For All Lovers(1)
 美月が挙動不審になり、姉から布団が届いた夜、良夜はすぐに姉に電話をかけた。時間的にはほぼ深夜と言って良い時間帯だが、姉は確実に起きてるだろう。それに、彼女に連絡を取ろうと思ったら、このくらいの時間じゃないとダメだ。他の時間帯は寝てるか仕事してるか読書をしてるので、電話に出ない。
 ふぇ〜と泣きながらベッドの向こうの壁を叩いてる美月を尻目に、携帯電話のコール音を聞き続けること、数秒……かちゃっと音がして、姉が出た。
『は〜い、おねえちゃんだよ? なぁに? りょーや君』
 姉の気楽な口調に青年は眉をひそめるも、つとめて冷静な声で応えた。
「姉ちゃん、布団、届いたけど……マジで今年の冬休み、こっちで過ごすつもりなのか?」
『うん、そだよー?』
 返ってくるのはやっぱり軽い口調のお言葉。それを聞いてると、なんだか馬鹿にされているような気がする。されど、これは彼女の普段の口調だから、気にしても仕方が無い。それは、多分、この世で彼が一番良く知っている……まあ、普段から馬鹿にされ続けてるという説もあるにはあるのだが……
「いつからだよ……?」
『二十九日だよ、朝に行く〜』
「あれ? そー言えば、イブにこっち来るとか言ってたの……」
 ベッドの片隅、椅子代わりに腰を下ろしながら、青年は尋ねる。
『ああ、さすがにイブは無理だったんだよ、美月ちゃんに「ごめんね」って言っておいてくれるかな?』
「……まあ、そうだよな……仕事納めは二十八日?」
『だからぁ〜二十四日から五日、有給取ろうと思ったの、今年、一回も取ってないし』
「……おい」
『そしたら、学年主任が「はっ倒すぞ?」って酷いよね、現社の授業で『有給収得は労働者の権利だ』って教えてくれたの、和田先生なのに……』
「……姉ちゃん、バカだろう?」
『助けて労働基準監督局!』
 悲鳴のような声は棒読みで何処か芝居くさい。そんな声を受話器越しに聞きながら、彼は思った……
(どこまで本気なんだろう……?)

 と言う訳で、イブの姉来襲は中止。一安心と言えば、一安心……そう思いながら、電話を切って、パタンと携帯電話を閉じる。そして、手のひらに乗った携帯電話に視線を落としていると、顔の横から少し意地の悪い声が聞こえた。
「少し、寂しい?」
 それは肩口に乗っかって盗み聞きしていた妖精の声だった。青年が彼女の方へと視線を向けると、彼女はニマッと底意地の悪い笑みを浮かべる。
 その大きな金色の瞳をジトッと見詰めて、彼は応えた。
「別に……」
 ぶっきらぼうに言うと、彼は視線をアルトが居るのとは逆の肩口へと向けた。その向こう、肩越しに良夜と逆側の隅っこで美月が相変わらず泣いているのが見えた。
「美月さん、えっと……ご飯は?」
 少し遠慮気味に控えめな口調で言う。催促するのは悪いかとも思ったが、彼の胃袋も先ほどからずっと主に餌を催促し続けているから仕方がない。
「居ないなら居ないって……――ふえ? ああ、ハイハイ。用意してますよ? 知ってますか?」
「知ってるから聞いたの。メールに書いてたでしょ?」
 ほんの数秒前まで、壁に向かってブツブツ言ってた美月は、青年が声を掛けた途端にパッと表情を輝かせて、青年の方へと顔を向けた。そして、トンとベッドの上から下りると、冷蔵庫に取り付き、がさごそと中を漁り始めた。
 彼女が冷蔵庫を漁って取り出したのは、赤い液体が詰まったタッパだ。その中身をフライパンに移して、コンロの上に置く。ガスコンロに火を着けたら、シンクの下の扉を開いて、中から部屋にある一番大きな鍋――と言っても片手鍋だが、それを取り出し、たっぷりの水と塩をひとつまみ。それをやっぱり、コンロに掛けたら、また、冷蔵庫を開く。中から青年が買い置きしてるキャベツを出したら、数枚を丁寧にひん剥き、トントンと刻み始める。勿論、その最中もコンロに掛けたフライパンと鍋に気を配る事は忘れない……
 ちょくちょく、遊びに来るようになったとは言え、慣れてないはずの台所でもこの流れるような手並みは、さすがと言うほかにない。
