歓迎会(2)
買い出しを終えると、良夜は喫茶アルトまでスクーターを飛ばした。五月といえども日の落ちた時間帯をスクーターで飛ばすと少し肌寒い。上着を持ってくれば良かったと思うが、後の祭り。襟元に潜り込んでゴロゴロしてるアルトがちょっと羨ましい。
まだまだ元気に営業中の喫茶アルトは窓から明かりが漏れだしていて、冷えた体を温めてくれるよう。青年はその明かりを横目に見ながら、スクーターを正面ではなく、裏へと回した。そして、大きなビニール袋を三つ、両手にぶら下げ裏口から店内へと入る。
「あら、良夜さん。お帰りなさい。お買い物、終わりました?」
美月が入ってきた良夜に気づき、顔を上げた。彼女はフキンで手を拭きながら明るい笑顔と声を与えた。その声に翼も良夜の方を一瞥するも、特に表情も変えずに野菜を刻む作業へと没頭し直す。
「ええ、終わりましたよ。これ……冷やしといてくださいね」
「うわっ、凄い量ですね……全部、飲みきれます?」
「飲みきれなきゃ、俺が持って帰るよ」
「あははっ、全部はダメですよ〜」
二言三言、冗談めかした言葉を交わし、青年はずっしりと重い袋を彼女に手渡した。そこから中身を取りだし、彼女は一つ一つ、冷蔵庫の中に並べ始める。それを良夜は美月の背後からひょこっと覗き込んでいた。
「あっ、ピーチチューハイ、好きなんですよねぇ〜これ」
「多めに買ってますよ、それ」
業務用の大きな冷蔵庫の中は業務用の食材ですでに満員御礼。それをあっちにやったりこっちにやったりと、美月は大量のアルコールと良夜のコーラを押し込むためのスペースを工面する。まるでちょっとしたパズルのようだ。それを彼女は良夜と会話をしながらも、テキパキとこなしていく。こう言うのは苦手そうだと、勝手に思っていたのだが、流石、キッチンを任されているだけのことはある、とちょっぴり感心。
「それで、これからどうするんですか? 二時間、待ちます? 待つならコーヒーくらいはごちそうしますよ」
冷蔵庫の中に頭を突っ込んだまま、美月が良夜に声を掛けた。そして、その言葉の後を継ぐように、背後から控えめで聞き取りづらい声が投げかけられた。
「……それとパンの耳も」
言葉の主を確かめるように良夜が振り向くと、大きなお皿を抱えた翼が無表情で立っていた。彼女のお皿の上には、喫茶アルト裏名物パン耳スティックがてんこ盛り。「お駄賃」と真面目な顔で言う彼女に「ありがとう」と答え、その皿の上から一本、ひょいと取り上げる。その端っこを咥えるも、囓らず、それをタバコのように上下にぷらぷら……しばらく宙に視線を遊ばせる。
「コーヒー片手にパン耳囓りながら二時間も待ってたら、腹が膨れちまうよなぁ……」
「……なら、食べるな、りょーやん」
良夜が呟くと、翼はそう言って皿を引っ込めようとする。それを良夜は「はは」と笑って見過ごし、覗き込んでいた冷蔵庫から少し離れた。
「じゃあ、美月さん、俺、一旦、帰るわ。コーヒーとパン耳で腹を膨らませたくないし」
「そうですか? あっ、私も一本、頂きますね……と、じゃあ……」
良夜が声を掛けると、美月も冷蔵庫から顔を上げ、ドアを閉じる。彼女の手の中に残っているのは、クシャクシャに丸められた買い物袋と翼の皿から頂いたパン耳スティックが一本だけ。そのパン耳スティックをパクッと彼女も口にくわえ、「えーっと……」となにやら考え始める。そのまま経過する時間が十秒ちょっと……
「そうですねぇ…………九時半かぁ……十時少し前になりますかねぇ……電話しますから、待っててください」
美月の言葉に「ハイハイ」と適当に相づちを打って店から出ると、彼の頭の上にはまだ妖精がちょこんと座っていた。
