三度目の海、初めての海(3)
 美月の車はスズキのアルトだ。『アルト』という名前だけで購入を決めたそうだ。その車は軽快に走るも四人乗った上に、荷物を満載するとさすがに高速がしんどい。それに、そもそも、荷物とてそんなに沢山詰める物でもない。そんなわけで、貴美は一台の車を手配した。千ccクラスタイプのワンボックスカーだ。アルトよりかは一回り大きいが、それでも大きすぎないサイズは美月のアルトしかろくに運転したことのない良夜や実質ペーパードライバーの貴美本人にも運転しやすい。しかも十年選手の古い車で、四研の連中の半ば玩具になっているそれは「ぶつけても自走して帰ってくれば修理費は実費のみ請求」と言う素敵ルール。その上、西山バイク社用車扱いで保険も大きめの物が入っていると良いこと尽くめの逸品が、驚きの無料レンタル。
 が……
 良夜がスクーターに荷物を満載にしてアルトに顔を出したのは、朝の八時少し前という時間帯だった。早朝と言うほどでもないが、わりかし早めの時間帯だ。それなのにお空の太陽は燦々と降り注ぎ、喫茶アルトの正面玄関前に止まる車体を眩しく照らし出していた。そのくすんだ白い車体の傍には、ホットパンツにカットソーといういで立ちの貴美が、スポーツドリンクのペットボトルを咥えてぼーっと立ちすくんでいた。青年は彼女の前にスクーターを停めるとフルフェイスのヘルメットを脱ぎながら、「よっ、直樹は?」と声を掛けた。
「荷物の搬入、今はつばさんが弁当作って、なおが積み込んでる」
 そう言って貴美は欠伸を一つ。そして、グビグビと一気にスポーツドリンクを飲み干して、ぐーっと体を反らせる。薄手のカットソーだけが覆う胸元が反り返ると、随分と色っぽい物になった。
「へぇ……」
 じゃあ、今日の昼はパーキングエリアでサンドイッチだなぁ〜等と皮算用をしながら、良夜はアイドリングを続ける車の中を覗き込んだ。ダッシュボードの上には少し大きめの液晶モニター、そこに映るのはアルト周辺の地図だ。良夜はそこに手を伸ばしてピッピッと、タッチセンサーを弄る。初めて見るタイプのナビだが、使い方なんて物は見れば解るように作られている物だ。
「んっと……フェリー乗り場はっと……おっ? このカーナビ、フルセグ対応? 最新型じゃねぇ?」
「ウン、最新型HDDカーナビだよ。これ、本体外してパソコンに繋いで音楽とか入れ放題でさ、徹夜してユーロビート、満載にしちゃったよ」
「……変な所に力入れるよね、吉田さんって……」
 一本目のペットボトルを飲み終え、それをスライドドアの内側にあるゴミ袋に放り込みながら、彼女は答えた。それを横目で見ながら、良夜はピポピポとナビを弄っていく。大量に並ぶ聞いたこともない楽曲のタイトル、その中から適当に一曲選ぶと、大音量でノリノリの洋楽が奏で始められる。英語の歌詞はさっぱり解らないが、明るい曲はドライブにお供にはちょうど良さそうだな〜と言う事だけは理解出来る。音楽は流行のJポップ以外さっぱり解らないけど……
「良く出来てるなぁ……っと、あっ、もしかして、サブウーファーとか付いてる? 後でズンドコ言ってる奴」
「フロントのスピーカーは別体ツィーターも付いてるんだよ。リアスピーカーも社外品搭載で、臨場感満点なんよ」
 貴美の返事を聞きながら、青年は大きなボストンバッグともう一つの荷物を小脇に抱え、リア側へと向かった。そこのハッチを開いてみれば、中には貴美の言う通りに結構な大きさのサブウーファーが鎮座ましましていた。これ、邪魔だなぁ……とも思うが、今更外すわけにも行かず、どうにかして詰め込むしかなさそう。良い音とかに余り拘りのない良夜にはよく解らないのだが、貴美はなんだか嬉しそうだ。ちなみに良夜の部屋の音楽関連機器と言えば、パソコンしかなく、そのスピーカーは千二百円という代物、音源はオンボード、なれば十分という構成。ここにこだわりはない。
 後部座席に荷物を置いて、貴美の居る運転席付近へと戻ってくる。そこからもう一度中を覗いて、良夜は会話を続けた。
「ETCも着いてるけど、カードは?」
「ああ、私、バイクにETC付けてるから、持っとるよ。後で精算すっからね」
「了解……ホント、古いくせに設備満載なのは良いけどさ……」
 と、褒めてる割に良夜の表情は冴えない。その冴えない表情に貴美も目を細めて半ば睨むような表情を見せた。
「なんよ、そのしっぶい顔……文句あんの?」
 一通り、目に付いた車内アクセサリーを褒めると、良夜は「はぁ……」と小さなため息を突いて、手を車内に伸ばした。目指す先は運転席と助手席の間辺りに付いている空調機の吹き出し口。そこに手を当てると、吹き出してくるのは……――
「……なんで、エアコンの吹き出し口から熱風が吹いてんだ?」
 熱風だった。洗い立ての頭に当てれば、良い具合に乾くんじゃないか? と思えるような熱風を手に受け、良夜の顔が歪む。
「……ぶっ壊れたから外しちゃったんだって……だから、夏場は誰も乗らないんよ……」
 答える貴美の顔も先ほどまでの誇らしげな表情から一転、がっくりとうなだれ、呟くような口調。貴美自身、持ち主の西山恵子の家から、アルトにまで運んでくるだけで汗だくになってしまったらしい。まあ、あの二研の守銭奴と呼ばれた西山恵子がただで車を貸すというのだから、推して知るべしという奴だろうか?
