留守番
「お疲れさまでした〜」
 その日、凪歩と翼、アルトの新人二人を裏口で見送ると、美月はそのまま、お風呂場へと向かった。勿論、お風呂に入るためだ。お風呂掃除は閉店作業とお茶会をやってる間に祖父がしてくれるので、後は下着を用意するだけ。脱衣所隅には小さな衣装箱、その上段に祖父のそれが、下段には美月のそれが入っている。洗って干すのは美月の仕事だが、そこに入れるのは個々人でやるのが三島家のルール。
 パッパッと服を脱いだら、控えめな胸と細い手足を晒して浴室へ……体を洗うよりも髪を洗う方に時間を掛けるのが、美月の入り方。その後、ゆっくりと湯船に浸かって、一日の疲れと汚れをたっぷりのお湯の中へと流してしまう。
 お風呂から出たら、ホカホカと湯気の上がる体に、ショーツ一枚にTシャツ一枚を身に纏い、部屋へと急ぐ。老人に出会えばいくら相手が実の祖父とは言えだいぶん恥ずかしいと思うが、今まで、一度も会ったことがない……のは、この時間帯の老人が部屋で思うさま、パイプをくゆらしているから……って事は美月にはトップシークレットである。
 で、今朝、脱ぎ散らかしたパジャマを身に纏ったら寝る準備はだいたい終わり。後はテレビを見たり、髪の毛の先を見詰めて枝毛探しを始めたりと、有意義なひと時を眠くなるまで過ごすのが美月の日課だった。
 だいたい、ひと月くらい前までは。
 最近、美月の夜の日課にもう一つ、行動が加わった。
 それは携帯電話をチェックすること。
 美月の携帯電話は普段、ぬいぐるみや人形達が並べられたカラーボックスの片隅に充電器に繋がれて放置されている。前は何日もほったらかしにしてて、いざ必要って時に電池が切れてたって事もちょくちょくあったものだ。それがここひと月ばかりは良夜が、ちょくちょくメールを送ってくるので、チェックしておかないと返事を出しそびれる。もっとも、内容は『課題が終わった』とか『明日はお昼を食べに行く』とか『お仕事、お疲れさま』程度の愚にも付かない内容が大部分。貴美に言わせると『大学が忙しくて、アルトに行けない分の埋め合わせのつもりだろう』とのこと。
 埋め合わせだろうがなんだろうが、下らないことでもメールを貰えれば嬉しい物だ。だから、美月は、この毎日のメールチェックを仕事終了後の楽しみにしていた。
 薄桃色の携帯電話は二つ折りのごくごくありきたりなガラケーという奴。それをぬいぐるみの隣から手に取り、パカンと開いてみれば、美月の表情がパッと華やいだ。
『美月さんがやりたがってた幻像王国2、手に入ったよ
 テーブルの上に置いてるから、疲れてないなら勝手に入って遊んでていいよ
 追伸
 ネタバレ禁止!』
「わっ!」
 良夜からのメールを見て、美月は思わず、声を上げる。幻像王国とは派手なムービーと壮大なシナリオが特徴的な人気RPG大作シリーズである。美月は一本目にいたく感動したので、続きが手に入ったら是非教えて欲しいと、随分前から良夜に頼んでいた。それがようやく手に入ったというのだから、その喜びもひとしお。
「んっと……それじゃ、お邪魔します……っと……」
 指が拙く動いて、素っ気ないメールを作るのにたっぷり一分。ようやく作って送ると、美月は肩に引っ掛けていたパジャマをぱらりと落として、クローゼットに向かう。中から取り出したのは、マキシ丈のワンピースとカーディガン、それをTシャツの上に羽織ってみたとき、『ブラはいらないかなぁ……』と思った自分に自己嫌悪。思い直してTシャツも脱いだら、ちゃんとブラも着けてから、服を着替える。着替え終わると、パタパタとスリッパの音を立てて、彼女は部屋を飛び出した。
