酒が飲めるぞ〜(3)
ピンポーンと軽快な音でチャイムが鳴ったのは、夜の九時を少し過ぎた頃の事だった。
その頃、良夜は美月、アルトと共にゲームの真っ最中。人生ゲームをテレビでやるような感じのゲームだが、くじ運だけは人一倍の美月にアルトも良夜もボッコボコ。にこにこ顔で再プレイをねだる美月に暗い目をして見つめ合う良夜とアルト、そんな構図の中でのチャイムだった。
「あっ、来たみたい」
言って青年が立ち上がる。
「早く行きなさい。待たせるのは悪いわよ」
そして、アルトも良夜の頭の上に飛び乗り、その場を離れる。
「あっ……ああ、はい」
美月だけ、タイトル画面へと戻ったテレビゲームの前に取り残される。
「なんなのよ、あの強さは……」
「たかがゲームでもあれだけ負けが混むとキくな……お前のせいじゃないのか? 妖精さん」
「じゃあ、なんで私は私のためにいい目を出せないのよ、バカ」
美月と玄関の間、わずかなスペースで良夜はアルトと言葉を交わす。もっとも、それもわずかな時間。狭いスペースを横切るのは、狭いスペースなりの時間で十分。狭い廊下を抜けるともっと狭い玄関だ。靴も履かずに手だけを伸ばして、鍵と共にドアを開く。
「いらっしゃい。お待たせ」
言って開けた先には二人の女性。茶色がかった髪のショートボブと藍色のポニーテイル、どちらもそれなりに美人の二人がそこには立って居た。
「……お邪魔……これ、お土産……冷蔵庫に、入れて……」
「こんばんは、浅間くん。はい、これも」
その二人から手渡された物へと視線を落とす。スーパーの買い物袋。その中身は翼の方が大量のタッパー、刻んだ野菜や挽肉なんかが入っていて、今夜の料理の下ごしらえだと解った。そして、もう一つ、凪歩が渡してくれたのは……
「……自分が一番に飲む気だろう? それと吉田さんは?」
紙袋に入った大量のお酒。メインは日本酒、洋酒も見え隠れ。どギツイ酒のラインナップに思わず苦笑いがこみ上げてきた。
「あはは、吉田さんがアルトの経費で買って来た奴だもん。本人は部屋に取り皿取りに行ったよ。浅間くんの部屋には食器がないからって」
気楽に笑う姿に軽く肩をすくめ、青年は二人の顔見知り――凪歩と翼を部屋に招き入れた。
「……割と、綺麗……」
その呟きに良夜が振り向くとそこには翼が物珍しそうに辺りをキョロキョロと見渡しているのが見えた。
「吉田さんの部屋に比べたら雑然としてるよ」
「床の目地を爪楊枝でほじくってる部屋は余りないと思うけど……」
頭の上でアルトが呟く。その言葉に「そうだな」と笑みで返して、部屋に入れば、そこでは美月がゲーム機を片付けようとしていた。
「ああ、みなさん、お疲れさま。お店、どうでした?」
「普通かな? 普段の土曜日だよ」
美月の問いに答えたのは凪歩の方だった
「普通が良いですよ」
屈託なく笑う美月の隣に「そうだね」と明るく返しながら、凪歩が腰を下ろした。
「相変わらず、土日は暇だよね。サークルの人がお昼に少し来たのと、夕飯に外の人が来てたけど……」
「メリハリがある方が良いってお爺さんも言ってますよ」
「そうだね。暇すぎるのも辛いけど、いつも忙しいと疲れちゃうよね」
「はい。メリハリは欲しいですよ〜」
二人並んであれやこれやとお店の話に花を咲かせる。
「…………」
そんな中、ずーっとキョロキョロしているのが翼だった。
「何が珍しいのかしらね?」
座りもしない翼にアルトが良夜の頭の上で小首をかしげる。
「さあ?」
「聞けば?」
「……あのさ、聞きたいなら聞きたいって言えよ……いちいち、何かを提案するとき、髪を握る手に力を込めるな」
「聞きたいわ」
「はぁ……――アルトが、何キョロキョロしてるんだって? 寺谷さんに聞いてる」
髪に多大な負担を感じながら、青年はガラステーブルの傍に腰を下ろす。そして、未だ立ったままの翼に言葉を投げかけると、彼女はその青年の隣、ガラステーブルとベッドの間に体を押し込んだ。
そして、座ってもなお、物珍しそうに首だけを左右に巡らせながらに答えた。
「……男の子の部屋って……初めて、だから……全部……珍しい」
「普通だろう?」
