学祭 The 3rd!(5)
 さて、偶然に出会ったアルト、凪歩と共に良夜は学内をブラブラと歩いていた。
「お前が道案内って大分無理があるだろう……」
「仕方ないじゃない、他に学内のことを知ってる人なんて居ないんだもの」

 凪歩と翼に交替で配達させれば良いと決まっていた今年の学祭、その問題点に気付いたのは今朝のことだった。
 早朝、朝一、凪歩と翼が出社した時のこと、美月は朝ご飯も食べずにぺたぺたとおにぎりを握っていた。
「おはよう〜」
「……おはよ」
 美月は裏口から入ってきた凪歩と翼に気付くと、おにぎりを握る手は止めず、顔だけを上げた。
「あっ、おはようございます。申し訳ありませんが、これ、もうすぐ、握り終わりますから、すぐに体育館に届けてください」
 言われて凪歩と翼はチラリと作業台の方へと目をやった。そこには大きなバスケットがふたつ。中身は全ておにぎり、一つはすでに一杯だし、もう一つももうすぐ一杯になりそうだ。
「……朝からすごいね……」
「陽さん達、演劇部の方の朝ご飯です、もう、朝から沢山で……これが終わったらすぐに持って行ってください」
 凪歩の呟きに美月が慌ただしく答える。
 そして、凪歩と翼は無言のままに右手を突き出し合った。
 その勝負、やけに気があうのか、五回の引き分けの後に凪歩の平手が翼のげんこつを包み込んでの勝利。
「……チッ」
「うっし!」
 翼のはばかることのない舌打ちがキッチンにこだまし、凪歩はガッツポーズ。
「……お仕事なので、舌打ちは辞めましょうね? あと、交替ですからね、凪歩さんも」
「……んっ」
「はぁい」
 美月の苦笑いに二人が答える。
 そして、数分の作業時間……
 バスケットの右端、小さく空いていたスペースにおにぎりを入れると、美月は薄いビニールの手袋からスポッと手を引き抜く。炊きたてのご飯を握っていたせいだろう、彼女の手にはうっすらと汗がにじみ出ていて、それが窓から差し込む朝日に照らされ、きらきらと光っていた。
 そして、脱いだ手袋はゴミ箱の中、脱がされた両手は流水の下。ザブザブと音を立てて手を洗ながらに、美月は言った。
「出来上がり〜これをですね、体育館にまで届けてください」
 美月に言われて、翼は素直にコクンと頷き、そして、尋ねる。
「……体育館って……何処?」
「勿論、大学の中ですよ?」
 にこにこ顔の美月に言われて、翼は一秒だけ口を閉じ、そして、また開く。
「……大学の……何処?」
 翼の台詞に、流水の下、指と指をこすり会わせていた美月の動きが止まった。
「凪歩さん、知ってます?」
「……知ってるわけないじゃんか……」
「ふぇ〜じゃあ、名物ぼったくりカフェメイド&バトラーのあるD棟とか漫研さんが使うA棟とかはご存じですか?」
 あっさりと答えられて、美月の大きな目に涙が浮かぶ。そして、また尋ねると、二人の新人従業員はフルフルと首を振った。
「……知らない……」
「……私も……チーフは……?」
「……子供の頃からしょっちゅう前を通りますが、中に入ったことはほぼありませんよ?」
 翼に問われて美月が答えれば、誰もが口を閉ざした。
 三秒の沈黙……そして――
「その辺、知らなきゃ、配達にならないじゃないですかっ!?」
 美月が絶叫した。

