お買い物(完)
 晩秋というのもそろそろ時季外れになりそうな十一月中頃の日曜日。買物に行きたくて、良夜は喫茶アルトに車を取りにやってきていた。普段なら原付バイクで行くところなのだが、今日は米が欲しいから車の方が楽だろうという判断だ。
 そしたら……
「良いですねぇ……良夜さんだけアルトとお買い物……」
 美月が拗ねた。
「えっと、米、買いに行くだけですよ? あと、昨日、出掛けたよね? いっしょに」
「……昨日は楽しかったですよぉ……昨日は……でも、今日の私は、これから倉庫に立て籠もって伝票入力……」
 彼女の薄い胸には大量の伝票の束。それをぎゅーっと胸に抱いた彼女は、足だけは事務室の方へと向けるも、その恨みったらしく半開きになった目と顔だけは良夜の方を向いたまま。未練たらたらで歩く速度は亀どころかナメクジのそれよりも遅いくらい。
「……えっと、じゃあ、行ってくるね、後で寄るから」
 下手に触れたらまた拗ねるだろうか? と思いながら恐る恐る言えば、彼女はまたもや陰鬱な口調でぽつりぽつりと漏らし始める。
「良いですねぇ……ショッピングモール……私も行きたいですよねぇ……」
「来週、行こうか?」
 青年が言うと、美月の細かった目がさらに細くなり、ジトォ〜っと言った感じで彼をわずかに低い位置から睨み上げる。そして、ぽつりぽつりと紡がれる言葉。
「……来週ですか……? 来週…………長いですよね……一週間って……最近、平日に良夜さん、来ませんから……そんなに購買の安いジャムパンが美味しいですか?」
 やぶ蛇だった。あと、学内に購買の安いジャムパンを喜んで食ってる奴は居ないと思う。言えば、美月がまた拗ねるから言わないけど。
 思わず青年が言葉に詰まれば、不機嫌一直線な美月も良夜を無言のままに睨み上げ続ける。しかたないので、彼は最後の切り札を切った。
「……なっ、なんか、買ってこようか?」
 言った瞬間、パッ! 彼女の表情が明るく変わる。
「あっ、そうですか? じゃあ、あそこ、サンファソン入ってるんですよ、サンファソン。バームクーヘンが人気なんですよ! 楽しみにしてますね! じゃあ、お仕事してきます!!」
 快活な言葉とご機嫌な足取り、事務室にととっとと消えていく様を見送りながら、彼はため息を一つ吐いた……
「俺……なんであの人と付き合ってるんだろう……?」
「知らないわよ」
 頭の上から振ってくる妖精の言葉はどこまでも冷たかった。

 そんな感じで、なんとかかんとか、美月を黙らせた良夜は、二−三日前から空っぽだった米びつの中身を買いに、国道を愛車のジムニーで飛ばしていた。なお、空っぽだった間はパンを食べたり、パスタを食べたりしてた。米がなければ麦を食べる感じ。
「妙に押しが強いんだよな……あの人」
「貴方が押しに弱いだけよ。まあ、私はサンファソンでコーヒーが飲めるだけ、ありがたいけど」
「割高になっちまうじゃねーか……ポイント五倍を当て込んで行ってるだけなのに」
「ポイントを貰った上にコーヒーが飲めると思いなさい。ほんと、普段は大事なことにも拘らないのに、みみっちいところではみみっちく拘るのね?」
「大きなお世話だよ。黙って座ってれば餌が出てくる幸せな生き物と一緒にすんな」
「黙って生きてれば、実家からお金が届けられる幸せな生き物のくせに!」
「バイトだってしてる」
 そんな話をしながら、もはや何年式とか考えるのも億劫なほどに古いジムニーを青年は走らせる。開け放たれた窓から流れ込む風は少々冷たさを感じさせるようにはなっていたが、まだまだ、心地良い。カーステレオから流れるのは、女性ボーカルが歌うミーハーな流行曲。それに合わせ、頭の上のアルトがパタパタと脚を上下に動かして、リズムを取る。
 概ね、のんきなドライブ風景。
「あら……」
 そんな中、アルトが不意に声を上げた。
「どうした?」
「凪歩だわ」
 場所は大学の最寄り駅から駅三つか四つほど行った駅の傍。路肩をえっちらおっちらとこちらに向かって自転車をこいでくる女性の姿が見えた。
「そー言えば、今日、休みだったわね、あの子」
 言ってアルトはトーンと良夜の頭から飛び降りる。着地する先はハンドルの上、その中央にあるホーンのボタン。
「あっ!」
 と、青年が思ったときには時すでに遅し。ジムニーのホーンがパーンと軽やかな声で一発いななく。その音が、自転車をこぐに一生懸命だった女性の注意をこちらへと向ける。俯き加減だった顔が上がる。怪訝そうな表情……も、それはわずか一瞬のこと。パッと表情を明るくすると、彼女は春先まで自転車に乗れなかったとは思えない見事な立ちこぎを披露して、こちらへと進む速度を速めた。
「……お前なぁ……」
「顔見知りなんだから、あいさつぐらいするのが礼儀って物よ」
 嘯く妖精にため息一つ、ハザードを付けて路肩に止める。それに合わせるかのように、向こうから走ってきていた凪歩もキッ! と音を立てて車の傍に自転車を止めた。
 そして、窓から大きな眼鏡の顔が車内を覗き込むと、青年は助手席側へと手を伸ばして、窓を開くハンドルをぐるぐると回した。
「ヤッパ、浅間くんじゃん! 何処に行くの?」
「ほら、この間出来た郊外のショッピングモール。買い出しだよ」
「ああ、知ってる知ってる、確か、あそこCD屋さんもあったよね?」
 凪歩に問われ、良夜は少し視線を巡らせて考えてみる。結構な大きさのモールだからCDショップの一つや二つは入っているかもしれない。その事を凪歩に伝えると、彼女も少々視線を巡らせ、思案したかと思うと、彼に一つのことを聞いた。
「アルトちゃん、来てる?」
「えっ?」
 良夜が思ったときには、アルト本人がぽーんと凪歩の肩にまで飛び上がり、彼女の髪を一房、力強く引っ張っていた。

