酒が飲めるぞ〜(完)
「良夜さん、どうぞ」
「えっ?」
 満面の笑みで三百五十ミリリットルの缶酎ハイを美月が差し出すと、青年はキョトンとした表情で、思わず固まった。ちなみに右手には箸、左手には具材が大量に載った取り皿。そして、テーブル、良夜の割と狭めな領土にはなみなみと注がれたグラスが一つ、鎮座ましましている訳で……青年はそれへとチラリと視線を落とし、もう一度、彼女の顔に視線を戻した。
「えっと……」
「ですから、お酌ですよ? 知らないんですか?」
「……いや、知ってるけど……」
「はい。じゃあ!」
 彼氏が箸と取り皿を持ったままに固まっていれば、彼女は彼女で缶酎ハイを差し出しままに満面の笑み。
 そして、二十秒。
「……諦めなさい。それは空になるまで、絶対に、下りないわよ」
 言ったのは鍋の傍で厚そうにスカートをパタパタさせている妖精さん。暑ければ、そんな鍋の傍に居るのは辞めろ、と心の中だけで的確なる突っ込み。もっとも、テーブルの上は食器だらけで他に座るところもないのだが……
「……珍しいね、どう言う風の吹き回し?」
 尋ねながら、彼はわずかに残る領土に取り皿を置き、代わりにグラスを持ち上げる。
 ずっしりとした重みのグラス、なみなみと注がれた液体は琥珀色に泡立つ発泡酒。飲まなきゃ注いで貰えないのは明白だし、ピーチの缶酎ハイを構えた美月もそのつもりのようだ。ため息一つ零して、青年はグビグビと半分ほど、グラスの中身を喉の奥へと流し込んだ。
「それくらい一気に開けなさいよ、男らしくないわね」
「うるさい、そんな男らしさは要らないの――あと、美月さんも早く飲んで、みたいな顔しない!」
 茶々を入れるアルトを一括するも、スカートを団扇にすることに余念がない妖精はツーンとそっぽを向いて知らん顔。その向こう側では美月は未だに缶酎ハイを抱えたまま、笑顔を浮かべていた。
「えっ? ああ、大丈夫ですよ、ちゃんと待ってますから!」
 待たなくて良いのに……と、内心呟く。相変わらず、彼の彼女は笑顔で押しが強い……そんな事を考えながら、残り半分は先ほどよりもゆっくりめに飲み干した。
「はい。どーぞ」
 待ってましたとばかりに注がれる缶酎ハイ。
「ありがとう」
 七割ほど注がれた時点で言えば、彼女はニコッと笑って答えた。
「まだ、こっちに残ってますよ?」
「……いや、置いといて?」
 チャプチャプと左右に降られる缶酎ハイに若干の頭痛。軽く一口だけ口を付けて、彼は尋ねた。
「それで、どったの?」
「まだ、沢山入ってるのに……――ふえ? 何がですか?」
「だから、お酌……そんなことしてくれるの、初めてでしょ?」
 良夜が尋ねると、小首をかしげていた彼女は「ああ!」と声を上げた。
 ――缶酎ハイを抱えたまま。
「……空になるまで下ろさないって……それは」
「えっとですね。とりあえず、今日は良夜さんの誕生日ですから。それとですね……」
 アルトの呟きに気付くこともなく、美月は笑みの間に言葉を紡ぎ、そして、口を閉じる。そして、視線を動かしたその先には……
「……ああ……」
 綺麗な取り皿を前にほっぺたを押さえている女性の姿があった。
「しゃーわせ、みんな、おいしいっていってくれて、しゃーわせ」
