学祭 The 3rd!(9)
 さて、二日目。良夜は朝一番から喫茶アルトに居た。窓際隅っこ、いつもの席。眠い目をこすりながら、良夜はぼんやりと外を眺めていると……
「あら……どうしたの? 昨日は随分遅くまで寝てたって聞いたわよ?」
 この店に住まう妖精、アルトがどこからともなく飛んで来たかと思うと、テーブルの上にトンと着地を決めて小首をかしげる。
「それから、おはよ」
 フリルがいくつもかさなる豪奢なスカート、その裾を軽くつまんで、彼女は優雅に会釈。それは、キャラには合わないが絵面としては良く似合う仕草だ。
「……付け加えなくて良いよ」
 投げやりな感じでそう答える。そして、背伸びを一発した後、のんびりと、彼は妖精に経緯を語って聞かせた。
 まあ、大した話ではない。
 昨日、二四研のサーキットに持っていく予定だったジムニーは、美月に引っ掛かってたせいで結局、持って行くことは出来なかった。それに対して、それを頼んだ先輩から、良夜の身を案ずるメールが届いていた。アルトへの往復なら十五分もあれば出来るだろうに、それが三十分、一時間となっても帰ってこないから、事故でも起こしたかと心配していたようだ。『何かあったのか?』というメールには、一方的に約束を破った良夜に対する批判も非難もなく、ただ、純粋に彼の身を案ずる内容だけ。それが良夜には逆に心苦しかった。
「で、昨日、不義理した分、今日は朝一から持っていこうと思って、取りに来た……ついでにモーニングが食べたくなったから、モーニングが出てくるのを待ってる。以上、質問は?」
「特にないわ。強いて言うなら……――」
 言葉を切って彼女は背後へとストローをピッと指す。
 そして、言った。
「なんで、美月がここに座ってるの?」
 アルトの指した方向にはニコニコと笑っている美月の姿があった。
 三十秒ほど前、両手にモーニングのプレートを一枚ずつ持って来たかと思うと、テキパキとテーブルの上に並べて、そのまま座り込んでしまったのだ。
「――……って、アルトも聞いてるよ? 美月さん」
「ふえっ!?」
 急に話を振られて美月の体がビクンッ! と大きく跳ねる。元々大きなの目がさらに大きく、まん丸に見開いた。
「いっ、いちゃダメですか!?」
「イヤ……別に良いけど、仕事は? 昨日、結構、沢山、配達したとか聞いたけど……」
 良夜の台詞に安心したのか、美月は浮かしていたお尻を椅子の上に落ち着けて一息吐いた。そして、いつもの零れんばかりの笑みに早変わり。にこにこ顔でトーストに手をつけた。
「朝からずーっとおにぎり握ってたんですよ〜二条さんの分」
 美月に習うように良夜もトーストを千切ってバターを付ける。それを口に運びながら、彼は尋ねた。
「んで、朝ご飯、食べてないの?」
 良夜が尋ねると、美月は居住まいをただして、わざとらしい咳払いを一つ。明らかに口で言ってる「コホン」だ。
「良いですか? 良夜さん。飲食店で働くと言う事は、人が食べてる時間帯には食べられなくて、人が食べ終えた後に食べるという茨の道を歩むことになるんですよ? ちゃんと解ってて貰わないと……良夜さんも再来年にはここで働くんですから」
「前半には同情しますが、後半は勘弁して下さい」
 良夜の言葉に美月はその顔から笑顔をかき消し、明後日の方向を見ながらポツリと言った。
「どうせ、就職先なんて、何処にもないのに……」
「そう言うの止めて? シャレで済まないから」
 恋人が零した言葉に良夜の胃がきりきりと痛んだ。
 そして、それまで黙って聞いていたというか、良夜のトレイの上で分厚いベーコンステーキを、ストローでカットすることに一生懸命だった妖精が顔を上げた。
「四年とか三年が愚痴ってる話、フロアに居ると結構、聞こえてくるわよ、毎年」
 そこまで言うと、彼女は、ようやくカット出来たベーコンの切れっ端をストローに刺して持ち上げる。トレイの上に乗ってるときはそうでもなかったサイズのベーコンだが、ストローに刺さると結構な大きさだ。それをダイナミックに噛みつき、むしゃむしゃとゆっくりと咀嚼。
