学祭 The 3rd!(8)
 時任凪歩の場合。
 大学には国道に面する大きな門がある。そこが正門、正面玄関の扱いだ。もっとも駐車場や駐輪場はその隣にある細い路地から入って坂を登っていったところにある。モータリゼーション万歳な地方都市のさらにド田舎だけあって、徒歩および電車通学者は多くない。その多くない電車通学者の大部分も駅からの距離を考えて、置き傘ならぬ置き自転車をやっている者も多い。結果、ここの門を通るのは全体の二割、多くても三割は行かない程度。その三割も足早に目的の場所へ移動するために通るだけの空間。だから、ここに人通りが出来るのは毎朝一番の授業が始まる直前くらいの物で、後は山間<<やまあい>>の風に銀杏並木が揺れるくらいの静かな場所になっていた。
 訳だが……
 今日は別。
「たこ焼き、あるよ、たこ焼き! ひと船三百円!」
「ベビーカステラー! ベビーカステラ、一袋五百円!!」
「綿菓子! 綿菓子!! ビニール袋は漫研部員が書いた萌えイラスト! エロいのあるぞ!!」
 銀杏並木の下には多数の模擬店に、ブラバンの伴奏に合わせて歌うヤツに踊るヤツ、中には白いクラブをいくつも宙に放り上げてお手玉をしているジャグラーまでも居るし、勿論、その模擬店や出し物を見て回っている学生も居る。普段は閑静な銀杏並木も、今日は文字通りのお祭り騒ぎ。
 その入り口に立つ女が一人。
 喫茶アルトフロア担当下っ端一号の時任凪歩だ。
「うひゃぁ……凄いなぁ……自転車、どうしよう……」
 呟く彼女の手元には自転車が一台。上の兄が乗っていた自転車だけあって所謂ママチャリよりかは若干スポーティなタイプだ。その自転車の前カゴには水筒や紙コップの入ったナップザック、荷台にはサンドイッチや焼き菓子などの詰まったバスケットが一つずつ。
 その自転車を片手で支えたまま、彼女は呆然と溢れかえる人混みを見ていた。
 そんな彼女の頭の上には道案内の妖精が一人。その姿が見える者はこの場には居ないが、凪歩の髪が不自然に上下に揺れる様が彼女にその存在を教えていた。
 その髪が校門の内側へと向かって引っ張られる。
「ここ? でも、自転車じゃ、入れないよね……」
 まっすぐに歩くことすら難しそうな人混みに自転車を持って入るのも若干迷惑そう。さて、どうしたものかと……辺りを見渡して見ても、自転車置き場らしき物は見当たらない。上にも書いたが駐輪場は路地から入って裏手に回ったところにある。しかし、それを凪歩は知らない。
 そして、アルトが――
「その辺、置いときなさいよ……こんな自転車、誰も持っていきゃしないんだから……」
 そして、アルトが頭の上でこういってることも聞こえない。
 ないないづくしの凪歩さん、駐輪場を探すべきか、それとも少しの間、放置しておくべきか、放置するなら何処に置くべきか……そんな事を考えながら、キョロキョロ……
「あっ、なぎぽんじゃん、どったの?」
 呼ばれた声に振り向くと、そこに立って居たのは――
「うえっ!?」
 ダボダボの服は原色バリバリ、真っ白に塗られた顔に真っ赤な着け鼻。植え込みの傍、四つ五つのクラブを抱えて立っているのが、ステレオタイプなピエロだと気づいたのは、思わず素っ頓狂な声を上げた数瞬の後のことだった。
「……毎日会ってるのに、その反応はないんじゃないかなぁ?」
 声からかろうじて女性だと言う事は解るが、何処の誰かはさっぱりだ。
「だっ、だって……ピエロの知り合いなんて居ないもん」
「普段からこの装束じゃないからね」
 白い顔がわずかに歪む。それが苦笑いだと気付くのに、凪歩は少々の時間が必要だった。
「でも、なんか……凄い格好だね……」
「そりゃ、ここはステージだもん。おめかしなくちゃ。それで、なぎぽんは何してるの?」