 それから、保護者の一人である祖父に声を掛ける。良夜の所にちょっと行ってくると言えば、中から返ってくるお言葉は「お気を付けて」のひと言だけ。自分の事ながら、こんなにあっさりと認めて良いものだろうか? と不安になる。
 もっとも、この時、老人はお気に入りのパイプにお気に入りの刻み煙草を詰めての一服の真っ最中。孫娘が顔見知りの青年とどうのこうのよりも、火が付いたままのパイプを隠す方に一生懸命だったことを、美月は知らない。
 そんな隠された事実には気づきもしないで、美月は上機嫌のまま、トントントンと階段を駆け下りる。そして、キッチンに向かえば、翼が用意して帰った湯たんぽを右手の人差し指で軽く揺らして――
「起きてますか?」
 そう尋ねれば、布団代わりのハンドタオルがモゾモゾと動き始める。何も知らなければ風でも吹いたか? と思う程度の小さな動きだが、彼女はその動きに頬を緩めた。そして、美月は大きな業務用の冷蔵庫に足を向けながらに口を開く。
「良夜さんが新しいゲームを買ったそうなので、遊びに行きませんか?」
 そう尋ねると、美月の髪が少し強めに一回だけ引っ張られた。その小さな刺激にニコッと笑みを漏らすと、彼女は冷蔵庫の中に入れて置いた売れ残りのトマトソースを取り出した。本当は明日の賄いにでもしようと思っていた物だ。それを鍋からタッパーに移したら、乾燥パスタを一人前よりも少々多めに用意する。これが良夜のメインディッシュ。足りない青物は、キャベツが良夜の家に沢山あるらしいから、それ千切りにしてクルトンとドレッシングをかけて食べさせればOK。
 用意が出来れば、愛車の妖精まみれ一号を駆って良夜のアパートに向かう。いつものアパート、いつもの駐車場。相変わらず、自転車やバイクが止めてある駐輪場は一杯だ。その一杯の駐車場を横目で見ながら、駐車スペースに車を止める。そして、車を降りれば、シルバーのビッグスクーターと黒い大型バイクが仲良く並んで止まっているのを、美月は見付けた。
「……あっ」
 小さな声で彼女は呟き、表情を強張らせる。その強張ったままの表情で、視線を上へ……最上階の向ければ、良夜の部屋は勿論、お隣さんのお部屋にも電気は付いていなかった。
 そのまま、美月は固まる。固まったままの脳裏に浮かぶ言葉は一つだった。
(犯る日……)
 ここにバイクがあると言うことは、今日は直樹のバイトがお休みと言う事だ。それは、すなわち、貴美と直樹がエッチなことをやる日である、と言う事を、美月は知っていた……てか、ほぼ公然の秘密という奴、タカミーズと仲の良い連中ならだいたい知っている。
 そして、今から美月が向かう先はそのタカミーズのお部屋のお隣さん。しかも、予定としては一人で部屋に入ると恥ずかしいので、貴美にもいっしょに居て貰うつもりだったのだが……
「ふぇ……」
 美月の顔が真っ赤に茹だって、半泣き状態。
「どっ、どーしましょ……?」
 美月が呟くと、彼女の前髪がクイクイと数回、前に――アパートのエントランスに向けて引っ張られる。その痛みとは言えないが、無視することも出来ない程度の刺激に美月はチラリと視線を向けた。そして、その前髪越しにもう一度、三階、明かりの消えた部屋へと視線を向ける。
「……うう……」
 帰っちゃおうかな? と言う考えが心を過ぎる……も、その考えがはっきりとした形になるよりも早く、もう一度、小さな刺激が走った。今度ははっきりと『痛い』と言えるほどの刺激だ。それが彼女の前髪から頭へと伝わる。