 コクンと飲み干して、彼女はまた口を開いた。
「まあ、それ以前に単位足りなくて、卒業出来ないって言う悲鳴も良く聞こえてくるけど」
「……そっ、そっちは……大丈夫、多分」
「……言い切りなさいよ」
 嫌な汗を掻きながら、しどろもどろな良夜の顔の下、妖精が呆れていた。
 そして、良夜に通訳してもらって美月は――
「コーヒー、運ぶのに学歴はいりませんよ?」
 喜んでいた。
 良夜は若干、死にたくなった。

 そう言うわけで始まった二日目。ご飯を食べ終えたら裏口に出て我が愛車……の前に行ったら傷だらけの女が立って居た。
「わっ!? どうしたんですか?」
 固まる良夜の横、美月はあっという間に駆け出し、傷だらけの女――寺谷翼の元に駆け寄っていた。彼女の右手にはポケットに入れられていたのであろうハンカチ、まっ白にすすけたズボンをパンパンと払い始める。
「ありがと……転けた……」
 そう呟く翼の体は上から上から下まで埃だらけ。特に右側がひどい。ブラウスには黒い筋がいくつも入ってるし、引っ掛けてほつれてるところも一つと言わず見受けられる。そして、ズボン、黒いズボンは真っ白で、右膝には大きなかぎ裂き、そこから覗く膝は血が滲んで痛々しかった。
「……良夜、ぼーっとしてないで自転車くらい持ってあげたら?」
「あっ……」
 頭の上のアルトに言われて青年は慌てて翼の方へと駆け寄った。そして、彼が自転車を押さえれば翼はようやく、その自転車から手を離した。そのハンドルから離れた手のひらにも、血こそ滲んでないが、小さな擦り傷がいくつか見受けられる。
「ありがと……でも、大したこと、ないから……」
「怪我、ないんですか? 痛いところは?」
 美月に問われて翼は首を左右に振る。どうやら強く擦れたせいでそこら中汚れてこそ居るが、擦り傷以上の怪我はないようだ。それよりも埃まみれの体でキッチンに入って良い物なのか、それともあの欠食女形の食事を早く持って行った方が良いのではないか? でも、あっちこっち破れた服で動くのは恥ずかしいし、後、服、新しいのを買わなきゃいけないかも……と、あれこれ考えてた結果、ここで突っ立っていると言う行動に結びついたらしい。
「翼って、許容範囲を超えると頭がフリーズするタチなのよね……」
「ふぅん……」
 翼の事情説明とアルトの評価を聞きながら、青年は自転車のカゴに詰んであったバスケットを開いてみた。中身はおにぎり。元は綺麗に握られていたのであろう三角おにぎりは、転んだせいでその大部分がいびつに歪んでいた。
「でも、まだ、食える……かな?」
「そうね……相手が陽だし、大丈夫じゃないかしら?」
「むしろ、あの人、食べ物を無駄にすると怒るから……」
 アルトと言葉を交わしながら、バスケットを良く点検してみる。穴が開いたり、蓋が開いたような様子もないし、中にも埃や土が舞い込んでるってこともなさそう。崩れてこそ居てもおにぎりの表面は綺麗な純白を保っていた。
「こっちは良いか……こっちはどうだ……?」
 そちらを確認したら、次は荷台。同じようなバスケットがくくりつけられているので、そちらも確認してみる。すると、やっぱり、こちらも中身は無事であることが確認出来た。
「どうしようか?」
 良夜に尋ねられた美月は、翼の足や腕に付いた埃を払う作業に一生懸命。顔も上げずに彼女は言った。
「じゃあ、説明しておいて下さい!」
「えっ?」
「良夜さんが持って行ったときにですよ〜」
 美月が顔を上げて良夜の方へと向けば、翼もつられて振り向く。
 二つの視線に晒されて、ポリポリと良夜はほっぺたを掻いて呟く。
「……ああ、俺が持っていく前提なんだ……OK、じゃあ、持っていく」
「……ありがと……」
 翼に礼を言われ、面映ゆい物を感じながら彼は心持ちぶっきらぼうな口調で答えた。