 言って彼女は手にしていたクラブを三つ、ポンポンと順番に投げる。三つのクラブが宙に翻り、陽光にきらめき、規則正しい円を描き始める。
 その三つのクラブが描く円の向こうで、彼女の白い顔がまた少しだけ形を変える。それが笑みだと言う事に、凪歩はすぐに気が付いた。それも結構、極上に類する笑みだ。白塗りの化粧なのが惜しいくらい。
「うん。配達。知らなかった? 学祭の日だけ、アルトで配達するんだよ」
「ああ……朝のおにぎりも配達して貰ったとか言ってたっけか……寝てたからなぁ、私。じゃあさ、後でここにコーヒー、届けて貰える? アイスコーヒー、思いっきり冷たいヤツ。んで、ガムシロップは二つね」
 言われて凪歩は「あっ」と大きく頷いた。春先からランチでは毎回アイスコーヒーを頼んでその時、ガムシロップを二つ頼む女子大生が居た。確か、それは……
「経済の一年の……名前は…………聞いてないよね?」
「多分、言ってないよ。まっ、この顔じゃ、名前と顔が一致しないだろうから、次の機会だね」
 クルクルと回るクラブの向こう側、彼女がパチンと片目を閉じる。
「はぁい。じゃあ、後で届けるね」
 そのウィンクにそう答えて、凪歩は左手をヒラヒラ。右手で支えたままだった自転車のスタンドを立てると、カゴと荷台に積み込まれていた荷物を手にぶら下げた。
 そして、白塗りの顔に背を向けた直後、凪歩はくるっと首だけを回して可愛いピエロに言った。
「あっ! そーだ」
「何?」
「自転車、見てて!」
 言うだけ言って凪歩はパタパタと靴音を鳴らして人混みの中へと足早に駆け出した。もっとも背にはコーヒーと氷の詰まったナップザック、手には大きなバスケット、本人は駆け出したつもりでも実際のところは早足が良いところ。
 その凪歩の頭の上ではピコピコと不自然に動く前髪、そして背後からは、
「おっけー!」
 と言う大きな声が投げかけられていた。
 これが全ての始まりだった。
「なぎぽん! 配達?」
 次に声を掛けたのは、やっぱり、アルトの常連の青年だった。どうやら、模擬店を冷やかしながらブラブラしてただけらしく、凪歩が何をしてるかだけを聞くと、「また、アルトにいくよ」とだけ言って、手を振り、その場を後にした。その後も、屋台でリンゴ飴を売ってる男子大学生に、たこ焼きを売ってる女子大生、脳天気なポップソングを奏でるブラバンメンバーやら、派手な装束に身を包んだ演劇部所属の俳優さんから、その辺歩いてる暇な大学生やら、普段通りに研究を続ける研究員さん、果てはお偉い教授達まで、いろんな人が凪歩に声を掛ける。
 その呼びかけの全てが――
「なぎぽん」
 だった。
 きっちり、なぎぽんとして定着している自分に凪歩は絶望し……
「凪歩だ、な・ぎ・ほ! 挙げ句、名字、なんだっけ? とか聞くな!」
 キレた。

 寺谷翼の場合。
 凪歩が彼女にとっての初めての配達から帰った少し後、翼は彼女にとっての二度目の配達に出掛けた。初回配達時は朝一番だったからか閑散としていた正門付近も三度目の配達の頃になれば結構な人だかり。
 最初の配達先は正門付近でクラブでお手玉しているピエロ、凪歩が直接注文を受けた相手だ。自分が受けたんだから、自分が持っていけば良いのに……と思うが、順番だから仕方が無い。
 辺りを見渡すせば、どぎつい原色が配され、サイズはダボダボ、特徴的なスーツ姿のピエロはすぐに見つかった。
「あの……」
 控えめな声でそのピエロに声を掛けると、彼女はクルクルと回していた三つのクラブを上手に受け取り、顔を向けた。
「はいはーい。陽気なピエロさんですよっと。お悩み相談は出来ないけど、悩みも飛んじゃう楽しいパフォーマンスしてるよ〜」
 明るく、大きな声は人混みの中でも良く通る。
「……じゃなくて…………コーヒー……なぎぽんに頼んでた、ヤツ」
