姉、再び(2)
さて、良夜の物となったジムニーくん、彼の安住の地は喫茶アルト裏手、キッチンへと繋がる勝手口のすぐ傍だった。その辺りはこの間までゴミ置き場になっていたところだったので……
車のことを小夜子から頼まれた美月が、ゴミ捨て用のポリバケツを少し移動させた。
それに気付いた翼が『どうして?』と尋ねたので、美月は素直に教えた。
教えられた翼が洗い物をやってる最中の話題として何気に凪歩に教えた。
やっぱり教えられた凪歩は今度は閉店直後のお掃除の時の話題として貴美に教えた。
教えられた貴美が今度は夕飯の話題として直樹に教えた。
そして、この流れの何処かでアルトも知った。何処かは覚えてないそうだ。
結果。
「ここでも当人だけが知らなかったのかよ……」
ハンドルへとがっくりとうなだれる良夜の頭の上で、妖精は言った。
「だって、知ってると思ってたもの……」
それはきっとここに居る連中、全員の感想なのだろう……と、確認こそしないが青年は思う。
「あれは違うわよ?」
妖精に促されて顔を上げれば、そこにはジムニーの狭いフロントガラス。その向こう側にはサマーセーターの肩口を持ち上げてる姉が、ニコッと目を細めて笑っているのが見えた。
「……諸悪の根源じゃねーか……」
その糸の様な細い眼から視線を逸らすように、彼はもう一度、ハンドルの上に突っ伏した。
さて、そんな感じで車を与えられた駐車場に停めると、青年は他の面々と共に喫茶アルトのフロアに入った。
「それじゃ、私は少し用意がありますから……朝食、まだでしたら食べて待っててください」
「あっ、じゃあ……遠慮なく」
「あれ、私も?」
美月の言葉に良夜と小夜子が応える。デートの時、美月をアルトで待つ時は大抵コーヒーなりなんなりを奢って貰っている良夜はともかく、小夜子は多少の驚きがあったようだ。彼女はめがねの奥の目を大きくして尋ねる。
尋ねた言葉に返される言葉は――
「はい、勿論ですよ」
満面の笑みでのひと言。そして、傍に居た貴美と二言三言、言葉を交わしたら、そのまま、鼻歌交じりに居住スペースへと消えていった。
その美月の背中を見送り、姉は良夜の方へと向き直った。
「彼女が飲食店経営だと……食費は要らなかったり?」
「ンな訳ないだろう? 普段は食った分、ちゃんと払ってるよ」
不機嫌そうな口調で答えたのは、この手の質問を受けるのが初めてではないからだ。付き合い始めた当初はちょくちょく言われたし、今でもそう思って居る奴も居る。
「そもそも、朝とか夜とか、食べに来る時間なんてないし、混んでる昼間にわがままなんて言えないし……」
事実ではあるが、どこか言い訳じみた説明をしているうちにいつもの席。青年は半ば自身の指定席となっている椅子に手をかけ、言い訳の続きを並べた。
「だから、たまだよ、たま。美月さんを待ってる時くらい」
「気の効かない男は待たせるくらいがちょうど良いのにね?」
小夜子の言葉に、いつもの窓際隅っこの席、指定席の椅子を引く手が止まった。
「何が?」
「りょーや君はいつもそこに座ってるんだから、たまにしか来られないねーちゃんに景色の良い方を譲るとか、ないのかな?」
子供の頃、宿題を見て貰ってた時を思い出させる口調。そんな口調で言われ、弟は顔を上げた。
姉の背後には新緑眩しい緑の山と真っ青に晴れ上がった空、そして、大きな入道雲が見えた。まだまだ、夏の空気を感じさせる空と山のコントラストは確かに美しい。
その風景を背に椅子を引く姉へと視線を戻して、青年は言った。
「……変わろうか?」
「……良いよ、別に。こっちでも見えるし。でも、そう言う所、ちゃんと気を遣わないと、彼女が可哀想だよ?」
そう言って小夜子は椅子に斜めに腰を下ろす。背もたれが肘掛け、代わりにキッチン側の壁が背もたれ。足を組んだら、退屈そうな右足がロングのフレアスカートを蹴り上げるように上下に動く。
「うん、綺麗なところ」
「まあ……いつものことだよな……」
黙っていれば整っていると言える横顔、メガネの隙間から見える泣きぼくろを見ながら零れる溜め息と呟きが一つずつ。その呟きに呟きに答えたのは姉ではなく、頭の上に乗っていた妖精さんだ。