 二度目の刺激に彼女は、荷物を入れたトートバッグと愛用のハンドバッグを助手席から引っ張り出して、彼女は恐る恐ると言った趣で、アパートの階段を上り始めた。
 十二月の中頃、週末の学生マンションは夜が更けても随分とざわついた空気が漂っていた。大きな笑い声も聞こえるし、その声に向かってうるさいと叫ぶ誰かも居る。音楽らしき物やゲームの効果音なんかも耳を澄ませば聞こえてきそうだ。
 そんなざわついた空気に満たされていたのも、二階と三階の間にある踊り場まで。そこまで上がると、ざわつきは聞こえないと言うほどでもないが、それまでと比べれば、随分遠くに聞こえ始める。
 そんな踊り場を超えて最後の階段を上りきる。そして、右を向けば、手前が良夜の部屋で向こうがタカミーズのお部屋だ。その三階に上がって右の空間、そこはやけに静かだった。物音一つ聞こえてこない。まるで寝静まっているかのような空間がそこに広がっていた。
 その静かな空間、数歩分ではあるが、美月はいっそう足音をひそめ、慎重に歩く。猫背でキョロキョロしてるざまは、ちょっとした不審人物。一歩進むたびパンプスのかかとがコンクリートの床を蹴っ飛ばし、甲高い澄んだ音を立てるたびに、彼女はピクン! 肩を振るわせた。
 良夜の部屋の前に立っても、彼女の意識はそのもう一つ向こう側、タカミーズ達が住む角部屋に釘付け。物音一つしない扉をじーっと見詰めながら、彼女は手探りでハンドバッグからキーホルダーを取り出す。そして、恋人から預かったままの鍵を取り出し、鍵穴に突っ込み回せば――
 がちゃり!
「ひゃっ!?」
 無駄に大きな音がした。
 ような気がした。
 実際には大したことが無いし、タカミーズの部屋から半裸の誰かが出てくるって訳でもない。それに安堵の吐息を漏らして、ドアノブに手をかける。そして、慎重に、物音を立てないようにドアを開き、開いた扉の中へと美月は、スルリと滑り込んだ。
 滑り込んだ扉を閉じれば、ひとまずは一安心。もう一度、彼女は安堵の溜め息を吐いた。
 改めて、辺りを見渡すと、家主の居ない部屋は真っ暗だった。美月が無人の良夜の部屋に入るのはこれが初めてというわけではない。しかし、今夜以前は毎回隣に貴美が居た。物怖じしない貴美は、遠慮する美月の背中を押して、まるでそこが自室であるかのように彼女を迎え入れた物だった。
 それが、今夜は居ない。それだけで、訪れ慣れた恋人の部屋がやけによそよそしく感じる。
「おっ、お邪魔しまぁす……」
 囁くような声でひと言言って、彼女は廊下の壁にあるスイッチに手を伸ばした。
 パチンとスイッチを押せば、狭いワンルームの部屋はあっという間に蛍光灯の明かりでみたされる。その明るい光に眼をぱちくりさせながら、部屋の中に上がった。
 部屋に上がると、彼女はひとまず、冷蔵庫に取り付いた。
 カパッと開けると、中身は見事にガラガラ。一番多いのは、アルコールノンアルコールを問わない飲み物、それから賞味期限の切れかかったドレッシング、あと、なぜか、瞬間接着剤。いつもの物がいつものように収まっている冷蔵庫の中に、持ってきたトマトスープを押し込むと、彼女はペタンと部屋の真ん中、ガラステーブルの前に座り込んだ。
 そして、美月はチラリと視線をベッドの方へと向ける。正確に言うとベッドの向こう側にある壁に、であり、さらに言うと意識はその壁の反対側、タカミーズの部屋に集中していた。