 白塗りピエロに大きな声で返事をされれば、思わず半歩足が下がる。それでも冷静に返事を返したのは、鉄仮面と言われる翼ならでは。
「ああ。ありがとう。ガムは二つ持ってきてくれた?」
「んっ……」
 答えて翼は大きなナップザックからやっぱり大きめの紙コップを植え込みのレンガの上に置く。それをクラッシュアイスで満たして、熱々のコーヒーを注げば満たされたクラッシュアイスがペキペキと良い音を立てて溶けていく。それに、プラスティック製のマドラーと普段は使わないポーションタイプのクリームを一つとガムシロップを二つ添えれば、喫茶アルト特製アイスコーヒー、配達バージョンの完成だ。
「ありがと」
 クラブを傍らに置いてあったトランクの上に置いて、財布から翼にお金を渡す。渡したお金を翼が片付けるのも待たずに、一息にあおる。
「ふぅ……」
 こぼれ落ちる吐息が一つ。喧噪の中にかき消されていくよりも早くに彼女は言った。
「アルトの新人? それとも臨時?」
 と……
「……春から……居る、一応……」
「えっ……?」
 真っ白に塗られ、表情の解りづらい顔がはっきりと解るほどに絶句していた。それと同時に、翼は彼女がコーヒーのカップを落としかけたことも見逃さなかった。
 と、言う感じで始まった二度目の配達はだいたいこんな感じだった。
 何処に行っても……
「おっ、新人?」
「……アルトに居たっけ?」
「誰?」
「見ない顔だね」
 等々、好き放題に言われ放題。
 さすがの彼女もアルトに帰ってきたときには疲労困憊だった……精神的に。
「……毒……盛ってやるぞ……」

 で、腹が立ったので、翼はパンの耳を揚げることにした。気晴らしには甘い物が一番だと思う。特にパン耳スティックは材料費が只なのが良い。
 サンドイッチを作れば大量に湧いてくるパンの耳はある程度溜まるまでキッチンの片隅に積み上げられるのが日常風景。今日は配達があるから、パスタが少なめで、サンドイッチが多め。その分、パンの耳も大量に生み出されていた。
 それを確認したら、まずはフライパンで大量の油を温める。そして、パンの耳を投入。浮かび上がってくるまでじっくりと中までかりかりに揚げたら、油は良く切る。普段はここで粉糖をかけて終わりだが、今日は小さな取り皿にマーマレードを取って横に添える。これを付けて食べる方針。
「……うん、悪くない……」
 呟き、ポリポリと一本をたっぷりの時間を掛けて食べる。大量に残った余りは作業台の上に放置。お腹の空いた人が適当に食べるだろうし、自分が後から食べても良い。
 後はいつもの通り。
 美月の指示に従い、野菜を刻んだり、下ごしらえをしたり……一斉に始まり、一斉に終わる授業がない分、今日のキッチンにはメリハリがない。平均値で言えば普段よりも少々多めの仕事がずーっと続いてる感じだ。どちらかといえば、こちらの方が働きやすいかも知れない。
 そうこうしているうちに、配達に出ていた凪歩が帰還した。
「ただいま〜ふぅ……自転車で上がったり下りたりってやっぱ、キツいね」
 そんな声が聞こえたので、翼が顔を上げると、裏口から凪歩が入ってくるのが見えた。
「お帰り……パン耳、揚げてる」
「あっ、サンキュー、マーマレードだ〜いつもよりちょっと豪華だね」
 翼が言うと、凪歩はひょいと一本つまみ上げ、口に放り込む。
「うん、美味しい……けど、今日、変に買い食いばっかりしてたから、お腹が微妙なんだよね」
「……太る……」
「うっ……しょうが無いじゃない……アルトちゃんが屋台の前で動かなくなるんだもん」
 翼の短い言葉に凪歩が言葉を詰まらせ、頬を膨らませる。
「その辺の人に……道、聞けば良い……私は、そうした」
「あっ……そっかぁ……私、毎回、買ってたわ……」