「良いよ、どうせ、学校にも行くし。遅くなった分は寺谷さんが怒られてよ、あの魔王声で」
「…………んっ」
 小さく頷く翼に笑みを返して、青年は自転車に乗せられていたバスケットをジムニーの助手席に押し込む。余り広くない助手席は二つのバスケットでもはや一杯だ。
「ブラウスはともかく、ズボンはもうダメですね……着替え、用意しますから、とりあえず、シャワーでも浴びて下さい」
 そんな言葉を背後に聞きながら、自身は運転席へ……ドバタン! と安っぽい音を立ててドアを閉める。そして、今時ちょっと見ない、ぐるぐると回すヤツで窓を開くと、そこから顔を出した。
「じゃあ、行ってくるよ。でも、つぎのは当てにしないでよ?」
「りょーかいで〜す」
 大きな声で言えば美月も大きな声で返事をした。そして、その隣では翼がぺこっと頭を下げ、口を開く。
「……ありがと……ゴメン……」
 小さな声ではあるがはっきりとした口調。相変わらずの鉄仮面ではあるが、心なしか申し訳なさそうに目を細めているような気がした。
「良いよ、気にしないで」
「……何か、奢る……から……」
「さんきゅー。じゃあ、美月さんも、行ってくるね?」
「はーい。気を付けて行ってきてくださいね」
 窓の外に声を掛け、青年は再び、ぐるぐる回すヤツで窓を閉める。
「あら、良かったじゃない? お昼が浮いて」
 天地逆さまになった妖精が嘯くと、そこから垂れ下がる髪を手で払う。もっとも、当の本人は払われるよりも先にひらりと身を翻らせ、頭の上に着地。かつん! とかかとを一発落として、高らかに宣言した。
「いくわよ」

 とことこと軽四を運転し、坂を登って、下れば、あっという間に大学入り口。信号を曲がって路地を入って行くと、そこが二四研のサーキットだ。そこはすでに満員御礼って感じだった。何処に入れたら良いかさっぱり解らないので、ひとまず、入り口傍に止めて、車を降りる。
 そして、辺りを見渡し誰か――
「あっ、浅間さん、四研に車、持ってきてくれたんですか?」
 知り合いが居ないかと思って目に付いたのは、吉田貴美でもなければ高見直樹でもなく、小っこい女性だった。
「ああ……ああ……うん、そうだよ」
 苦手というか、有り体に言うと嫌いというか……昨日、目の前で『残念な風体』と言ってのけた女性を目の前において、良い気分になれる男はあまり居ないだろう。だいたい、彼はミニマムサイズの女性にろくな目に会わされていないのだ……と思ってチラリと視線を上に向けたら、アルトも上から下を覗き込んでいた。
「……何よ?」
 半開きの目に冷たい声が被さって降ってきたが、それは軽く無視して彼は彼女を見下ろす。
「えっと……それじゃ……どうしようか? 四研の人、呼んでこようか?」
 尋ねる彼女の言葉にそうだな……と返すよりも早く、背後から大きな声が聞こえた。
「あまなつ!」
「みかんじゃないっ!!」
 声に振り向けば背後からは大きなお返事。そのお返事にまたもや振り向き直せば、小さい女性が目を剥いて怒鳴っているお姿。小さい姿も合わせればますます子供っぽく見える。まるで中学生か小学生が悪戯されて怒ってるみたい。
 そんな彼女から視線を戻して、改めて呼んだ側に顔を向けると、そこには昨日と同じくシルバーに光るレースクイーン姿の吉田貴美がヘラヘラとして笑みを浮かべていた。
「こんなとこで何、油――あれ……りょーやんじゃん、どったの? アマナツみたいなロリ巨乳が良いん?」
「ちょっと!? ろっ、ロリ巨乳って!?」
 しれっとした顔で貴美が言えば小っこい女性――あまなつさん(仮名)の顔はが真っ赤に染まる。そして、自分の体を抱きしめるような仕草で回れ右。良夜に見せるのは余り広くない背中だけ。その背中も、薄汚れた作業着の内側で猫背。
「うう……」
 その背中の上、首だけがこちらを向いて、青年とその背後に居る貴美とに視線を向ける。その視線に若干の蔑視の色が混じっているのは、気のせいだろうか?