「大丈夫、ポカリとかアクエリアスとか沢山買ったし、塩飴とかもあるから」
「熱中症対策してんじゃねーよ……」
 後部座席の足下に置かれたクーラーボックスを引っ張り出す貴美を見て、良夜はなんかもう絶望な気分に浸るしかなかった。
 とは言っても、美月のアルトには大量の荷物を積み込めるはずもなく、ましてや、今から他の車を用意する当てもない。そうなれば、暑いのを我慢して運転するほかない。
「じゃあ、そういう事で……」
 運転席に乗り込み、良夜は見送りに出て来た美月と凪歩に声を掛ける。その良夜に美月は「はい」と大きく頷いた。
「お気を付けて。水曜日の夕方前にはそちらに着くと思いますから。翼さんと吉田さんの事、お願いしますね。あっ、直樹くんも」
 そういう美月に今度は良夜が頷く番。「はい」と答えると車を国道へと踊り出させた。

 その車を見送るのは、喫茶アルトの制服姿の美月と凪歩。
「しっかし、美月さん、心配じゃないんですか? 一応、恋人ですよね?」
「ふえ? 何がですが?」
 古い年式の割には軽快に走る箱バンはあっという間に国道の坂道を下って、遙か彼方。それを見やりながら、凪歩は言葉を続けた。
「だって……海だし……翼さん、美人だし……間違いとか……ねぇ?」
 そういう凪歩の視線は明後日の方向というか、落ち着きなく、キョロキョロしっぱなし。口調もしどろもどろだ。それに美月はクスッと小さく含み笑いを浮かべ、そして、はっきりと言った。
「りょーやさんに浮気する甲斐性があったら、一年半も清い交際とか、してませんよ〜」
 にこやかに答える美月の前で、凪歩はがっくりとうなだれた。そして、呟くような声で……
「……えっと……それ、言ってて、自分で虚しくなりませんか?」
「……………………」
 言われた美月の表情がぴしりと固まる。それはうなだれていた凪歩の頭が持ち上がってもなお続いていたし、そこからさらに、凪歩のシャツが汗で背中に張り付くまでの間、続いた。
 それくらいの時間が経過し、甲斐性ナシの恋人はやおら言った。
「…………さてと、お仕事、お仕事……吉田さんが居ないからって、ぼーっとしちゃダメなんですよ〜」
 その台詞は悲しいまでに棒読みだった。

 さて、そんな話をされているなんてつゆ知らず、良夜はクソ暑いライトバンの中、汗をだらだらと流して運転を続けていた。大学の傍は余り混んでも居なかったのだが、少し市街地寄りになれば、そこは「夏休みの一日」ではなくただの「平日」に早変わり。通勤ラッシュに巻き込まれると途端に速度が落ちてしまう……
 と、そんな訳ではあるが、ここで問題。この箱バンに乗っている連中には一つの共通点がある。それは何か?
