歓迎会(完)
 日付変更線を越えて少し経った頃、どこからともなく、喫茶アルト新人歓迎会はお開きという空気が流れてきた。テーブルの上の物を片付けるのはセルフサービス、みんなで使った大皿なんかは手分けして下げられていく。
 そんな中、テーブルの前に鎮座しているお方が三人。
 まず、最初からやる気もなければサイズ的にも無理な妖精アルト。現在、彼女はテーブルの片隅ですーすーと心地良さそうな寝息を立てっぱなし。前回ラスト、美月の演説の時にはギリギリ起きて拍手をしていたのだが、それが終わった途端、糸が切れるように眠り込んでしまった。起こしても面倒臭いだけなので、良夜はしばらくほったらかしにすることにした。
 二人目はこの手のことをやらせると確実に何かを壊す高見直樹くん。古株二人と良夜が即座に――
「お前は座ってろ」
 と、異口同音で言い切った。だから、彼に出来ることと言えばふてくされ気味に冷え切ったピザや伸びたパスタをモソモソ食べることくらい。それも片付けられると全くやることがなくなってしまう。そんな彼の背中には哀愁という奴が漂っているが、誰も同情しない。
 そして、もう一人、それが寺谷翼さんだ。
 先ほどまでケラケラと楽しそうに飲んでいた彼女だったが、今は静かに俯いているだけだ。別に彼女は手伝いを嫌がっているわけではない。勿論、他のメンバーが止めさせたわけでもない。むしろ、彼女が最初に立ち上がろうとしたくらいだ。ただ……ただ……
 立てなかったのだ。
 したたかに飲んで、性格が変わるほどに酔っているのだから、当然だろう。翼の倍近く呑んでるのに、平然と、どころか、普段よりも手際よく食器を下ろしている凪歩の方がどうかしている。
「今、三人が食器を洗ってるから……これ、飲んで待っててさ」
 良夜はそう言って、翼の前にペットボトルに入ったミネラルウォーターを置いた。それを翼は一瞥すると、いつもの調子で「んっ」と小さく頷いた。酒が抜けた……訳ではなく、単に酔いが回って気分が悪くなっているだけのようだ。その証拠に先ほどから、しきりに頭や額をさすっている。
「……頭が……痛い」
「明日は二日酔いかもね」
 そう言いながら、翼のグラスにミネラルウォーターを注ぎ込む。続いて自分のグラスにも……二つのグラスに水を注ぎ込み終えると、良夜は直樹の方にチラッと視線を投げかけた。彼と視線が交われば、相手は「あっ」と小さな声を上げてグラスを差し出す。それにも水を注いで、自分も席に座ろう……としたら、残りの三人がどかどかとやってきて、それぞれが手に手にグラスを持って――
「あっ、私も〜」
 それぞれの席に座ったり、座らずにテーブルを椅子代わりにしたり……そんな彼女らのグラスに水を注い回ると、青年は「終わった?」と尋ねた。
 それに答えたのは、椅子ではなくテーブルに腰掛けた貴美だった。
「それが美月さんがあくびばっかりして、危なっかしいから、今日は水に浸すだけにして、洗うのは明日って事にしたんよ」
 彼女が肩をすくめて言うと、椅子に座った美月へと良夜の視線が動く。そこにはやっぱりというか、案の定というか、あくびをしながら背伸びをしている美月の姿。彼女は良夜と視線が交わると「えへへ」と笑顔で誤魔化した。
「どちらにしても、思ったよりも長引いちゃったからなぁ……なぎぽんは家に帰さないとね」
「ああ、帰りたくないなぁ〜泊まっちゃいたいよ〜」
 貴美が言うのを耳にすると、その隣、所在なく立っていた凪歩がグラスの水を一息で飲み終え、呟いた。勿論、泊まる場所は吉田宅、直樹は良夜の部屋に追い出される想定らしい。そう言うのも、脚も立たないほどに酔った翼に、貴美が「しんどいならうちに泊まって良い」と言ったのが原因だ。その言葉に「だったら、私も泊まりたい」と凪歩も言いだし、以来、帰りたくない、泊まりたいと機会あるごとに彼女は言っていた。
「まっ、社会に出た娘につべこべ言う親もどうかと思うけど、どーせ、家賃も生活費もろくに入れてないんっしょ? 膝、かじってる間は親の言う事くらい聞いときな」
 そう言って、貴美はズボンのポケットに押し込んであった携帯電話を取り出した。ぺろんと小さい電子音を立てて、それを開いて一瞥。すぐにペタンと畳むと、再び、ポケットの中に戻す。
「なんで解るんですか?」
「パターンだよ。まあ、携帯の通話料とか自前で払ってれば上出来やね、自宅住まいのフリーターなんて……」
