三度目の海、初めての海(4)
 アルトの馬鹿が貴美に丸められて悶絶したのと、直樹が暑気で死にかけた事、その時、貴美は恋人よりも自分のハムスターを心配したこと、それは良夜や翼も同じだったこと、それを知った直樹が暗い目で、ただ一言――
「どうせ僕なんて……」
 と呟いたのが、一同の胸を深く抉ったとか、些事はあった。しかし、概ね問題なく、良夜達は三時を少し過ぎた辺りでいつもの別荘にたどり着いた。
 最初に来たときはこの立派な別荘をロハで使わせて貰うと言う事に、良夜も気後れを覚えていた。しかし、三度目にもなるとさすがに慣れる物だ。特に遠慮する事もなく部屋に上がると、リビングの片隅に悪夜のケージを置いた。
「ここに三つ並べます?」
 尋ねたのは、良夜同様にハムタカのケージを抱えてきた直樹だ。良夜が「そうだな」と首肯すると、悪夜のケージの隣にハムタカのケージを並べて置いた。その中、悪夜は悪夜で相変わらず回し車を一生懸命回し続けているし、隣のハムタカは一生懸命食事をしている。偶然かもしれないが、この二匹は良夜が覗く度、いつも同じ事をしているような気がした。
「悪夜だって、餌も食べてなきゃ、死んじゃいますよ」
 隣の直樹がそう言うと「まあ、そうだけどね」と答えを返しながら、青年はトンと悪夜のケージを突いた。中の悪夜がびくんと震えて、周り車を止めた。それを含み笑いで見やり、青年は立ち上がった。そして、もう一度、外に向かう。車の中に着替えなどが入っている荷物がまだ残っているからだ。
 玄関のドアを開くと、途端に外の風が流れ込む。本土からこちらに渡ってきたときは島特有の潮風を涼しいと感じたのだが、一度、空調機の恩恵にあずかると外の塩気を踏んだ風は余り心地よい物とは思えなかった。我ながらわがままな物だと思うが、人間なんてそんな物。
 その濃密な空気の中、膝丈のスカートにサマーセーター、その胸元にハムスターのケージを抱え、背中には大きなナップザックという出で立ちの女性が居るのが見えた。表情の読み取りにくい鉄仮面で別荘を見上げる女性、寺谷翼だ。
「どうしたの? 寺谷さん」
 良夜が声を掛けると、翼は見上げて居た顔を下ろし、良夜の方へと向けた。
「……ここ……本当に、ただ?」
 そういう翼の言葉につられるように良夜も別荘へと向き直る。平屋とは言え立派なコテージ風の建物には、ちょっとした庭も備え付けられていてバーベキューくらいなら楽に出来る。それをただで使えるという事に、戸惑いを覚えるのも仕方のないことなのかも知れない。
「うん、ただだよ。今更払えって言われても、払えないし」
「……夜中になると知らない男の人が来るとか……」
「ねーよって……どういう世界観だよ……」
 良夜の説明に納得したのかしないのか……表情に揺れのない翼から真意を読み取るのは難しい。ただ、彼女は良夜に「ふぅん……」とだけ言うと、のんびりとした足取りで別荘の方へと消えていく。その足取りに遠慮の文字は見えないような気がした。
 残る荷物は大きめのボストンバッグが一つと大きな紙袋が一つ。その二つを両手にぶら下げるとかなり重たい。蒸し暑い午後の日差しに焼かれながらそれを運ぶ頭の上に、トンッと言う小さな振動が一つ。そこに目を向けると上から小さな顔に穿たれた大きな瞳がクリクリと動きながら、青年を覗き込んでいた。
「ねえ、今日は泳がないの?」
「さあ……どうかなぁ〜暑くてばてちゃったよなぁ……」
「まあ、確かにばてたし……心なしか、体がだるいのよねぇ……貴美に丸められた時の奴とは別口で」
「……そりゃ、お前……」
 アルトが不思議そうに体を肩や首を回すのを視線の上の端っこに捉えながら、溜め息を一つ。足を止めると、ボストンバッグを足下に置いた。そして、頭の上で体をほぐしている妖精の羽をひょいとつまみ上げ、青年は彼女の顔を自身の顔の真正面に置く。
「……ゴミ袋パラセイルだろう? 海に着く前にマリンスポーツ、堪能してんじゃねえよ」
「かしらねぇ……最近、運動不足だから」
「それと、水飲んで塩飴もなめとけよ。直樹みたいに熱中症になりかけても知らないぞ」
