酒が飲めるぞ〜(1)
良夜と美月は恋人同士な訳だから、誕生日なんかにはプレゼントをあげたりもする。今を去ること五ヶ月ほど前、四月十日、美月の誕生日にも良夜はちゃんとプレゼントをあげた。それは――
包丁
だった。
色気のないこと甚だしいが、美月にはアクセサリーを着ける習慣がほとんどないし、服は女性物の服なんて選んだことがないからよく解らない。去年の誕生日にもプレゼントをあげたが、それを決めたのは良夜ではなくアルトだった。良夜はただのお金を出す人扱い。
今年もそうしようか……と思っていたが、アルトに聞くくらいなら、本人に聞くのも変わるまい、と判断し、当人に聞いた。
すると最初に言ったのがビスクドールの妖精。受注生産の結構良い奴が欲しいらしいが、そんな物を買う余裕なんて良夜にはない。他には? と尋ねたら、彼女は少しだけ考える素振りを見せた後に答えた。
「じゃぁ……包丁ですかねぇ……牛刀、お祖父さんが使ってた奴で古くなっちゃってますし……」
そう言って美月は良夜に一振りの包丁を見せてた。割とどこにでもある普通の包丁だ。『牛刀』って言うから、なんか、牛をも倒せる巨大な包丁かと思ってた……って事は一生の秘密にしようと思う。
「――って事を考えてる顔」
右の方で顔を覗き込んで妖精が呟くも、それはスルー。反応したら負け。とりあえず、受け取って見るも何処か古いのか新しいのか、よく解らない。木製の柄が少しくすんだような色をしているが、刃の部分は十分に綺麗で、良く切れそうだと思う。
「包丁……かぁ……」
その包丁を手の中で弄びながら、青年は呟く。彼自身、誕生日に包丁はないだろうと思ったが、二つ連続でダメとも言いづらい。とりあえず――
「高い?」
「色々ですけど、安いので良いです」
その重要な質問に美月は苦笑いと共に答える。
ひとまず、第一候補でダメならまた聞くから……とだけ言って青年は自宅に帰った。そして、インターネットで検索してみれば、『ダマスカス鋼製牛刀(名前入れサービスあり)』と言う商品が通信販売されていた。刀身の表面に特徴的な刃紋が浮かぶ牛刀、その価格は一万二千五百円、送料税込み。予算は一万円か出来ればもうちょっと安い物と思ってたから、ずいぶんのオーバーだ。正直、これを買うと今月は結構厳しいことになる。
だがしかし!
『ダマスカス鋼』
それは、男の子がいくつになっても心に持ち続ける中二心という奴をいたくくすぐる名前だった。なんかもう、名前を見ただけでわくわくする感じ。むしろ、自分が欲しいくらいだ。買って飾りたい。そして、時々、なんか知らないけどピンチになった時に、ダマスカス鋼製牛刀で戦うところを夢想してニヤニヤしたい……ってまあ、さすがにそれだけのために一万円以上も出せないけど……
そのわくわく感を抱いたまま、ポチッとマウスをクリック、購入。名前入れサービスに若干の時間が掛かり、四月十日の誕生日には間に合わなかったが、普通に喜ばれた。本当に普通に、普通の包丁として喜ばれた。
「……伝説の包丁が貴方の予算で買えるはずないじゃない……バカじゃないの?」
そんな声が肩口から聞こえていたが、またもや、彼は聞こえないふりをした。
さて、そんな感じのプレゼントで美月の誕生日を祝ったのが、菜の花の咲く頃。
それから月日は流れ、ひまわりの花は店じまいをし、彼岸花が準備体操をし始める頃がやって来た。
その日、良夜は放課後の喫茶アルトに顔を出していた。
窓際隅っこ、店内からは死角になってしまういつもの席。大きな窓から差し込む日は盛夏の頃に比べれば、幾分柔らかくなっているようにも感じられるが、それでもまだまだ眩しい。まるで残った力を振り絞るような強い光が木目美しいテーブルを照らしていた。そのテーブルの上には大きめのタンブラー、濃いめのコーヒーとクラッシュアイスで満たされたそれはうっすらとかいた汗が涼しげだ。そのタンブラーの隣には白い皿に盛られたレアチーズケーキ、ブルーベリーソースの紫が鮮やかでやっぱり涼しげ……なはずだが、今、それは良夜には見えていない。