 ぽんと手を叩く凪歩の横で、翼は軽く嘆息。鉄仮面だと前から良く言われるが、この店で働き始めてから表情が豊かになってる気がする……悪い意味で。
「……暇なら、皿、洗って……」
「はーい」
 調子の良い返事を聞きながら、翼はやりかけだった仕事に戻る。とんかつを揚げてカツサンドを作るお仕事だ。それも結構な量、だいたい三人前。欠食女形のお昼ご飯。予約が入っているらしい。
 カツは肉叩きで良く叩いてから揚げるのと、油を良く切るのがコツ。アルト特製のソースにたっぷりとつけたら、バターを塗った食パンに大量のキャベツの千切りと共に挟んで――
「凪歩さん! 凪歩さん、帰ってますか!?」
 と、順調に進んでいた作業を止める上司の声。顔を上げてみれば、黒髪の上司が大股でフロアから飛び込んでくるのが見えた。
「はいはい? どうしたの? 美月さん」
 シンクに向けられていた顔が上げられ、キョトンとした顔で美月の方へと向いた。
 その胸元に詰め寄る美月、瞬間、凪歩は一歩後退するもそこにはシンクがあった。
 そして、紡がれる一つの質問。
「良夜さんが、『好きな人がぺったんこでした』って言ったのは本当ですかっ!?」
「げっ?! だっ、誰に聞いたの!?」
 顔色を変えて呟かれた言葉は、それ以外にはないと言って良いほどに的確な回答だった。
「事実なんですねっ!?」
 さらに詰め寄られれば、凪歩はプイッとそっぽを向く。そして、彼女はボソボソと聞き取れないほどの小さな声で答えた。
「いっ、言ったか、言ってないかって言えば……いっ、言った感じの方向……かなぁ?」
「後、クレープも奢って貰ったんですか!?」
 さらにもう一歩、美月が詰め寄る。その詰め幅は先ほどよりも大きめ。しかし、背水の凪歩に逃げるスペースはない。前門のあばら、後門のシンク。
 硬い物二つに挟まれながら、凪歩はさらにボソボソと言った。
「奢って貰ったか、奢って貰ってないかと言えば……奢って貰った感じ……かなぁ?」
 凪歩が答えると、美月の顔が見る見る曇って……
「ふぇ〜ん」
 と泣きだしたので、翼は作りかけていたサンドイッチをチャッチャッとバスケットに詰めて、逃げ出すことにした……――
「まだ、早いですよ?」
 けど、泣いてる美月に肩を掴まれ、逃げられなかった。
「……良いですよね、翼さんは人並みに胸があって……えぐっ……」
 そして、グチグチと愚痴られた。

「……ここの常連は……なぎぽんをひいきしてる……」
 喫茶アルト、キッチン。美月をなだめるためのお土産を買ってきた良夜の元、ジトーッと三白眼で見上げる翼の姿が合った。
「……じゃあ、キッチン引きこもり、辞めたら?」
 良夜に言われるも、翼はプイッとそっぽを向いて答える。
「……それは、ヤだ。とりあえず、クレープ……私にも……」
「ヤなこった」
 翼の願いは一ミリ秒で却下された。

 が、
「じゃあ、しょうが無いですねぇ〜良夜さんに買って頂いた、この二つのクレープ、片割れは翼さんにあげましょう」
 良夜が買ってきた二つのクレープ、その片割れは美月の手を経由して翼の手に渡った。
「……ありがとう。チーフ」
 美月の顔を見上げて言うその言葉、いつも通りのローテンションと鉄仮面ではあるが、『チーフ』の言葉に若干のアクセントがあったような気がした。
 そして、その言葉に美月は満面の笑みで答える。
「いえいえ、どういたしまして。あっ、そちら、一口頂いても良いですか?」
「……じゃあ、トレード……」
 キッチンの片隅、そう言うやりとりを交わしながらに苺のクレープとチョコミントのクレープを味わう二人を見やり、良夜は……
「…………なんか、納得いかない……」
 釈然としない物を感じていた。

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