 貴美にそう言われると、凪歩の笑みが凍りつく。「あはは……」と棒読み口調の笑い声を上げれば、図星であることは疑うべくもない。小さな声で「来月からは……ちょっとだけでも入れる……つもり」と蚊の鳴くような声で呟いたが、誰もが聞こえないふりをした。

 それから少しして、良夜は美月の軽四を運転していた。勿論、凪歩と翼を家に送り届けるためだ。翼は必ず送らなければならない、と言う訳でもなかったが、凪歩が羨ましそうな顔をしていたので結局、送り届けることになった。
 良夜の隣には美月……が乗っているのは良いのだが、すーすーと随分と気持ちよさそうに寝息を立てているし、後部座席は後部座席で翼が死にそうな声を上げてうなされている。店では寝ていたアルトも一応起きて着いてきたのが、今はやっぱりダッシュボードの上で寝ている。ちなみに半裸のまま。ハンドルを切る度にコロコロ転がっているのに、寝続けている根性に乾杯したい。三人とも車に乗った途端にこの調子。翼の方は良夜が担いで車に放り込んだ時点で、かなり死にそうな顔になっていた。
(なんか、気まずいなぁ……)
 起きているのは、後部座席の凪歩と運転席の良夜だけ。普段、口をきくこともあるが親しいという間柄でもない。初対面でゼエゼエ言ってるのを見捨てたせいで、相手はどうやらこちらに苦手意識を持って居るみたいだ。それに何より、「行きつけの喫茶店のウェイトレス」程度の相手にべらべらしゃべることが出来れば、恋人が出来て一年も経つのに童貞を大事に抱えてたりしない。なんていう言い訳を考えたら、ちょっと自分で自分が悲しくなってきた。
「次、右に曲がって下さい」
「あっ、はい」
 言われる通り、黄色点滅になっている信号を右に曲がる。これで会話終了。聞こえるのは、聞いたこともない深夜のFMラジオだけ。お笑い芸人の番組のようだが、余り面白いとは思えない。いつも聞いてるCDでも持ってくれば良かったかと思うが、それも後の祭り。凪歩の家は原付の感覚だと大体三十分ほどかかる距離だが、今は車だし、時間も時間だからもう少し早いだろう。どうあれ、しばらくはこの気まずい雰囲気の中、眠気を我慢して運転しなければいけないのは間違いないようだ。
「今夜は楽しかったなぁ……」
「ああ、あれだけがぶ飲みしてその程度にしか酔わなかったら、そりゃ、楽しいだろうなぁ……」
 凪歩の呟きに返事ともなしに青年も呟いた。同時にルームミラー越しに後部座席を見れば、そこには赤い顔でぼんやりと外を眺める凪歩の横顔と真っ青な顔で苦悶の表情を浮かべたまま、眠り続ける翼の顔が見えた。
「少しは酔ってるよ。今も、なんだか、フワフワするし……顔も熱いし……」
「……缶酎ハイ一本飲んだだけでそれくらいになるよ」
「あはは、じゃあ、得な体質だね……あっ、そこは左」
 凪歩が笑いながら言った言葉、そのままに、片側二車線の道から一車線の道に入る。生活道路らしく、街灯が減って代わりに民家と田んぼが増えた。
「得な体質って言うのは、この人みたいにちょっと呑んでへべれけになって、翌日にはすっぱり抜けてるような人だよ」
 そう言って、青年は暗めの街灯が時折照らす恋人の寝顔を指さした。それと同時にルームミラーを一瞥すると、苦悶の寝顔を見せる翼の隣で凪歩が大きな眼鏡の向こう側で目元を少し緩めていた。
「そうかぁ……そっちの方が安上がりだもんねぇ……」
「そー言う事。時任さんだといくらお金があっても足りないよ」
「あっ、ごめん」
「まあ、その辺の話は美月さんにでも謝っておいて。気にしてないと思うけどね」
「……うん」
 凪歩がそう言うと、二人の会話が途切れる。車内に流れるのはFMラジオのポップソングだけ。気まずさは先ほどよりかはマシではあるが、やっぱり、まだ、少し気まずい。と言うか、「飲み過ぎだ」と言ってしまったような物で、ちょっとまずかったな……と軽く後悔。もっとも、飲み過ぎなのは事実だし、あの飲み方だと体を壊しそうなので反省してくれた方が良いのかもしれない。
「浅間くん、吉田さん達とよく飲んでる?」
「ちょくちょく、かなぁ〜誰かの誕生日だとか、試験終了だとか……適当な理由を付けて、朝までだらだら呑んでるよ」
「じゃあ、また呑みたいなぁ……ああ、今度は持参するから、うん、大丈夫」