「良夜が気が効かないのもいつもの事ってね……あれに気を遣う必要があるのかどうなのかは微妙だけど」
彼女はトンと頭の上から踏み切り、一旦テーブルの上へ……そこを数歩、トントンとステップを刻んで歩くと、今度はぽーんと小夜子の頭の上に着地を決めた。
「……あら、頭の座り心地は良いかも?」
そんな事を言って、小夜子のブラウンがかった髪の上にお尻を落ち着ける。
その落ち着けられた椅子へと視線を落として、彼は尋ねる。
「……それで、いつまで居るんだ? 今夜は泊まるんだろう? どーせ」
すると姉は視線だけを右に動かし、弟の顔へと向けた。
「そだね……二−三日、こっちに居ようかな……帰ってもやることないし……観光もしたいし」
「「……観光?」」
良夜とアルトがオウム返しに尋ねれば、彼女はコクンと大きく頷く。
「うん、観光。市立図書館と県立図書館は押さえておきたいよねぇ〜」
「「…………観光?」」
良夜とアルトがほぼ同時に小首をかしげると、アルトの下で姉も小首をかしげてみせる。
「観光じゃないの? じゃあ、仕事なの? うーん……仕事と言えば仕事にもなるかなぁ……ねーちゃん、現国の先生だし?」
「……いや、仕事じゃないと思う……てか、図書館なんて、何処でも似たようなもんだろう?」
「仕事じゃなければ、観光だよ。それに、意外と楽しいよ。地元排出の作家のコーナーがあったり、蔵書も微妙に違うし、背表紙見ながら書架を歩くだけでも楽しいよ」
「……器用な楽しみ方だな……」
レポートや論文の資料探し以外には一切図書館に入らない青年には理解出来ない楽しみ方だ。思わず肩をすくめて見せると、小夜子はクスッと小さな笑みを浮かべた。
「他県で図書館巡りするくらいなら、彼氏でも作って、海にでも行きゃー良いのに……」
「おっ、自分がこの間まで彼女と海に行ったからって強気の発言ね?」
ポツリと呟いた言葉をアルトが茶化す。その言葉に青年は苦笑い。
そして、小夜子は視線を窓の外から良夜へと戻した。眼鏡の奥でまなじりが下がり、形の良い唇が言葉を紡ぐ。
「うーん、そうしたいのは山々なんだけどぉ……ほら、夏休み中は家族の目もあるからね? 私達、大手を振ってつきあえない間柄だからぁ〜」
「……姉ちゃん、マジで教え子だけは止めてくれよな……姉が犯罪者だとか、イヤだからな……」
「……ロリコンの姉がショタコン……」
余計なことを言う妖精をひと睨み。すると、彼女は小夜子の頭の上でプイッとそっぽを向いた。
「姉ちゃん、恋愛に年の差は関係ないと思うのぉ〜てか、たかが六つとか七つくらい、大したことないよ?」
「……職業をわきまえろ、自分の……」
「学校の先生なんて、若い子とお近づきになれなきゃ、やってる意味ないって……中学の現国教師になった同期が言ってたよ? 前に」
小夜子の言葉に反応したのは、弟だけではなかった。そっぽを向いていたアルトもまるでバネ仕掛けの人形のような勢いでこちらに向くと、良夜と一緒に大きな声を上げていた。
「「……まぢでか!?」」
「ウッソ、冗談だよぉ?」
打てば響くタイミングで彼女は答える。そして、がっくりと脱力するのは、思わず、大声を上げていたお二人さん。浮かしていた腰をそれぞれの椅子に下ろすと、溜め息を同時にこぼした。
「……どこまでが冗談だよ……姉ちゃん」
「……高校はともかく、中学はシャレで済まないわよ、中学は……」
それぞれに呟く良夜とアルト、そんな二人を尻目に――とは言ってもアルトは見えてないが……――彼女はにこやかな笑みで口を開いた。
「えへへ……どこまでだろうね?」
がっくりとうなだれる頭の上で、小夜子ののんきな声だけが聞こえていた。
さて、そんな無駄話で時間を潰していると貴美が大きなトレイに二人前のモーニングを持って、良夜達の席に姿を現した。
「お待たせ」
そう言って彼女は手際よくテーブルにプレートを並べていく。ちなみに、今日のモーニングはトーストが二枚とゆで卵、ボイルしたシャウエッセン、サラダとフルーツがいくらか……勿論、飲み物は良く冷えたアイスコーヒー。
「さんきゅ」
「日本人なら”ありがとう”だよ?」
良夜が短く言った言葉に、小夜子は横に向いていた体をまっすぐに直しながらに言った。