「なんだ……来るのか?」
「貴方と同じで私もフロアで後二時間も待ってたら、お腹、一杯になっちゃうもの」
それもそうか、と思ってヘルメットを少しひしゃげたカゴから取り上げると、小さな妖精は頭の上から胸元の定位置に滑り込む。胸元からひょっこりと顔を出してるアルトの頭をチョンと軽く突いて、青年はスクーターを自宅に向かって飛ばした。
で……
その後、良夜がアルトに呼び出されたのは二時間後の九時半。美月の計算が概ね当たったという所。
「あと十五分遅ければ逆転してたのに……」
「……差が開いてたと思うわよ。認めなさいよ」
出掛けしな、ゴルフゲームでしのぎを削っていた二人はこう言う感じの会話をしていた。ちなみに今夜は良夜の完敗。もっとも正確に言うならば、今夜は、ではなく、今夜も、である。良夜が勝てたのは最初の頃数回だけで、後は一方的に負け続けている。器用になんでも覚える妖精だ。
「後、良夜に勝ててないのは、RPGのレベルあげとシミュレーションゲームの進行具合だけよねぇ」
「それ、追い抜かれたら、俺、ゲーム辞める……」
そんな話をしながらスクーターでアルトに出向く。先ほどの明るい店舗とは打って変わってわずかな明かりしか漏らしていないアルトは、少し寂しい物を感じさせる。その薄暗いアルトの玄関先を見過ごし、青年は先ほどと同じように裏へと回った。
キッチンの勝手口傍にスクーターを停めて、中へと入る。落とされているとは言え多少は明かりの漏れていたフロアと違い、キッチンはすでに真っ暗。すでに料理の支度も終わっているのか、キッチン内部には料理の良い匂いが残照のように漂っているだけだった。そこをフロアから零れる明かりだけを頼りに、キッチンを抜けてフロアへ……
その真ん中辺りには四人掛けのテーブルが二つ並んで大きなスペースを作り出されていた。その上を飾るのは足りない明かりを補うためのキャンドルとお酒や食事達。立派に飾り付けられたテーブルを囲む面々を見ながら、良く考えてみれば……
「うわっ、男、俺一人か……」
一緒に囲むのは割と美人揃いと評判の看板娘ーズ四人。店長の和明くらいは居るだろうと思っていたのだが、老人は営業中にまかないを食べると、終了後にとっとと寝たらしい。一応は何かあったら声を掛けるようにと、美月や貴美には言い含めているらしいが……
「……逃げたわね……」
和明が居ないことを知った時、アルトがポツリと呟いた。そうだろうなと良夜も思うし、出来る事なら彼も逃げたかった。
「困難に立ち向かう若さなんて、ありませんからねぇ」
ジャストその瞬間、喫茶アルト二階、老人の部屋。その部屋の主は口から真っ白い煙を吐き出し、その代わりに琥珀色の美しい液体を口に流し込んでいた。酒と煙はワンセット、つまみは燻したチーズ、量は控えめに、でも質は良い物を……というのが老人のポリシーという奴だった。
「――なんて感じで格好を付けてると思うわよ?」
「……俺も店長の部屋に行こうかな……」
「コーラ飲むの?」
「うっさいよ……」
頭の上に妖精に一言投げかけて、青年は缶酎ハイやら発泡酒、もしくはなぜかワイルドターキーとショットグラスなどが並ぶ席の中、燦然と輝くコカコーラの前に腰を下ろした。それの隣は美月が気に入ってるピーチの缶酎ハイと美月本人。
「んじゃ、美月さん、軽く挨拶しなよ。一応、跡取りなんだし」
「……挨拶とか、させてくれるんですか? いつも勝手に飲み出すんですから……――」
貴美に促されると、美月はコホンと咳払いを一つ。彼女が立ち上がると翼と凪歩がパチパチという拍手で出迎えた。