 ぽかーんとその仕事っぷりを見ていれば、ペチン! とほっぺに小さな痛み。チラリと視線を向ければ、肩から青年の顔を見上げて居た妖精がクイッと顎で美月の方を示す。その何か言いたそうな表情に「あっ」と小さな声を上げて、彼は美月に慌てて言った。
「なんか、手伝おうか?」
「あっ、良いです、邪魔ですし」
 即答だった。打てば響くタイミングでの即答は、ザクザクとキャベツを刻む手も止めずに行われた。
「……あっ……うん……」
 パクパクと池の鯉のように口を開けたり閉じたり……数回そんな事をやって、ようやく言葉を絞り出すと、彼はとりあえず、シンク隣の食器カゴに手を伸ばした。そこには茶碗やらお皿やら、彼が昨日の夜に洗った食器が常備されている。そこから、大きな湯飲みを取り出して、彼はガラステーブルの前に腰を下ろす。
「振られたわね?」
 視野の片隅、勝ち誇ったよう薄っぺらな胸を反らす妖精が居たので、彼はそこから視線を逸らして、呟く。
「うるさい」
 動かした視線の先には美月がしていたゲームの画面がそのままに映し出されていた。そこにはショートヘアにチョウチョのような羽根を持つ妖精がこちらに向かってパクパクと口パクをしているシーンが映し出されていた。その下には入力待ちを示すアイコンがチカチカ……
「……あれくらい可愛げがあったらなぁ……」
 良夜がテーブルに片肘突いて呟く。すると、チョウチョではなく、トンボのような羽根を持った妖精はトンとテーブルの上に降り立ち、にこりと上品な笑みを浮かべた。そして、彼女は美しく澄んだ声で言った。
「良夜、現実とフィクションの区別くらいは付けなさいよ? 犯罪を犯す前に」
「……うるさい」
「それ、二回目」
「……はぁ……」
 嘯くアルトにため息一つ。視線をまたテレビの方へと向ける。意味も無く口パクを続ける妖精の顔を見たところで、面白いわけでもないが、口を開けば罵倒しかしない妖精よりかはマシという物だ。
 青年はぼんやりとした視線をテレビに向け続ける。そんな青年の顔も見飽きたのか、妖精はトントンと良夜の頭に飛び上がり、その上にちょこんと腰を下ろした。どうやら、彼女もテレビモニターを見ている様子。
 そして、そのまま、十数秒……
「つまんないわね?」
「そうだな……」
 答えながら、彼は部屋の片隅に置かれていた小さなプラスティックの筒に手を伸ばした。半透明の筒の中には緑色の粉、いわゆる、粉末茶という奴だ。それをひと匙、湯飲みに入れたら、ポットからお湯を注ぐ。かぐわしい香りを放つお茶の完成だ。
「……お茶くらい、急須で入れなさいよ……」
 ぼやく妖精の声を耳のお供に、青年は熱いお茶をフーフーしながら、啜る。美味しさもさることながら、体の奥まで温もっていくのが心地良い。その心地よさに目を細め、一息吐くと、青年は言った。
「一人前ならこっちが安いんだって」
「……要するにインスタントでしょ? それ……」
「……嫌な言いかたするなって」
 眉をひそめるアルトに青年は苦笑いで答える。そして、彼は手にしていた湯飲みをテーブルの上に置く。その湯飲みの傍にアルトがトンと飛び降り、今度は湯飲みをよじ登って、そのヘリに腰を下ろす。食器に座るなと、ちょくちょく言ってたのだが、全く聞かないので、ここしばらくは言うのも止めてしまった。
 そんな彼女がすぴっ! とストローを良夜の方へと向けて口を開いた。
「そうそう、イヴ、予定は?」
「バイトの休みは都合付けてる。後は美月さん次第。手伝えって言うなら手伝うし、いらないって言うなら……アルトでダラッと夕飯でも食うかなぁ……久し振りにコースでも良いか……?」
 少々考えながら、青年が言うと、湯飲みにかかとでリズムを取っていた妖精が頬を緩めた。
「一人で?」
「……お前が付き合うか?」
 小馬鹿にしたような口調で妖精が言うと、青年は少し低めの声で応える。すると、彼女は数回ぱちくりと瞬き。大きな瞳をわざとらしく大きく広げて言う。