「……ありがと」
言われて良夜は素直に言葉を正す。こう言うとき、反論しても無駄というのが長年姉の弟をしていた青年の知恵という奴だ。
すると、それに貴美は恭しく頭を下げて、応えた。
「The pleasure is mine」
その発言は妙に流暢で元々英語がペケな良夜には、彼女が言った単語すらまともには把握しきることが出来ない。ただ、妙に英語が得意な妖精も「へぇ〜」と感嘆の声を上げているのだから、それなり以上の上手なのだろう。ちなみに『どういたしまして』くらいの意味だそうだ。後でアルトに教えて貰った。ヒアリングが特に苦手なだけで、筆記なら解ってた……と言う事にしておく。
「クスッ……聞いてた通りの人だね。吉田さん、吉田貴美さんでしょ?」
そんな貴美を小夜子は小さな含み笑いと共に見上げる。すると貴美の視線が小夜子から良夜へと動いた。
「……なんか言ったん?」
静かに呟かれる言葉と向けられる視線。胸に空になったトレイを抱いていれば、それでぶん殴られるのではないかと青年は思わず身を引いた。
「俺は何も言ってないからな?」
「じゃあ……美月さんかな? この間来たとき、なんかしゃべってたよね……? なんて言ってた?」
貴美が視線を動かし、小夜子に戻す。そして、その貴美の視線を下から見上げて、小夜子はコクンと頷いた。
「うん、吉田さんのことも聞いたよ? 名前で呼ぶと怒るとか、真面目なんだけど、やっかいな人だとか……それくらい」
「まあ、やっかいな人なのは半分わざとだから良いとして……他には?」
「……わざとやっかいな人のマネをしてる時点で、思いっきりやっかいだよ……」
ボソッと青年が呟いた言葉は軽くスルーされ、誰も特に反応することなく、話が進んでいく。別に悔しくはない……悔しくはないが、目尻を押さえて同情の視線を送ってくる妖精は向かっ腹が立つ。
その同情の視線から目をそらして、手元へ。分厚く焼いたフワフワのトーストを少し千切ると、そこにたっぷりのバターを塗り込み、一口。ついでにシャウエッセンを一本、フォークにぶすりと突き刺すと、彼はそれを口に運んだ。
「あっ、私も貰うわね?」
泣き真似をしていたアルトがトントンと小夜子の肩から腕を伝ってテーブルへと下りてくる。
青年は彼女に小さく千切っていたトースト、皿の端っこへ。自身の分は新しいのを千切れば、言わずともアルトはそのトーストの切れっ端に取り付き、食事を始める。この辺は阿吽の呼吸という奴だ。
と、良夜が半ばふてくされ気味に食事を初めても、二人の会話は止まらない。
「他には何か聞いたん?」
良夜の斜め後ろ、壁にもたれるような格好で貴美が尋ねる。
「りょーや君の話を聞き終えて、吉田さんの話を少し聞いたところで、美月ちゃん、連れて行かれちゃったからぁ〜」
「そっかぁ〜まあ、美月さんが知ってる範囲の話なら、聞かれて困ることもないかぁ……」
「そうなんだ? 私もりょーや君の彼女ならともかく、お隣さんのお話には興味、ないかなぁ……」
「そりゃ、そうやね……じゃあ、りょーやんの面白い話とか?」
「……結構聞いたよ?」
話が自分の話になるに居たり、青年は食事の手を止めた。
「って、聞かないで良いから……つーか、吉田さんもとっとと仕事に戻れよな」
と、二人の女に向けて口を開く……も、それで止まれば苦労はない。そう言う事は重々承知の上で言ったので悔しくはない……悔しくはないから、目頭を押さえるふりをするな、馬鹿妖精。あと、目頭を押さえるふりをするなら手に握ったパンくらい置け。
「例えば?」
「例えばぁ……」
貴美が尋ねると、小夜子はうーんと小首をかしげながら、頭の上でクルクルと指を回し始める。小夜子が考え事しているときの癖みたいな物だ。
「…………知り合ったのは下のスーパーだ、とか……」
「……あら……」
小夜子の言葉に、泣き真似をしていたアルトの顔がふと上がった。そして、彼女は「その話……」と小さな声で呟いたようだが、それ以上は良夜の耳には届かなかった。
「あれ、それ知らない」
「そうなの? なんかね、りょーや君がこっちに来て変な妖精と友達になって、その子に紹介して貰ったんだって」