「えっと…………あの……その……アレですよ……ほら、こう……ね?」
薄桃色の液体が注がれたカップを片手に美月は右を見たり、左を見たり。誰もが期待して待っていると言う事を理解したのか、彼女のはち切れんばかりの笑顔からさーっと血の気が引いていく。
そして、十秒ほど笑顔を凍りつかせた後、彼女は高らかに宣言した。
「…………乾杯!」
てな感じで飲み会スタート。とは言っても、メンバーの手が伸びるのはアルコールではなく、食べ物の方。まかないも食べずに働いていた彼女らはともかく空腹のようだ。ピザだのパスタだのサラダだの、大皿に盛られた料理を思い思いに取ってはパクパクと口に運んでいた。
「働いてなかった良夜もね」
「お前だって、遊んでたじゃないか……ほれ、飲み過ぎるなよ」
自身のグラスにはコーラを、アルトのショットグラスには発泡酒を注ぐ。ちなみにこの妖精は甘い飲み物を余り好まないので、発泡酒かビールを与えることになっている。
「ありがと。つまみはパスタが良いかしらねぇ……ピザも捨てがたいけど……」
「俺はピザだな」
片手にコーラ、片手にピザ、ダメなアメリカ人を地でいくような姿だが、気にしない。そのひとかけらをアルトに手渡して、残りをぱくりと囓る。タバスコを多めに掛けたピザが甘い飲み物に良く合う。パスタにはまだ手をつけてないがそちらも美味しそう。良い匂いが大皿のほうから香ってきている。事実、食べた人が口々に美味しいと褒めて立てる。褒める度、翼がそっぽを向きつつも手にしたグラスに視線を落としていたのは、今日の料理はほぼ全面的に翼作だから。美月が翌日の仕込みをしてる間に翼が作ったらしい。
とりあえず、初っぱなの方はアルト定例の反省会も兼ねているようで、食事を片手に古参二人が新人二人にあれやこれやと注意をしていた。もっとも、今日は暇だった上に取り立てて誰も大きなミスはしていないので、難しい話はないようだ。月に一度や二度位は大きなミスを起こす人が居て、その時ばかりはお葬式のような雰囲気になる事もあるそうだ。それが今日でなくて良かったと良夜は思った。
「まあ、その大きなミスを美月もやるって事が怖いところよね、この店の」
「――ってアルトが言ってる」
と、良夜がアルトの言葉を通訳する。その言葉に「うぐっ」と飲み込み掛けていたパスタを喉に詰まらせたのは、当の美月だ。その美月に凪歩の明るい声が追い打ちを掛ける。
「ああ、この間、マーマレードのビンでカビを培養してたの、三島さんですよね?」
「そっ、その話はもう、終わったじゃないですか!? そんな事を言うのなら……凪歩さんだってこの間、危うくダブルブッキングしかけてた話、蒸し返しますよぉ?」
「不毛な争いは止めなって……つばさんが自分のミスを蒸し返されるかって戦々恐々としてんじゃんか」
「……そっ……そうでも……ない」
貴美がそう言った途端、いつもの鉄仮面が一瞬揺らいだような気がした。ぴくんと肩を振るわせ、顔をことさらに手元へと向ける。しかし、視線だけは貴美や美月、凪歩、他の看板娘ーズの顔色を伺うようにチラチラと動いていた。
「まっ、今更終わった話をあげつらってもねぇ……なぎぽんは細かいミスをちょくちょくやるし、美月さんは二−三ヶ月に一回、大きな事をどーんとやらかすし、つばさんは想定外のことが起こると頭がフリーズして、事態を悪化させるすることがあるんは、気ぃ付けた方が良いよ?」
さばさばとした口調で貴美が言うと、美月と凪歩は「はーい」と、そして翼はいつものように「んっ」と短く返事をした。まるで貴美がリーダのようだ。どうやら割といつものことらしい。意外さ半分、なんとなくそんな感じだなと思うところ半分。