 山腹に張り付くように作られた大学は、少し、不規則な作りをしていた。例えば、とある校舎の三階から渡り廊下を渡って別の校舎に入ると、そこは二階だったりする。逆に地面から校舎の中に入ったはずなのに、そこがすでに二階だったり、とあるところから足下に見える体育館に行こうとしたら、一番の近道は、近くの校舎に入って、そこから階段を使って一階に下りろ、だったり……ちなみに外で階段を探すとぐるーっと校舎の周りを半周しないと見つからない。
 そんな学校だから入学直後の学生が迷ったりするのは日常茶飯事だ。『迷いました』が遅刻の言い訳として認められるくらい。だいたい、ゴールデンウィークくらいまでは危ない。それを過ぎると学生達は、要所要所に置いてある案内板で目的地までのルートとランドマークを探してから動くという知恵を付ける。
「で、私が髪の毛を引っ張ってあっちこっち、案内してたのよ」
 そう言うわけで、凪歩と翼をアルトが無言のままに案内するという愉快な配達風景が、朝から繰り広げられていたらしい。
「……お陰で髪の毛、ぼっさぼさだよ……」
「大変だったね……」
 指先で髪をつまんでぼやく凪歩に良夜が苦笑いと共に言えば、答えたのは――
「ほんと、大変だったわ」
 アルトの方だった。
「お前じゃない」
 良夜がきっぱりと言っても気に止めず、アルトは凪歩の頭の上で胸を反らす。
「だって、凪歩、気が付かないことがあるんだもの」
「……――って言ってる」
「いや、気が付かないコトってだってあるって……それにさ、逆にだよ? アルトちゃん、屋台の前で動かなくなったりするんだもん」
 良夜がアルトの言葉を伝えると、今度は凪歩が苦笑い。
「それくらいの余録が付いたって罰は当たらないわよ。大部分は凪歩と翼が食べてるんだし」
 買うまで動かないアルトに翼も凪歩も仕方なしに色々な物を買ったらしい。しかも、小食なアルトはほんの少しだけ食べたら、それで終わりなので、大部分は自分たちが食べる羽目になる。
「中途半端に食べたから、お腹が空いてるんだか、空いてないんだか、よく解らないよ……」
 決して太くないお腹をさすりながら、凪歩は微苦笑。良夜も同じように苦笑い。
 そんな話をしながら、良夜が凪歩を連れて行ったのは噂のD棟、一階にあるぼったくりカフェメイド&バトラーだ。コスプレメイドとバトラーが居るってだけでアルト外注のケーキやコーヒーに二割から三割、物によっては五割からの利益を吹っかけて売ってる辺りが『ぼったくり』と言われる所以だ。
「お帰りなさいませ、旦那様、お嬢様」
 恭しく頭を下げるのは三つ揃えのタキシードにオールバック姿の大学生。引き締まった体は平均よりも少し高めの良夜よりもまだ高く、ピシッと揃えた服装と優雅な仕草とが合わさって、男から見ても格好いいと思えるほど。
「良夜と大違い」
「わぁ……本物だぁ……」
 凪歩の頭の上で底意地悪い笑みをこちらに向ける妖精は当たり前のようにほったらかしにするも、その椅子になっているお嬢様まで眼をきらきらさせているのには、若干の頭痛。ため息混じりの視線をバトラーさんに向けて、彼は口を開いた
「……ああ、客じゃないよ、アルトの配達」
「ああ、はい。では、今、会計の者を呼びます。少々、お待ちください」
 最後まで慇懃な態度を崩さず、彼はその場を辞していく。
 その背中を無言で見送り、彼が消えると凪歩が口を開いた。
「浅間くん、今の人、知ってる?」
「んにゃ、知らない」
「格好良かったね、彼女とか居るのかな?」
「さあ? 居るんじゃねーの?」
 良夜が興味なさそうに答える間も、彼女は窓から中を覗き込んでは――
「あっ、あの人も格好いいなぁ……良いなぁ……バトラーさんに傅かれてコーヒーとか飲んだら、きっと美味しいよねぇ〜」
 格好いい人を見つけてはキャッキャッと歓声を上げる。
 そんな凪歩に釣られるかのように良夜も窓の中を覗いてみれば、そこには優雅にコーヒーや軽食を運ぶバトラー達と、それをサポートするメイド達、そして圧倒的に多い女性客で埋められた店内を伺うことが出来た。
「去年はただのカフェだったんだけど……今年は随分頑張ってるな……」
 去年や一昨年のことを思い出しながら、良夜が呟く。
「でも、まだまだね。あと十年は研鑽を積んで欲しいものだわ」
 答えたのは凪歩の頭の上に居たアルトだ。凪歩が窓から中を覗き込むようにしているから、必然的に彼女も中を覗く羽目になる。
「……大学、卒業しちゃうよ」
 そして、良夜の通訳を介して、アルトの言葉を知れば、中を見ていた凪歩が苦笑いで答える。
 そんな風に中の様子をつまみにして、良夜の通訳を交えて、三人のおしゃべり。そんな時間も決して長くはなかった。
「お待たせ……あっ、なぎぽん」
 すぐに出て来て、そう言ったのは、エプロンドレス姿のメイドさん。濃紺のエプロンドレスはロングスカートで落ち着いた雰囲気だった。
「なぎぽん言うな……――えっと……アレだ、あれ、ほら、アレだよ、あの人、ああ……顔は覚えてるんだけどなぁ……名前、出て来ないんだよなぁ……ねっ? 毎日来て、日替わりランチのAメニューに真夏でもホットのブレンドを頼む、ほら、英文の人、多分、二年」
 見覚えがあるのか、凪歩は頭を掛けて「えっと、えっと……」と言葉を繰り返していけば、言われたメイドの方が見る見る間に苦笑い。
「…………アイスコーヒーを飲むと、お腹を下すのよ。それから、名乗ってないよ、私」
「あっ……そっかぁ〜」
 ぽんと手を叩いて凪歩は視線をメイドに戻す。それにやっぱり、メイドは苦笑い。
「なんか、毎日会ってるし、普通になぎぽん呼ばわりだから、友達みたいな気がして……」
「てか、何で、英文の二年だって知ってんだか……って事はともかく、サンドイッチとケーキ、色々十人前、それとコーヒーだよね?」
「前期のテストの時に開いてた参考書とか……常連さんのことは結構覚えちゃうんだよね――あっ、はい。後、焼き菓子色々も入ってますよ」
「ああ、そうだったね、ありがとう」
 大きなバスケットと伝票をメイドに渡せば、メイドの方は封筒にお札を入れて凪歩に返す。それをチェックしたら、お釣りを渡して凪歩の義務は終了だ。
 受け取った封筒は二つに折ってハンドバッグへ……それを肩からぶら下げ直す。結構な金額が入ってるせいか、ちょっぴり凪歩も緊張気味。バスケットがなくなり、空っぽになった右手でハンドバッグ本体を抱えるような形で、体に密着させた。
「ところでさ、さっき、ここで受付してたバトラーさん、格好良かったね。やっぱ、英文の人?」
「えっ? あっ、うん、英文の二年だよ」
 凪歩に問われて、バスケットの中身を確認していたメイドが顔を上げて応えた。
「そっかぁ……同い年かぁ……良いなぁ……同い年」
「あっ、彼、浪人してるから……もう二十一歳だよ」
「そっかぁ……年上かぁ……良いなぁ……年上」
 うっとりと明後日の方向を、凪歩は見上げる。
 その横でメイドの笑みが引き攣っていることを良夜と凪歩の頭の上に座っている妖精は気付いていた。
 ただ、凪歩だけが気付かずじまい。斜め上を眺めながらにほんわかとした表情で頬を染める。
「彼女、居るのかなぁ……居るかなぁ……やっぱり……格好いいもんねぇ……声も素敵だもんねぇ……」
「普段、ユニクロだけどね……着てる服。頭もぼさぼさだし」
「じゃあ、選んであげたいなぁ……もう、買って上げても良いかなぁ……社会人の強みだよねぇ……」
 と、凪歩がそこまで言った時点で、ぽんと彼女の肩にメイドの右手が添えられた。
「……軽い気持ちで粉、掛けないでね? 一年と半分、粉、掛けられるの待ってる人が居るんだから、ね?」
 そう言ったメイドは良夜から見ると後ろ姿。残念ながら、その顔を彼が見る事は出来なかった。
 しかし、凪歩とその頭の上に居た妖精はしっかり見えていたようで、凪歩は勿論、全く関係ないはずのアルトまでもがブンブンと音がする勢いで首を上下に振った。
「ごっ、ゴメン、凄く軽い気持ちでした」
 凪歩が言った瞬間、くるん! とメイドは回れ右、良夜の肩をガバッ! と掴んだかと思えば、眼光鋭い三白眼で良夜を睨みつけた。
「だーかーら、私はイヤだったんだよ!」
「えっ?」
 咄嗟にそんな言葉が、良夜の口からこぼれ落ちた。
「アルトの従業員は、みんな、私に恨みでもあんの!?」
「なっ、何で……? 俺、アルトの従業員じゃ、ないよ」
「経営者の彼氏でしょ!? あと、あの、吉田貴美の友達!!」
「あっ……うん……」
「あの女が、英文の三年にオタ友が居るとかなんとかで、ウェイターの自作マニュアルを持ってきたかと思ったら――」

