学祭 The 3rd!(3)
貴美が出て行き、一人になった二研の部室。部員達が集まるのはもうちょっと先と行ったところか? ゴスロリ姿の直樹はペラペラとバイク雑誌をめくりながら、ぼんやりとどうでも良い時間を過ごしていた。
「うーっす」
そんな静かな時間を破ったのは同じ学年の友人の声だった。宮武哲也、二研内部では『たぬ吉の彼氏』と言った方が通りのいい男だ。もっとも、未だに彼は『付き合ってない』と主張しているのだが……
「早いですね?」
見知った顔に声を掛ければ帰ってきたのは思いも寄らぬ言葉だった。
「……あれ……部屋、間違えた?」
言って彼は辺りをキョロキョロ……しばしの間辺りを眺めていれば、そこが二研の部室であることを再確認したのだろう。もっとも、こんな風に室内に大量のバイクのパーツが転がってる部屋なんて、二研の部室以外にない。その事を確認したヤツは、改めて直樹の顔を見下ろし、言った。
「……あれ、誰?」
「………………僕ですけど?」
ボソッと小さな声で直樹は答えた。
「僕って言われても……俺、僕っ娘の知り合いは居ないぞ?」
「……高見直樹」
「……………………」
長い沈黙があった。
座りもしない同級生を直樹が下から見上げ続けていると、彼はポツリと言った。
「OK、俺、男の娘も行けるっぽい」
そう言ったので、とりあえず、直樹はどっこいしょと立ち上がり、二研部室の片隅、工具置き場と化している部分を漁り始めた。そこは漁ると割と色々な物が出てくると言われる場所だ。よく見かける物から、変わった物まで……ここにある工具を使えば、バイクを一台、ばらばらにすることが出来ると言われる……ちなみにバラした物が元に戻せるかどうかはやる人次第。直樹は、自分では出来るつもり。
「何してんだ? 直樹」
直樹が座っていた席の斜め前に。彼は腰を下ろしながら尋ねた。
「ええ、ここに確か、四百ミリのモンキーがあったと思うんですよね……」
「……何する気だよ……」
そう言う哲也の声には若干の震えが合って、直樹が何をするためにそれを探しているのかを察しているようにも思えたし、それは多分、正解だと思う。
そして、探すこと十秒。巨大な鉄のかたまりが工具箱の中から現れた。全長四百ミリのモンキーレンチ。大きいけど肉抜き窓が開いてて、長時間使ってても疲れないという逸品だ。コイツで――
「――とりあえず、一発、ぶん殴っておこうかと思いまして……」
「止めて、マジ止めて? 死ぬよ? 人は死ぬんだよ? 意外と、あっさり」
「じゃあ、悪い冗談は止めてください。ただでさえ、気が立ってるのに……」
パチンパチンと手のひらにモンキーを叩きつけながら、直樹は元々座っていた席に腰を下ろした。
「……直樹、モンキー、片付けろよ……」
「…………とりあえず、護身用」
テーブルの片隅にモンキーを置いて、再び、雑誌に目を落とす。厚めのバイク雑誌、その通販ページ。買ったらぶっ殺されると言う事は十分に理解しているが、このハンドルポストがなんとなく欲しい。これにブルーのバーハンドルを付けて、同系色のアルミ削り出しのレバーセットを組み込んだら、結構、格好良くなるのではないのだろうか……
「目の毒なページ見てんな?」
「見てるだけですよ……ところで、まだ、早くないですか?」
視野の外から聞こえる声に、顔も上げずに応え、そして、尋ねる。そのまま、ページをめくれば、そこにはカーボン製のフロントスクリーンがあった。所謂、風防。虹色に光っていてこれまた綺麗だ。
「たぬ吉が、また、今年も巫女服でバイクの安全祈願、やるんでな。今、漫研の部室で着替え中」
「へぇ……そう言えば、去年、大分、儲けたらしいですね? そのお祓い」
「まぁな……でも、去年、安全祈願をやってやった連中で一人、ハイサイドで踊った奴が居てなぁ……」
「……御利益、なかったんですかね?」
パタンと雑誌を閉じて、直樹は顔を上げた。すると、徹夜が閉じた雑誌に手を伸ばしたので直樹は素直に手渡した。
その雑誌を広げながら、哲哉が答える。
「まあ、あの事故で擦り傷だけ済んだのは御利益だったのかもなぁ……原チャリはやっぱ危ないよ」
「ああ、原付だったんですか? 良く知ってますね」