その話を聞いていたアルトが、抱えていたショットグラスをテーブルの上に戻し、ホッと一息吐いた。そして、
「実際、細かい計画を立てるのは貴美が上手よねぇ……ディナーも細かく詰めたのは貴美だし……大学辞めて、ずっとここで働いてたら?」
そのアルトの言葉をまた良夜が通訳にすると、貴美は「……行くところがなかったらそうすっかなぁ……」と、小さく呟いた。
「……残りの人生、ずっと吉田さんの下かぁ……――ぎゃっ!?」
そのつぶやきにあからさまに凪歩が肩を落とすと、貴美はぽかんと彼女の頭を一発小突いた。涙目になって頭を撫でる凪歩、その隣では貴美は知らん顔を気取ってグラスに入った缶酎ハイを一気にあおっていた。
「しっかし、吉田さんってさ家事もこまめにやるし、頭も良いし、見栄えも悪くないし……しかし、なんで、こう……全体的にはダメ人間って感じなんだろうな?」
片肘をついて良夜は斜め前、向かい側の真ん中に座る貴美を見詰めて呟いた。見詰められる貴美はその呟きにヘラァ〜っと笑みを浮かべる。そして、何を思ったか、テーブルに置いてあったボトルを良夜に手渡した。七面鳥の絵が描かれたラベルはワイルドターキーのボトル、アメリカ産のきっついウイスキーだ。
「えっ? 飲んで良いのか?」
「ンな訳あっか。お酌、してよ。りょーやん」
そう言って彼女はショットグラスを青年の方に差し出す。
「えぇ〜自分が飲まないのに酌とか、出来るかよ……」
「良いじゃん、男に注いで貰うと同じお酒でも美味しいんよ」
「良く言う……」
諦め半分で良夜は彼女のショットグラスに琥珀色の液体を注ぎ込む。面倒臭いとは思うが、貴美に差し出した腕を引っ込める様子が全くない。それどころか、右手で空になった空き缶をペコペコに潰してる。もし、注がない場合、あれはこの後、ゴミ箱ではないところに飛んでいくに違いない。具体的に言えば良夜の顔。
「まあ、こう言うことをすっから、ダメ人間に見られんのよ……っと、さーんきゅっ!」
脅しの道具に使っていた缶をテーブルの隅に置き直し、彼女は明るく言い放つ。むしろ、ダメ人間と言われるのを楽しんでいるようだ。そして、ショットグラスにそそがれたワイルドターキーを一息に飲み干す。かっつーんとことさら大きな音を立ててテーブルにショットグラスを戻せば、唇からはぷっはーっ! と大きな溜め息と最上の笑顔。続いて彼女はグラスに氷と共に入れてあったミネラルウォーターを喉に流し入れる。これが最近、彼女が凝っている飲み方らしい。
「男らしい飲み方だな……」
「男らしい男はチェイサーなんて飲まないよ……っとおかわり」
「ピッチ早いぞ……」
「そうですよ。ですから……はい、私にも」
横からの声に顔を向けると、零れんばかりの笑みを浮かべた美月がグラスを差し出していた。両手で支えられたグラスはすでに空っぽ、良夜が貴美と話している間に空けたようだ。
「これ?」
「いえ、そっちのピーチが良いです」
ワイルドターキーのボトルを少し掲げると、美月は素直に首を振った。「あっ、うん……」と気付かれもしない自分のボケを哀れに思いながらも、仕方ないから、良夜も素直にボトルを置く。アルトが目頭を押さえていたがそれは無視して、薄桃色で模様が描かれた缶を手に取った。それのプルタブを開いて美月のグラスに注ぐ。心地よい発砲音と共に薄い桃色の液体が流れ落ちる。それを美月は楽しそうにコクコクと喉へと流し込んでいく。
「ぷはぁ〜」
気持ちよさそうな声を一発、そして、美月は半分ほどに減ったグラスを置いて美味しそうにパスタを食べ始める。
「……んっ」