 ぽいとアルトを中空に放り上げる。しなやかな体が、頭の上でくるんと一回、とんぼを切った。そのまま、アルトの華奢な体は華麗に頭の上へと着地を決める。それをいつ見ても見事な物だなぁ〜と良夜は内心感心した。
「十点、十点、十点、九点、八点、十点!」
「それだけ元気なら大丈夫だよ。もう、エアコンも効いてるから、今日はのんびりしろ」
「なんしょん?」
 アルトとの会話を切り上げて、荷物を取り上げようとした所へ背後から声が掛かる。その特徴的な変な方言と声は吉田貴美。振り向くと彼女も大きなボストンバッグを両手に一つずつぶら下げて、こちらへと歩いてきていた。
「アルトがしんどいってさ、暑気にやられてんじゃないか? 冷え性で暑がりなんだよ」
 答えながら、ボストンバッグを拾い上げる。そして、彼女が隣にまで追いつくまで待つと、彼女の歩く速度に合わせて歩き始めた。
「私が丸めた奴? ありゃ、りょーやんが悪いんだかんね?」
「違うって。あれは謝ったし、頭も刺されたり、吉田さんには尻を蹴られたし、反省してるって」
 貴美に責められ、青年はバツが悪そうに視線をそらした。ゴミ袋と一緒に丸められたアルトには頭を三回刺されたし、そういう事をやらされた貴美にも力一杯尻を蹴り上げられて、直樹や翼にまでチクられて、冷たい目で見られて、もう散々。
「自業自得よ」
「うっさいよ……それで、今日はどうする?」
「そうやねぇ……あるちゃんもその調子なら、今日はだらけようかぁ……夜はピザでも取りゃ良いし……」
 そんな話をしている間に別荘の玄関。中はやっぱり空調が効いていて、心地良い。自身がどれだけ空調に慣れているかと言うことが良く解る。
 中に入るとすぐに大きなリビングキッチンだ。その天井には天窓がある。そこからは眩しい夏の日差しが全体を明るく照らしだしていて、少し眩しいくらい。その光の中央には大きなテーブルが置かれていて、そこに翼と直樹が向かい合わせに座り、余り面白いとは言えないワイドショーをぼーっと眺めていた。
 最初、良夜は直樹の隣に腰を下ろそうとしたのだが、貴美に肩を掴まれにこやかに睨まれたので、それを断念。諦めて翼の隣の席に腰を下ろすことにした。
 テーブルの周りを半周、翼の隣に座るのとほぼ同時、一足先に椅子に座った貴美が口を開いた。
「んで、今日はだらだらして夜はピザって感じにしようかと思うけど、良い?」
「……デリバリー?」
 尋ねたのは翼だ。直樹の方は「良いですよ」の二つ返事。だいたいに於いて、包丁でキャベツを切らせたら指ごと切っちゃうような奴に食事に対する発言権はない。
「そだよ」
「……高く、ない?」
「まあ、アルトのミックスピザより高いもんねぇ……」
 貴美と翼との会話を良夜の頭の上で聞いていたアルトが呟いた。そう言えば、良夜自身、アルトに通うようになって自宅でデリバリーのピザを頼んだことは一度もない。
「……材料費なんて……数百円……」
「じゃあ、つばさん、作る?」
 貴美が言うと翼は黙り込む。そして、互いに斜め前に座る相手をじーっと見つめ合う。静まりかえった時間はだいたい一分ちょっと、やおら翼は自身が座っていた椅子の背もたれに引っ掛けられていたハンドバッグを取り上げ、中からとある物を引っ張り出した。
「…………いくら?」
 とある物とはお財布だった。

 と、言う訳で今日は半日だらだらというのが決定。とは言っても、本当にだらだらと空模様を眺めて過ごすほど、良夜達は年老いていなかった。
「……なんで、こんな所にまでそれを持ってきてるのよ……」
「美月さんがやりたいってさ」
「……あの子も油断ならないわね……」
 頭の上のアルトに呆れながら、良夜は紙袋の中に押し込んでいた“物”を取り出した。結構大きな家電製品、世間一般では『ゲーム』と呼ばれてる奴だ。それとソフトが十本ほど適当に。
「ゲームがしたいなら、ずーっと家に居なさいよ……」
「……来なくても良かったのか?」
「……残りの人生、ゲーム出来ないようにその目ン玉、えぐり出してあげましょうか?」
