒の沈黙。
「どうしたの?」
「……ああ、雰囲気あるな……って思ってさ」
 青年が何かを誤魔化すようにそう言うと、彼女は辺りをぐるっと見渡した。
 各々のテーブルに一つずつ置かれた燭台が照らすフロアは、普段と比べれば随分と暗い。その代わり、暖かな緋色の灯で満たされていて、室温以上に暖かいように感じられる。普段よりも押さえられた明るさは隣の客を意識の外に置くようで、まるで二人きりで食事をしているかのようだ。
 そんな店内を見渡すと、彼女は青年に視線を戻して呟いた。
「うん……そうだね」
 から〜ん、また、いつものドアベルが乾いた音を立てる。どうやら、新しい客が入ってきたようだ。声は聞こえないが、先ほどのポニーテールのウェイトレスがまた対応している。ひっきりなしと言うほどでもないが、ジワジワと、来客が増えていく。二人と同じく、イヴのディナーを自宅近くの喫茶店で、と言う安直な思考を持つ学生は思って居た以上に多いようだ。
「もうひと便……遅くしてたら、待たされてたかもね……」
 ドアベルの方へと視線を向けて、彼女が小さな声で呟いた。
 その横顔を見ながら、青年が答える。
「そうだな……」
 そして、また、沈黙……
「Silent Night,Holy Night
 All is calm,all is bright……かぁ……」
 彼女がふいに小さな声で口ずさみ始める。それに青年が顔を上げると、緋色の揺れる灯りの向こう側で彼女は、気恥ずかしそうに頬を染めていた。
「なんか……口から出ちゃった」
「ああ……ここ、そー言うことがちょくちょくあるらしいよ……」
「そー言う事って?」
「だから、なんとなく、鼻歌が出ること」
「そうなの?」
 青年が言うと彼女はキョトンとした表情を見せた。その彼女の顔から視線を逸らす。その先では大きなトレイを持ったウェイターが、別の席に料理を届けているのが、薄暗い中見える。
「ああ……なんか……近くで妖精が歌ってると、釣られて客もその歌を歌い始めるんだってさ……」
 そのウェイターの動きを見るともなしに見ながら、彼はぽつりぽつりと呟く。すると、彼女が青年の視野の片隅で、余り大きくない一重の目を殊更に大きく見開いて言った。
「はあ?」
「…………ここのオーナーがそう言ってた……」
 そっぽを向いたまま、紅い炎に照らされた顔がさらに赤さと熱さを増していく。
「…………それを真に受けたの?」
「…………いや、別にそー言うわけでも……」
 彼女の声に青年はそっぽを向いたままで答える。
「お待たせしました」
 そう言ったのは先ほどまで別のテーブルに料理を届けていたウェイターだ。彼がテーブルの上に前菜の載ったお皿を二枚、トントンと並べる。何処かぎこちない手つき。並べられた前菜はスライスしたトマトにモッツァレラチーズが乗った物、オリーブオイルと胡椒の香りが食欲をそそる。
 それと同時に水のグラスも二つ……それらが並べられると、女が口を開いた。
「ありがとう……――ねえ?」
 その言葉に、踵を返そうとしていた青年は足を止め、キョトンとした表情で答えた。
「はい?」
「ここって、本当に妖精が居るの?」
「おっ、おい……」
 女が尋ねるとウェイターの青年が反応するよりも先に、連れの男がわずかに腰を浮かせた。その仕草を女は一瞥だけするも、すぐにウェイターの方へと視線を戻し、彼の顔を見上げた。
 そして、数秒、答えを待つ。
「えっと……」
 ポリポリと頬を掻き、彼は視線をチラリとテーブルの片隅へ……それに釣られて二人も顔を動かす、も、そこに何かがあるわけでなし。薄暗い蝋燭の灯りが揺れる影を落とすだけだった。
 その何もない空間を一瞥、今度は宙に視線を巡らせて、彼は言った。
「運が良いと……会える……って所かな?」
 ウェイターはそれだけを言うと、ぺこりと頭を下げて、その場を辞した。取り残されるのは、意外な答えに眼をぱちくりさせるカップルが一組とカプレーゼが二皿……
 それと……
「……まあ、良いや、食べよ?」
「あっ、ああ……そうだな」