 左右に揺れる愛らしい女性、自分はほとんど食べてないのに周りが食べてくれることを喜んでいるは本日のお料理人、寺谷翼女史。余り食の太くない翼は直樹が帰ってくる前につまんでいたチョコレートのお陰ですでにお腹満腹、なのにお酒だけはグビグビと良い勢いで飲んでるものだから、今やすっかりベロンベロン。
 そんな彼女をぼんやりと見ていれば、それに気付いた翼が破顔して尋ねる。
「えへへ、りょーやん、おいしい?」
「……ああ……うん」
「ちーふ、おいしい?」
「えっ……あはは、はい、美味しいですよぉ?」
 良夜も美月も引き気味に応えるも、翼はそれに気付く様子もない。
 先ほどからずっとこの調子。鍋に舌鼓を打つメンバー相手に、美味しいか? と尋ね、美味しいと言われては一人ご満悦。もっとも、聞かれる方はこれが四回目で若干、辟易していた。
「まあ、気持ちは解るんですけどねぇ〜キッチンに引っ込んでるとお客さんの反応は、食べ残しくらいでしか解らなくて……」
 未だに缶酎ハイを抱えた美月がそう言うと、青年は美月も料理が美味しいかどうかを良く聞きたがるな……と思い当たる。
「それとですね――あっ……」
 続けられようとした美月の言葉を遮るようにジャバーっと言う水の流れる音が部屋の片隅、ユニットバスへと続くドアの向こう側から聞こえた。その水音が数秒続いた後、カチャリと小さな音を立てて、ドアが開く。中から出てくるのは、妙にすっきりした顔の時任凪歩さん。
 その出て来た凪歩に鍋を突っつく貴美が手を止め、顔を上げた。
「……なぎぽん、もうちょっと遠慮して吐きな? 外までケロケロ言ってんのが聞こえたよ」
 あきれ顔の貴美が言うのは、ここに居るメンバー全員が思っていたこと。ただし、翼は除く。今の彼女は何も考えちゃ居ない。
 そして、言われた凪歩が大きな眼鏡の向こう側、大きな目をまん丸に見開き数回、ぱちくり。貴美と美月の間に腰を下ろしながら、バツが悪そうに頭を掻く。
「うえっ? そっ、そう? うーん……でも、ほら、吐かないと飲めないから……」
「……まあ、片付けるんはりょーやんだから良いけど」
「よかーねよ」
 会話を打ち切る二人に的確な突っ込み。
「ちゃっ、ちゃんと、洗ったし、換気扇も回してるから……!」
 慌てて凪歩が弁明するも、彼女の手にはしっかりとグラスが一つ。しかも他のメンバーが使ってる物よりも一回り大きなヤツ。そいつにたっぷりとウィスキーを注いで、申し訳程度に炭酸水を足して、軽くステアすれば、なぎぽんスペシャル(貴美命名)の完成だ。
 そのなぎぽんスペシャルを凪歩はグビグビと一息で半分ほど飲み干す。
 見ていた美月は軽くため息を吐いて、良夜へと視線を向ける。
「と、まあ……こんな風に女の子がお酒に溺れてる様というのは、すごーく、見苦しいかなぁ〜と思いまして」
 美月が苦笑いを浮かべてそう言った瞬間、歓談の声と食事の音が止まった。美月以外、全員(含む翼)の手が固まり、視線が彼女に集中。
「前回は私も飲んでますから、よく解ってなかったんですけど……ふえ?」
 その沈黙に気付いた美月も言葉を止めて、ぱちくり瞬き数回。辺りをゆっくりと見渡し、ポツリと言った。
「ふえ? どうか……しました?」 
 そうと言ったきり、美月も口を噤めば、コトコトとカレー鍋が煮える音だけが良夜の部屋に響く……事、十五秒。
 沈黙を破るかのようにすっくと立ち上がる勇者の姿!