 目の前で揺れるストローをはじき飛ばしながら、青年はリビング中央に置かれていた液晶テレビにゲームを繋ぎこむ。大きさとしては四十インチくらいだろうか? 家で使ってるテレビよりも随分大きい。これで――
「エロいゲームしたら、迫力満点ではないだろうか……と思う良夜であった」
「モノローグを捏造すんな。でもさ、シューティングとかデカイ画面でやると弾、避けやすくなんねぇかな?」
「ならないわよ……どんな理論よ」
「っと、繋ぎ込み終了……って、なんで、吉田さんが一番にコントローラーを握ってるのかな? 直樹もゲームを物色すんな」
 振り向けばそこには吉田貴美がニコニコしながら、コントローラーを握っている姿。ついでに直樹は良夜の紙袋を広げて中身を物色中。遠慮のない友人達に頭が痛くなってくること必至。
「あはは……いや、ほら、うち、余りゲームとか買って貰えないから……」
「バイクに掛ける金とお巡りに貢ぐ金を減らしゃ、いくらでも買って上げんよ! この宿六!」
 誤魔化すような笑みでお目当てのゲームソフトを紙袋から取り出す直樹に、貴美の長い足が一発蹴りを入れる。そして、彼の持っていたゲームを奪い取ると、それを本体に突っ込みゲームを始めた。
 貴美が始めたのは一人用のシューティングゲーム。貴美は比較的シューティングゲームを好む。余り複雑な話とか考えずに、頭を空っぽにして適当に撃って避けて、と言うのが楽しいらしい。
「りょーやん、どこまで進んでる?」
「アーケードモードだとノーコンティニューで五面。キャンペーンモードだと十二だな」
「ふぅん……じゃあ、アーケードモードで六面は目指したいやね」
 等と貴美が話してる間にチュドーンと言う爆発音が大きなテレビの大きなスピーカーから鳴り響く。その派手な爆発音に貴美の顎がかくんと落ちた。
「げっ……むっずぅ……三面であの弾なん?」
「弾の出方とか覚えないと無理だよ」
 続く直樹も同じく三面で撃沈、『何をやらせてもダンスゲームになっちゃう』アルトも三面撃沈。
「はっ、ハードね……汗、かき過ぎちゃった。良夜、悪いけど、アクエかポカリ、ショットグラスに入れてきて」
 アルトの要求にへいへいと立ち上がれば、椅子に座っている翼と視線が交わった。彼女はすでにデモ画面に切り替わったテレビを、興味があるのかないのか解らない表情でぼんやりと見詰めていた。
「あっ、寺谷さんもやったら?」
「……良いの?」
 良夜の声に翼は小首をかしげた。
「良いも悪いも……吉田さんと直樹もやってんじゃん」
「……んっ」
 小さく頷き、翼が椅子から立ち上がった。そして、四つん這いになって貴美達の所へと近付くと、空いていたコントローラーを手に取る。その翼に貴美があれこれとやり方を教え始めるのをチラッと見ると、良夜は冷蔵庫の方に足を向けた。
 シンクの隣に置かれた冷蔵庫は結構大きい。その中に入っているのは、ひとまず、貴美が大量に買って余らせたアクエリアスやらポカリスウェットやら。明日の朝食をどうするか、考えておかなきゃなと思いながら、そこから一本のアクエリアスを取り出して、封を切る。それを氷の入ったショットグラスにトクトクと注ぎ込む。相手がショットグラスでこちらは五百ミリのペットボトル。ペットボトルの方には大量の液体がチャプチャプと残ってしまうのは当たり前の話だ。それをどうするかと数秒逡巡し、結局、良夜はそれを口に運んだ。そして、喉に甘酸っぱい液体を喉へと流し込みながら、青年は貴美達のいるテレビの前へと戻った。
 と、そこでは――
「おぉ〜〜」
 と言うタカミーズやアルトの歓声。その真ん中に居るのは、コントローラーを握りしめている翼だった。彼女はいつもの無表情のまま、画面をじっと凝視しているも、その手元、指先はカタカタとせわしなく動き続ける。そのせわしない動きに忠実に画面内の小さな自機は右に左に前に後にと素早く動き、的確に敵を片付けていく。その流麗な動きに一切の無駄がないのが恐ろしい。
「……寺谷さん、ゲーム、得意なのか?」
「初めてだって言ってるのよ、それが……」
「ウソだろう?」
 フローリングの上に腰を下ろすと、アルトが貴美の肩を足場に良夜の頭へと飛び乗った。