 答え、ハムスターを飼育している。入手先は全部、本人は出てないのにやけに名前だけは出てくる西山景子さん、値引き交渉の過程で押し付けられた物だ。しかも、この場に持ってきている。
 まあ、各自、泊まりがけで出掛ければ家は無人になるし、無人になれば餌をやる人も居ないし、餌をやる人が居なければハムスター君達は飢え死にするほかない。そうなれば、連れてくる以外に選択肢はないわけだ。
「しっかし、みんな、荷物が多いかと思ったら、まさか、ハムスターのケージを持ってきてるとはねぇ……馬鹿なの?」
 良夜の頭の上、開け放した窓から流れ込む風に髪をなびかせ、アルトは呟いた。
「仕方ないだろう? 美月さんも後から来るし、他に預ける当てなんてないぞ。ツレはみんな帰郷するしな」
「まあ、そうだけど……水、大丈夫? 荷台、随分、暑いわよ」
 アルトの言葉を良夜が通訳すると、後部座席に座っていた直樹が席の裏側へと身を乗り出す。そして、数十秒ほど確認すると「大丈夫みたいです」と声を返した。
「所でつばさんとこの子はなんて名前なん?」
 背後から貴美が尋ねると、助手席で我関せじとばかりに視線を流れゆく景色に向けていた翼がポツリと答えた。
「……メロン……」
「なんで?」
「……生ハム“メロン”……」
「えっ? ああ……“ハム”スターって訳ね……」
 端的な説明に貴美の思考が一瞬戸惑いを見せるも、すぐに理解し、ポンと手を打つ。そのポンに会わせて、ぽん! と翼の鉄仮面に朱色が刺す。それを誤魔化すように彼女はそっぽを向いて、横顔を窓から流れ込む風に晒した。
「オスですか? メスですか?」
 直樹の問いに翼は顔を少しだけ動かした。そして、バックミラー越しに質問の主へ視線を向け、答えた。
「んっ、メスって聞いた……」
「おっ、ハムタカ、しばらくハーレムじゃん。どっちかお嫁さんにする? それとも、両方? ハムタカは甲斐性あるから、二人いっぺんとか大丈夫だよねぇ〜?」
 体ごと後に振り向き、貴美は荷台を覗き込む。ルームミラー越しではよく解らないが、どうやら背もたれの向こう側に居る愛ハムに話しかけてるらしい。その姿が映るルームミラーを視野の端っこに捉えながら、青年はため息を突いた。
「だからさ、生まれた子供、吉田さんが引き取るんなら結婚でも何でもさせれば良いって、前から言ってんじゃん?」
「そう言うのを知らん顔するのも男の甲斐性だよねぇ〜ハムタカぁ〜」
「……って、言われてるぞ、直樹」
「また、そうやって僕に爆弾を手渡す……ひゃっ!」
 後ろを向いていた貴美の顔がこちらに向いて、その長く細い腕が恋人の腕にくるん。ニマッと底意地悪く笑うと、彼女はそっと彼の耳元で囁く……ふりをしながら車内全体で聞ける程度の声で言った。
「何? 甲斐性見せんの? なおが?」
「僕は何も言ってませんよ……良夜君ですからね」
「りょーやんは良いんよ、あれの甲斐性ナシは筋金入りだから」
「うっさいよ。高速入るからETCカード、寄越せよ」
 笑い声と共に渡されるカードをひったくるように受け取り、それを機械に突っ込む。そしてハンドルを切れば、そこは高速のインターチェンジ。ETCゲートを通るのはこれが初めて。両側から迫ってくる構造物と目の前のゲートに反射的にアクセルを緩め、ブレーキを踏む。自然とスピードが下がる。世の中にはここに猛スピードで突っ込む馬鹿も居るそうだが、良く怖くない物だと変な所で感心。
『ピンポーン 認証しました』
 ゲートを抜けると良夜はぐいっとアクセルを踏み込む。すると、後からインパネに追加されたのであろう、とってつけたような回転計がポンと跳ね上がり、車体は心地よく加速していく。
「……古いのに良く走るなぁ〜うちのジムニーより速いかも……」
「ちょっ、ちょっと良夜! タンマ! ちょっと待って……!」
