学祭 The 3rd!(4)
 良夜はこれまで二回の学祭をほぼアルトの配達バイトで過ごしてきた。しかも、これが結構、忙しい。欠食女形の二条陽は幕間の度に何か食べ物を要求してくるし、メイドさんとバトラーさんを愛でる喫茶M&Bではアルトから取り寄せたコーヒーとサンドイッチ軽食などに二割の利益をふっ被せて横流しというえげつない商売をやってるし、漫研や文学部の連中は物販の店番が暇になると電話一本でコーヒーを持ってくるアルトの配達を便利に利用してくれるし、自分の研究室でアルトのコーヒーを飲むという年に一度のイベントを楽しみにしてる教授も居るし……
 食事をする暇もないほどにあっちゃこっちゃからの呼び出し……ではあったが、そう言う状況を良夜は結構楽しんでいた。
 義務として行かされないければ絶対に行かないような展示室や研究室にコーヒーを運ぶ。同じ工学部ならともかく、文学部の研究室なんて、こういう機会もなければ絶対に行かない。そう言う所に行って、注文してきた人と二言三言言葉を交わして、展示物を覗いたり、資料の棚を見たりするのは結構楽しかった。
 で、今年……
「……暇だ……」
 青年は暇だった。
 サークルには参加してないし、授業はないし、ゼミの研究室(セキュリティを研究、余談)に顔を出したら、院生が目の下に隈を作って端末の前に陣取っていたので、刺激しないように逃げるしかやることがなかった。下手に手を出そうものなら、学祭の間中、モニターとにらめっこだ。
 で、逃げ出した先はゼミから三軒隣の便所の前。出す物出して、すっきりしたところで、彼の前にいくつかの選択肢が産まれた。
 一つ目、帰ってゲームでもやって寝る。
 二つ目、アルトに顔を出す。
 三つ目、適当に何処かを廻る。
 一つ目、寂しすぎるので却下、検討の余地すらない。
 二つ目、配達を手伝わされて去年と同じ。
 三つ目、何処かって何処だよ……
 ……
 ここだよ。
 漫研の即売会場。
 漫研の即売会場は例年小講堂と呼ばれる小さめの教室を一つ丸ごと借り切って執り行うのが定番になっていた。ここは漫研部員達が作った怪しげな同人誌を売ったり、有志がコスプレしたりと、比較的盛り上がる場所だ。
 教室の入り口は、女性キャラの笑顔が眩しいポップで飾り付けられていて、いつもとは随分と違う空気を醸し出す。その空気を分け入るかのように室内に入れば、聞き慣れた声が彼に投げかけられた。
「あれ、速かったな?」
 その声が聞こえた方へと視線を向ければ、見覚えのある顔が不思議そうな表情で良夜を見上げて居た。去年も一昨年もこの入り口の受付兼レジに座って同人誌をめくっていた同級生だ。
 ちなみに今年も同人誌をめくっている。
 えろいヤツ。
 黙ってるとそこそこ以上に整った顔だし、引き締まった良い身体付きなのに、こういう態度と着る服の九割がユニクロと言うのが残念だと言うのが彼の評判。そんな彼に視線を落とす……も、紙面からをもこぼれ落ちそうなおっぱいの方が視線の吸引力は高め。そちらをチラ見しながら、良夜は問い返した。
「速いって?」
「五分くらい前だぜ? 俺がカツサンドとアイスコーヒー、頼んだの」
「えっ? ああ……俺、今年、アルトの配達、やってねーよ」
 良夜が答えると友人は同人誌を閉じ、改めて良夜の顔やら体をマジマジと見詰めた。
「……そうなんだ? そー言えば、服、私服だな……ユニ友よ」
「なんだよ、それ?」
「一緒にユニクロを着る友達」
「残念、これはシマムラだ」
「変わらん、変わらん」
 そう言って友人が屈託なく笑えば、青年も格好を崩して笑みを浮かべた。
 そして、彼が陣取るテーブルを椅子代わりにして、視線をレイヤーや買い物客、冷やかし客でごった返す教室内部へと向けた。
「去年よりも大分盛況だなぁ……」
 色とりどりのコスプレイヤーとそれを眺めたり、からかったり、写メを撮ったりする客達、それを一歩引いたところから彼はぼんやりと眺めながら、一歩引くどころか、再び同人誌をまた開いた友人に声を掛けた。
「来てる割りに、売り上げしょぼいけどな。コスプレ見物ばっかだよ。今年は気合いが入ってるから」
「そうなのか?」
