三度目の海、初めての海(8)
 ただいまの時刻、七時三十五分、午前。良夜は部屋に帰り着くと、バタンとベッドの上に倒れ込んだ。当然ではあるが、部屋とは言ってもアパートの自室ではなく、別荘の男子部屋。ちなみに、直樹が三日も生息していたので結構汚い。奴の荷物こそはなくなっているが、お菓子の空き袋を中心にゴミが散乱、後、良夜の脱いだ服とかも……
「ヤベ……眠い……」
「夏休みだからってダラダラ寝てるからよ、毎朝」
 ふかふかの枕に顔を埋めて良夜はグッタリ。勿論、こんな朝早くから遊びにいっていたとか、帰ってきたとかと言う訳ではない。喫茶アルトのある地元へと帰って行くタカミーズと翼を高速艇の桟橋にまで送っていったからだ。荷物はお土産を含めて全てひとまとめにして、宅配便で直送。人間達は宅配便で送れないハムスターのケージを抱えて、高速艇と電車を乗り継いで帰ることにした。明日、こちらにやってくる美月と凪歩も同じように電車と高速艇でやってくる予定。これは、交代要員なしで半日以上ずっと運転しっぱなしと言う事態にしないための善後策という奴だ。
「……ってのは良いけど、昨日寝たの、一時だぜ? 毎晩、毎晩、良く酒盛り出来るよな……吉田さんも寺谷さんも……」
「貴美はともかく、翼は昨日も今朝も、朝起きたら、シャワールームに立て籠もって、ずーっと反省してたわよ」
 飲んだ翌朝はシャワーを浴びながら「もう飲まない、絶対に飲…………み過ぎない」とぶつくさ言うのが翼の日課らしい。頭、悪いんじゃないか? と、アルトは思う。
 てな話を良夜にすると、彼は突っ伏していた枕から顔を上げ、視線を後頭部に座るアルトへと向けた。
「えっ、そうなのか? あの人も懲りるって事、知らない人みたいだな……」
「まあ、反省するだけマシじゃない? 美月なんて反省なんかしないわよ?」
「……お前だって、毎回毎回、裸踊りしそうになる癖によ……」
「大きなお世話よ!」
 コツン! と良夜の頭にカカト落とし。ついでに髪を引っ張れば痛い痛いとベッドに寝転がったまま、青年は暴れた。そのまま、髪を掴んで暴れさせること数分、溜飲を下げると彼女はおもむろに尋ねた。
「それより、これからどうするの? 本当に明日までずっとゴロゴロする気?」
「……一日くらい休ませろよ……明日から、絶対に精神的に疲れんのは目に見えてんだからさ……」
 崩れた髪を直しながら、青年は恨みがましい視線を向ける。それを妖精はプイッとそっぽを向いて受け流すと、もう一度、ペチン! と今度は額を手のひらで叩いた。
「じゃあ、私にどうしろというのよ。まさか、日長一日、ゲームのコントローラー相手にダンスでも踊ってろって言うの?」
「……お前のその立派な脚はなんのためにあるんだよ……」
「良夜を悩殺するためよ」
 答えながら右足をにょきっと伸ばしてみせる。十分な日焼け対策が功を奏したのか、彼女の脚は真っ白いまま。傷一つなく、身長比で考えれば、長い足を上下にフラフラ。我ながら、綺麗な脚と思いながら、視線を突っ伏したままの青年に向ける。
「欲情した? ロリコン」
「……じゃあ、その背中の立派な羽は?」
 枕に顔を埋めたまま、上げもしない。ちょっとムカツクのでもう一発踵落とし。
「勿論、良夜の頭の上に乗るため以外には作動しないように出来てるのよ?」
「……たまには一人で出歩いて来いよ……お前の羽でも十分も飛べば、波打ち際だよ……岩場だけど」
 呆れたというか、諦めたというか……複雑な表情で青年はアルトを見上げて、言った。そして、一言――
「帰って来れなくなったらどうするのよ?」
「……お前は樹に登ったら降りれなくなる子猫か……?」
 そこまで言うと、やおら良夜は体を起こした。大きな背伸びを一発、伸ばした手を頭の上にやると、そこで髪にしがみついていたアルトの体をひょいとつまみ上げる。そして、青年は、おもむろにその小さな体を枕の上にちょこんと座らせた。
「なっ……何?」
 キョトンとするアルトの前で、ぺこり。良夜はベッドの上で深々と頭を下げた。
「昼までで良いから寝かせて……お願いだから……」