 じっと見詰めることだいたい三秒……
(…………………………)
 ぽん! と顔が皿に赤くなった。
 顔が熱い。その熱さと言ったら、十二月も中頃、しかも夕方からずっと無人だったお部屋に居ながらも、寒さという物を全く感じないどころか、もはや、熱くてたまらないほど。気分としては二−三杯、ビールを引っ掛けたような感じだ。もっとも、酔ってないから脱ぎたいとはつゆほどにも思わないが……
「えっ、えっとぉ〜そっ、それじゃ、ゲー、ゲームでもしましょうかね?」
 少しだけ大きめの声で言うと、彼女はテーブルの上に置かれていたリモコンに手を伸ばした。勝手知ったる他人の家とは良く言ったものだ。リモコンの右上、『電源』と大きく書かれたボタンを押すと――
『特選空揚げ弁当今だけ三百四十円!!』
「ひゃっ!?」
 大きなボリュームで女性タレントがお弁当のCMの真っ最中。咄嗟に同じボタンをもう一度押せば、ぷちんとテレビはその活動を終了させる。
「……良夜さん、ボリュームが大きすぎですよ……近所迷惑じゃないですか……ねえ? アルト」
 そう言って三秒ほど待つ……
 返事がない。
「あっ……あれ?」
 ぺたぺたと頭や肩口を触ってみても、そこに居るはずの妖精が指に触れない。
「アルト?」
 呼びかけてみても返事はやっぱりなし。
「ちょっ、ちょっと、アルト?! もっ、もしかして、のっ、覗いてたり!!??」
 思わず大きな声が出てしまう。その自分に声に驚き、美月はパチン! と両手で唇を叩くように押さえつけた。
 その手をそーっと外して、彼女は改めて呼びかけか直す。
「あるとぉ……覗きなんてしちゃダメですからね……?」
 呼びかけ直してみたものの、大声で呼んで返事しない者が、小声で呼んだからって返事をするわけがない。彼女の耳に届くのは遙か遠く、国道を行き過ぎる車のエンジン音のみ。
 そして、彼女はもう一度、視線をベッドの向こう側にある壁に向ける。
 ゴクリと生唾を飲む。
 気にならない……と言えば嘘になる。
 しかし、壁に耳を当てて盗み聞きだの、ましてや、覗きなんて出来る性格でもない。てか、すでにこの時点で、彼女は――
(あっ、明日から吉田さんの顔がまともに見れないかも……)
 とまで思っていたりする。
 一人取り残された部屋の中、覗くわけにも、聞き耳を立てるわけにも行かない。テレビのスイッチを入れられないから、ゲームも出来ない。ハムスターの悪夜ちゃんも居るが、逃がすと大ごとだからダメ。かと言って他の物を弄くるのも良夜に悪い。やることの無くなった美月は、部屋の真ん中、ガラステーブルの前に正座して、その体重を右の足にかけたり、左の足にかけたり……
 そんな事をしてても、時間はなかなかすぎていかない。暇な時間はゆっくりと、じっくりと、まるで進むことを厭うかのようにゆっくりと進む。
 そんな暇な時間を与えられれば、ますます、あの壁の向こう側に意識が向く。
「……」
 じーっと見詰める。
 換気扇の隙間からでも部屋に出入り出来るあの妖精さんは今頃、かぶりつきで覗いてるのだろうか? だったら、自分が、ちょっと盗み聞きするくらいは許されるのではないだろうか?
 美月はそう思った。
 その思いは一秒経つがごとに大きくなっていく。
「……」
 そして、彼女は十五秒めに活動を開始した。
 のそっと四つん這いになってベッドに近付く。そのまま、ベッドに這い上がると、壁に手を当て、ゆっくりと顔を近づけたら――
 ぴんぽーん!