翼の答えに言葉を返せば、フワッと頭の上から妖精の頭が眼前に落ちてきた。
「普通って言うほど、女の部屋を知ってるの?」
「……知らないよ、悪かったな」
「ん?」
「ああ……アルトがね――」
わずかに小首をかしげた翼に、青年はアルトの言葉を伝える。伝えながらに改めて考えてみれば……――
「……美月さんの部屋にも入ったことはないよなぁ……そー言えば」
考えてみれば自身も異性の部屋というのには入ったことがない事に気づく。美月と会うのはいつもフロアだし、強いて言えば貴美の部屋くらいだろうか? しかし、あそこは貴美の部屋であると同時に直樹の部屋でもあるから、異性の部屋と言うにはちょっと違うとも思う。
と意識が思想の世界へと逃げたところへ、すっと滑り込んでくるひと言の呟き。
「浮気現場発見……」
「わっ!?」
ボソッと囁かれた言葉に良夜の背中が跳ね上がる。
バネ仕掛けの玩具から留め金が外れたように彼の首が声の方へと動けば、そこには凪歩の隣で美月がジトォ〜と冷たい視線で青年を見詰めている姿が合った。
「あっ、イヤ……――」
「……りょーやんは……ない」
青年の言い訳よりも早くに翼の呟きがこぼれ落ちる。
「……ないですか?」
「……ない」
美月が尋ね直すと翼がきっぱりと言い切った。
すると、美月はムッと眉をひそめ、翼の方へと体を向けて、座り直す。
そして、数秒ほど翼の顔をじっと見詰めると、彼女は言った。
「良くないですよ? 人の彼氏のこと、そんなにきっぱりと振るのは。良夜さんにだって良い所は沢山あるんですから」
その言葉に翼も数秒ほどじっと美月の顔を見詰めた後、視線を逸らしながらに呟いた。
「……面倒な人……」
「ふえっ!?」
間抜けな顔で間抜けな声を上げる美月の傍、良夜が俯き、ため息を吐いていた……
「……もう、ほっといて……」
「おっじゃま、玄関のドア、開いてたから勝手に入ってきたよ」
そんなどーでもいい話で時間を潰していると、鍵を掛けていなかった玄関ドアを開けて、貴美が大きな土鍋を持って部屋に入ってきた。
「あっ、取りに行った方が良かったですか?」
「いや、鍋ん中に全部おさまっから――って、思った以上に狭かったやね……」
立ったまま、辺りを見渡し、彼女は呟いた。
良夜も釣られて辺りを見てみた。
確かに広いとは言えない。所詮は単身者用のワンルームだ。部屋の真ん中に小さめのガラステーブルが一つあって、その一辺に良夜が座ってその隣に美月、向かいに凪歩が居て、翼はテーブルとベッドの間、挟まれるような感じで座っている。あと、アルトは良夜の頭の上……ってのはどーでも良い情報。どこに居ようが一緒。
だがしかし、確かに手狭ではあるが、テレビ台とテーブルの隙間に貴美と直樹が座れば、まあ、何とかならない事はないだろうと思う。
貴美にそう説明すれば、土鍋を胸に溜め息を一つ……
「……鍋の具、何処に置くんよ?」
貴美に言われて良夜も「ああ……」と思い至る。
「カセットコンロと取り皿とグラスを置いたら、テーブルは一杯だしねぇ……どうしよ?」
「やっぱり、お店でした方が良かったですかね?」
美月が言いながらにカセットコンロを用意する。こっちは良夜の部屋に置いてあった物。買ってきたのは貴美だが、邪魔だからと言って良夜の部屋に置きっ放し。
それの上に土鍋を置きながら、貴美は答えた。
「店だと土鍋とかないかんねぇ……後、五月ん時、翌日、酒臭いってクレーム、沢山、来たじゃんか?」
「あはは……」
貴美の言葉に笑って誤魔化したのは、凪歩だ。
彼女が排水溝に吐きまくったせいで、翌日、アルトの配水管と外にある排水升からはすさまじいアルコール臭がしていた。お陰で来る客、来る客、みんなが――
「なんか……臭いね?」
と、異口同音。結果、今回は良夜の家でやろうという話になった。
――良夜の居ないところで。
相変わらず、自分の居ないところで自分の人生が決まってるようで、腹が立つと言えば腹が立つ。
「良いじゃん、今回だってただ酒、ただ飯なんだから」
嘯く貴美が大きな土鍋をパカン! と開けば、中から出てくるのは小さな取り皿とグラスが人数分。それをテキパキと並べていく様は、さすが喫茶アルトのフロアを取り仕切るウェイトレス、と言った感じだ。
