学祭 The 3rd!(7)
 秋の高い空には残暑の日差しを残す太陽が一つ。その太陽の下には無数の人と結構な数のオートバイやら車やら、大学の第三駐車場は満員御礼。
 その片隅、銀色に光る大きな車体が静かに佇んでいた。
 ワックスの掛けられたボディは日の光を浴びて、銀色に輝き、熱気を孕んだマフラーはチュンチュンという音を立てて、今まさに冷えていく真っ最中。近付くだけで感じられる熱気は、まるでバイクが持つ生命力のようだ。
「すげーな……それにでかくねえか?」
 頭の上に妖精を乗っけて彼――浅間良夜はバイクにまたがったままの友人に声を掛けた。
 問われた友人が真っ黒いヘルメットからずぼっと頭を引き抜く。そこから出てくるのは、若干童顔ではあるが、細面の所謂イケメンに類される顔。その顔を緩ませ、笑みを浮かべた。
「カタログの寸法は直樹のZZRと変わらないんだけどねぇ」
 脱いだヘルメットはトンと小さな音を立てて、タンクの上へと置かれる。良夜はそれをコツンと拳の甲で叩いて、友人――青葉透から銀色に光るバイクへと視線を動かした。
「直樹のもでかいっちゃー、でかいよ」
 そう言いながら、手をタンクの上へと動かす。硬い金属のタンクはまだ暖かく、バイクその物がまだ走りたがっているようにも感じられる。
「四百だから知れてるよ〜って、俺のバイクは二百五十だけど」
「あれ、コレ、お前のじゃないんだ?」
 少し意外な台詞にバイクのタンクを撫でていた手が止まり、視線が声の主へと動く。
「これ、けー子さんのだよ。リッターのバイクがないと寂しいから……不景気も長いから、バイクも車も集まりが悪くて……」
 汗に濡れた髪をかき上げ、透が答える。
「へぇ。変なところにまで影響があるもんだな……あれ……あの人って俺らよりも上じゃなかったっけ?」
「上だよ」
 この辺りで「けー子」と言えば、二研の元副部長西山恵子を指す。良夜もバイクの解体整備とハムスターの押し売りをされたりで良く知った女性だ。もう卒業しているのに、未だにこの辺りで名前が知られているのは、下はプラグ一本から上は輸入ハーレーダビッドソンにロードバイク、中古のママチャリまで、二輪と呼ばれる物とその関連商品ならなんでも売り付け、なんでも買い上げるという態度で、未だに、と言うか、むしろ、卒業してからの方が名前を聞く頻度が高まっている女性だ。
 そんな事を良夜に教えながら、透はトンと大きなバイクから地面へと降り立った。
「あと、ハムスターは相変わらず増えすぎで困ってるらしいよ」
 そう言って笑う姿は良夜よりも頭一つ分ほど小柄で、直樹と同じくらい。もっとも、その小柄な体は、ライダースーツの上からでも解るほどに筋肉質。腕相撲なら二研最強の座を欲しいままにしているというもっぱらの噂だし、腕の膨らみはそれを裏付けるに十分な青年だった。
「変わらない人だな。家に帰るとハムスターが〜って言う押し売りの文句は相変わらず?」
「相変わらず、相変わらず」
 そんな感じで彼と言葉を交わしてるとピーというハウリング音が耳をつんざく。
 その音に言葉を止めて首を巡らせると、レースクイーン姿の貴美が校舎の入り口、一段高くなっているところでハンドマイクを構えているのが見えた。
『あと十五分でキツネ巫女様の安全祈願の祈祷が始まりまーす! ご希望の方は受付で整理券を購入してくださーい! エンジン付きは五百円! 人力は百円でーす!!』
 どうやら、今日の彼女は司会進行の類を押し付けられているようで、先ほども直樹の撮影会をやってた連中の整理をしていた事を、良夜は思いだした。
『ねずみ取り除けの効果はないかんね!! 駐禁も! 当たり前じゃんか! 違反すんな! 特にそこで不機嫌な顔してるゴスロリ!』
 彼女の声が、ハンドスピーカー越しに響き渡れば、会場からは笑い声がこだまする。
「あっ、俺、会場整理の係なんだよね……じゃあ、また後で」
「ああ、またな」
 軽く手を振り、透はその場を後にした。
 その透の後ろ姿を見送りながら、青年はポツリと漏らす。
「……ジムニーかスクーター、持って来てれば良かったな……」
 その呟きにそれまで頭の上でだらけていた妖精がぶわっと頭の上から落ちてきた。
「あら、貴方、神様とか信じる方?」
