学祭 The 3rd!(6)
 凪歩と別れた良夜の頭の上には小さな妖精が一匹、ちょこんと座っていた。
「道案内、良いのか?」
「大丈夫よ。全部、覚えさせたわけじゃないけど、配達に行く所はあらかた教え終わったもの」
 そう言う妖精の言葉に「ふぅん」とだけ返して、青年はテクテクと校舎の中を歩き始める。
 普段のこの時間帯は授業中で、講義室のあるこの辺りは教官がしゃべる声くらいしか聞こえないのだが、今日はお祭り一色。一部の講義室では模擬店が入っていたり、催し物が行われていたり……廊下にも目的地へと急ぐ女子大生や立ち話を楽しむ男子大学生が居たりで、雰囲気は一変していた。
 そんな学内を良夜はのんびりと歩いていた。
「って、何処に行ってるの?」
「二四研のサーキット。直樹の写真、撮って来いって美月さんに言われてるし……」
 二四研のサーキット……と言っても勿論、学内に専用サーキットがあるはずがない。普段の名前で言うとそこは「第三駐車場」と呼ばれてる場所だ。そこを封鎖して、パイロンをいくつか並べて簡易なコースを作っているから、サーキットと呼ばれているだけ。他にも部員達が乗り回してる車やバイクの展示もあって、ここも人出が多い場所の一つに数えられていた。
「えぇ……そこぉ? 凪歩と一緒に帰れば良かったわ……」
 その答えに頭の上で妖精が不満の声を上げた。
「お前、排ガスの匂い嫌いだもんな?」
「タイヤの焼ける匂いもエンジンの音も全部、嫌いよ」
 見えはしないけど視線だけをチラリと頭の上へと向けてみると、前髪が少しだけ揺れているのが見えた。その向こう側で妖精の細いの脚がバタバタと忙しく上下に動いてるのだろう。そちらへと意識を向けて口を開く。
「なんなら、その辺で待ってても良いぞ? だいたい、写真撮って来いって言ったのは、お前の妹分だ」
「貴方の彼女でしょ? 待つのもねぇ……まっ、特別に付いていって上げるから、チャッチャッと用事を済ませましょ」
 偉そうな口調の妖精を鼻で笑えば、ひときわ強くかかとが頭の上に降ってくる。力はそうでもないのだが、木靴に覆われた踵が頭に降ってくると結構痛い。
「痛いよ」
「ふーんだ!」
 頭の上から降ってくる捨て台詞にチッと舌打ち。
 行き交う人々はそれぞれに目的地があるのだろう、良夜が変な独り言を気にとめる者も居ない。そんなわけでアルトとの適当な会話をしながら良夜自身も目的地へと、のんびりと足を向けた。
 そして、第三駐車場へと続く通路を出た瞬間――
 ぎゃばばばば!!!!
 すさまじいスリック音とエキゾーストノイズ、そして歓声が鼓膜をつんざく。それと同時に排気ガスとタイヤの焼ける匂いがミックスされた独特の香が鼻腔を突っつく。そして、目を覆い尽くすのは黒山の人だかり。
 パンフレットの一件で今年の直樹に掛けられる期待は一昨年のそれを大きく上回っているようだ。この人出もその期待の表れというヤツだろう。
「……○×△××!」
 人の頭の上、人よりも高い位置から人混みを見渡すアルトが思わず声を上げた……のだが、
「えっ? 何?」
 残念なことに周りの騒音で聞き取れやしない。
「だーかーらー! 去年よりも人が多い!!」
「ああ……そうかもなぁ……直樹の奴、どこに居るんだ?」
「えっ? 何?」
「直樹! 何処だっ!? って言ったんだよ!」
「○え△い!」
「えっ? 何?!」
 鼓膜を振わせる騒音に良夜もアルトも声のボリュームは上がり気味。互いが互いに「聞こえない」と言い合う不毛な会話を数回繰り返した後、彼女は良夜の肩にまで下りてきた。
 そして、彼の耳たぶをぐいっと引っ張って、その耳の中に直接――
「見えないわよ!!!」
 と、叫んだ。