「誰が変な妖精か!?」
小夜子がニコニコしながら言った言葉に、即座に反応にしたのは「変な妖精」扱いされたアルトだ。食事のために端に置いてあったストローを手に取ると、ぴしっ! とその切っ先を小夜子に向ける。
「……お前だよ……って、何で――」
「何で、教えてもらってんよ!?」
そして、良夜の言葉を遮り、貴美が切れた。
「私はここで働いてたのに、一年近くも内緒にされて、なーんで、初めて来た客に教えてんの!? おかしいっしょ?!」
バン! とテーブルに片手を突いて貴美は怒鳴りつける……良夜に。
「……イヤ、だって……教えたの、美月さんだし……俺はほら、デンパさんだと思われたらヤだから」
すさまじい勢いに良夜は若干引き気味になりながら応えた。
もっとも、今述べたのは事実の半分ほどだ。正確に言うなら、最初の頃、貴美が働き始める頃まではそんな風な理由で積極的に隠していたのだが、それが過ぎた頃には――
「言いそびれたから、まっ、良いや……と思って黙ってた、って感じだと思うのぉ〜りょーや君って昔からそう言うこと、よくしてたよ〜グラスとか花瓶とか」
「……解説すんな……」
「……私は割っちゃった花瓶かグラス辺りと同じ扱いだったわけね……」
良夜は図星を突かれて膨れ、花瓶扱いされたアルトも膨れる。食べかけのトーストをストローでザクザク突いてるところを見ると、結構、不機嫌になっているっぽい。後で刺されるかも……と、内心思いながら、青年は貴美へと視線を戻した。
「なんか、納得いかないんよねぇ……一年、仲間はずれにされてたかと思うと」
「……文句なら、美月さんにも言えよな……黙ってたの、美月さんもなんだし」
「美月さんは今、急がしそうだかんね……まっ、良いや……じゃあ、そろそろ仕事に戻るよ……っと、ああ、そうだ、『弟さんにはいつもお世話になっています』って、一応、言っておくね? 一応。えっと……」
「小夜子だよ、浅間小夜子。これからも愚弟をよろしくね? 適当によろしくしてくれれば、後はどう扱っても良いから」
「……そりゃ、どー言う意味だ……? あと、吉田さん『一応』って言い過ぎ」
「一応は一応やん? 貸し借りで言えば、貸しの方が多いっしょ? この間、レポート、見せてあげたっしょ? 実習のソースとかも」
「へいへい。いつもお世話になってるよ……とっとと仕事に戻れ」
「じゃあ、そう言うわけで仕事に戻るんよ。小夜子さん。それじゃ、またね」
そう言って貴美はヒラヒラと数回手を振り、その場を後にした。
貴美を見送ると小夜子も食事を始めた。メニューは同じ物なのだが、小夜子はパンにはバターは塗らない。太るという理由らしいが、それくらいでどれだけ違うんだろうか? と言うのが良夜の偽らざる感想と言う奴だ。
「面白い子だね? お世話になってるの?」
「面白いのは否定しないけど……お世話ねぇ……難しいレポートとか、相談してるくらいかな?」
「りょーや君、そう言うの、鈍感だから……」
分厚いトーストを半分に千切り、彼女は口に運び……ふいに視線を良夜の方へと向けた。
「どうした?」
そう尋ねた時、こちらの方を見ていたのが姉だけではなく、妖精もだと言う事に青年は気づいた。
「……なんだよ?」
青年が改めて訪ね直すと、彼女らはフルフルと左右に首を振り、食事を再開。そして、異口同音に同じ意味の言葉を返した。
「……ううん、何でもない」
「そうね……何でもないわ」
彼女らが良夜の方を見てたのはほんの数秒から十秒弱と言ったところか。すぐにモグモグとトーストを千切っては口に運ぶ。まるで示し合わせているかのように同じタイミング、同じ動き。
「気になるだろう?」
それに今度は良夜が手を止める番だ。しかし、一度食事を再開した小夜子もアルトも顔も上げずに応えるだけ。
「……じゃあ、唇の端っこにパン屑が付いてたよ」
「そうね、そういう事にしておきましょう……」
「……じゃあとか、そう言う事とか……取って付けたようにか聞こえないぞ」
ぶすっとした口調で良夜が言うと、反応を示したのは小夜子だけだった。
「取って付けたんだよ……って……『そう言う事』って?」
「付けんなよ……――ああ……アルトだよ、アルト……アイツもこっちの顔を見てたんだよ」