 言われて良夜はコスプレをしている連中へと視線を向けた。
 アニメは見るが見るだけで、凄く大好きというわけでもない。コスプレもネットで写真を少し見る程度で、学祭以外で実物を見たことはない。だが、それでも彼らのコスプレには随分と手間と時間が掛かっているような気がした。
 空色のセーラー服なんかはそのまま、何処かの女子高生の制服になってても不思議じゃない出来映え。エメラルドグリーンのツインテールが着てるワンピースもメタリックな輝きを放っていて、メカニカルな質感が良く出てる。他の女子大生コスプレイヤー達も、みんな、可愛くて、よく似合ってる。見ているだけで楽しい。
 もっとも、そこから右の方へと視線を動かすと、怪しげな空間が広がっているから油断できない。そこには数人のなんか汚らしい男達が、ござを引いてドンブリにさいころを放り込んでる。一見すると場末の賭場だが、背景に『ざわ……』の書き文字を背負ってるところからして、何のコスプレか一目瞭然だ。なんかもう、人生の落伍者感がハンパなく臭ってくる辺り、非常に良く出来てると言える。
「この日のために一週間、風呂に入ってないからな、あの空間の連中」
「……アホだな」
 終わった人々の群れに友人が顔を向けて語ると、良夜はため息混じりに呟く。
 すると、彼は手にしていた同人誌をテーブル、売り物の山に返して、顔を上げた。
「今年はコスプレに演劇部が協力してくれてるから……」
 見上げた彼が言う言葉を、良夜は女子高生姿の女子大生を見ながらに聞く。
「へぇ……なんで?」
「吉田が演劇部のお針子部隊とメイク部隊を連れてきた」
「えっ?」
 思いがけぬ名前が出てきたことに驚き、視線を斜め下、椅子に座る友人へと向ける。
「ほら、ぽちゃっとした胸の大きな四年生」
「川東さん? 二条さんの彼女の」
「ああ、その人、その人。その人と吉田が知り合いなんだろう? 手伝うって話しを取り付けたみたい」
「……何やってんだかな……あの女……?」
 青年がぼんやりとした口調で呟くと、友人も「さあな」と苦笑いで言葉を返してくる。
 そして、しばしの間、どうでも良い、話した片端から忘れ去っていくような雑談で時間を潰していると、遠くから一人の女子……大学生のはずだが、とある漫画の女子高生が着ていたセーラー服を身に纏った女性が声を掛けてきた。ちなみに頭は真っ青、まあ、桂……ウィッグってヤツか? それともヘアマニキュアか……? この辺りは良夜にはよく解らない。
「あっ、浅間くんじゃん、見に来てくれたの?」
「えっ……ああ、うん、そうだよ」
「そっかぁ〜ありがと。ついでになんか買って帰ってね」
 快活な声で言うだけいって、彼女はとっとと他の客のところへと掛けだしていったかと思えば、また別の客に声を掛ける。それはまるで花から花へと廻っていくミツバチかチョウチョのようだ。
 それを呆然と見送っていれば、斜め下から声が掛けられた。
「で、浅間は誰か解ってないだろう? アイツ」
「……誰?」
「福家、同じ工学部三年の数少ない女」
「……そばかすだらけの?」
「そう、化粧よりもスクリーントーンが顔に付いてる比率の方が圧倒的に高い、あの、福家」
 言われてみれば、彼女のような気がするなぁ……と、夏休み前、一緒に実習をやったときのことを思い出しながら、彼は「へぇ……」と声を上げた。その脳裏に浮かぶのは、そばかすは何処に消えたんだろう? と言う疑問。
「化粧指導、吉田と演劇部有志」
「……あの人、フットワーク軽すぎるぞ……」
 去りゆく同級生の背中を視線で追いかけながら、良夜が呟く。
 そして、ギシッと言う音に釣られて視線を戻せば、友人が椅子の背もたれに深く背を預け、天井を見上げていることに気付いた。
「そばかすはあるけど、素材が良いからって……気合いが入ってたらしいよ。やっぱ……三次元の女はこぇーわ……」
「何で、そう言う理屈になるのか、よく解んないけどな、俺は」
「だって、アイツ、風呂から上がると顔変わるぜ?」
「そうだろうなぁ……そばかす、消えてたもんな……」
「でも、買ってきたコミックが翌日になったら、顔が変わってるとか、ないじゃん? 二次元は」