 右の耳から左の耳、その間に存在する脳みそまでもを貫通するかと思うような大絶叫。その後にやってくるのは、キーンという耳鳴りが約一秒。
「みっ……耳、イテぇ……」
「良かったわね、耳が機能してて……受付、探しましょ?」
「……へいへい……って、お前が最初から下りてくりゃ良かったんじゃねーか……」
「良夜、もう一回、怒鳴って上げましょうか?」
「いらない」
 減らず口を叩くアルトに投げ捨てるような言葉だけを与えて、彼は受付を探し始める。
 去年も一昨年も駐車場と道路との境の辺りに二四研の受付がしつらえられていたことを思い出しながら、彼は人混みに溢れた第三駐車場を歩く。
 まっすぐに歩くことすら難しいほどの人混みを二−三分、テーブル一つとパイプ椅子が三つの受付は去年一昨年同様にそこにあった。
 その三つ並びの椅子の真ん中、ちょこんと座っていたのは一瞬、中学生かと思うほどに小柄な女性だった。顔の作りは可愛らしい物なのだが、それはスッピンっぽいし、髪もざっくり切りそろえましたと言わんばかりの中途半端なショートヘアー、その上、服は染みだらけの作業服、女性らしさを全く感じさせない女性……いや、女の子と言うべきか?
「あっ、いらっしゃいませ。キツネ巫女様による安全祈願のお祓いは三十分後、タンデム試乗なら相手を選ばなければいつでも行けますよ」
 良夜を見つけて彼女が慌てて立ち上がる。座っていたときも小さいなぁと思っていたが、立ってみればその小ささがひときわ強調される。良夜の胸元くらいまでしかない。
「ああ……そうじゃなくて……直樹、居る? 高見直樹、吉田さんでも良いけど……」
 良夜がほっぺを人差し指で掻きながらに言う。すると、見上げる彼女の目がわずかに動き、ニコニコしてた顔も一気に曇る。
「……どちら様?」
 そう言って、値踏みするように視線が上にあがり、そして、下へ……そこからもう一度上にあがってきたときには、その目にたっぷりと不信感という物が宿っていた。
「……ほとんど不審者を見る目ね?」
 耳元で囁くアルトの声がこう言うときだけ良く聞こえるも、目の前に不信感をあらわにする女性が居るのでは対応も出来ない。チラリと視線だけを妖精に向けた後、彼は小柄な女性に視線を戻した。
「えっと……直樹、なんかあった? アイツの友達だけど……」
「……友達、ですか? お名前は?」
「……浅間、良夜だけど……? あいつらの部屋の隣に住んでる友達だよ」
 言えばますます彼女の不信感は募るばかり。まるで夜中の薄暗い路地で不審者を見つけた警官のような視線と仕草で携帯電話を取りだし、そのボタンを操作し始める。
「ああ……もしもし? 吉田先輩? ――ああ、違います、違います、今、自称友達が尋ねてきてますよ? えっと……素材は悪くなさそうだけどなんか、背はそこそこ、太ってるでなし、痩せてるでなし、安そうな服と手抜きな髪型をした、惜しい風体の男の……――あぁ、ハイハイ、そうです、浅間さんって……」
 そんな感じの会話をしてたかと思うと、彼女は電話を切って、視線を良夜に向けた。童顔がより幼く見える可愛い笑顔だった。
「ごめんなさい。ちょーっと、朝から直樹先輩の友達を名乗る人が沢山来てて……吉田先輩が今来ますから」
「ああ……良いよ、別に、その件は。むしろ――」
 零れんばかりの笑顔を見下ろしながら、彼は落ち着き払った声で答えていった。
「――今の悪口を謝れ」

 さすがに居たたまれなくなったのか、小柄な女性は何やら理由を作ってその場を辞した。
「素材は悪くなさそうって褒め言葉じゃない?」
「……褒めてねーよ」
 知り合いの居ない人混みの中、ぽつんと取り残された良夜は頭の上の妖精と二つ三つ、言葉を交わしながらに貴美を待った。