「一番、酒癖悪いのは貴女よっ!!」
 細いストロー(鶏団子付き)でぴし! 美月の顔を指し示すその顔は小なれど、意気込みに充ち満ちていた。
 ――半裸だけど。
「……お前もだよ」
「いたっ!」
 ぴん! デコピンの容量で後頭部を弾けば、コテン! と下着姿の妖精が狭いテーブルの上にひっくり返った。

「そっ、そんな事ないですよ〜」
「……いや、割とそんな事あると思うよ」
 ズキズキと痛む手のひらをブラブラさせながら、美月に妖精の言葉を伝えれば、美月の顔が途端に曇る。されど、周りの評価は概ねその妖精と同じ物。
「まあ、一番、タチが悪いんは美月さんだよねぇ〜」
「ちーふはおさけにのまれるるのれふ〜」
「……まあ、翼さんとは五十歩百歩だと思うけど……」
 貴美、翼、凪歩の三人が口を揃えてそう言えば、美月の頬はまるで風船のようにプーッと膨らんだ。
 そして、回ってくるお鉢。
「そんな事、ないですよね!? 翼さんの方が酷いですよね?!」
「……いや、具体名を挙げられても……」
 縋り付くように美月が身を寄せ、良夜の顔を見上げる。
「だって、あれですよ?!」
 しゅぴっ! と美月の荒れた指先が良夜の背後を指し示す。
 そして、指し示された女は満面の笑みで言う。
「つばさちゃんの柔肌はこころにきめたひとしかみせないのれす〜!」
「それじゃ、私が誰にだって見せてるみたいじゃないですくわっ!?」
「ここにいるひとはみんな見てるお〜」
 良夜を挟んでキッチンの先輩と後輩が口喧嘩。矛先こそは逸れた物の、挟まれた身には良い迷惑。とりあえず、美月に注いで貰ったグラスから缶酎ハイをちびりちびり。
「……脱ぎ出さないだけで美月さんも飲んでるからなぁ……」
「……良夜、お替わり」
 首をすくめてため息を吐けば、テーブルの上のアルトがショットグラスを抱えて突き出した。ちなみに先ほどまでは半裸だったが、今はちゃんと服を着ている。白いフリルのワンピース、昼から着ている奴だ。
「お前もいい加減、酒癖悪いの、自覚しろよな……」
 良夜の飲みかけは未だに美月が抱えている。奪いに行くのもなんかイヤだし、代わりに新しい酎ハイを開いて、彼女のグラスに注いでやる。
「私は良いのよ、どうせ、誰も見ないんだものっと……ああ、ありがと」
 グビグビグビと一息に飲み干し、彼女は「ふぅ〜」と大きく息を吐いた。それを見ながら、青年もチビチビ、つまみにカレー出汁の染みこんだ豚肉をパクリ。
「まあ、九十九歩百歩で、美月さんのがタチ悪いやね」
「えぇぇぇぇ!! もう、それじゃ、ほとんど、変わらないじゃないですか!? だいたい、この場に居るの、みんな女の子と彼氏なんですから、少しくらい、脱いだって良いと思うんですよ?」
 貴美の言葉に美月が応えた次の瞬間、一人の“男”が呟いた。
「僕……居ま――ぎゃっ!」
 その言葉は最後まで紡ぎきられることもなく、貴美のスナップのきいた右拳がその言葉を生まれる前に地獄へと送る。
「見たいんな?」
「……べっ、別にそう言うわけじゃ……」
 絶対零度の言葉に直樹は頭を抱えて黙り込む。
「でも、美月さんがその調子だから、今日も家飲みになったんだよね?」
 そう言ったのは、直樹の頭に肘を置いてる女の部下、凪歩だ。彼女はグビグビと酒を飲みながらに、笑顔で、からかうような口調でそう言った。
「ふえ?」
「だって、翼さんはつばさちゃんになって、翌日、半泣きで、マリアナ海溝よりも深く反省するだけで、実害ないけど、美月さんが居酒屋とかで裸になったら、恥ずかしいもんね、周りが」
「さっ、さすがに私だって、外で飲めば脱いだりしないですよ〜」
 言われて美月はアルコール以外の意味で赤くなった顔をブンブンと左右に振って慌てて否定。
 されど、周りの連中は冷たかった。

「いや、絶対に脱ぐって!」

 断言は見事な合唱だった。
 その合唱の余韻が静寂となって部屋を覆い、ゆっくりと消えていくこと、数秒。
 そして、美月は言った。