「やっぱり、レアチーズケーキにはブルーベリーソースよねぇ……」
代わりに見えているのは、白いノースリーブのロングドレスに揺れる金髪。小さな体を大きなケーキに貼り付けて食べてる様は、白いドレスと合わせるとネガポジ逆転したゴキブリのようだ……と思っていることがばれたらきっと血を見るので言わない。
「お前、ソースのところをチューチュー吸うなよ」
「ここが一番美味しいのよ」
「そこばっか、食うなよ……意地汚い」
青年があきれ顔で言えば、チーズケーキに取り付いていた妖精が顔を上げた。そして、くるんと勢いよくこちらへと振り向く。
「私は量が食べれないんだから、美味しいところをちょっと多めにもらうくらい、目を閉じなさい」
すまし顔で横を向き、彼女は右目だけで青年をじろっと見詰める。
も……
「……頬」
「えっ? ……あら」
青年が右頬を指さすとアルトも反射的に頬を押さえる。するとその指先にはべっとりとブルーベリーの紫色、小さなブルーベリーが一粒付いてるだけだが、小顔というかミニマム顔のアルトにしたらずいぶんな大きさだ。それを指に付いたソースと頬の感触で察したのか、彼女は「わっ!」と声を一つあげて目を丸くした。そして、バタバタと走ってペーパーナプキンの元へと行けば、彼女が取り付いていたチーズケーキがようやく解放される。
解放されたチーズケーキを見れば、ソースが掛けられていた辺りが重点的になくなっているのが解ってガッカリ。とりあえず、ソースが残っている辺りを重点的に食いながら、青年は妖精に声を掛けた。
「淑女がほっぺたにソースを付けるなよ」
その言葉に妖精はナプキンのある辺りでごそごそやりながら、青年には顔も向けずに答える。
「紳士なら、口で説明する前に態度を示して欲しい物だわ」
「態度?」
ケーキを突いていた手が止まる。改めて視線を向ければ、頬を拭き終えた妖精が綺麗になった顔をこちらに向けて言った。
「言う前にキスで取ってくれれば良いのよ」
綺麗になった白いほっぺをチョンチョンと突きながら、妖精が言う。
その妖精の横顔をマジマジと見ながら、彼は呟きをもって答える。
「……お前、それ、俺にして欲しいのか?」
ニコッと笑って彼女は答えた。
「勿論、したら殺すわよ?」
半ば予想していた答えに「はぁ……」と溜め息。そして、ぱくりと一口、最後のブルーべーリソースの部分を口に放り込む。口いっぱいに広がる甘酸っぱい美味しさ。それをコクンと飲み込み、彼は言った。
「……俺、お前のそー言う所が嫌いだよ」
「私、私のこー言う所が大好きなの」
打てば響くのタイミングで、彼女は極上の笑みと共に答える。
もう、何も言う気にもなれないという奴……代わりにわざとらしいため息をもう一つ吐いて、青年はチーズケーキを突く作業に戻った。
一方、アルトはと言えば……ケーキには飽きたのか、顔を拭き終わってもケーキに取り付く事はなかった。代わりにコーヒーのグラスを這い上がる。やっぱり、ゴキブリだ。そのゴキブリはタンブラーの端っこにちょこんと座ってストローでチューチューと吸い上げ始めた。
そして、ひとしきり、コーヒーを吸い上げ終えると彼女は「ぷはっ!」と少々芝居がかった声を上げ、青年の方へと顔を向けた。
「ああ、そうそう。美月が誕生日、何が欲しい? って聞きたがってたわよ……最近、来ないんだもの」
「ちょっと忙しかったんだよ……っと……誕生日? そうだなぁ……」
言われて彼は自分の誕生日が近いことを思いだした。子供の頃は夏休みが終わったらすぐに『もうすぐ誕生日』と指折り数えていた物だ。ちょうど、夏休み明けで下がるテンションを上げるにはちょうど良いイベントだったとも言える。もっとも、それも中学に入るくらいまで。高校に入った頃にはプレゼントは現金直接支給になったし、ケーキだって誕生日とクリスマスにしか食べられないって物でもなくなっていたから、感動も薄め。
そんな話をしてみると、タンブラーの上に座っていた妖精はぴし! とストローを青年に向けて言った。