「やっぱ、テーブルの上は一杯やね……具材とかはベッドの上にでも置こうか?」
「ひっくり返すなよ」
「なおに言っておいてね? ああ、そのなお、三十分もしたら帰ってくっから、食べるんはちょっと待ってね? 相手は鍋だしさ」
良夜が言うと、貴美はいつもの軽いヘラヘラとした笑みを浮かべ、空いてる角に腰を下ろす。
「直樹くんを待つのは良いんですけど……お腹、空きましたよねぇ……」
美月がぼんやりとした口調でそう言う。
「ほら、私、普段はお店でおやつをつまむから……」
言って自身のお腹を押さえ、微苦笑を浮かべてみせる。
そして、そう言われてみれば良夜も小腹が空いたような気がしてくるもんだ。何かつまむ物でも……と思って辺りを見渡してみれば、翼が手土産に持ってきたビニール袋をごそごそと漁っているのが見えた。
「……おやつなら、ある……」
ウイスキーのボトルが入った袋から、もう一つ、別の紙袋が取り出される。茶色い紙袋、それ破れば、出て来たのはチロルチョコの箱だった。百個入りらしく、箱のサイズもそれなり。
「……洋酒に……合うかと思って……」
言って、彼女はガラステーブルの片隅、狭い隙間を見つけてそこに箱を置いた。パカッと開ければ色とりどりのチョコレートが美しい。
「あっ、ありがとうございます。これ、懐かしいですよねぇ〜」
「じゃあ、私も〜」
「それじゃ、私ももらおっと……」
美月を筆頭に凪歩や貴美がつまみ始めれば、良夜に見ている理由はない。コーヒーヌガーの入ったそれをひょいと一つ取り上げ、口に運ぶ。百個入りでも千円ちょっとと考えれば、随分とコストパフォーマンスに優れたお菓子だと思う。子供の頃にはよく食べてたのだ。
「あっ、りょーやん、折角だからコーヒーでも煎れてよ。美月さんにケトルとドリッパー、セットで貰ったんっしょ?」
形の良い唇にミルクチョコの小片を咥えて貴美が言う。なんで知ってるかと言えば、美月がぜーんぶしゃべっちゃったから。まあ……黙ってるってことの出来ない素直な女性だからしょうがない。
が……
「もう、良いよ。昼間も散々に言われたし。それにそんなに本格的に飲み食いしてると、飯が食えなくなるぞ?」
きっぱりと断れば、貴美は咥えていたきなこ味のそれをぱくりと口の中に押し込み、咀嚼を始めた。そして、コクンと飲み干すと、形の良い眉をひそめて彼に言った。
「ケチやねぇ〜ケチな男はもてんよ?」
「良いの、俺、彼女居るから」
チョコの中の隠された少し堅めのヌガーをかみ切りながら、彼は応える。やっぱり、このチョコはコーヒーヌガーが一番美味しい。
「「私のお陰」」
貴美とアルトがほぼ同時に言えば、青年は「チッ」と小さく舌を打ち、美月は「あはは……」と苦笑い。
その苦笑いが消えるよりも早く、アルトがトンと頭の上からテーブルの上へと飛び降りる。軽やかな着地、踊るような歩調でトントンとテーブルの上を歩くと、チョコの箱に取り付き、彼女はチロルチョコを一つ、ひょいとつまみ上げた。人には一口サイズのチョコレートも妖精さんには顔の大きさもあるほどの巨大な逸品だ。太りそうと思うと同時に、甘党の青年には少し羨ましい。
「それ……食うなら、そこで食べてから行けよ? 頭の上でチョコとか喰うなよ」
「やっぱり、ケチじゃない……ケチな男はもてないって、言われたばかりでしょ?」
アルトがぽーんと飛び上がると、そこには妖精が投げ捨てた包み紙だけがひらひらと宙を舞う。飛び上がった彼女が向かう先は、良夜の頭の上、彼女の定位置。やっぱり、軽やかな足取りならぬ、”羽根”取りで着地を決めて見せた。
「うっさいな……一応、居るんだから良いだろう? だいたい、俺の周りなんてフリーのヤツばっかだぞ?」
「……低レベルなグループの中で勝ち組に入ったから、胸を張るもんじゃないわよ? ――あっ」
「どうした?」
妖精の言葉が途切れると、青年は視線を自身の頭の上へと向ける。
そこに降ってくる金髪の頭ウィズチョコレート。チョコで真っ茶色な顔は、まさに子供。その子供妖精が青年の顔を見詰めて言う。
「あそこに一応、美人に分類されるフリーの女が二人も居るんだから、紹介して上げれば?」