 と、まあ、こんな風に懇願させるとさすがのアルトも少しくらいは寝かせやるか……と言う気持ちになる。しかし、良夜が寝てしまった今、何をして良い物やらさっぱりというのが実情だったりする。そりゃ、自前の羽で出掛けるというのも一つの手段ではあるが……
「喉が渇いても周りに人が居ないと、ジュースも飲めないって解ってんのかしら……?」
 絶対、解ってないんだろうな……と思いながら、すーすーと心地良さそうに眠った良夜の頭をガッ! と一発、力一杯蹴飛ばす。なんか、苦しそうにうなされているが、知らん顔。知らん顔のままの顔をリビングにニュッと突き出す。そのリビングの隅っこ、昨日まで三つのケージが並んでいたそこも、今となっては悪夜のケージ一つだけ。中では相変わらず悪夜がカラカラとマイペースに回り車を回している真っ最中。
 そのケージの上にちょこんと着地を決める。
「……マイペースなハムスターよね……飽きない?」
 等と尋ねてみる。
 カラカラカラカラ……
 二分ほど待ってみる。
 カラカラからカラカラカラ……
 もう一分だけ待ってみる。
 カラカラからカラカラカラカラカラ……
「……負けた……負けたわ」
 見事なスルースキルにがっくりとうなだれ、はらはらと涙を流す。そんな小ネタにも悪夜は全くの無反応。ガンッ! と力一杯にケージを蹴り上げるとようやく、周り車を回すの止める……も、彼女は生米が入れられたえさ箱に取り付いただけ。特に驚いた様子も見せず、カリカリと生米をかじり始めた。
「……なんかもう、向かっ腹が立つだけの存在よね……」
 だいたい、ハムスターが可愛いのは小さいからだ。しかし、アルトから見ればこのハムスターも結構な大きさ。腕くらいならカプリと丸かじりされてしまいそうな獣を可愛いと感じられる人が居るだろうか? いや、居ない(反語)。
 全く相手してくれない悪夜の元からトンと飛び上がる。目指す先はテレビの前。
 良夜の部屋にあるテレビの二倍近くはありそうなテレビを見るに丁度良い所にはソファーセットが置かれていた。アルトはそのテーブルの上にちょこんと着地を決めると、リモコンのボタンをぐいっ! 踏みつけた。
 人のサイズだと丁度良いのだろうが、アルトのサイズだとまるでテレビは映画館のスクリーンのよう。なかなかに迫力があって良いのだが、映っているのは芸能人があーだの、政治家がこーだの、ひたすらどうでも良いワイドショーか大昔のドラマの再放送。リモコンのボタンを踏みつけてチャンネルを変えて行くも、彼女の好奇心をくすぐる番組は何一つとして存在しない。
「……芸能人なんてあんまり知らないし、私に選挙権なんてないわよ……」
 全く興味のない話に溜め息が零れる。世の主婦というのは毎日こう言う物を見て時間を潰しているのか、と思えば哀れに感じる。十五分も見ればお腹いっぱいだ。
 結局、彼女はビデオ入力に変えると良夜が持ってきていたビデオゲームの電源を入れた。
 一瞬、画面が真っ黒になったかと思うとすぐにメーカーロゴが映り、ゲームが起動する。初日、翼が素晴らしいゲームテクニックを披露したあのシューティングゲームだ。
「今日はどこまで進められるかしらねぇ……」
 と、始めてみた物の、彼女がゲームをやっていた時間もわずか十五分。誰も見ていない所でゲームをやるのが非常につまらないことに彼女は気が付いたのだ。
「……なるほど、凄い凄いって言われないとつまらないのね……」
 だったら、練習だとでも思えば良いのだろうが、アルトはそう言う地道な努力というのは余り好まない。特に結果がすぐに出ない練習とか言うのは大嫌いだ……落とし穴を掘ったりするような無駄な努力はきらいじゃないのだが……
 そんな感じで、しがみついていたアナログスティックから体を起こして、うーんと大きく背伸び。パタパタと飛び上がると――
「りょーや! 起きて! 退屈なの!」
 枕に突っ伏したまま眠り続ける良夜、その頭の上でアルトはピョンピョンと何度も跳びはねる。ちなみに脚にはきっちり木靴を履いているので、着地する度、結構良い音がしている。ポコポコって感じ……中身、空っぽなんじゃないのだろうか?