「……なんか、つまらない大人って奴ね? ……子供なのに」
「……どう言う意味の『子供』だ?」
「童貞って意味よ」
「はっきり言うな」
「はっきり言わなきゃわかんないでしょ! 察しが悪いんだから!」
「解ってたよ、今回は!」
売り言葉に買い言葉、怒鳴る声に怒鳴り声で返すと彼女は下ろしていたストローをぴし! と青年の顔へと向け、また、怒鳴った。
「解ってるならなんとかしなさいよ! この童貞!」
そのストローの鋭い切っ先を見詰め、一瞬、青年は考えてみる。
そして、視線をストロー切っ先から妖精の鼻先へと動かし、ポツリと言った。
「……良いのか?」
青年を指したストローの切っ先がまた下がり、妖精は沈黙する。
そのまま考えること、数瞬。だいたい、良夜の二倍くらい。それくらいの時間が過ぎると、ストローの切っ先に力が戻り、そして、彼女ははっきりと言った。
「……対象およびその手段を問わず、多分、死ぬ事になるわよ?」
「……俺、お前のそー言う所が大嫌いだよ」
「私、私のこー言う所が大好きよ」
がっくりと青年がうなだれると、殺気じみた表情から力を緩め、彼女はにっこりと笑う。それがさらに彼のうなだれる頭を低くした。
「まっ、それはさておき、よ」
うなだれた頭の上で声がする。その声に誘われるように青年が顔を上げれば、妖精はピッとストローで彼の顔を指し、話題を変える。正確に言うと戻す。置くなよ……と思うが、いつまでも続けられても困る話題なので口には出さない。
「誕生日、貰うなら何が欲しい?」
「……お前に言ったら、何かくれるの?」
「あげるわけないじゃない? 現金収入のない妖精さんに何を言ってるのよ。ただの好奇心。ほら、教えなさいよ」
憎まれ口を平然と叩く妖精は、タンブラーの上、涼やかなグラスのヘリに足を組んで座っていた。外から差し込む強い光に純白のドレスと黄金の髪をさらす姿は不思議と絵になる。
もうちょっと口数が減れば良いのに……と、見惚れてしまったことを心の棚に片付け、青年は呟く。
「……お前って時々凄いよな……」
「まぁね。で、何が欲しいの?」
「……はぁ……――何ってなぁ……特にないんだよなぁ……」
溜め息を一つ、そして答えると、今度は妖精の方が目を丸くする番。
「何もないの? ちょくちょく、パソコンのパーツとか欲しいって言ってるじゃない? それは?」
「……この間、美月さんのって言うか、アルトのパソコン、買いに行ったろう?」
「行ったわね……パソコン専門店二軒、家電量販店三軒回った結果、最初の店で自作セットを買って帰った……あの一件……」
言うとアルトはあからさまにげんなりとしたというか、疲れ切った表情を見せた。その表情の理由を良夜は十分に理解しているから、ポリポリと頭を掻いてひと言、素直に詫びた。
「……まあ、悪かったと思ってる……」
「悪かった、じゃないわよ! 暑い中、あっち行ったり、こっち行ったりした挙げ句、最初の店が良いやって、バカじゃないの!? あののんきな美月でさえ、泣きが入ってたわよ!!」
げんなりしていた表情から一転、彼女はストローをビュンビュンと振り回してヒステリー気味の大声を上げた。どうやら、まだ、怒りは冷めていない様子。その彼女の様子に青年はこの話題を出したことを軽く後悔した。
概ね、彼女が言ってる通りのことをやった。多分、最初に行く専門店が一番安いだろうなと思っては居たが、本当に安いかどうかを確かめるために四軒の店を回ってみたら、やっぱり、一番最初の店が安かった。だから、最初の店に戻ったって、それだけのこと。だいたい、何万もする物を買うのだから、ちゃんと色々見て回りたい。後、折角、店に行くんだから新製品も冷やかしてみたい。
そんな事を考えながら回ってると、半日があっという間に過ぎていた。
結果、五軒目を出て一軒目に戻るといった時、美月ですら――
「……もう、なんでも良いから買って帰りましょぉよぉ……」
と、半泣きになっていた。