哲哉が雑誌に目を落としたままでそんな事を言うのを、直樹は”護身用”に置いてあったモンキーを手のひらの中で弄びながらに聞いた。ずっしりとした重みを手の中で右にやったり、左にやったり……
「そうそう。原付。日文の今……二年かな? 原チャリ、廃車にしてけー子さんとこで新しいのを買ったから、知ってんだよ」
「懲りない人ですねぇ……」
「実家通いのヤツで、大学まで直通してる電車やバスもないから……車の免許もないし、結局、原付が一番手頃なんだよ」
「なるほど……」
哲哉は雑誌に視線を落としたまま、直樹は大きなモンキーレンチをダンベルの代わりに上下させながら、互いに視線も交わさず、話を続ける。
そして……
「そっ。それで、あのバカ、本気になってなぁ……」
上下運動してたモンキーをひょいと空中で一回転、パシッ! と握り直して、直樹は尋ねた。
「本気って?」
その瞬間、カチャリと音を立ててドアが開いた。
「お待たせしました。あっ、直樹さんも居たんですね?」
落ち着いた澄んだ声に直樹は、その方向へと顔を向けた。
「おはようございます」
すると声の主は恭しく頭を下げた。
麦秋を連想させる美しい金髪、その頂点でピコピコと可愛らしく動く狐の耳、されど、大きな垂れ目とふっくらとした頬、低い鼻がキツネと言うよりもタヌキな感じ。大学生どころか人間ですらないのに、大きな顔をして二研に入り浸った挙げ句、なぜか、マスコットに指名されているたぬ吉、自称、稲荷のお使いのキツネ様。
と、言うことを直樹は知識では理解していた。しかし、それを感情が認めなかった。
「よく似合ってますよ」
ニコッと上品な笑みを浮かべて、彼女はそう言った。そして、白い上着に赤い袴の巫女装束に身を包んだ彼女は、しずしずと部屋の中に入り、哲哉の隣に腰を下ろした。
それを目で追い、直樹は呟いた。
「……なんか……今日のたぬ吉さん、ちょっと変ですよね?」
「ああ……アイツ、ここ三日、潔斎してんだよ」
「けっさい?」
「潔斎とは酒肉の飲食を慎み、朝な夕なに沐浴して、心身を清めて神事に望むことです……」
静かな声で答えたのは直樹が尋ねた哲哉ではなく、椅子に座ってたたぬ吉の方だった。
そのタヌキに似ているとは言え、整った顔を呆然と見詰めながら、直樹は呟く。
「……これがいつもノリノリハイテンション、便所の百ワットって言われる……たぬ吉さんですか?」
「ああ、これが呼吸器系にしゃべらないと息が出来なくなる欠陥を抱えた生き物と呼ばれるたぬ吉だよ」
「……お二人とも、キツネ舐めると七代祟りますよ?」
「あっ、たぬ吉さんらしい台詞」
さすがに悪口を連発されてか、たぬ吉がポツリと漏らす。それでもたおやかな笑みを崩さないのは立派な物だと妙なところで直樹は感心した。
「まあ、でもなぁ……」
「はい?」
「いや、大分無理してんだよなぁ……」
相変わらず、哲哉は雑誌に視線を落としたまま。そのままの格好を崩さずに呟く。
「そうなんですか?」
「そんな事ないですよ?」
その呟きに直樹とたぬ吉がそれぞれ答えると、哲哉はパタンと雑誌を閉じて顔を上げた。
「たぬ吉」
「はい」
「あっち……」
言って指を窓の外へと向ければ、たぬ吉は視線をその先へと向けた。
そして、ひと言――
「肉」
哲哉がそう言った瞬間、たぬ吉はガバッと立ち上がり、窓に取り付く。
「お肉!? どこっ!? 何処ですか!? お肉!? 分厚いステーキですか?! 草履みたいなとんかつですか!? それともかりかりの唐揚げですか!!!??? 生でも良いです、生! 生肉可!!!」
そして、窓を開けば、身を乗り出して辺りをキョロキョロ。ちなみにここは二階。危ないったらありゃしない。
「……食肉目だからなぁ……二日目の夕方くらいから、大分精神的に追い詰められてるんだわ……アイツ」
そんなたぬ吉の様子を頬杖を突いて哲哉はぼんやりと見詰める。
「…………肉食を慎めるタイプの生き物じゃないんですね……」
それに習うように直樹もたぬ吉の背後を唖然と見やる。
「にぐーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」