「ああ……『唇の端っこにパン屑が付いてた』ことにするんだね」
「……何を二人で隠し事してんだか……」
「良いじゃない? 女には秘密がある方が美人になるって……本で読んだよ? それより、その子、今、どこに居るの?」
「テーブルの上で飯喰ってる……俺の真正面辺り」
小夜子の言葉に良夜が答える。すると、それまでトーストをかじっていたアルトが立ち上がり、とことことと小夜子に近付いた。そして、小夜子の顔の真下にまで行き、小さな顔で良夜の姉を見上げる。直後、ちょいちょいとストローが軽く小夜子の指先を突っついた。
「ひゃっ!? なっ、なんか、触った?」
素っ頓狂な声を小夜子が上げると、思わず良夜はプッと吹き出した。
「アルトがねーちゃんの指を突いたんだよ。ねーちゃんでもびっくりすることがあるんだな……」
「びっくりするよ〜へぇ……本当に居るんだね、半信半疑だったけど……」
反射的に引っ込めた手を撫でながら、彼女はアルトの居る辺り……残念ながら若干ずれているようだが、その辺りへと視線を向ける。
「居るわよ、ちゃんと……それに良夜の面倒だって、私も見てるんだから……と、伝えなさい、良夜」
「……――って言ってる。別に面倒は見て貰ってないけど」
「見て貰ってる方は見て貰ってるって思わないもんだよ? 吉田さんにも、アルトちゃん……だっけ? 友達は大事にね?」
「ほら、見なさい」
小夜子が含み笑いと共に言えば、アルトは腰に手をやり薄い胸を張って勝ち誇る。
「吉田さんはともかく、本当にコイツには面倒なんて見て貰ってないよ……」
「どうかなぁ……りょーや君、そう言うのに鈍感だからぁ〜」
「ウンウン、凄く鈍感よね、良夜は」
「うるさいなぁ……二人とも……悪かったよな、鈍感で」
ふてくされ気味に残りのトーストをむしゃむしゃ……さっきまではあんなに美味しかったトーストがどこか味が薄くなったような気がする。
そんな良夜を二人の女性が見詰め、ゆっくりと、口を開いた。
「悪くはないけどぉ〜でもぉ……」
「ホント、別に悪くはないわよ? でも……」
「「さっき、美月(ちゃん)が一抱えもあるようなぬいぐるみを持って、キッチンの方に行ったのは、気付いた方が良かったと思うわよ?」」
二人の見事な合唱……その言葉を咀嚼し、飲み込み、頭の中で消化するのに掛かった時間十五秒。理解した途端、彼の体は椅子の上から跳ね上がった。
「言えよ!!」
ガタンッ! と大きな音を立てて、青年は席を立つ。取り残されたテーブルの上には食べ残しのモーニングメニューと氷が溶けて薄くなり始めたコーヒー、そして、差しだされる小夜子の細い指。その指をペチン! とアルトが叩けば小夜子はその指先に向かってニコッとほほえみかけた。
と、言う事は客の居ないフロアからキッチンへと駆け込んだ良夜は知るよしもなく、代わりに彼に教えられたのは……――
彼の物になったジムニーが三つの大きなぬいぐるみと二つの小さな人形に占拠されているという事実だった。
「かっ、鍵……かけ忘れてた……」
と、呟いたところで後の祭り……
「だっ、ダメですかぁ……?」
この車の新しい主は、こんな台詞と共に涙目で見上げられて、ダメと言えるような人間ではなかった。
そして、良夜のジムニーは大学周辺で「妖精まみれ二号」と呼ばれるようになったとさ。
なお、今回……
「……キッチンから出入りしてた……から……」
と、翼。
「ああ、フロアーをうろちょろしてたから、気付いてたよ」
と、凪歩。
「僕もフロアーにいましたから……」
と、直樹。
「忙しそうにしてるなぁ〜ってずっと見てた」
と、貴美。
「……だから、おまえら、当事者をほっとくなって、さっきも言ったじゃん!?」
と、良夜が軽く切れると、女共は顔を見合わせて断言した。
「「「「言わない方が楽しい」」」」
「あっ、僕は言った方がって言ったんですけど……」
美しい合唱が聞こえる横で直樹がボソボソと言い訳をしていたので、とりあえず、青年は奴の頭を一発はたくことにした。
この後、姉はこう言った。
「ねーちゃん、このお店、好きになれそうだよ」
良夜は嫌いになれるかも知れない、と思った。