 とっとと逃げ出した小柄な女性……面倒なので以下チビと呼称する。あのチビが言うには、今、貴美と直樹は他で愛想を振りまいているらしい。連絡したのですぐに来るだろうとのこと。
「……ちょっと悪口を言われただけで……」
「うっさい。惜しい風体で悪かったな」
「だったら、少しくらいは服にも気を遣いなさい……相変わらず、ユニクロとしまむらなんだから」
「あと、バイト先のスーパーの衣料売り場」
「………………惜しくないわよ、思いっきり外れよ、暴投並の大外れ」
 頭の上から降ってくる呆れ声には「うっせー」とだけ返して、視線をパイロンの周りをクルクルと回っているバイクへと向けた。銀色に光るバイクがタイヤを軋ませながら、右に傾き、左に傾きを繰り返しながら、短いコースを駆け抜ける。何度も同じところを同じラインで駆け抜けるさまは、リピート再生される録画のようだ。
「すげーな……あれ……」
「トールちゃんはトライカーナで三十五秒を狙う逸材だからねぇ〜」
「へぇ……」
 聞こえた声、聞き覚えのある女性の澄んだ声に相づちを打って聞こえた方向に視線を向け……――
「あっ……えっ?」
 視線を向けると、思わず、良夜の言葉が詰まった。
 そこに立って居たのはホットパンツとショートトップ姿の吉田貴美だった。所謂、レースクイーンってヤツなんだろう。それは理解出来るのだが、そのシルバーの上下はどちらも随分と生地が少なめで際どい。そんな衣装も凄いがそれよりも凄いのは、その扇情的な装束をピチッと着こなす貴美のスタイルと言って良いだろう。凄く絵になって、思わず、見惚れてしまう。
 それはアルトをして――
「…………悔しくないわよ」
 と、言わしめ、そして、絶句させるほど。
「うむ、これが正しい男の反応やね」
 満足そうに頷く貴美から少し視線を逸らす。そうでもしないと、薄い生地で強調された彼女の谷間ばかりを凝視してしまいそうだから……が、その努力は余り成功したとは言えず、思わず、チラチラ……と視線を動かしてしまう。そして、何よりほっぺが熱い。
「なんて格好してんだ?」
「レースクイーンじゃん。萌えっしょ?」
 そう言って彼女は体を反らせば、良夜の視線を逸らそうとする努力を嘲笑うかのように、胸元が強調される。それは、ショートトップの胸元が弾け飛ばんばかり。
 その胸元に手を当て、彼女はニマッと笑って言った。
「この下、ニップレス、ノミ!」
「ちょっ!?」
「あはは、特別におかずにして良いんよ?」
 屈託なくない貴美が笑えば、良夜の顔がカッと熱くなる。その熱さを誤魔化すように、彼はひときわ大きな声を上げた。
「しねーよ! てか、それより、直樹は?」
「……」
 その怒鳴り声にも近い言葉に貴美はぱちくりと瞬きを二回。そして、にっこりと上品な笑みを浮かべて、良夜の肩をポンポンと二回叩いた。
「やっと男同士に目覚めたんやね……」
「もう、腐って果てろ! 大地に帰れ!! 俺は写真、撮りに来ただけ! 直樹の」
「……そっちなん?! 今夜のおかず!?」
「……誰かどうにかして……美月さんだよ、美月さんが写真、撮って来てって」
「まっ、そうだと思った」
 くるんと一回転、すたすたと何処かに向いて歩き始めた。
「こっ、この女だきゃ……一発ぶん殴ってやりてぇ……」
 その呟きは貴美には聞こえないようだ。ロングブーツに包まれたこれまたロングな足を優雅に動かし、人の波をかき分け進んでいく。
 その後ろを着いていく良夜の肩口、そこにちょこんと座っていたアルトは立ち上がり、耳打ちする。
「出来ないことは言うものじゃないわよ? 言葉の価値が下がるわ」
 肩の上で嘯くアルトから視線を大空へ……鱗雲の気持ちよさそうな秋空を見上げて、彼は呟く。
「出来ないから、せめて言いたいの」
「ちっ……ちっちゃい……」