 明るく言い切る凪歩に良夜はがっくりと肩を落とす。そして、苦笑いを浮かべながら、ルームミラーを覗き込んだ。そこには赤い顔でほろ酔い加減の凪歩の姿。それを見ながら、青年は言った。
「反省する方向が違うからね。控えないと急性アルコール中毒で、病院に運ばれて、大変なことになるからね」
「あはは、覚えとく……っと、あそこの信号、坂道の方に入って……」
 言う通りに坂道の方へと入る。そこは新興住宅地という奴だ。田舎の新興住宅地と言うだけ合って、ずいぶんな豪邸が多い。その中の一軒、特に大きな家が凪歩の家だ。良い所のお嬢様だという話は貴美から聞いていたが、広い庭に大きな住宅、犬でも飼ってれば典型的って奴だ。
 良夜は凪歩の家のすぐ近くにある空き地の中に車を停めた。凪歩の家から歩いて十秒もかからないところ。車をUターンさせられそうな所が他になかったからだ。
「今日はありがとう、わざわざ送ってくれて……――って所なんだけど、だからヤなんだよね……人、家に呼ぶの」
「ああ、気にしないで良いよ。ただ飯喰わせて貰ったし……――えっ?」
「みんな、唖然とするんだよね……」
 そう言って、彼女は自宅の大きな建物へと視線を向ける。彼女が車窓越しに家を見ていたのはわずか数秒だし、それを良夜は薄暗い車内でルームミラー越しに見ただけだから、彼女の表情を詳しく伺うことは出来なかった。ただ、その言葉から諦観の響きを感じたような気がした。
「大きいからね……仕方ないよ」
 言われてみればしてたかも……と、ハンドルの上に置いてあった手で顔を撫でてみる。今更撫でてみたところで、触り慣れてる自分の顔しかそこにはない。
「まあ……そうだね。それじゃ、ありがとう」
 そう言って彼女はドアを開き夜空の元へと身を躍らせた。
「ウーン……ああ、楽しかった」
 背伸びを一発、高い夜空に向かって彼女はそう言う。青年も窓を開くと、彼女に――
「じゃあ、またね」
 軽く手を振る。それに凪歩もぺこりと頭を下げて、自宅の方へと駆けだした。相変わらず、浴びるほど飲んでるとは思えない足取りだ。その彼女が大きな門の中に消えていくまで、青年はその背後で揺れるポニーテールを見送った。

 そして、良夜は一人、車を走らせていた。目的地は翼の家の最寄り駅だ。それと住所は一応貴美に教わった。寺谷家最寄り駅くらいは、こちらに引っ越してきて三年目、なんとなく解る。もし解らなくても、電車の線路に沿って走ってればいやでもたどり着くだろう。
 凪歩の家から離れ、再び、国道に戻る。あやふやな記憶を頼りに目的の駅へと車を走らせる。車内には三つの寝息と余り面白くないFMラジオの話し声。周りで人が寝ていると運転手も眠くなると言うから、気を付けなきゃな……と、思っていたら「ふわぁ〜」と大きなあくびが一つこぼれ落ちた。
 良夜が運転するパステルカラーのアルトが法定速度を少し超えたくらいの速度で、ガラガラの国道を駆け抜ける。その時間、約十五分ほど……薄暗い街灯の下に「神崎駅」という看板がぼやっと浮かび上がってきた。
「あっ……あった……車……どこに停めるかな……」
 大きな駅には駐車場も併設されているが、小さな無人駅にはそれも期待できない。仕方がないからその近くにある八百屋らしきお店の前に車を停める。小さなお店は営業時間を終えているようだが、駐車場は封鎖されていなくて丁度良い。
「さてと……問題はこのここからなんだよなぁ……」
 翼の家がこの近所、自転車で行ける範囲だと言う事は解っている。しかし、そこに地名と番地だけでたどり着けるほど良夜は土地勘に優れているわけじゃない。地元っ子でもないし。ネットの地図でも使って調べてくれば良かったと思うが、これもまた、今更思い付いても手遅れだ。
 そうなると、気持ちよさそうに寝ている美月か翼、どちらかを起こす必要がある。
「美月さん……起きて……」
 彼女の肩を掴んで左右に動かす。しかし、美月は「ウーン」と小さな声でうなるだけで、目を開くような様子はない。それは何度やっても同じ事で、ついには――
「うるさいわよ……」
 起こしたくもなかったアルトが起きた。
 辺りをキョロキョロと見渡すアルトに、青年は嘆息する。これからの流れをリアルに想像できるからだ。
「……どうして、私は下着姿なのかしら?」
「そりゃ、お前が酒を飲んでるうちに脱いだからだな」
「……どうして、下着のまま、ここにいるのかしら?」
「そりゃ、俺が『服を着ろ』って言ったら『暑いからいらない』って言ったからだな」