それを横目で見ていた翼までもが空のグラスを良夜に差し出す。多少赤くなった顔は酒のせいだろう。基本的にはいつも鉄面皮。右手でむんずと掴んだまま差し出されるグラスは決して引くことがないように見えた。
「……寺谷さんも?」
「……つばさんと呼んで……」
「……酔ってるでしょ?」
「……多少」
真顔で頷く翼にため息を突きながら、美月のグラスに注いだ缶酎ハイの余りを翼のグラスに注ぐ。美月の方に入れすぎたのか、半分に足りないところで缶は空っぽ。同じフレイバーのチューハイは……と、良夜はテーブルの上を見渡す。
「あれ……ピーチ、もうなかった?」
が、ない。辺りを見渡しも発泡酒や他のフレーバーのチューハイは見えているが、ピーチフレーバーはないようだ。美月が好きなので多めに買っていたはずなのだが……
「……良い、飲んだら他の貰う……」
そう言って彼女はグラスを引き寄せ、パスタを当てに半分に足りないチューハイを飲み始める。相変わらず、モソモソとした食べ方だ。そこから視線を切ると、今度はアルトがショットグラスを持って待ち構えていた。
「俺は酌しに来てるんじゃないんだぞ?」
「ドライバーでしょ? 解ってるわよ、そっちも後でやらせて上げるから」
「うわぁ、何? この女、ムカツク……」
偉そうにふんぞり返るアルトのグラスに発泡酒を注ぐ。グラスが小さいのに泡立ちが良いから油断するとすぐに溢れさせてしまいそうで怖い。案の定、少しこぼしてしまい、アルトが「ああ」と落胆の声を上げる。
「まあ、そう言わずに……おかわり」
「あっ、私も……」
「……んぁ……つばさんも……」
貴美も美月も翼までもが代わる代わるに手を差し出す。おかげさまで良夜には食事をする暇もないったらありゃしない。しかも、四人ともその状況を楽しんでいるのか、良いタイミングでグラスを差し出してくださる。特に貴美が油断ならない。
「お前ら……」
すごんでみても誰もひるみはしない。良い具合に酔い始めて居る女性陣はむしろ、良夜がムッとしているのが楽しいようだ。各々――普段、鉄仮面と噂される翼までもが微笑を浮かべている始末。そんなに風に彼女達は楽しそうにグラスを空けるピッチを高めていく。ただ一人……
「あれ……? 時任さんは?」
時任凪歩だけを除いて。
「うわっ?! ああ、あっ、私は勝手に飲んで食べてますから〜」
急に名前を呼ばれて凪歩は眼鏡の奥の目をさらにまん丸にさせた。そして、彼女は何かを誤魔化すような笑顔を浮かべ、ぶんぶんと首と缶のままのチューハイを握る右手を大きく左右に振った。まあ、良夜としては最後の一人にまで酌を要求されると、本気で食べる暇がなくなるので、「そう?」とだけで軽く流した。
「それに、グラスに注いで飲むの、面倒臭いですしね」
「まあ、そう言うのも解るけどねぇ……私もうちでビールや発泡酒を飲む時は缶からラッパだけど……」
凪歩の明るい言葉に応えたのは、ワイルドターキーのショットグラスを親指と人差し指だけで摘んだ貴美だった。彼女は凪歩の背後へと手を伸ばして……
「……りょーやん、ピーチの缶酎ハイ、ここにあった」
左手が掴んだのは凪歩が自身の背後に置いてあった近所のスーパーで貰える買い物袋だ。アルトの関係者によって持ち寄られたそれは、店内のゴミ袋として再利用されている……のだが、それにはすでに四−五本の空き缶がねじ込まれていた。美月や貴美達が飲んだものはまだテーブルの上に転がっているから、あそこにあるのは全て……――
「あはっ、美味しいから……つい……」