「飲んでやります〜〜〜〜〜!!!!」
 そう言って美月は、まずは良夜に次いでやった残りの缶酎ハイを一気飲み。そして、アルトのために開けたほぼ新品のそれも一息に飲み干せば、彼女の体感気温はうなぎ登りで――
「あついです〜〜〜!」
 が始まった。
「……まあ……もう、良いや……好きにして……」
 サメザメと良夜は泣いた。
 誕生日なのに……

 それから数時間、飲めや歌えの大宴会は良夜(誕生日)をほぼ置き去りにして続いた。概ね楽しんでるのは、飲んべえな女達。男二人は割と忘れられている感じが寂しい
「んじゃ、そろそろ、お開きにしよか? 美月さんとつばさんは明日も仕事やしね」
 それでもいつまでも続けるわけにもいかず、美月が半裸でうつらうつらし始める頃、貴美によって幕が引かれた。
 その幕を引いた彼女はゴミはゴミ袋、汚れた食器のうち、良夜の部屋にあったのは良夜の部屋のシンクの中へ。自室から持ってきた奴は空っぽになった土鍋に放り込み、自室へと持ち帰る。その他にも人一倍飲んでるのに、全く酔った様子を見せない凪歩には、美月の脱いだ服を着せるように指示したり、ベロンベロンになって頭を抱えている翼には水を与えさせたりと、非常に気が効く。
 そうなると、良夜と直樹、男性陣は必然的にやることがなくなる。周りが綺麗に片付けられていくのをぼんやりと見ながら、彼らは残り物のアルコールやらジュースやらを胃袋へと片付ける作業を続けていた。
「……俺さ、たまにお前が羨ましくなるんだよなぁ……」
 良夜がぼんやりとした口調で言えば、直樹もぼんやりとした口調で答える。
「……来月、学祭の頃になって、僕を女物の服を持って追いかけ回すようになっても、ですか?」
 そして、青年は即答した。
「…………悪かった……」
 そんな幕間劇を軽く演じ終える頃、ガラステーブルの周りはそれなりに片付き、帰る段取りも一区切り。
「これくらいの食器洗いは頼んでも良いっしょ?」
「ああ……やっとくよ。お疲れさん」
 貴美の言葉に良夜が頷くと、六人と妖精はそれぞれの荷物を持って立ち上がった。
 廊下に出れば少し冷たい夜風が酒に火照った頬を優しく撫でる。その風を心地よく感じながら、彼らは階段をトントンと下りていった。
「ふにぃ……」
「……なぎぽん……ゴメン……」
 その良夜の背中には美月が負ぶさり、たっぷり飲んでるのに酔ってない凪歩が翼を背負う。
「私もなおの背中に負ぶさろっか?」
「……止めてください」
 そんな感じで階段の一階まで降りれば、駐車場には美月の妖精まみれ一号が止まっていた。
「三島さん、鍵、貸してくれますか?」
「はひぃ〜」
 直樹に言われるがまま、美月は良夜の背中でハンドバッグに手を突っ込み、大きな妖精のレリーフがついた鍵束を取り出した。
「大丈夫か?」
「ちゃんと免許は取りに行かせたよ?」
 受け取る直樹に尋ねてみれば、答えたのは貴美の方で、直樹は少しだけ苦笑いを浮かべるだけだった。
「……いや、そうじゃなくて……」
 良夜の記憶によると、直樹が自動車学校を卒業したのは先週の日曜日のことだったと思う。そうなると、運転経験は一回あるかないか……
「若葉どころか新芽ねぇ……ふわぁ〜〜〜〜」
 頭の上で妖精が欠伸と共に言えば、上手い事言ったなと微苦笑が洩れた。
 もっとも――
「…………りょーやん……あなたの誕生日に事故で死んだ女が居ること……忘れないで……」
 もっとも同乗する方にとっては死活問題。ただでさえ顔色の悪い翼からは血の気が引いて真っ青というか、土色。フルフルと首を左右に振って、美月の車に乗ることを嫌がっていた。
「大丈夫だって。うちのよう兄としず兄が免許を取ったときもすぐに乗せて貰ったけど、大丈夫だったよ?」
「うんうん。私だって初めて乗ってちゃんと運転出来たから」
 押し込む凪歩の言葉に貴美が大きく頷くと、美月を背負った良夜が顔を上げた。
「…………ちゃんと?」
「……なんよ……りょーやん、なんか文句あるんね?」