 天地逆さまになって目の前で妖精の金色の髪が左右に揺れる。まん丸いお目々がクリクリと動いて、ちょっぴり意外そうだ。
「まあ……人並みかなぁ……もう少し信じてる方かも……」
 答えて良夜はその頭と髪を手のひらで追い払う。
 その手から逃げるように妖精は頭の上からひらりと舞い降りる。そのまま、くるんと一回宙返り、狙い違わず右の肩に着地を決めると、その動きを追っていた良夜の目を見上げて言った。
「ふぅん……意外だわ。そう言う拘りとか、ないと思ってたもの」
「……てかさ、お前が居て、神様とか仏様とか居ないって、そんな世界、不幸すぎるだろう?」
「どう言う意味よ……」
 瞼が薄く開き、その隙間から黄金の瞳がジトッと良夜を見詰める。射るような視線だ。
 その圧力に抗しきれず、彼は視線を逸らすも、その視線は彼の頬を貫いたまま。痛いほどの視線を頬で受け止め、青年は呟く。
「……お前が思ったままの意味だよ」
 その呟きが秋の高い空と周りの喧噪の中へと消えていくのに、必要な時間はそんなに長くは掛からない。一瞬のほんの二三倍。
 ふいにアルトが視線を逸らして、ペチンと彼のほっぺたを叩いた。
「……なるほど、アルトちゃんは妖精でありながら、美の女神って事よね」
 顔を覗き込み、見上げる妖精を見下ろし、絶句する時間もそんなに長くはない。一瞬のほんの二三倍。
 ため息一つ着いて、彼は呟いた。
「……へいへい」
「口じゃ勝てないんだから、変な事、言わなきゃ良いのよ………………身長以外で負けてるところなんてないと思うけど」
「うっさいよ! 大きなお世話だよ! 黙ってろよ!」
「あっ……すまん」
 良夜の声に反応したのは、薄汚れたジーパンにやっぱり薄汚れたトレーナー姿の青年だった。野暮ったい格好の上に乗っかる顔も野暮ったくて、良い人なんだが浮いた話しの一つも聞かない、真面目なだけが取り柄の男子大学生。彼は同じゼミに所属する一つ上の先輩だ。確か、四研に所属しているという話は聞いたことがある。
「ああ……別に敷島さんに言ったわけじゃないです……何か、用ですか?」
「ばーか」
 舌を出して嘯く妖精にチッと小さな舌打ちだけを返して、彼は顔見知りの四年生へと顔を向けた。
「じゃあ、誰に言ってんだよ……って……まあいいや……浅間、ジムニーに乗ってるんだろう? アルトの裏口のところに置いてるヤツ」
「ああ、はい。お袋が大昔から乗ってた古いヤツだけど……」
「古いのは知ってるよ。あのタイプは前世紀でモデルチェンジしちまったからな」
 言われて計算してみればそう言う事になるのか……と頭の中で考える。
「それでさ、そのジムニー、悪いけど、持ってきてくんねぇ?」
「えっ? なんで?」
 良夜が思わず尋ね返すと、先輩はバツが悪そうに頭をポリポリと掻いて見せた。
「いや……今年、どーも車の弾数が足りなくてなぁ……二研の方はけー子さんのツテがあったけど、四研は今、そう言うのがなくて……」
 辺りを見渡してみれば、人の数は多いし、オートバイの方はそこそこ居るのだが、車の数は確かに去年や一昨年よりも少なめようにも思える。元々、学生向けのアパートには駐輪場はあっても駐車場はないか、あっても別料金と言う所が多く、学生で車を所有している者は少ない。しかも、不景気で自宅通いの学生もなかなか車を所有する事は出来ず、年々、展示する車は減り続ける一方らしい。
 そんな説明を受ければ、断る理由も特にない。
「……まあ、それくらいなら……数が足りないんなら、美月さんのアルト、借りられないか聞いてみるけど……」
 答えるついでに言ってみれば、相手は困ったように苦笑いを浮かべた。
「……いや、アルトは良いや。せめてワークスなら良かったけどな」
「ちょっと! 良夜のジムニーは必要でアルトはいらないってどう言う事よ!!??」
 そして、切れるのが肩の上に立っていた同名の妖精さん。周りの喧噪にも負けない大声が良夜の耳を貫き、きーんと耳鳴りを作り出す。
 痛む耳を押さえながら、先輩に言葉を返す。
「あっ……ああ、そうっすか? じゃあ、そう言う事で……車、取ってきます」
「ああ、急げば安全祈願、間に合うんじゃないか? 金は四研で持つよ」
 見送りの言葉を背に受け、彼は足早にアルトへと向けて足を向けた。