 冷たい瞳から貴美に視線を動かし、彼は言う。
「たわごと、言うなよ。ジムニー、持ってきたけど、何処に置いたら良いか解らないから、聞いてただけだよ」
「ああ、なるほど……じゃあ、私が四研の人に聞いて動かしとくよ。鍵は着けたまま、そこに置いといて、車」
 貴美がそう言ったので良夜頼むよとだけ答えて、助手席のドアを開いた。そして、そこに置かれたバスケットを引っ張り出せば、貴美の顔色が一瞬で変わった。
「配達? なんで? つばさんやなぎぽんは?」
 ヘラヘラとして笑みは消え去り、至極真面目な表情と声色。
「後で話すよ。演劇部、待ってるだろうし」
「事故?」
「違うって。事故ならのんきに配達なんてしてるか……転けたんだよ、泥だらけになって店でシャワー浴びてる」
「怪我は? てか、どっち?」
「寺谷さんの方、擦り傷……って、急いでるんだって……」
「その程度なら良いけど……あっ、ゴメン、ゴメン。最悪、戻んなきゃいけないかと思ってさ」
 大事ないことに貴美は安心したのか、真顔だった顔からも険が取れて、いつものヘラッとした笑みが帰ってきた。
「そこまでは知らないけど、大丈夫だろう? 配達は時任さんがやるだろうし」
「そっか。ああ、朝一の祈祷、あと十五分くらいあるから、急げば覗けるんちゃう? んじゃ、引き留めて悪かったやね。ヒナちゃんとこ、とっとといっといで。事情説明、忘れちゃいかんよ?」
「へいへい……後でって言ったのに、丸まる話したじゃねーか……」
 人混みの中へと消える貴美を見送り、彼は両手にバスケットをぶら下げ、毎年行ってる演劇部の控え室へと急ぐ……と言っても、両手に大きなバスケットをぶら下げていれば、歩く速度はそこそこ以下。結構な時間を掛けて、彼はようやく、体育館の更衣室、演劇部の控え室前にまでたどり着いた。
 その入り口に着くと青年は――
「ノックしてくれ」
 両手に持ったバスケットを下ろすのが面倒臭かったので、アルトに頼んでみる。
「……聞こえるのかしらね?」
 それにアルトは答えて、思いっきり、木靴で蹴っ飛ばした後に彼が大きな声を上げる。
「喫茶アルトで〜す。おにぎり、持ってきました〜」
 待つこと数秒……
 ガチャリとドアノブが回ったかと思うと、討つ側からにゅーっと腕が差し出された。その指先には一枚の紙切れ、それには……

『ふざけるな』

 と、書かれてあった。
 小さな紙にいっぱいいっぱいの大きな文字は極太明朝体。印刷ではない。良く見れば鉛筆で丁寧に塗っていることが解った。はみ出しもしなければ、塗り残しもない、良い仕事してる。
 神経質と言っても良いほどの丁寧な塗り絵が、彼に一つの事実を教えた。
「……げっ、激怒、していらっしゃる……」
 ポツリと漏らすように彼は呟いた。
「ばいばーい!」
 そして、アルトはぽーんと良夜の頭を蹴って、何処かへと消えるのだった。

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