「……一人で行くべきだったのかなぁ……」
その時のことを思い出して、ぼんやりと青年は呟く。その向かいでまたアルトが溜め息を一つ。この件に関してはすでに数回刺しているせいか、今日のところは怒りが収まるのも早い。
「……イヤ、それはそれで無理があるわよ……――まあ、その件は良いわ。終わったことだし……それで? 欲しい物がない理由って何?」
「アルトのパソコン買って、組み立ててたら、物欲が満たされた」
「……それもどうかと思うけど……まっ、解らないでもないかしらね?」
青年の答えに満足したのか、あっさりと首肯すると、グラスの中にストローを突き刺した。チューチューと美味しそうにコーヒーを飲み始める妖精。
頬杖でそれをぼんやりと見ながら、他に何が欲しいかな……と青年は半ば拡散していく意識の中で考える。
「ふわぁ……」
欠伸が零れる。
課題を済ませるために随分と根を詰めたせいで、少し寝不足気味。ケーキを食べてお腹も膨れたし、窓から差し込む光は暑苦しいものがあるが、店内の空調はそれに打ち勝つに十分。心地よい環境でぼんやりしていれば、眠くなるのは必然……
そのぼんやりとした意識の中、やけに遠いところから声が聞こえた。
「ケトルにでもしたら? 貴方、相変わらず、お湯を沸かす時、片手鍋でしょ?」
「……ケトルなぁ……」
瞼は半分閉じかけ……霞む視野で愛らしくも小憎たらしい妖精の顔とその背後に広がる美しい山を見詰めながら、青年はゆっくり、のんびりとアルトの提案を咀嚼してみた。
結果……
「余り必要ないからなぁ……」
「はぁ……貴方の家って食器も必要最小限しかないじゃない……美月が料理する時、盛りつけに困ってるわよ?」
「ああ……親父がさ……荷物は最小限の方が良いぞって言っててなぁ……ふわぁ……」
タンブラーの上でため息を吐く妖精に青年は欠伸をかみ殺しながらに答えた。
「どうして?」
「どうしてって……どうせ……――」
そこまで答えたところで、アルトがトンと軽やかにタンブラーから飛び降りた。そして、とことこと彼の手元へと近付いてくる。
「どうせ……何?」
小さな顔の大きな瞳が青年を見上げ、そして――
「こっちに近付くのは良いけど、なんで、俺の手元でストローを振り上げてるんだ?」
彼女はニコニコと笑みを浮かべながら、ストローを振りかぶっていた。背を反り返らせすぎて、右足が上がるくらい。
「どうせ……何かしら?」
そのままの姿勢で、もう一度、彼女が尋ねる。静かなれどさっきをたっぷりと含んだ声に、彼は半ば無意識の内に言葉を並べる。
「……どうせ、すぐにまた引っ越す……――なんか、理由がほんのり解ったかもしれない。でも、それを言ったのは俺じゃなくて、親父だし、ずっと前の話だし」
「でも、未だにそのつもりだから、荷物を増やさないようにしてるんでしょ?」
背を大きく反り返したまま、彼女は言う。疲れないのかな? と、どうでも良い事を頭の片隅で青年は考える。
「……とりあえず、アルトさん、話し合おうか?」
「ううん、疲れたから……話し合いは刺した後にしましょ? せーの!」
「大幅に待て!!」
と、叫んだ時には良夜の手の上に死に神のストローが振り下ろされていた。
「……でも、良く考えてみれば、こっちで就職しても、いつまでも学生向けアパートで生活してられないのよねぇ〜」
ピッと剣豪よろしくストローを一振り。紙ナプキンでストローの切っ先を拭く様もなかなかの物。
その様子を右手で押さえながら見詰め、彼は口を開いた。
「……お前な……今更、気付くなよ……」
「貴方だって、気付いてなかったじゃない? お互い様よ」
「……俺、お前のそう言う所が嫌いだよ」
嘯く妖精に青年がまた言えば、彼女はにっこりと笑って答えた。
「私、私のこう言う所が好きなの」
結局、今年の誕生日のプレゼントはケトルとコーヒーサーバとドリッパーのコーヒー三点セットにして貰うことにした。
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