「……なんか、持って回った言い方だな……」
「まあ、平たく言うと『私には負ける程度の美人が二人』ってことよ」
「……良く言う」
青年が肩をすくめると、アルトはふわりと体を起こして頭の上の定位置へと戻った。
そのアルトの行く末を目で多い、そして、下ろしてみれば、そこには看板娘ーズ、全員の視線が一挙に集中。
「どうかしました?」
その中から美月が代表で訪ねると、彼は軽く苦笑いを浮かべて応えた。
「ああ……アルトのアホが『あの二人に紹介してやれば?』って……俺のツレ」
「いい……いらない」
良夜が言った言葉に即答したのは苺ジャム入りのチョコを咥えていた翼だった。
「止めとき、止めとき。りょーやんの友達と言えば、『良い人』で七割方の説明が付いちゃうようなキャラばっかだよ?」
そして、早くも二つ目のチョコを咥えて貴美が言った。
その人を食ったような視線に眉をひそめて青年は異論を述べる。
「……いっとくが、吉田さんの彼氏も俺のツレの一人だし、『良い人』で七割方説明が付くキャラだぞ」
「何言ってんよ? なおは『女装が似合う』って言うほかにヒナちゃん以外ないキャラをもってんじゃん」
「あっ、それを言うなら良夜さんだって『アルトと話が出来る』って他にないキャラを持ってますよ?」
そう言ったのは美月。
「……美月さん、それ、何割?」
尋ね返したのは良夜だ。
「えっと……」
その質問に美月は数秒の沈黙と逡巡の後に答える。
「……三割?」
「残りは?」
もう一度良夜が尋ねれば、美月は「うーん」と小首をかしげる。
かしげた恋人の顔を凝視しながら、青年は結論静かに待つ。
待つこと、十秒。
「……『良い人』……?」
明後日の方向を見たままに美月が呟き、良夜はため息を吐いた。
「……やっぱり『七割方良い人』じゃねーか……」
と、アホな会話を美月と良夜がしている横、翼は――
(……つい……咄嗟に……)
と、無表情ながらも反射的に答えたことを深く後悔していた。
そして、その斜め前では――
(翼さんが即答するから、紹介してって言えなくなったじゃんか……)
と、美月と良夜の掛け合いを笑って眺めている振りをしながらも、頭の中では翼への怨嗟の言葉を吐いている凪歩がいた。
その二人の視線がふと交わった。
(……紹介して……って……言えば良いのに……そしたら、私も……って言うのに……)
(今からでも遅くないよ。前言、撤回しようよ……そしたら、私も……って言うのに……)
そんな思いを胸に抱きながら、翼と凪歩は互いの顔をじっと見つめ合う。
見つめ合う二人の思うことはただ一つ――
((コイツより先には言いたくない))
だった……
「だいたい、りょーやんの友達って二次元に嫁が居そうな感じじゃん?」
「いや、それ、吉田さんの友達だろう?」
「まあ、私も二次元に嫁と婿が居るわけだけどね」
「……作るなよ」
「でも、それを言ったら、りょーやんの場合、彼女の体が二次元じゃん?」
言われて青年はチラリと恋人の方へと視線をやった。
見事な二次元だった。
だから、思わず、首肯した。
「ああ……」
次の瞬間、ブチッと何かが切れる音がした。
怒った猫の尻尾のように髪を膨らませ、美月は良夜に正座をさせていた。それをチョコレート片手にケラケラと笑ってみてるのが、どう見ても話の元凶である吉田貴美。
(……話題……変わった……)
(もう、遅い……)
そんな様子を横目で見ながら、翼と凪歩はチロルチョコの包みを開き、口に運ぶ。
二人とも味なんて解っちゃ居ない。
味の解らないチョコレートをコクンと飲み干し、二人は同時に思った。
((今夜は飲もう……))
そして、十五分後……
美月のお説教から良夜が解放されたとき、翼と凪歩の二人はチロルチョコをつまみにウイスキーをガブガブ飲んでいた。
「……なんで……あーなってんだ?」
呆然と呟く頭の上、一部始終を見ていたアルトが答えるのだった。
「……女には譲れないプライドって物があるのよ……」
その言葉の意味を理解出来るほど、良夜に女性経験はなかった。
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