「んっ……うう……んんん……」
 一分少々の運動の後、むっくりと青年が起き上がった。その頭の上からポンと飛び上がり、アルトはベッドのヘッドボードにトンと着地。その子に腰を下ろすとにこやかな笑みで言い切った。
「おはよ、良夜。気持ち良い目覚めね」
 その言葉に青年は体を起こす。そして、眠たそうに辺りを見渡すこと数十秒……アルトの頭の上に掛け時計を見つけた彼は、それをマジマジと見詰める。
 ふわりと体を浮かせて、その時計と良夜の顔との間に体を滑り込ませる。にっこりと極上の笑み……本人的には。されど良夜はむすっとしたままの表情で言った。
「……俺……昼まで寝かせてって……言ったよな?」
「暇なの。遊んで」
「……だからさ、一人で出かけたら良いじゃねーかよ……磯遊びでもして来いよ……ヤドカリとか捕まえて……」
 面倒臭そうな声で良夜が答える。するとアルトの大きな瞳は瞼で半分ほど覆い隠され、眉がへの字を画いた。そして、彼女は青年を見詰める視線を鋭い物へと変えていった。
「……自分が絶対にしない遊びを私に勧めるのは止めなさい。引きこもり系オタク青年!」
「……うるさい、引きこもり妖精!」
 にらみ合うこときっちり三十秒……
「あっ……」
 不意に声を上げたのは良夜の方だった。
「何よ……?」
 その不意打ちにアルトは目をまん丸くした。毒気を抜かれたというか、間を外されたというか……そのせいだろうか?
「えっ、あっ、ちょっと?」
 ひょいとアルトの羽を良夜がつまみ上げた瞬間、抵抗することも逃げることも忘れた。ちなみにアルトは体の構造上、羽を摘まれると一切に反撃出来ないようになっている……と言う事を最近知った。結構、長く生きてるのに……
「危うく、お前に遊ばれる所だった……」
「チッ……ばれてた……」
「だから、舌打ちはもう少し遠慮して打てって……」
 このまま、なし崩し的に下らない話でもして時間を潰そうかと思っていた計画は、珍しく良夜に見抜かれていたようだ。もっとも、過去にも使った技なので見抜かれるのも仕方ないと言う奴だろう。
 で……
「こうすりゃよかったんだよな……」
 と、良夜はドアから首だけ出して、ポイとアルトをほうり捨てる。直後に響き渡る冷たいドアの音。勿論、ガチャリと言う鍵の音付き。
「ちょっと! りょーや! りょーやったらぁ!!」
 慌ててドアを叩こうが、蹴っ飛ばそうが、中からのお返事は全くなし。耳を当てて中の様子をうかがってみても、中で誰かが動いているような様子はまるでなし。どうやら、本当に寝てしまったようだ。
「……これは私への挑戦に違いないわね……」
 と言う訳で、いかにして良夜の安眠を妨害するか、出来る事なら起こしてしまうか、と言う楽しい遊びをアルトは発見したわけである。
 まずは良夜の携帯に電話をしてみた。こちらに来てから、良夜は毎晩美月に電話をしているので携帯電話は彼の手の届く範囲にあるはず。
 アルトから見れば巨大な電話はリビングの隅っこ、ソファの近くに置いてあった。極々普通のオフィスフォンという奴。内線で事務所兼売店にコールすることも可能で、そこからちょっとした軽食くらいなら注文することも出来る。初日の夕飯のピザもここで注文した奴。
 その受話器を両手で抱えて、エイヤ! と投げ捨てる。投げ捨てられた受話器は電話台の上でカタンと音を立てて一回転、そのまま、床に真っ逆さま。「あっ」と思った時にはコード一本でブラブラと垂れ下がって揺れていた。床まで落ちきらなかったことに一安心ではあるが、垂れ下がったままでは電話は出来ない。