何処かの航路で海賊王でも目指している青年のような声を上げての大絶叫が早朝の学内に響き渡り続ける事、一分。
やおら落ち着いたたぬ吉がようやく窓から離れ、テーブルの傍へと帰ってきた。
「窓の外にお肉なんかあるわけないじゃないですくわっ!?」
バン! とテーブルに手を突き怒りの形相、くわっ! と牙を剥いて、彼女は哲哉を威嚇する。ガルルとうなり声を上げるたぬ吉は割と普段と同じで一安心だ。
「あるわけねーだろう……バカじゃねーか? おめえは」
そんなたぬ吉の文句を軽く受け流す哲哉もいつも通り。なんとなく、これを見ないと二研に来た気がしないとは直樹を始めとする部員一同の感想だ。
そうこうしているうちに、三々五々、部員達が集まって来れば、余り広くない上に荷物やパーツが散乱する部室はあっという間に満杯。
「わぁ、なおっちゃん、たぬきっちゃん、ふたりとも、やっぱ、可愛いねぇ〜」
「馬子にも衣装だなぁ……」
「どっちが?」
「たぬきっちゃん、俺、女一筋」
「直樹……今度デート――……モンキー振りかぶるのは止めようよ……」
「じゃあ、私は? って、可愛いなぁ〜もう、お家に持って帰って、床の間に飾りたい!」
「お巡りさん、この人です」
彼らは口々にゴスロリの直樹を褒めて、巫女装束のたぬ吉を愛でる。
そして、二十人ほどで部屋が一杯になった頃、最後に入ってきたのは――
「おまっと〜」
編み上げブーツはオーバーニー、ローライズのホットパンツとの間に出来上がる絶対領域が眩しいおみ足。その上にはアンダーバストがギリギリ隠れるぴっちりとしたハーフトップがグランドキャニオンもかくやというような深い谷間を形作る。それら全てがシルバーに光るメタリックな素材で統一され、胸元には真っ赤な文字でNISHIYAMA Motorsと2−4Labの文字。どうやら、去年の副部長、西山恵子の実家がスポンサーという体裁らしい。
そんな姿の恋人――吉田貴美だった。
直樹は彼女の姿を見やり、思わず、ポツリと呟いた。
「……脳みそ、茹だったんですか? 残暑で」
「……開口一発目がそれなんや……?」
手には閉じたパラソル、それをひょいと肩に背負って貴美は苦笑い。ポンポンとパラソルを肩たたきにしながら、彼女は言葉を続けた。
「今年はアルトでバイトしないで良いって話がばれちゃってたみたいでねぇ〜なんだかんだで押し付けられたってー訳よ。言ってなかったっけ?」
「聞いてませんよ」
「まあ、言ってないけどね」
嘯く貴美から視線を逸らして、直樹は肩をすくめてため息一つ。その耳元に――
「吉田先輩がやんないなら、私がやって、直樹先輩とツーショット撮りまくるぞ、って言ったら、折れたんだよ」
と、囁いたのは今年入学の女子大生。囁かれた側が「えっ?」と顔を向ければ、いたずらに微笑む姿がそこにはあった。
「うっさいよ、アマナツ!」
天城夏瑞(あまぎなつみ)でアマナツとは貴美が付けたあだ名だ。ほのかに赤い顔で怒鳴りつけると、言われた方はそれ以上に赤い顔で怒鳴り返す。
「みかんじゃない!」
そして、二研の部室に笑い声がこだました。
「ともかく! だよ。経緯はどうあれ、私が絡む以上、売り上げは去年よりも増えることはあっても減ることは許さんかんね!?」
その笑い声を誤魔化すように貴美は声を上げるも、集まった連中のざわめきは収まりが付かない。特に……
「吉田さんも可愛いとこあるんだなぁ〜」
「ああ、噂によるとヤンデレ体質らしいよ」
「……今時、ヤンデレか……四年遅いよな」
等と、貴美を揶揄する会話が花盛り。
そんな連中を前に、貴美の瞳が暗い光を発して光り、形の良い唇がポツリと小さな言葉を紡ぎ出した。
「……広められたくない秘密のない奴らだけ、そー言う態度とんなよ……」
その一言にシーンと部室が静まりかえる。真っ青な顔の部員達を睥睨し、貴美は大きく頷いた。
「って、訳で……さあ、みんな! アルトでパーッと打ち上げ目指して、稼ぐんよ!!」
わざとらしくも明るい声で貴美が宣言。それに「おー!」と皆が言葉を合わせれば、慌ただしくも楽しい学祭の始まり、始まり……
で、その頃の浅間良夜……
「……すー……すー……」
授業がないので、まだ、寝てた。
ご意見ご感想、お待ちしてます。