「連載始めと終わりで顔が変わってる二次元は良くあるけどな」
「まあ、それは言ってやるな。世の中にはページごとに顔の違う二次元もいる……それより、何か買ってけよ?」
「買ってけって……言われてもなぁ……」
 言われて青年は手元の薄っぺらい自主流通本を取り上げた……ら、その表紙には少年二人が抱き合っていたので、無言のままにそれをテーブルの上に返した。
 その様子を目で追いかけていた友人がボソッと呟く。
「……それ、すげーぜ?」
「……凄いったってなぁ……」
「吉田監修」
「……おいおい」
「いやぁ、あの女の妄想と萌えを紙に出力できれば、天下取れるって……文章でも絵でも良いから」
「……三次元に出力したら犯罪者にもなれるんだろう?」
「まぁなぁ……ってまあ、それも凄いけど、浅間向けなのはこっちだな」
 言って彼が別の山へと手を伸ばす。そして、そこから一冊の、これまた薄っぺらな自主流通本を手に取り、良夜に渡した。
 そちらは――
「……ぺったんこパンパン……貧乳はステータスだ! 希少価値だ! 立てよ、同志達! ……って、なんだ? これ」
 デカデカと書かれた煽り文句に古今東西のエグレキャラ大集合な表紙……どう言う本かと思って開いてペラペラとめくってみたら、まあ、案の定な感じだったので、とりあえず、閉じておく。
「お前、好きだろう? ぺったんこ」
「なんで?」
「……言わせたいわけ?」
 鼻で笑った感じにむかついたので、ポコンとヤツの頭を丸めた雑誌で一発叩いておく。
「別にぺったんこが好きなわけじゃないよ……好きな人がぺったんこなだけ」
「おっ、なんか、格好いいことを言ったような気がするが、ようするにアルトの黒髪の方はぺったんこって事だよな?」
「……否定はしないけど……後、二次元で愛でるならペッタンよりも大きい方が――…………」
 言った瞬間、青年の首に冷たく硬い感触……
「ほほぉ……そんなに巨乳が良いの?」
 地の底から響き渡るも美しいソプラノボイスが背後から聞こえた。
 それと同時に背中を嫌な汗がダラダラと流れる。
「あっ、うっす、なぎぽん」
 そんな友の一大事に気づきもせず、友人はポニーテールの眼鏡っ子――喫茶アルトフロア担当下っ端スタッフ時任凪歩が店内……もとい、教室に入ってきたのを見つけ、声を掛けた。
「お待たせしました。カツサンドとアイスコーヒーです。この水筒がコーヒーで、こっちが氷です。後、なぎぽんって呼ぶな」
 固まる良夜の隣にテキパキと彼女はカツサンドを並べ、大ぶりな紙コップにアイスコーヒーを注いでいく。最後に頬を膨らませる可愛らしい仕草付き。
「なぎぽんはなぎぽんじゃね? っと、いくら?」
「えっと……――」
 と、隣で精算してるのを横目に青年は小さな声で囁いた。
「やあ、アルトさん……何してんの?」
「凪歩も翼も学内は不案内だから、案内してたのよ……それより、巨乳好きとはね……あんな脂肪のかたまりを愛でたいんなら、食肉売り場でラードの固まりでも眺めてなさいよ……まっ、貴方の命が次の瞬間にあったら、の話だけど」
「……こっ、殺されるようなことはなんもしてないぞ……」
「……信じていたロリに裏切られ、アルトちゃんの小さな胸は激しく痛むのです」
 芝居がかった口調、クネクネと体をくねらせる妖精……その胸元を一瞥すれば、青年はポツリと呟いた。
「……ほんとに、小さいからな……」
 プチッと何かが切れる音を何処か遠くで聞きながら、青年は内心思う――
(あっ、やっぱり……)
 そして、妖精は叫んだ。
「死ねっ!!!」
 ザクッという嫌な音と良夜の悲鳴が漫研即売所の中に響き渡った。

 さて、この後…… 
「浅間くん、『好きな人がぺったんこでした』って良い言葉だよね、美月さんが聞いたら、泣いて喜ぶよ?」
 そう言って肩をポンポンと叩いたのは、時任凪歩さんだった。その底意地の悪い笑顔は金色の頭をしたコイツの上司そっくりで、ぶっ殺してやりたくなった。
「屋台のクレープ、食べたいなぁ〜」
 が、そんな度胸はないので、素直に屋台のクレープで口を封じることにした。

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