 じとぉ〜っと半開きの瞼越しに貴美がこちらを見れば、彼はツイッとそっぽを向く。向かう視線の先には引き絞った言のような三日月がぽっかり。綺麗な月夜と、韜晦していれば、ポコンと後頭部が軽く殴られる。
「他がルールを守ってないだけなんよ」
「…………夏に乗ったときは相変わらず、渋滞の元になってたじゃない……」
 そして、アルトが青年の気持ちを代弁。代弁された側は「へいへい」といつも通りに適当な言葉だけを返して、彼女らが車に乗り込むのを見守った。
 しばしの後、車がよたよたと駐車場から出て行く。青年はそれを見送ると、彼は美月を担いで、喫茶アルトへと続く国道をとことことのんびりとした速度で歩き始めた。
「大丈夫かな?」
「まあ、美月が初めて乗ったときよりかは上手な物よ」
「ふぅん……」
 凪歩の家も翼の家もそんなに狭い道には入らずに行ける。初心者向けのコースだ。貴美もそれを解っているから、直樹に運転させることにしたのだろうと思う。
「まあ、交通法規さえ守ってれば安全って思ってる節があるのよねぇ……貴美は……」
「……高速で誰も守ってない六十キロ規制を守ってトロトロ走ってるの、吉田さんくらいの物だもんなぁ……」
「そんな事より、楽しかったわね」
「……相変わらず、お前と美月さんは脱ぎ魔だったけどな」
「翼はつばさちゃんだったし、凪歩はウワバミだったわね」
「ああ……そうだったな。時任さんは凄いな」
 こつこつとスニーカーがアスファルトを蹴る音が交通量の減った国道に静かに響き。他に聞こえるのは、鈴虫の静かな合掌と美月の気持ちよさそうな寝息くらい……
「ねえ、良夜?」
「ん?」
 改まった声に足を止めれば、フワッと小さな金色の頭が青年の前に落ちてきた。
「重い?」
「美月さんか? まあ……軽くはないよな……」
 問われて青年は背後を振り向く。そこには気持ちよさそうに眠る美月の姿。タカミーズ達を見送ったときには起きていたはずだが、歩いているうちに眠ってしまったようだ。
「そう言う時は、見栄でも軽いって言うものじゃない?」
「重いのは事実だよ……」
 頭の上からぶら下がる妖精に答え置き、彼は「ヨイショ」と呟いて、美月を背負い直した。
「ふぅん……」
 批判するわけでもなければ、勿論、褒めるわけでもなく、アルトが気の抜けた声で呟き、頭の上へと戻った。そして、彼は再び、歩を進め始める。
 とことこ……特に会話もない数分。そろそろ、頂点が見え始める頃、ポツリと青年は漏らした。
「でも……」
 妖精は頭を椅子にしたまま言葉を返す。
「……何?」
「でも……気持ち良いよ、こういう重さは」
 青年も足を止めずに言葉を紡ぐ。
「ふぅん……格好いいつもり?」
「……別にそう言うつもりはないって」
「ふぅん……ねえ、ずっと背負っていくつもり?」
「この人が大人しく背負われてくれてたらな」
「ちょっと無理かしらね?」
「そうかもな……」
「あはは……」と控えめに二人同時に笑うと、そこで言葉がが途切れた。
それでも青年は足を止めずに歩き続け、アルトは頭の上で空を見上げる。そんな時間がしばしの間続いた。歩く速度もいつもよりもずっと遅め。背に美月が居ることを差っ引いてもまだ遅い。
 時はゆっくりと過ぎゆき、それでも喫茶アルトの入り口が見えてくる。それが見えると、彼は交通量の途切れた国道を渡り、アルトの敷地へと向かう。
「横断歩道が欲しいわよね?」
「アルト一軒のために横断歩道は無理だよっと……」
 パタパタ……人一人背負っての小走りは腰に来る。大きく息を吐いて、呼吸を整え……それでも目をさまなさい眠り姫をを背負い直す。
 そして、店の裏側、勝手口の前にまで来ると、背後の美月に声を掛けた。
「美月さん、鍵」
「ふにぃ……かぎぃ?」
「そうそう、店の鍵だよ」
「お店の鍵はぁ……直樹くんに渡しましたぁ……」
「えっ?」
 寝言のように呟く言葉に青年が息を呑めば、頭の上のアルトが「ああ……」と呟いた。