「……記憶にないわ……」
「……飲み過ぎだ、お前……」
「そっか……納得。じゃあ、良夜、お手」
「……なんでだよ、その流れでどうして俺が悪い事になる?」
「じゃあ、お目」
「お目ってなんだよ! お目って! 刺すのか? 目はシャレにならないから止めろって前からずっと言ってるだろう!」
 軽く激昂する良夜を尻目にアルトはダッシュボードの上で伸びを一発。トンと飛び上がるとするりと良夜の胸元に滑り込んだ。
「流石に下着上下だけだと寒いわね……と、ところで凪歩は? ここ、どの辺り?」
「時任さんは下ろしたよ。次は寺谷さんち。解らないから、聞こうと思って美月さんを起こそうとしてるところだけど……起きないんだよ」
「翼は? 起こしたら?」
「とりあえず、先に美月さんって思ったんだよ。寺谷さん、悪い酔いしてる見たいだし」
「……ようは美月の方がしゃべりやすいから美月を起こそうって思っただけでしょ?」
 胸元から良夜の顔を見上げて、アルトはニマッと底意地悪く微笑む。その頭をチョンと軽く突いて、良夜は「解ってるなら聞くな」とだけ答えた。
 そして、美月の方にもう一度手を伸ばす。先ほどよりも少し強めに揺すってみたが、やっぱり起きない。今度は彼女の額をペチン! と叩いてみてもやっぱりダメ。ちょっとムッとしたので、美月の頭をペチペチと数回叩いて遊んでみる……も、アルトが下から睨みつけてるのでもう止めよう。
「男の暴力は最低よ……って、相変わらず、寝汚い<いぎたない>子ね……」
「ン? いぎたないって?」
「寝起きが悪いってことよ……ゆとり」
「だったらそう言えよ……しかし、どうするかな……住所は一応聞いてるけど……解るか?」
「何言ってんのよ、私、喫茶店の引きこもりよ? 住所なんかで場所が解るわけないじゃない」
 尋ねる良夜相手に、なぜか彼女は胸を張ってそう言った。お願いだから自慢しないで欲しい。ともかく、どちらかを起こさないことにはどうしようもないことだけは確かだ。
「それより、凪歩に残って貰って、先に翼を送れば良かったんじゃない?」
「時間、もう、遅いから先に放り込まないと家族に叱られると思って、気を効かせたの……しょうがない……寺谷さんの方にするか……」
「……滅多に聞かせない気を効かせるから……」
 今度はアルトが軽く嘆息、良夜は聞こえないふりを決め込む。そして、ガチャリとドアを開いて後部座席に回る。そこには先ほどまでと同様、苦しそうな表情で翼が寝ている。
「こっちも起きなかったらどうする?」
「……連れて帰って吉田さんの部屋に放り込んで知らん顔をする……寺谷さん、ちょっと、起きて……」
 美月にやっていたのと同様に肩を掴んで、左右に揺らす。美月と違って服が着崩れてない分、こちらの方がやりやすい。少し乱暴にやっても大丈夫な感じだ。良夜はゆっさゆっさと翼の体を揺らして、何度も気長に声を掛け続けた。
「ねえ、良夜……私、思うのだけど……」
「ああ? って、今、忙しいから……寺谷さん、起きて、起きてってば」
 その良夜の行いが功を奏したか? 眉と眉の間に深い谷を作っていた翼の目がゆっくりと開く。その目が良夜の顔を見上げること数秒……形の良い唇がたった一言だけ言葉を刻んだ。
「吐く……」
 良夜の思考が止まる。そして、翼と良夜の視線が絡み合うこと数秒。
「ちょっと待って!! 外、外で吐いて、お願い!」
 向こう側に行ってしまっていた意識がこちら側に帰ってきた。その瞬間、良夜は大声で叫び、とっさに翼の体を引っ張り出す。
 引っ張られた瞬間、彼女は……
「酔ってる時に揺らされたら、そりゃ、吐くわよねぇ……」
 これがアルトの思うことだったらしい。さっさと言わなかったのは絶対にわざとだ、と良夜は確信していた。

「身を挺して車を守ったことは評価するわ……」
 再び走り出した車の中、良夜はTシャツ一枚でハンドルを握りしめていた。その頭の上では、ブラとパンティだけのアルトが珍しく良夜を褒めていた。別に嬉しくない。
 そして、後部座席ではくるくると丸められた良夜のネルシャツが異臭を放ち、その隣で鉄仮面を赤く染めている翼の姿があった。
 ついでに美月はまだ眠っていた。

 こうして、喫茶アルトの新人歓迎会の夜は終わった。

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