「まあ、アレだよ、所詮お祭りだしさ。茶店でバイトするみたく、本気で給仕とか覚える必要なんて皆無だし、三日で覚えられるもんでもないよ。でも、三つ揃えのタキシード、ぴっ! と着こなして、スマートに給仕したら……下手なホスト顔負けでモテんぞ? マジで。服は用意してやっから、天下、取ってみない? おめーら」

「なんていうから、奴ら本気だよ?! 本気になった挙げ句、このポニテ眼鏡みたいなのが朝からダースで来てるのよ!? 責任取れぇ〜」
 ピッと指を伸ばして、彼女は背後に居る凪歩を指さした。その顔は半泣き、てか、七割くらい泣いてるような気がする。
「あっ、うん……とっ、とりあえず、時任さんは連れて帰るから……あっ、あと、粉は、自分から掛けた方が……良い、と、思う、よ? 多分」
 ぐいっとメイドさんを引っぺがせば、ほとんど、逃げるようにその場を後にする。その背後ではメイドさんが「ふぇ〜ん」となんか、泣いてるような気がするが、それは聞こえないふり。

 なお、この後、本当に粉を掛けて、めでたく、このメイドとバトラーはおつきあいを始めるのだが、それは別のお話……

 後……
「……何で、何処に行っても吉田さんの名前を聞くんだろうな……?」
 凪歩に奢るついでに自分の分も買った良夜が呟く。ちなみにチーズウインナー、小腹が空いたのでお腹に溜まりそうなヤツ。それを囓りながら言うと、凪歩のクレープを突っつきながらアルトが応えた。
「……まさか、クレープのメニュー制定にまでしゃしゃり出てるとは思わなかったわね……――甘くないクレープは邪道よ?」
「……暇なら、ランチのバイトに入ってくれれば良いのにぃ……」
 そして、凪歩はがっくりとうなだれて歩いていた。なお、中身はストロベリークリーム。それはアルトに取り付かれ、チューチューと吸われていることは……だいぶん、余談。

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