「店の鍵は車とかと一緒にキーホルダーに付いてるわね……」
「ふにぃ……そーですよぉ〜鍵は全部、キーホルダですぅ」
 良夜の頭の上でアルトが言えば、目を閉じたままの美月が、寝言のような口調で答える。
「入れないわね……」
「入れませんよぉ〜」
「困ったわね……」
「困りましたね………………――今、誰と話してます?」
 がばっ! と体を起こして辺りをキョロキョロ。それを良夜の背中に乗ったままで行ったのだから、乗せてる方は良い迷惑。たらを踏んで右に左に前に後に。
「暴れちゃダメだって……って、もう……」
 結局支えきれず、美月の両足が山土むき出しの地面にトンと降り立った。
「案の定、だったわね?」
「まあ……そう言う人だよ……っと、しょうがない。アルト、予備の鍵を取ってくるか、内側から開けてくれるか?」
「良いわよ。待ってなさい」
 良夜が頼むと、アルトはトンッと青年の頭を踏み台に宙へと舞い上がろう……としたところに美月が口を開いた。
「あっ、待ってください」
「って……! 急に言わないで! びっくりするじゃない!」
 飛び上がり掛けてたところに声を掛けられ、アルトは良夜の頭の上からすてんと落下、鼻の頭でワンバウンド。
「いてっ!」
 ギュッ! と唇を掴めば、大事に至ったのは落ちかけた妖精じゃなくて、良夜の方。
「大げさに痛がらない、男でしょ?」
「男でも痛いのは痛いんだよ……って、どうしたの? 美月さん、家ん中、入れないんじゃないの?」
「えへへ……良夜さん、車の鍵、持ってます?」
 尋ねる良夜に美月は少しだけ悪戯な笑みを浮かべて尋ね返す。
「ああ……あるけど……」
 答えて彼はポケットに手を突っ込み、部屋や実家の鍵と一緒になった鍵束を美月に手渡した。
「飲酒運転になるよ……」
「運転なんてしませんよ〜」
 答えて美月はジムニーの車体に取り付き、運転席ではなく、荷台のハッチを開いた。
「えへへ……よいっしょっと……」
 開いた荷台には美月が積み込んだ、大きな一抱えもあるぬいぐるみが一つ。それをギュッと胸に抱いて、彼女は荷台に腰掛けた。丸くてずんぐりした、お世辞にも可愛いとは言えないぬいぐるみも彼女の胸に抱かれてしまえば、そこそこ見られる物になるから不思議な物だ。
「吉田さん達が帰ってくるまで、ここでお月様でも見てましょうよ〜」
「……明日、仕事じゃないの?」
「明日はきっと暇です!」
 酔いも覚めたのか、ハキハキとしたいつものしゃべり方に戻って美月は言う。
 そして、良夜は、こうなると美月がテコでも動かないことを知っていた。
「ハイハイ……」
 投げやりに答えて、美月の隣に座れば、後部座席の方に置いてあったぬいぐるみが一つ、座った良夜の膝の上にでーんと置かれる。勿論、美月の仕業。
 やっぱり、ずんぐりむっくりな妖精は余り可愛いとは思えない。特に男の胸に居れば、ふてぶてしさもいっそう引き立つという物だ。
「綺麗なお月様ですね〜」
 妖精のぬいぐるみに顎を置いて、美月はぼんやりと宙を見上げる。
 そんな仕草を真似てみれば、目の前には綺麗な三日月が弓のように輝いていた。
「良夜さん。誕生日、おめでとうございます」
「さっきも聞いたよ、それ」
「おめでたいことは何回言っても良いんですよ」
「そっか」
 頬をぬいぐるみの頭に押し付け、彼女は良夜の顔をしたから覗き込む。浮かべられる笑顔に青年はポリポリと頬を掻いた。
「はい」
「童貞で迎えた二十一が良いのか悪いのかは知らないけど」
「大きなお世話だよ、アルト」
 茶々を入れるアルトは彼の頭の上だ。そこへ視線も向けずに答えれば、美月はぬいぐるみの上から彼を見上げたままに問う。
「何を言ったんですか?」
「……まあ、良いじゃないですか?」
 少しだけ視線を逸らして答える。
「ぶぅ……りょーやさん? アルトの言ったことは全部教えてくださいって、いつも言ってるじゃないですか?」
 顔は見えないけども、機嫌が悪そうなのは声からでもはっきりと解った。