 アルトの悲鳴に近い声に「えっ?」思った時には、時すでに遅し。良夜の髪を掴んでいたアルトの体が時速百キロ……をちょっと上回った――あくまでもちょっとだけ上回った速度の風に吹っ飛ばされる。まるでアルトの体は風に流される吹き流し状態、ぺろぺろと上下に揺れる、引っ張られる。揺られ、引っ張られる体の起点は良夜の髪の毛、毛根にたっぷりとダメージを与える事請け合い。
「いたたたたっ!!!」
 悲痛な叫び声が良夜の口からあふれて、ギャバッ! ととっさにブレーキを踏んだのと、アルトが――
「飛んじゃう!!」
 と叫んだのと、ついでに彼女が本当にすっ飛ぶのと……その三つのタイミングはほぼ全て同時だった。
「きゃんっ!? なっ、なんか、飛んできたよ!? つか、高速で急ブレーキとか!?」
 すっ飛んだアルトが向かう先は後部座席、貴美の顔面。アルトの鼻が貴美の鼻に激突、謎の激痛に貴美は目を白黒、ぶつかったアルトはそのまま、貴美のひざの上に落ちたようだが、ルームミラーからは確認が出来なかった。
「アルトが俺の頭の上からすっ飛んだんだよ。アルト、大丈夫か?」
 外にすっ飛ばなかっただけ良かったか、と安堵の吐息。一端、良夜が窓を半分ほど閉めると、助手席に座る翼もそれに習った。車内は途端にムワッとした猛烈な暑さに包まれるも、吹きすさんでいた強風は一休み。貴美の肩にまで這い上がってきたアルトも一息ついた。
「時速百二十キロって……ちょっとした台風並みの強風じゃない……ああ、びっくりした……」
 しかもアルトの体重は人の数十分の一な訳で、まあ、吹っ飛ばされるのも仕方ない話か……と、妙な風に納得するも――
「……暑い……」
 翼の呟きに一同ウンウンと大きく頷く。それに人はともかく、荷台に積まれた三つのケージの中に住む小動物にはダメージが大きそう。
「解ったわよ……ちょっと待ちなさい」
 トントンと貴美の肩から後部座席の背もたれへ、そこから荷台へとダイブ。そこから先はルームミラーから見えないが、待つこと一分少々……
「窓、開けて良いわよ!」
 って声が聞こえたから、多分、大丈夫なんだろう。アルトの言葉を翼にも伝えて、二つの窓は全開。ついで落としていた速度も元の速度に戻せば、吹き込む風の量と速度は圧倒的な物へと早変わり。クーラーが効いてる方が快適なのは間違いないだろうが、さすがに時速百キロオーバーで走っていれば、気温三十度ちょっとの風も少しは気持ちが良い。
 それから十数分、もしかしたらそれ以上の時間がのんべんだらりと過ぎた。他のメンツも汗が少しは引いたのか、たわいもない雑談に花が咲く。
「――だからさ、いや、つばさんもキッチンスタッフだからって言う開き直りはいかんって思うんよ?」
「……どうせ……客商売とか、無理だから……私」
「そういう態度がね、いかんわけなんよ」
 そして、いつしか車内の会話は貴美の翼へのお説教へと変わっていった。キッチンスタッフであることを良いことに接客を全く覚えようとしない翼に、貴美がお説教……と言うほどでもないが、苦言を呈していた。もっとも、翼は柳に風というか鉄仮面に東風というか……挙げ句の果てが、
「顔、怖いから客が減る……」
 なんて言われれば、さすがの貴美も呆れて口がきけないようだ。彼女は、はぁ〜とわざとらしいため息を突いて、ヘッドレストもないちゃちなシートに深く座り直した。
 それをチラリとルームミラー越しに見れば、良夜は――
「えっ!?」
 と、目を丸くした。
「なんよ? りょーやん……素っ頓狂な声を上げて……」
 勿論、目を丸くしたのは、貴美の様子に、ではない。その背後だ。
「せーの!」
 そんなアルトの声が聞こえたかと思えば、荷台の一角から小さなパラシュートのような物が浮かび上がる。良く見れば、それは小さめのレジ袋、コンビニなどで貰える奴の一番小さいタイプだ。あれがフワッと浮かび上がって、天井付近でバタバタと風になびいていた。
「あのバカ……何やってんだ?」
 勿論、単にレジ袋が舞っているというわけではなく、コンビニ袋の持ち手の部分にぶら下がっているのはあのバカことアルトちゃん。彼女の足には細いゴミ紐が結ばれていて、飛びすぎるのを防いでる。ちょうど、パラセイリングとか言う奴の要領か?