 一方、一気に不機嫌になったのは、青年が駐車場から出た途端、肩口から頭の上の定位置へと移動した妖精さんだ。
「もう、良いわ……私、家に帰るわよ!」
「……拗ねるなよ」
「ふーんだ。どーせ、ありがちな軽四よ。クロカンの雄とは違うわよー」
 そんな感じでぶつくさぶつくさ。またもや、パタパタと足を上下に動かし始める。それは、足早に、と言うよりも半ば駆けるような勢いで、坂を登って、峠を下りてしてる青年にしたら良い迷惑だ。
「ああ……しんど……」
 本当は急いでるから、中にも入らず、車だけ取ってとっとと戻りたかったところ。されど、頭の上の不機嫌な妖精さんが
「行くわけないでしょ! あんなうるさくて、臭い上に、失礼なところ!」
 と、うるさいので仕方が無い。
 から〜んといつもの通りにドアベルの乾いた音を鳴らして、店内に入る。お昼をだいぶん過ぎた店内には、この時間としては少し多めの客が入っていて、その中で凪歩がポニーテールをゆらしているのが見えた。
 その凪歩はドアベルの音に気付いて駆け寄ってきたかと思えば、良夜の顔を見た瞬間、言葉に詰まった。
「いらっしゃい……――あっ」
「ああ、車、取りに帰ってきただけだから。美月さんに声、掛けたら、すぐに行くから……」
「あっ、うん、そうなんだ〜あはは……じゃあ、私、仕事、あるから〜」
 答えて凪歩はそそくさとその場を後にすれば、入り口のところで取り残されるのは良夜と妖精さんだけ。
「……なんだ? あれ……」
「さあ? 忙しい風には見えないけど……――まっ、良いわ。和明、コーヒー!」
 そうとだけ言って、アルトはトーンと頭の上から離陸。フワフワとアルトの店内上空を飛んで、カウンターへと向かう。その妖精の声は老店長には聞こえていないはずだ。それなのに、ちゃんと黙って水を注いだケトルをコンロに掛けてる辺り、半世紀の付き合いという物を良夜に感じさせた。
「じゃあ……俺もいくかな……」
 客の残る店内を突っ切るうち、遅めの朝ご飯に茶漬けとポテトサラダ、それから少しして凪歩と一緒に食べたチーズウィンナーのクレープが今日の食事の全てだったことを思い出す。それと同時にわき上がってくるのが空腹感。アルト店内で特別なことをして貰うのは出来るだけ遠慮しようと思っているのだが、今日は特別に何か食べさせて貰おうかなぁ……と思いながら、キッチンに入ると、出迎えたのは――
「あっ、良夜さん。良夜さんって……私以外に好きな人が居るんですか?」
 と言う、愛しの恋人の言葉だった。
 顔は笑ってるたが、目は全く笑っていなくて、髪が猫の尻尾のように膨れている様は、所謂キレ美月。怒らせるようなことをしただろうか? と頭の中で考えてみるも、心当たりはさっぱりない。
「えっ……あっ、何言ってんの? 美月さん」
「……じゃあ、私以外に好きな人は絶対に居ないわけですね?」
 さらに美月の髪がふわりと広がる。
「えっと……いくら何でも怒るよ? 俺も」
 さすがにここまで言われると、良夜の方もムッとする。眉をひそめて、美月の顔に険しい視線を投げかける。それは隣で見ていた翼でさえ、怒ってるのが解ったと言うくらい。
 が、その怒りも長続きはしなかった。
「……では、良夜さんのお好きなぺったんこは私という認識で良いんですね?」
「え゛?」
「……私のどこがぺったんこなのか、一度、話し合いましょうか? 良夜さん」
 目元に大粒の涙を溜めた美月が、ズイッと一歩を踏み出す。その勢いに、良夜は思わず一歩、美月が前に出た分、後に引き下がってしまうほど。
「りょーやーさーん?」
 そして、始まるのが美月の愚痴。
 ネチネチと胸が小さいことがそんなに悪いかとか、一番気にしてるのは自分だとか、今までで一番嬉しくない「好き」だとか、挙げ句の果てが――
「胸が小さいから、未だに手を出さないんですくわっ!?」
 とまで言われて、解放されたのは、それから小一時間先のことだった。