 女が言うと、浮かし掛けていた腰を落ち着かせて、男が答えた。そして、前菜のサラダに手をつける。その後には、具だくさんのトマトスープ、それから肉料理はチキンの香草焼きで、魚料理はヒラメがメイン。二人はそれぞれの料理を味わいながら、あれやこれやと取り留めのない話に花を咲かせていた。
 そして、最後に出て来たのはドルチェ、小さめのケーキと温かいコーヒー……
「ふぅ……美味しかったけど、少し多いくらいだったね?」
「うーん……俺はもう少し欲しいかもなぁ……」
 今日のデザートはブッシュドノエル。勿論、一本丸ごとというわけではなく、手頃なサイズに切り分けられた物だ。それをコーヒー片手にチマチマと突きながら、二人は言葉を交わす。
「太めを維持するのは大変だね?」
「財産だからな」
「……良く言うよ」
 男が悪びれもせずに胸を張れば、女は痩せすぎの頬をわずかに緩めた。そして、彼女がもう一度口を開こうとしたその瞬間――
「あっ……雪、降ってきたわ」
 どこからともなく、誰かの声が聞こえた。
「えっ?」
「おっ?」
 その声に女は国道の窓に顔を向け、男は山側の窓に顔を向けた。
「……気があわないわね?」
「……デブとガリの間には、越えられない溝があるんだろうな、ヤッパ」
 女と男はそっぽを向いたまま、言葉を交わす。
 どうやら、誰かが言ったとおり、外は雪になったようだ。大きめの牡丹雪が静かにぱらぱらと降っているのが、国道側、山側、共に暗闇の中、微かに見えている。もしかしたら、積もるのかもしれない……
 そのまま、また、二人の間に沈黙が訪れる。
 十秒ほどの沈黙……それはふいに終わりを告げた。
「「We wish you Merry Christmas……
We wish you Merry Christmas……」」
 二人の唇から同時に鼻歌がこぼれた。それは口の中で生まれて、そのまま、口の中で消えていくかと思うくらいに小さな声の歌だった。しかし、それでも互いの耳には十分に届いたようだ。同じフレーズをもう一回繰り返す前に、そっぽを向いていた顔がパッと二人の間、燭台を挟んで向かい合う。
 また、数秒の沈黙……
「「ぷっ……」」
 互いの顔を見て、二人は小さな声で吹き出す。
「居るんだね……妖精って……」
「偶然だろう? 偶然」
 女が笑みを浮かべて言うと、男はそっぽを向いて答える。
「そうかな?」
「そうだよ」
「うふふ……」
 ぶっきらぼうな口調で答える青年に笑みを持って答えると、彼女は腰を浮かしながらに言った。
「ねえ、そろそろ、行こうか?」
「何処に?」
 椅子に座ったまま、問いかける男を見下ろし気味に、彼女は答える。
「あなたの家。まずは、なんかテレビでも見て、ダラダラして、明石家サンタ見て……それから……――」
「それから?」
「うん。あなたに好きって言う」
「臆面も無く?」
「臆面も無く、素面で」
 座ったままの男が尋ねると、女は上機嫌のままで笑った。その笑い顔を蝋燭の暖かな光が優しく照らし出す。彼女は背が高いのは良いのだが、痩せすぎと言うくらいに痩せていてる体つきは、余り良くない歯並びやそばかすだらけの顔とも相まって、正直の所、魅力的な女性とは言いづらいものがあった。
 だけど……
(笑うと愛嬌があるんだよな……)
 男はそう思う。ただ、それを臆面も無く、素面で言えるほど、彼は大人の男ではなかった。
 だから、彼は、彼女の顔から視線を逸らし、伝票をひょいと掴んで立ち上がった。
「明石家サンタはカップルで見るもんじゃねーよ、趣味が悪い」
「まっ、番組はなんでも良いや。ともかく、二人キリになりたいな」
「ハイハイ……じゃあ、行くか?」
 二人はそう言って、店を後にした……その出て行く二人の距離は入ってきたときよりも少しだけ、狭くなっていた……

 そして、噂の妖精は静かに微笑んだ。
「幸せが雪のようにあなた達の肩に降り積もると良いわね……――」

「メリークリスマス……」

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