 と、言う訳で、十分後、凪歩は良夜の車の助手席に座っていた。ちなみに自転車は最寄り駅の駐輪場に置き去り。帰りに回収する手はず。
「さすがに二人きりはまずいかなぁ〜って思うけど、アルトちゃんが居たら安心だよね」
 彼女がそう言うと、彼女の頭の上、ポニーテールの根元を椅子代わりにしたアルトが髪をぐいっ! と一回引っ張って答える。
「変な事したら、血まみれにしてやるわよ」
「しねーよ」
 アルトの軽口に真顔で答えれば、凪歩はキョトンとした顔を見せるので、妖精の言葉を通訳。すると彼女は「あはは」と声を上げて笑ったので、青年も釣られて頬を緩めた。
 それからしばらくの間、車を飛ばしていると、車内でかかっていた音楽が別の女性ボーカルの物へと変った。甘いラブソングが澄んだ声でしっとりと歌い上げられるバラードだ。それは先週に、青年が買った新曲だ。
「あれ……浅間くん、これ、持ってんだ?」
「ん? ああ、この曲? 持ってるよ」
「私、これ、買いに行くつもりだったんだよなぁ……ダビングして、とか言ったらまずいよね?」
「まあ、良くはないよな」
 凪歩が冗談めかした口調で言うので、青年も軽く肩をすくめて苦笑い。そして、青年は言葉を繋いだ。
「でも、これ、品切れかも……予約とか、してないんだろ? 結構すぐに売り切れたって聞いたよ。俺は予約特典欲しくて、予約してたけど」
「そんなに売れてるんだ? 失敗したなぁ……話題になってるから欲しくなったんだけど……」
 隣で凪歩がバツが悪そうに頭をポリポリと掻いてるのをルームミラー越しに一瞥。窓の外へと視線を向ける凪歩とは視線が交わらなかったが、代わりに彼女のポニーテールの根元を椅子代わりにする妖精と目が合った。大きな金色の瞳がクリクリと、挑発的に動く。その大きな瞳から視線を切って、彼はフロントガラス越しに道路へと視線を向ける。その視野の中、右側に大きな敷地とそれ相応に大きな建物が見え始めてきた。
「なければ、旧市街にある大きなCD屋に行けば良いわよ。あそこは大きいからきっとあるわよ」
 と、アルトが言うので青年は数秒間、考えた後に尋ねてみた。
「近くに美味い喫茶店でもあるのか?」
 尋ねる青年に、ピッとストローを一閃。切っ先を向けて妖精は言いきる。
「正解!」
「おいおい」
「良夜の奢りよ」
「ふざけんな」
 アルトとの会話を凪歩に教えながら、右折のウインカーを上げる。信号の所で一旦止まったら、対向車が来ない隙に駐車場へと滑り込む。駐車場の中はそこそこ以上の混み具合。建物傍の駐車スペースはほぼ全滅だ。しかたないから、少し離れたところに彼は愛車を放り込んだ。
 高い空の下、日差しはほどよく、風は微風、気楽に歩くには良い天気。凪歩と彼女の頭を椅子代わりにしたアルトと共に青年は、とことこと車で溢れる日曜日の駐車場を歩いた。
「何処かしらね? CD屋さん」
 凪歩の頭の上で妖精さんが尋ねるから、青年は「さあ?」とだけ答えて、妖精の言葉を凪歩に教える。そして、数十メートルほど歩けば、建物の入り口。その横にある案内掲示板を見上げれば、一つの不幸な事実が判明した。
「……物の見事に目的地がばらばらだな……」
 ポツリと良夜が呟く。
 まず、米が売ってるであろう食品売り場は一番奥。そして、美月に頼まれてるサンファソンがあるのは手前のレストラン街、そして、CDショップは三階だという。
「どうしよか? 時任さん、CD屋に行ってくる? 俺、米を買ってくるよ。終わったらサンファソンで待ち合わせで良いかな?」
「えっ? ああ……うん、良いよ〜それじゃ、アルトちゃんはどっちについて行く?」
「それじゃ、私は凪歩と行くわ」
「そうか? じゃあ、時任さん、頭の上にアルトが乗ったままだから、落とさないでね」
「あはは、りょーかい」
 良夜が自身の頭を指さしながらに言うと、凪歩は声を出して笑って答える。そして、二人は入り口から入って、エスカレータへと向かって歩き始めた。周りは家族連れやらカップルやら、高校生らしき女子の一団も居たりで、日曜日の店内は結構な人混みだ。その人混みを縫うように歩けば、目的のエスカレータまではあっという間。
「じゃあ、また後で」
「うん。サンファソンで」
 良夜と凪歩は互いに声を掛け合うと、良夜は一階奥にある食品売り場へ、凪歩は三階にあるCDショップへと別れて向かった。