「んしょ、んしょ……」
 と、両手でそれを抱えて電話台の上にまで持ち上げる。結構な運動。所要時間は三分ほど、掛かった時間に比して肉体的な疲労感、代わりに精神的な疲労感は少なめ。トータルとしてはいい汗掻いたって所。そんな達成感に浸りながら、電話のプッシュボタンを押していく。
「090−XXXX−YYYYっと……」
 暗記している番号を押してやれば、トゥルル……トゥルル……トゥルル……と言うコール音、ついでに遙か遠くから微かにミーハーな流行歌の着メロが聞こえ始めた。
 待つこと一分弱……
『ガチャ……はい、もしもし……』
「はぁい、良夜、私よ。元気?」
 眠そうな声にとびっきりの明るい声で返事をしてみた。
『もしもし? もしもし???』
 不思議そうな声で何度も「もしもし」と言い続けるバカに「クククッ」と邪悪な笑みがこぼれる。こちらからの声は聞こえないことは先刻承知。と、言う事は奴はこのまま、誰の物とも解らない電話に「もしもし」言い続け――
『ぶつっ! ツーーーツーーーツーーー』
 速攻で切られた。取り付く島もないとはまさにこの事。もう一度鳴らしてみても、コール音だけは聞こえるが彼が出る様子は全くなし。遠くで聞こえていた着メロすらも聞こえない。どうやら、マナーモードにでもしてしまったようだ。
「……意外と早く切ったわね…………ああ、知らない番号から無言電話があったら、そりゃ、切るわね……普通」
 納得。大きな受話器をまた「んしょ、んしょ……」と持ち上げて、元の場所に戻す。これが結構しんどい。やり終えた後は、息切れ、汗だく。電話を背もたれに座り込むと、彼女はしばらくの間、ぼんやり途中を見上げてちょっと一服。
 ぼんやりと天井を眺める。掃除の行き届いたリビング、心地よい空調の風、疲れ切った体には何とも居心地の良い空間だ。その空間で彼女の頭脳は猛烈な勢いで回り続けていた。
「よしっ!」
 考えがまとまる。まずはキッチンに向かう。シンク傍の壁に付けられたキッチンペーパーのフォルダーからペーパーを破り取ると、それを持ったまま、換気口から這いだして裏庭へと回る。
 外は眩しい真夏の空。目と肌を焼く太陽と恐ろしいほどに高い空、真綿と見まごうばかりの入道雲の下で羽ばたけば、ものの数分と掛からず男子部屋の窓の外へとたどり着く。
 窓の内側、カーテンの隙間から中を覗き込めば、まず見えたのは荷物が散乱している部屋の様子だ。直樹が荒らした分から彼自身の荷物を差っ引いた分がそのままになっているのだ。その荷物やらゴミやらが散乱する部屋の中、ベッドの上ではバカがバカ面下げてグーグー寝ている。
 ここでただ単に窓を叩いた位じゃアレは起きやしないだろう。だから……――
「ふふ……私を粗雑に扱った罰よ……」
 そう呟き、先ほどちぎったキッチンペーパーを唾液で濡らして耳の中に押し込む。遠くに聞こえていた潮騒がさらに遠く……そして、消えた。
「あーあー!」
 少し大きめの声を出して、耳栓の動作を確認。完全に聞こえなくなっているわけではないが、まあ、ないよりかは随分とマシ。そして、彼女はガラスの方へと向き直り、いつも持ってるストローの先っぽ近くをギュッと強く握りしめた。握りしめている手が力を入れすぎて震えるくらいに強く、強く。
 そして、がっ! とその先端を窓ガラスに押し付けると、ゆっくりとではあるが、確実に、万力のように――本人的には――決してぶれさせることなく、ストローで窓ガラスを引っ掻いていく。
 ギーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!! と、本能的な嫌悪感を引き起こす音が、耳栓越しにも鼓膜を貫く。はっきり言って、耳栓なんて役に立ってない感じ。
「こっ、これは……諸刃の剣だわ……」
 ひとしきり、窓を引っ掻くと、アルトは自身の腕へと視線を落とした。昨日のひなたぼっこのおかげで少し日焼けした腕が、鳥肌でボコボコだ。自分自身も結構なダメージを食らったが、耳栓をしてない中の方は……と視線をそちらに上げると、窓が開いてそこに良夜が憮然とした表情で立って居た。
「あら……」
 アルトがそう呟いた瞬間、良夜の両手がガバッとアルトの小さな体を包み込んだ。いわゆる、金髪危機一髪状態。力一杯握られると結構辛い物があるのだろうが、良夜は「割と優しい(と書いてヘタレと読む)」ので逃げ出せない程度にしか力を入れない。おかげで余りと言うか、全く苦しくない。
「……――……ろ、こ――バカ! ……――だろう!! ……馬鹿……せい!!!」
 包み込んだアルトを見下ろしながら良夜は何やらわーわー叫んでいるようだが、それは耳栓のおかげでやけに遠く聞こえ、意味のある言葉としてアルトの耳に届きはしない。耳栓を外せば聞こえるのだろうが、あいにく両手は良夜の手のひらの中で、どうにも動かせそうにない。
「昼まで――ったじゃん? 俺、眠いって……な? お前、そこま…………ない奴だって……ああ、知って………………――もさ! でも、もうちょ……××○○たっ××ろう!?」
 全く理解出来ない。素直に耳栓してるから聞こえないわよ、と言っちゃうと火に油な気がするので、しばらく聞いてるふりをすることにした。すると奴は……――
「眠○○△△、ともかく、××だ! ――ろ、馬鹿妖精!!」
 結構な時間、彼は怒鳴り続けていた。眠い眠いとか言ってる割に元気な奴である。
「……――っか?」
 そう言った言葉も理解出来なかったが、じーっとこちらを見ながら、黙っている所を見ると反応待ちなのだろう。そこでアルトはとりあえず、
「うん!!」
 と、言ってみた。何も解ってないけど。なお、声がヤケに大きいのは耳栓をしているせい。
 瞬間、パッと手が離された。
 まだ、良夜はぶつくさと何かを言っているようだったが、ひとまずはそれを無視して、耳栓をすぽんと引き抜く。抜いた所を小指でクリクリとかき混ぜると、耳の奥まですっきりだ。
「ふぅ……で、なんの話?」
 改めて奴の顔を見上げれば、良夜は間抜けな顔でパクパクと口を何度も開けたり閉めたり。
「あら……まだ、耳栓が中に残ってるのかしら? 自分の声はちゃんと聞こえてるんだけど……」
 耳をポンポンと叩いても中から出てくるものは何もなし。ひとまず、小指で耳の奥をこりこりすると気持ち良いので、もう一度やってみる。指に付いた耳垢はフーッと吹いて飛ばすのが作法らしい。
「てってってっ……てめえ、全く、聞いてなかったのか!?」
「あっ、聞こえたわ。全くって事はないわよ? だいたい……二割五分くらいは聞いてたわ」
「……理解は?」
「…………三分<さんぶ>くらい?」
「……三%にも自信がないんかい……?」
 小首をかしげて答えるアルトに良夜はがっくり。ひとしきり怒鳴りつけたのが半分、上手く機先を制されたのが半分、がっくりとうなだれる青年から怒りの波動はもう見えなくなっていた。なんか、勝った気分で一杯。
「と、言う訳で遊びましょう?」
 そんな事を言いながら、手にしていた耳栓(の残骸)をポイと投げ捨てる。それは綺麗な放物線を画いて良夜の肩口を越えて、部屋の中へ……そして、一面ゴミと荷物だらけの床に落ちれば、渾然一体とかして何処に行ったか解らなくなる。