 で、なんとか恋人をなだめすかした挙げ句、クレープを二つも奢る約束を取り付け、ようやく解放された良夜が向かったのは……
「……で、時任凪歩さん、てめえ、クレープの金、返せ」
「違う、違う、私じゃない、私が言ったんじゃないって!」
 逃げ出したくも代わりの従業員も居ない店内、おどおどと挙動不審になっていた時任凪歩の元だった。

 そして、その頃……真犯人は、
「……俺、口止めされてねーし、クレープも食ってねーし……」
 漫研の即売会場で、相変わらず、エロ同人誌を座り読みしていた。
 彼はわざわざ、アルトまで出向いて告げ口しに行った。もっとも、告げ口したら、美月が切れて、コーヒーの代わりに温めた醤油が出て来た……のは余談。

 なお、結局、良夜はその日の祈祷には間に合わなかった。

 さらにおまけ。
「ところで良夜さん」
 遅めの昼というか、早めの夜というか……ともかく、夕方前の食事を摂っている頃、クレープを食べ終わった美月がひょっこりと現れた。
「なに?」
「……直樹くんの写真、撮ってくれてます?」
「……あっ、一枚しか撮ってないや……」
 携帯電話をポケットから引っ張り出す。中身を確認するまでもなく、撮ってあるのはゴスロリ姿の一枚きり。
「えぇ〜〜? 直樹くん、その後にセーラー服も着たんですよ? 知ってますか?」
 落胆の色一色に染まる表情とがっくりと落ちる方に罪悪感、そして、膨れるほっぺたが相変わらず子供っぽい。
 食事の手を止め、そんな美月を青年は見やる。そして、言った。
「……イヤ、知らない。てか、美月さん、何で知ってんの?」
「はい。今、吉田さんがメールしてくれました。凄いですね、写真も送れるんですよ? 知ってましたか?」
 尋ねれば落胆の色は一気に顔から消え去り、彼女の顔がパッと明るく華やいだ。そして、彼女は自身のポケットからも携帯を取りだし、ポチポチと彼女はそれを弄くり始める……も、「あれ?」とか「えっ?」とか言って余り進んでない様子。どうやら『新着メール』なら待受画面にアイコンが出てくるからすぐに見られるが、それが消えてしまうと解らなくなるらしい。
 ほっとくとしばらく掛かりそうだったので、「貸して」と言って手を出す。すると、彼女は素直にその携帯電話を良夜に手渡した。
「送れるのは知ってるよ。吉田さんに撮って貰ったんなら、俺のはいらないじゃん?」
 パチパチと弄ればあっという間に目的のメールが表示される。『私んだからね!』のひと言メールに付属されているのは見覚えのあるゴスロリ姿と、見てないセーラー服姿の直樹。どちらも恐ろしく似合ってる。
 その二枚の写真をローカルに保存すると良夜は携帯電話を返すために顔を上げ……たら、美月が目をまん丸くしていた。
「……どったの?」
「いえ、良く考えたらそうだったなぁ……って思いまして」
「……まあ、今になってでも気付いてくれて良かったよ……っと、これ、保存したけど、見方は解る?」
 呆れながらも青年が尋ねれば、彼女は当たり前のように首を左右に振った。多分、知らないだろうなと思ってたので、メニュの出し方から順番に教えていけば、彼女はすぐに飲み込めたようだ。ついでに転送した良夜の撮った写真とも合わせて三枚、順番に出しては嬉しそうに頬を緩ませている。
 それを目の前において、彼は食事を再開。
 彼女の方は写真を見ながらに、あれやこれやと今日の面白い配達メニューを語り始める。すっかりご機嫌も治ってるようで一安心。同時に、また、直樹は怒ってるんだろうなぁ……とも思う。
 そして……

 そして……良夜は見たくて見たわけでもないが、メールの着信履歴の一ページ目が貴美からの一通を覗いて全部、自分からの物だったことを密かに喜んでいた。

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