 そして、二階へと向かって上がり行くエスカレーターの上、のんびりと歩く猫背気味の青年を見下ろしながら、凪歩は呟いた。
「……あれ、わざとやってるなら凄いよね……でも、素だよね、絶対」
 呟く頭の上、妖精はきっちり一回、強めに髪を引っ張った。

 レストラン街の隅っこにあるサンファソンはこぢんまりとしていて、アルトとは比べものにならないほど。席もテーブルが二つ三つある程度で、それも全てが埋まっている訳ではない。もっとも、女性の一団が陣取るショーケースにはケーキやバームクーヘンが色とりどりたっぷり並んでいて、対応するレジも忙しそう。どうやら、奥の工房で作っているケーキを売るのがメインで、カフェスペースはおまけと言うところなのだろう。
 青年が大きな米袋(五キロ)を担いでそこに現れたとき、ポニテ眼鏡もクソ生意気な妖精の姿もそこには見えていなかった。
 彼はエプロンを着けたウェイトレスにホットコーヒーとテイクアウトのバームクーヘンを頼むと、空きテーブルの一つに腰を下ろした。そして、重い米袋とついでに買った食料品の袋を空き席において一息。
「お待たせしました」
 小柄なウェイトレスが持ってきたコーヒーは、何か甘い物が欲しくなる味だ。もっとも、バームクーヘンも買わなきゃいけないし、お腹も空いてないし、凪歩もすぐに来るだろうしと言うことで自重。漏れ出る欠伸をかみ殺しながら、彼はポケットにねじ込んでいたケータイ電話を弄くりながら、手持ち無沙汰な時間を潰していた。
 そして、十分、待った。
 さらに、十分、待った。
 おまけで、もう十分、待った。
 コーヒーはすでに空っぽ。テイクアウトのバームクーヘンもすでに届けられていて、いい加減、帰りたいなぁ……と思い始める頃、ようやく、掛けられる一つの声。
「ごめ〜ん、待った? 浅間くん」
 凪歩の脳天気な声に青年ははっきりと答えた。
「うん、凄く」
 一秒の沈黙が訪れ、そして――
「「「あっ!」」」
 良夜、凪歩、そして、アルトまでもが見事に唱和。
「ほんと、ごめんっ!」
「あっ、いや、そう言う意味で言ったんじゃないんだよ、ほんと、マジで。ゴメン、ゴメン」
 慌ててぺこぺこと米つきバッタのように謝る凪歩に対して、青年も腰を浮かせて慌ててぺこぺこと米つきバッタ二号。そして、いち早く、テーブルの上に避難した妖精が、呆れたような声を上げた。
「……脳直でしゃべるの止めなさいっていつも言ってるじゃないの……」
 で、互いに詫び会う間抜けなひと時が終わると……
 青年は立ち上がり、彼女が座った。
 彼我のポジションを変えて見つめ合うこと、たっぷり一秒。そして――
「「「あ」」」
 また、三人が同時に声を上げた。
「あっ、いや、そっ、そうだよね、うん、待たせたもんね。浅間くん、もう、コーヒー、飲み終わっちゃってるもんね、あはは、じゃあ、帰ろうか?」
「いや、ちっ違うよ、とっとと帰りたいなとか全然、思ってなかったよ。ほんと、ああ、じゃあ、俺、おかわりでも頼むわ、あははは」
 互いに早口でまくし立てて、互いに渇いた笑い声を上げる、間抜けな光景が繰り広げられた。
 その乾いた笑い声の下、テーブルの上で、妖精さんはとっくの大昔に余熱すらも失ったカップをストローで叩きながらに言った。
「……ひとまず、私にコーヒーを飲ませなさい」

 なお、凪歩が最初に探していたCDは予想通りに売り切れではあったが、違うCDを三枚買えて、凪歩はそれなりに満足していた……らしい。

 翌日の営業終了後……
「……良い人なんだけど、恋人はないよねぇ……浅間くんって……」
 一連の出来事を話した後、凪歩はシミジミと語り、そして……

 さらにその次の日。
「良夜さんの良い所はちゃんと解ってますからね! ……具体的に? えっと……あの……その……」
 良夜の部屋でゲームをしていた美月から、具体的に良夜の良い所とやらは、ついぞ聞き出せなかった。  

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