愛らしく笑って、彼女はポニーテールの頭を掻いてみせる。大量のチューハイを飲んでいるはずだが、顔色一つ変えちゃいない。されど、その口から吐かれる息の酒臭いことと言ったら、もう、あの息を吸ってるだけで飲酒検問に捕まるんじゃないかと思うほど。他の女性達がピッチを上げていくのを横目に、凪歩だけはのっけからトップスピードだったらしい。しかも、世界記録並みのトップスピードだ。
「……もう、良いから新しいのとっといでよ……」
「あっ、はい」
貴美が促すと、凪歩は素直に席を立つ。そして、彼女は小走りでキッチンへと向かった。それも割と平然と……仕事中よりも軽やかなのでは? と思うほどに彼女の足は軽い。それはもう、貴美をして、
「どこにお酒入ったんよ?」
と、言わしめるほど。大丈夫なのだろうか? と良夜も思うが、今更どうしようもないし、貴美も「まっ、良いか」と呟いたので良夜もそういう風に思うことにした。いくら何でもいきなり倒れたりはしないだろう。
しかも……
「良夜、良夜……」
唖然としているところをアルトがちょいちょいと青年の指先を突く。その呼びかけに視線を落とすと、彼女の鋭いストローは美月の方を指さしていた。
「……美月がもう、第二ボタンまで外してるわよ……」
「…………ああ、もう、いきなり酔いやがったか……」
確認はしてないし、したくもない。でも、多分、事実だろう。青年は頭をうつむけたままため息を突く。ちなみにそういうアルトも暑そうに長いスカートをパタパタさせている。彼女が脱ぐ前兆だ。
しかし、酔っているのは美月とアルトだけではなかった。
「後……ね……あのね……」
「なんだよ……もう、大抵の事じゃ驚かないぞ、俺は……」
なぜか言いよどむアルトに、良夜は捨て鉢な気分一杯で答える。
「……ホント? 信じるわよ?」
「……これ以上、何に驚けって言うんだよ……」
「あそこ……翼がほっぺた押さえてクネクネ踊ってるのだけど……」
アルトのストローが美月からその隣へとすーっと動く。その動きに合わせて、青年も第二ボタンを外してケラケラと楽しそうに笑っている美月の向こう側、翼の方へと視線を動かした。
「うふふ……あはは……しゃーわせなのぉ……しゃーわせ……つばさん、しゃーわせぇ……」
満面の微笑みで彼女はほっぺたを押さえて、クネクネと体を動かしていた。大昔にあったフラワーロックって奴にそっくりだ。確かに幸せそうなのは良い事だが、青年はあれが鉄仮面寺谷翼であることを受け入れることが出来なかった。
「……おい……知らない人が座ってるぞ……あそこ」
「現実は受け入れなさいよ……逃避は不毛よ? 気持ちは解るけど……」
アルトはそう言うも、良夜が受け入れるべき現実はもう一つあった。
「りょーやん、酒、足りないかも……って」
キッチンに缶酎ハイを取りに行っていた凪歩が貴美にそう教えたらしい。その事を貴美が良夜に伝えたのだ。そのありがたい教えに、良夜は思わずテーブルの上に突っ伏した。
その突っ伏した頭の上を愛らしい四重奏が奏でられた。
「「「「飲みたい、飲みたい、酒飲みたい!」」」」
今にも茶碗を箸で叩きそうな勢いで、乙女達は歌った。その素晴らしい歌声に、良夜は思わず頭を抱えた。そして、突っ伏した顔とテーブルの間に小さな声がこだまする。
「……神様、俺は何か悪い事をしましたか……?」
と……
「黄昏れてないでとっとと買って来なよ。りょーやん以外、行く人居ないんだから」
テーブルの下で良夜の椅子をつま先で軽く蹴っ飛ばし、そう言ったのは歌う必要のない吉田貴美だった……彼女はグラスを目線の高さにまで掲げた。そのグラスにはワイルドターキーの美しい琥珀色をした液体がなみなみと注がれている。その液体越しに店内をぼんやりと見渡し、彼女は呟いた。
「美味しいんだけどなぁ……これ……」