「あら、ナイスな返し。珍しく良い返球が来たわね? そうしても良いけど、今年も貴方は寒空の下、ケーキとチキンを手渡す係よ」
「……そうだと思った……」
 軽く肩をすくめて、青年は先ほど置いた湯飲みに手を伸ばす。まだ熱々の湯飲みに手が触れる直前、阿吽の呼吸で妖精はひらりと宙に舞い上がる。そして、小さな体はとんぼを切ってテーブルの上に着地。それを目で追いかけながら、彼は火傷しそうなほどのお茶に口を付けた。
 その仕草を乱れたスカートを整えながら見上げて居た妖精が、クスッと笑って言う。
「今年は新人も二人居るし、去年、一昨年よりかはマシなはずよ?」
「好きなタイミングでトイレに行けて、飯くらいは落ちついて喰いたいもんだな?」
 去年も一昨年もきつかったんだよなぁ……等と思い出せば、それだけで震えてきてしまいそうほどの忙しさと寒さ。二人の新人のおかげでマシになってれば良いのだが……
 湯飲みを両手で包み持ち、視線を宙で遊ばせていた青年の意識を、アルトの声が引き戻す。
「ああ……でも、無理かしらねぇ……?」
「何が?」
「だって、今年、新しい事をするとか言ってたわよ、美月と貴美が……」
「えっ?」
 青年が目を丸くして驚けば、アルトはしてやったりといった風に胸を反らした。そして、彼女は握っているストローをピッと良夜の背後へと向けて言う。
「まっ、詳しくはそっちに聞きなさい」
 言われて青年がストローの向く方へと顔を向ける。そこには大きなお皿の上にトマトソースのスパゲッティをたっぷりと乗せて、美月がキョトンとした顔で立っていた。
「ふえ?」

 そして、当日、今年の良夜は寒空の下、ケーキとチキンを手渡す係……はやらずに済んだ。
 代わりに、彼は――
「……俺、何してんだろう……? イブに……」
 ――古びた真鍮の燭台を磨いていた、寒空の下、アルトの駐車場で。結構、豪華なレリーフが付いた燭台、それをクレンザーと金たわしでゴシゴシと。勿論、お湯なんて物は用意されていない。散水用の蛇口から出てくる凍りつく一歩手前みたいな水だけが頼り。ちなみに、今朝の気温、マイナス二度、天気は曇り、夕方からは雪かも知れないそうだ。今年一番の寒さ。
「ごめん! 本当はもっと早く借りる予定だったんだけど、間に合わなくて……バイト代、増やすって美月さんには確約取ったから、夜までに磨いといて?」
 と、貴美に言われて渡されたのがバケツとクレンザーと金たわし。しかたないから、制服から普段着のジーパンに着替えて、彼はゴシゴシと磨き続けていた。
 若干、泣きそう……
 そんな彼の携帯電話が鳴った。ジーンズのポケットにねじ込んでた奴だ。それを取りだして見れば、喫茶アルトからのメールマガジンだった。会員登録でランチやディナーのメニュー、その他イベント情報なんかを送ってくるアルトのサービスだ。サービスの立ち上げは良夜がやった。メールマガジンの設定なんかよりも、美月に新しいメールを送る方法を教える方が面倒だったのは、まあ、余談だ。
『喫茶アルトクリスマスイブ、特別企画 For All Lovers』
 サブジェクトの下には、ランチやディナーのメニューなんかが書かれた本文の最後には『全ての恋人達に送る素敵なクリスマスイブ』の文字。企画立案はテレビでこう言うのを見たという美月が言い出しっぺで、細かい計画を組み立てたのが貴美らしい。一方、青年は寒空の下、燭台を磨いてるし、直樹は直樹で寒空の下、一人でケーキとチキンを渡す係をやっている。それを考えると皮肉なタイトルだと、青年は自然と苦笑いを浮かべてしまう。
 そして、彼はひと言呟く……
「とりあえず……ねーちゃん、来なくて正解だったんだろうなぁ……」
 その呟きは真っ白い息と共に、今にも雪を落としそうな曇り空へと消えていく。
 その空を見上げ、青年はもうひと言だけ呟いた。
「……あの人なら、関係ねーか……」

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