「とーきーおー」
 今時知ってる人なんてあまりいない鼻歌を歌いながら、彼女はある程度空中浮遊を楽しむ。それに飽きると、ビニール袋を掴んでいる片方の手を外す。そうすると、上手い具合に空気が抜けて着陸。飛びたくなったら、また、両手で持って空気を孕むようにすると浮かび上がれるという具合。良く考えてると言えば、良く考えられてる。ちょっと楽しそう。
「どったの? りょーやん?」
「ああ……いや、何でもない……」
「……びっくりするじゃんか……」
 貴美があきれ顔を見せるその背後では、パラセーラーアルトが上がったり、下がったり。次第にこう言うときの羽の使い方を覚えてきたのか、空中で回転して見せたり、天井を蹴っ飛ばしてみたりと芸が細かくなっていく。それがなかなか、芸達者。ほんの小一時間前には吹っ飛ばされて、貴美の鼻に自分の鼻をぶつけていたとは思えないほど。風をレジ袋で掴んだり、話したりを繰り返しながら、華麗に彼女は番の天井付近で舞を舞い始めていた。
 のは良いのだが、ただでさえ、単調な高速道路。しかも平日、しかも一般人のお盆休みはまだまだ先という絶好の日取り。アルトの変ではあるが巧みな踊りは退屈なドライブに小さな花を咲かせて……――
「りょーやん!」
「……浅間君?」
「あっ……そこ……」
 貴美、翼、そして直樹と三者三様の声が響く。その声に「えっ?」と、視線を横に走らせると、箱バンのちょっと後方を『サービスエリア』と言う看板とそこへと向かう分岐路がさーーーーーーーっと流れていく。マズイと思って後の祭り。今更ブレーキを踏むわけにも行かず、ただただ、唇から「ああ……」という溜め息が漏れるばかり。
「……そこのSAで涼んでいくって言った……のに……」
 珍しく翼が眉をひそめて、精一杯らしき抗議の表情を作れば、他の二人もウンウンと大きく首を縦に振る。
「あっ、いや、ごめん……見過ごしてた」
「私の美しさに見とれて……ああ、美しさは罪」
 良夜の言い訳にアルトがわざとらしくしなを作って見せる。それが半ば事実であるのが血を吐くほど悔しい。
「謝って済むかぁ〜あふぉー、次、お手洗いと自販機しかないパーキングエリアじゃんかーよー。その次っちゃー、一時間位かかんだからねっ!?」
 珍しく貴美が顔色を変えて声を上げるのは、車内の気温がそろそろ良い感じに上がってきているから。窓から流れ込んでくる風もじっとりと湿度を帯びてきて、車内の不快指数はいやが上にも高まっていく。正直、良夜自身も背中とシートの間に挟まれたTシャツがぐっしょりになってきて、そろそろ、気持ち悪い。
「……暑い……」
 貴美が大声で怒鳴ればその尻馬に乗って翼も、そして直樹までもが――
「あの……疲れてるのなら、吉田さんに代わって貰ったらどうです? ……一時間先ですけど」
 おずおずとではあるが、ちくりと突き刺さる嫌味を一言。
「ああ、悪い、気を付けるよ……次は寄らずに?」
 ざくざくと刺さる嫌味にむかつきを覚えながらも素直に詫びて、良夜はもう一息だけアクセルを踏む脚に力を込めた。タコメーターの針が跳ね上がり、車体はわずかばかりではあるが加速を始める。
「ああ……みんな、良夜を責めないで……私が美しすぎるからいけないのよ……て事は、別に伝えても伝えなくても良いわ」
 芝居がかった台詞を吐いたかと思えば、アルトはトーンと後部座席のシートから貴美の頭へ。その背中には戦国時代の母衣衆よろしく、ビニール袋が引っ掛けられていた。とりあえず、言いたいことは沢山あるが、格好いいのか悪いのか、はっきりして欲しいと言う事を一番に言いたい。
「ああ、自分の美貌のせいでこんなに暑い目にあうなんて……なんて不幸なのかしら? ……暑いわね、本当に」
 リアシートの背もたれの上、風に吹かれながらも器用にバランスを取るアルトに、良夜は人知れず溜め息。手が届けば、ひっ捕まえてやりたい所……なので、青年は一言だけきっぱりと言った。
「吉田さん、ゴミ袋、飛んでる」
「あっ……ホントだ」
 貴美が答えたのを聞いて、良夜は視線をルームミラーからそらした。その直後、
「げっ!? ちょっと!? ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ! 捻らないで、引っ張らないで、丸めないでぇぇぇぇ!!!」
 アルトの悲痛な叫びが車内にこだまするも、それを聞けたのは良夜ただ一人。青年は「ああ、次、止まったら殺されるかもなぁ〜」と思いながらも、溜飲が下がるのを感じられずには居なかった。

 そして、小一時間後、とあるパーキングエリアの一角。良夜の目の前には小首をかしげたままの妖精がふよふよ浮かんでいた。別にかわいらしさをアピールしているわけではなく、貴美に捻られたときに首の筋をやったらしい。動かすと痛いそうだ。
「さて……覚悟は出来てる?」
「……むしゃくしゃしてやった、今は反省している」
「良夜! その言い訳、何回目よ!?」
 一時間後、大きめのパーキングエリアに車を駐めたとき、ゴミ袋と一緒に丸められた妖精さんが烈火の如くに怒り狂っていたのは言うまでもなかった。

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