 そんな感じで貴美の後をのんびりと歩く良夜であったが、その歩みは決して速くはなかった。
「あっ、ねえねえ、写真、良い?」
 声を掛けたのは見覚えのない男子大学生、手には最近流行のスマートフォン。
「良いよ。撮ったら受付んところに置いてる募金箱に百円玉放り込んで置いてね」
「OK、OK」
 軽い口調で貴美が言うと、彼も軽い口調で応える。
 そして、貴美がパラソルを差してポーズを撮れば、スマートフォンのタッチパネルを数回叩く。作り物のシャッター音を発して、写真撮影は終了。
「あと、あっちで巫女とゴスロリもチョロチョロしてんよ?」
「ああ、それは撮った。ありがと」
 軽く手を振り、学生が消えれば貴美も手を振り替えして、彼を見送る。
 そんなやりとりが数メートルごとに行われているんだから、いつまで経っても目的地にたどり着けるはずがない。
「……だいたい、何で、あんなにノリノリなんだ? あー言うの、嫌いだと思ってたけど……」
 思わずそう呟く。その相手は肩のちょこんと座って欠伸をしてるアルトのはずだった。しかし、先に言葉を返したのは、大学生を見送った貴美の方だった。
「嫌いだよ」
「えっ?」
 貴美の言葉に、良夜だけではなく、アルトまでもが思わず素っ頓狂な声を上げた。
「でも、嫌々やっても二日、楽しんでやっても二日なら、楽しんでやるっきゃないっしょ?」
 貴美が満面の笑みでそう言うと良夜は、
「そう言う考え方も……あるよな……」
 と、口の中だけで小さく呟いた。
 そして、貴美はもう一度、頬を緩め、足を動かし始める。
 たっぷりと余計な時間を費やして行き着いた先には――
「んで、これが『嫌々やっても二日なのに力一杯嫌々やってる』馬鹿の姿なんよ?」
 直樹の愛車、ZZR−400とその傍で不機嫌そうに突っ立ってるゴスロリが居た。その右手には携帯電話、左手にはなぜか大きさが三−四十センチはありそうなモンキーレンチ。周りで写真を撮られていることも無視ぶっちぎりで、ひたすら、カチカチと携帯電話を弄り倒していた。
「まあ、写真を撮られることよりも、私よりもあっちを目当てに来てるのが多いって方が嫌やね……女として……」
 ため息混じりに貴美は肩をすくめて見せた。
 その隣では……
「直樹ちゃーん、こっち向いて〜」
 携帯電話を抱えて、黄色い声を上げる女子大生の姿があった。
 その声にわざとそっぽを向けば、別方向から携帯電話のシャッター音が聞こえた。それに反応して違う方向を向けば、そちらでは今度は男子大学生が大きめのデジカメを抱えている。どっちを向いてもカメラのファインダーにはいってしまうのは、彼が見事に取り囲まれているから。それはまるで、動物園のライオンのようだ。
「……なんかもう、可哀想すぎて声が掛けられないな……」
「……あの状況を楽しめたら立派な物だけど……」
 良夜が呟き、アルトが答える。どちらの声にも同情の色合いが山盛り、たっぷり。
 そして、良夜はそのライオンの檻の一歩外から中を覗き込む。ここで自分までも写真を撮るのは若干可愛そうかなぁ……とは思う。思うが……
「まっ、頼まれてるしな……」
 言い訳のように呟き、彼はライオンの檻を書き分け、なんとか最前列へと進む。そして、見せ物のライオンに――
「……良夜くんまで……」
 涙ながらに訴えられるのも無視して、彼は一枚の写真を撮った。

 そして、貴美は呟いた……
「……なおの写真は撮るのに、私の写真は撮らんのかねぇ……」
「本当にそっちの趣味があるんじゃないのかしら……?」
 人混みを嫌ったアルトは椅子を良夜から貴美に切替え、そして、男の写真を撮る男の姿をあきれ顔で眺めて居た。
 

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