 チャイムが鳴った。
「ひゃうっ!? ごめんなさい! 違うんです! そんなつもりはなかったんですぅぅぅぅ!!」
「浅間さん、宅配便です!」
 アタフタとベッドの上で挙動不審になる美月を余所に、外から聞こえたのは青年の大きな声だった。見知らぬ声は何処かの運送業者の声らしい。ここまで大声を出しちゃえば、居留守を使うことも出来ない。勝手に対応して良いものだろうか? と不安にもなるが、ドアから顔を出せば、年若いドライバーが美月に伝票と大きな荷物を差し出した。
 しかたないから、ドアの外に出て対応をする。
「あの……私、留守番なんですけど……」
「ああ、良いです、ここにサイン下さい」
 ドアから身を乗り出し、美月が言えば、彼はあっけらかんとした表情と口調で答える。そう答えられたら、本当に良いのかなぁ……と思いつつも言われるままに、彼女は伝票にサインをした。そして、取り残されるのが一抱えもあるような巨大な荷物だ。随分と大きな荷物ではあるが、その重さはひょいと特に力も入れずに美月が持ち上げられる程度だ。伝票を見れば、送り主は良夜の姉小夜子で、中身は布団らしい。良夜がバイトから帰ってくる時間帯を指定して送ったみたいだが、あいにく、受け取ったのは留守番の美月。運が良かったのか、悪かったのか……
 その荷物をひとまず部屋の片隅に置いて、一息吐く。
 そして、改めて盗み聞き……と思って壁に近付く。
 その頭のちょこんと小さな振動が一つ。次いですぐにクイクイと数回髪を引っ張られれば、それが先ほど居なくなった妖精の合図だという事は考えるまでもなかった。
「あっ……アルト? あっ、あの……のっ、覗きに行ってました?」
 美月がそう尋ねると、しばらくの沈黙……その後にアルトはいつもに比べて随分と弱い力で美月の髪を一回だけ引っ張った。
「うっ……えっ……えっとぉ……どっ、どうでした?」
 恐る恐る、尋ねてみても、返ってくるのは沈黙だけ。美月とアルトの間で決められている合図は「Yes」と「No」しかないのだから、それでこんな複雑な話を聞くなんて不可能だ。
 だから、質問を変えてみた。
「私も盗み聞き位しても……良いですよね?」
 ダラダラと額に嫌な汗が流れていくのを美月本人も感じた。
 すると、アルトから返ってきたのは二回の合図。
「……ダメですか? でも、アルトだけ覗きなんてずるいですよね?」
 元の位置、ガラステーブルの前にペタンと正座して尋ねると、返事は二回の合図。
 ブーッと芝居がかった仕草で唇をとがらしてみても、アルトからの合図は特になし。
 そのまま、静かに時が流れること、一分弱。
『では、続いて、全国のニュースです!』
「ひゃっ!?」
 いきなり叫んだのは美月のすぐ横にあった液晶テレビ。その大きな音に背中をビクン! 振わせ、間抜けな声を上げる。そして、彼女は慌てて、リモコンに手を伸ばし、今度はテレビを切らずにボリュームのマイナスボタンを連打する。気が付けばほとんど音声が消えてしまってるほど。
「あっ、アルト!」
 その人声は先ほどまでのテレビのボリュームと変わらないくらい。もう一度、自分の唇を叩いて、口を閉じると、彼女はひときわ落とした声で言葉を続けた。
「だっ、ダメですよ……急にテレビ付けたら……おっ、お隣の……えっと、あの、その、アレの――じゃなくて、とっ、とにかく、邪魔になっちゃうじゃないですか……?」
 今度もやっぱり、二回の合図。
「……邪魔しても良いって事ですか?」
 今度も二回。
「邪魔しちゃダメですよね……? やっぱり」
 小首を捻りながら、尋ねてみても、答えはやっぱり二回。
「……訳が解らないです! もう、良いです! ゲームしちゃいます!」
 言って美月はテレビを外部入力に切替え、ゲーム機に電源を投入する。良夜からのメールにあったとおり、お目当てのゲームはテーブルの片隅に置かれていた。てっきり、美月は良夜が購入したのかと思ったが、封は開いてるし、中に挟まっていたマニュアルも少々くたびれ気味。どうやら、友達に借りるか何かしたのだろう。もしかしたら、中古なのかも知れない。