「すっごい集中力よ。話しかけても目も動かさないんだもの」
「お前が? ――ぎゃっ!?」
 と、良夜が答えた次の瞬間、アルトのストローが良夜のこめかみを思いっきり突いた。ざくっと言うか、ぶすっと言うか、破滅の音がこめかみに響きけば、良夜は悶絶して果てる。手にしていたショットグラスを落とさなかったのは褒めて欲しい物である。誰も褒めないけど。
「そういう嫌味は嫌いよ?」
 視線で殺せる物ならば……との思いを込めて睨みつけるもアルトはつーんとそっぽを向いて知らん顔。代わりに貴美が――
「うっさい!」
 との罵声を浴びせる。
「だいたい、りょーやんがあるちゃんとじゃれてると第三者的には危ない人みたいになるんだから、自重しなよ?」
「何気に酷い事言うよね……吉田さん」
「そうよ、自重なさい。変な人に見られるわよ?」
「お前が言うか……お前が……」
 貴美に言われるならばともかく、アルト本人に言われれば、その脱力感はいかんともしがたい。青年は「はぁ……」という大きなため息を突いて視線を翼大活躍中のテレビ画面へと戻した。
 隣で間抜けなやりとりが行われているというのに、翼の集中力は乱れない。それどころかますます集中力を増していくようで、文字通り一ピクセル単位で回避しては必要最小限のショットで敵機を片付けていく。それはまるでコンピュータ制御のデモ画面でも見ているようだった。記録は貴美達の三面ラスボス手前などあっという間にクリアーし、さらには良夜の五面中頃もクリアー。挙げ句の果てが良夜が必死扱いて自機をパワーアップしたり、敵を弱体化させたりして、ようやくたどり着いた十二面もサクッとクリア。この辺りになると画面の大部分が弾と敵機で埋め尽くされ、一見逃げる所などないようにすら思えていく……と言うのに、翼はわずかな隙間に自機を押し込んだり、数少ないボムを無駄なく使ったりして、上手く切り抜けていく。
 その巧みさに一同は言葉をなくして画面を見入った。
 しかし、いつまでも上手に出来るわけもなく、十三面に入った直後くらいのこと――
 ちゅっどーん
 一発の流れ弾で、自機は画面のほぼ中央で大爆発。翼は「……あっ」と小さな声を一つあげた。そして、表情も変えず、コントローラーをフローリングの上に置いた。
「あっ、つばさん、まだ、おわっとらんよ? ほら、まだ、残ってるから」
「……えっ? 死んだ……」
「いや、残機は残ってるから……後、五つかな?」
「……あっ……そう?」
 貴美に言われ、翼はゲームがまだ終わっていないことを自覚。しかし、時すでに遅しという奴で再開されていたゲームの中で、翼の機体はすでにもう一機が撃墜済み。それでも慌てることなく、翼は置いたコントローラーを取り上げ、またもや、カタカタと神速の指捌きを華麗に披露し始めた。
 そして、時間は瞬く間に過ぎて……
 エンディングへと突入……スタッフロールが出てくるにいたり、翼は「終わり?」と一言だけ尋ねた。それに良夜がコクンと頷くと、コントローラーが床の上に置かれた。そして、大きく息を吐いて、呟くように言うのだった。
「ゲームって……つまらない……緊張した……」
 と、呟いたかと思うと、部屋の片隅、三つ並んだハムスターのケージへと四つん這いで歩いていった。そこで始めるのは、ケージをチョンチョンと突っついたり、三匹、それぞれに餌をやったり……
「……プロかと思った……」
「……無駄な才能よね……」
「なんか、もう、一気にやる気が失せちゃいますよねぇ……あんなの見せられると……」
「あれだけ出来ればそりゃ、つまらんわなぁ……」
 ハムスター相手に遊び始めた小さな背中を見やり、良夜とアルト、そして、直樹と貴美は感嘆の声を上げた。

 ちなみにこのゲーム、美月は一面の半分まで行くのに三日掛かった。
「美月さんには内緒の方向で……」
 良夜が囁き、一同はウンウンと何度も首を縦に振る。こうして、翼の素晴らしいプレイ内容は永遠の闇の中へと葬り去られることになった。

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