「……教えたくないこともあるの」
「ひっど〜い」
「あはは……吉田さん達、まだしばらく掛かるかな?」
「知りません!」
「ああ……怒らせちゃったわね?」
「お前のせいだろう?」
「あら、伝えるなら伝えたら良いじゃない? 私は、言うな、とは言ってないわよ?」
「ハイハイ……」
 そして、三人の会話が止まる。
 あるのは車も通らない国道。営業の終わった喫茶店、そして、古びた軽四自動車と、鈴虫たちの大合唱……
 リーン……リーン……
「良夜さん」
「何?」
「来年もみんなでお祝い、しましょうね」
「……来年も俺の誕生日をネタに酒盛りしましょうね、でしょ?」
「あはは、そんな所ですね」
 リーン……リーン……鈴虫の声がまた聞こえる……
「でも……」
 と良夜が呟く。
「はい?」
 と美月が答える。
「タカミーズは居るかな……? 四年だしなぁ……あいつら、地元で就職したいとか言ってたし……」
「吉田さん、アルトに残ってくれれば良いのに……」
「さすがに無理だよ」
「……ですかね……やっぱり……」
 寂しそうに美月は妖精のぬいぐるみに顔を埋めて呟く。その呟きは妖精の頭の中に吸い込まれ、籠もった声になって良夜の元へと届く。
 鈴虫の声が止まる。
 そして、二人の会話も止まる。
 遠くをトラックが走り抜ける音がした。
 しばしの沈黙……
 切り開いたのは良夜だった。
「でも……まあ、俺はさ、美月さんに祝って貰う……んじゃ、ないかな……」
 少し気恥ずかしそうに……先ほどまで聞こえていた鈴虫の声よりかは大きく、トラックの排気ガスの音よりかは少し小さめの声で彼はポツリと言った。
「言い切りなさいよ……そこは」
 アルトのチャチャを頭の上から聞きながら、彼はほっぺたをポリポリと掻く。そこが熱いのは、アルコールが主たる原因でないことはあきらか。その証拠にアルコールを飲んでも居ないのに、ますます、そこは熱くなっていく。
 その頬に視線を投げかけていた美月がクスッと小さく笑い、口を開く。
「じゃあ、来年も、良夜さんの誕生日をネタに飲み会、しましょうね」
「その次も……そのさらに次も……かなぁ……?」
「はい」
 そして、再び、鈴虫が美しい音色で鳴き始める頃、どちらからともなく、もしくは二人同時に体半分ずつ、互いの方へと身を寄せ合った。すれば当然、肩同士が触れあい、そして、顔が互いの方へと向き……――
 美月が目を閉じた。
 月が作る二つの薄い影は、軽自動車の荷台の中で一つになり、三つ目の影がぺこん! とお尻の下の頭をカカトで蹴っ飛ばす……

 そして、それから小一時間後……
 無事、任務を果たしたタカミーズが車を返しに来たとき、彼らが見つけたのは……
「すー……すー……」
 ジムニーの荷台で肩寄せ合い、気持ちよさそうに眠りこける一組のカップルの姿だった……
「……こいつら……死ぬまで処女と童貞じゃないん?」
「……そこまではないと思いますけど……」
 全く乱れてない美月の服に視線を落とし、貴美は大きなため息を一つ零し、二つの体を荷台の中へと押し込み、ドアを閉めて、その場を後にした。

 おまけ。
 なお、この時、良夜の頭の上を寝床にしていた妖精さんが地面の上に落ちていたのは、小さな不幸でしかなく、翌日、出勤してきた、翼が力一杯踏みつけたのも、さらに不幸な事故でしかなかった。
「……さて、誰が一番悪いのかしらね?」
 ストローを手のひらに叩きつけ、妖精が凄む。鼻血が出て顔が血まみれ、砂まみれで凄まれると迫力はいつもの三割増し。
 そんな姿をありのままに通訳すれば、関係者一同は素直に答えた。

 貴美。
「りょーやん」
 翼。
「……りょーやん」
 そして、美月。
「……良夜さんですかね?」

「なんで!?」

 と、こんな感じで良夜の記念すべき二十一回目の誕生日は終わった。
 ――童貞のままで。

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