 そんな事を考えながら、彼女はケースから光磁気ディスクを取り出して、ハードウェアにセットする。少し前までは良夜か誰かにして貰わないと無理だったのだが、今では一人でも大丈夫。
 まあ、それが自慢にならない事は本人も十分に理解しているのだが……
 ウィーンと小さな音と共にドライブが回転を始め、ゲームが始まった。まずは『幻像王国』のタイトルロゴが出て、そこに『2』の文字がまるで誰かが書き殴ったかのように加えられる。打ち込みメインのアップテンポなBGMな特徴的なテーマソングは前作でも使われていた物だ。それに被さるアニメには前作にも出ていた格好いいお兄さんや美人のお姉さん、美月一押しの愛くるしい少女(当然羽根付きの妖精さん)が出たりで、これからの冒険を予想させる壮大な物だった。
 それが始まれば、根が単純な美月のこと、背後のことも忘れて、ゲームに熱中し始める。
 そして、三十分ほどが過ぎただろうか? オープニングが終わって、さわりの部分からちょっとした説明なんかが入って、いよいよ、本格的な冒険が! って所で、先ほど、美月が閉じたばかりのドアがガチャリと開いた。
「ただいま……っと、美月さん、鍵はかけた方が良いって……アルトが居ても危ないよ」
 ドアの音と投げかけられた言葉に振り向き見れば、そこには見慣れた恋人が少々お疲れ気味な表情で立っていた。
「あっ……良夜さん、お帰りなさい。あっ、そうそう、宅配が来てますよ?」
「ああ、受け取ってくれた? ありがと……――げっ……ねーちゃん、マジで冬休み、こっち来るつもり? バカじゃねーのか? あの人……」
 テーブルの上に置かれた伝票と部屋の片隅に置かれた大きな荷物を一瞥、表情を露骨に曇らせ、青年は言葉を紡ぐ。
「他になんかあった? ああ、後、それ、年明け位までは返さなくて良いって言われてるから、慌てないで良いよ」
「えっ……他に? ――あっ!?」
 途端に思い出すのは、お隣の状態だ。思い出した瞬間に顔はカッと熱くなって、手にしていたコントローラーもぽとりと手からこぼれ落ちる。そして、それを良夜に伝えて良いのか、悪いのか……と言うか、それを口に出すことの方が恥ずかしくて、真っ赤な顔で口をパクパク……
「どうしたの?」
 良夜に尋ねられれば、彼女の赤面はさらに激しく、強くなる。
「いや、あの……その、なっ、何でも無い感じで……えっとぉ……」
「えっ? ……………………あぁ………………なるほど……」
 しどろもどろになる美月を置き去りに、良夜の視線は明後日の方向、ガラステーブルの上辺りだろうか? その辺を見詰めて、一人で相づちを打ち、そして――
「はぁ……」
 と大きな溜め息。
 ポケットの中に手を突っ込んだかと思うと、二つ折りの携帯電話を取りだし、パカンと広げた。そして、キーを二つ三つ押して、何処かに電話。
 彼の行動の真意を掴みきれず、顔が火照っていることも忘れて、美月は良夜の顔を見上げる。
「あっ、もしもし? 直樹か? 俺。浅間。お前、今、何処?」
「ふえ?」
 ポカンとする美月を置き去りに、良夜は二言三言と電話相手(おそらく直樹)と話を続ける。そんな時間が一分弱。ひとしきり通話した良夜にケータイを手渡されると、美月は半ば以上反射的にそれを耳に押し当てる。そしてそこから聞こえてきたのは――
『もっし〜! 今、カラオケ!! 二研のぼーねんかいなんよ!!』
 吉田貴美のノリノリの大声だった。背後から聞こえる大きな声もやけにテンションが高くて、確実に一杯とは言えない量の酒が入ってるな、と思わせる物。
「ふえ!?」

「だから、隣は留守だから、いくら盗み聞きをしようとしても何にも聞こえないし、何をしても邪魔にならないわよって、私はずーっと言ってたの!」

「……――と、言ってる」
「ふぇ!!?? そーなんですか!!??!!??」
 あきれ顔の青年が妖精の言葉を伝えると、美月はお隣の邪魔にはならなかったが、週末のアパート全体の邪魔になるボリュームで叫んでいた。

 今年の二研の忘年会は夕方七時からだったそーだが、そんな話は真っ白に燃え尽きている美月の耳には届かなかった。

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