「……捨てるなよ」
「良いじゃない、どうせ、ゴミだらけなんだから」
 後を振り向き、良夜が言うとアルトも良夜の肩口にまで浮かび上がって答える。そこから見える景色はトラ柄の腐海。すなわち、一面の腐海から直樹の荷物を撤去してみたら、残ったのはまだらの腐海だった、と言う訳である。
 それを二人で見詰めること一分。しかる後に互いの顔を見つめ合うさらに一分。
「……どうしてこうなるんだろうな?」
「……知らないわよ」
 毎年のことと言えば、毎年のこと。一応、通説では「直樹のずぼらは伝染する」と言う事になっているが、実験による立証はまだなされていない。
「女子部屋、どうなってんだ?」
「見てみる?」
「良いのか?」
「別になんて事はないわよ」
 窓の内側、良夜の頭にパイルダーオンして、部屋を出る。そして、女子部屋へと行けば、そこは……
「……すげー……」
 見事な空き部屋だった。忘れ物は勿論、チリ一つ落ちていない。ベッドに掛けられたシーツはピンと皺一つなく、肌布団は足下に綺麗に畳まれていた。なんというか、使った後の部屋と言うよりも使う前の部屋と言った趣。ここで貴美と翼の二人が今朝、ほんの数時間前まで居たとは思えないほどだ。
「そもそも、あの子達、部屋で飲み食いもしないし、出した物はその場で片付けてたのよねぇ〜」
 と、言う訳で二人は少し早めに起きて、簡単に掃除機をかけて、ベッドメイクをして終わり。一方良夜は貴美が直樹の荷を発掘するからと言って、早朝にたたき起こされ、邪魔だと言って部屋を追い出され、荷物だけは発掘出来たけど、ゴミの掃除までは出来ないから――
「あとよろしく! って所で、早く行くよ、帰るんよ!」
 てな感じでせかされるように、車に押し込められて、運転手。ただいま、激烈に眠いというのにアルトちゃんに睡眠の邪魔されて、この通り。
「……自業自得よね……」
 頭の上でそう言うと、頭の持ち主ががっくりとうなだれる。おかげで、ちょっと振り落とされそう。ずるずると髪を掴んで這い上がると、もう一度、彼の頭の上に座り直す。
「……ああ……しょうがない……片付けるかぁ……」
「……えっ?」
 良夜の言葉に今度はアルトが目を丸くする番。
「えっ? じゃないだろう……この話の流れでそれ以外のどこに話を持っていきたいんだ? お前は」
「……私と遊ぶのは?」
「部屋の片付けが終わってからだなぁ〜」
 力ない言葉で呟かれた良夜の言葉、そこから彼女はあの腐海の部屋を思い出してみた。よくぞわずか三日であそこまで汚せた物だと感心するほどの、ゴミの層。そう言えば、初日から余ったピザを持ち込んで直樹と良夜、二人でだべりながら食べてたっけ……と、アルトは思いだしてみた。ちなみに自主的に自室に行ったわけではなく、貴美が追い出した。女の子同士の話があるとかで。内容は良夜と直樹には秘密。大したことではない。
「……今日一日で終わるの?」
「……さあ?」
 首をひねる良夜を前に、アルトは遊ぶことをようやく諦めた。

 で、結局……
「素直に待ってればお昼からは遊べたのよねぇ……」
 大きなゴミ袋をいくつも作って部屋を片付ける良夜を見下ろし、アルトは大きなため息を突いていたとさ……
 ちなみに掃除が終わったのは、夕方、少し前だった。
「ツーか、早く終わらせたかったら、手伝えよな……」
 と言う正論は聞こえないふりをした。

前の話   書庫   次の話

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