歓迎会(1)
 四月も末が近付けば社会的にはゴールデンウィークの話題一色になる。それは喫茶アルトでも同じ事。営業終了後、いつものお茶会にてその話題が興ぜられるのは極々自然な流れであった。
「お休み、増えるんですか?」
 ゴールデンウィークの話題が出た途端、そう尋ねたのは凪歩だった。眼鏡の奥にある大きな目をさらに大きく広げ輝かせてる。も、次の瞬間、「ぎゃっ!」という短い悲鳴と共に涙目に変わった。頭を押さえて振り向けば、そこには固く握りしめられた小さな拳、主は明るい茶髪の女、吉田貴美だった。
「休み、休みって、言わないの、体裁が悪い……それに……」
 と、貴美は一旦言葉を切った。視線を宙に遊ばせ、指を折って……と、なにやら考えている様子。
「……増えないの?」
 そう言ったのは寺谷翼だ。彼女は隣に座っている美月の顔を見上げ、控えめな声で尋ねた。
「ちょっと、解らないですねぇ……ディナーが読めないんですよねぇ……」
 翼の方へと視線を向け、美月が答える。そう言うのも、昼のうち、特にランチタイムは大学が休みになると半端なく暇になる。これは去年までと同じだ。しかし、ディナーには大学生の客も来るのだが、それ以外からもわざわざ足を伸ばしてくれるお客さんがいくらか存在していた。平均すると三割方は大学関係者以外の客だろうか? 特に、土日祝日およびその前日はその傾向が顕著だ。
 そんな話を美月が二人の新人にすると、なにやら計算していた貴美もそれに首肯した。
「……無理かなぁ……まあ、三、四、五は三時出勤ってのならありかなぁ〜昼のうちは私と美月さんだけで回せるだろうし……――って、美月さん、何、ガッカリしてんの?」
「あっ、いえ、お昼まで眠れるのかなぁ〜と、一瞬、喜んじゃいまして……」
「……自分の立場とか、理解しようよ……って、所なんだけど、代わりに……」
 深夜の喫茶アルト、乙女達はテーブルをごにょごにょ……薄暗い店内でテーブルの上に頭を付き合わせ、彼女達は話し合いを続ける。
「……何処の悪党どもよ、貴女たち……」
 コーヒーカップの縁に座った妖精が嘆息混じりに呟く……が、同時に面白そうと思ったことは言うまでもない。

 さて、翌日、良夜は大学に登校している時、唐突にこう言われた。
「りょーやん、次の休みいつ?」
「三日、その次が七日だけど……?」
 いつも通り、直樹を真ん中に挟んで三人並んでの登校。直樹の頭越しに貴美に返事をすると、彼女はポケットの中から携帯電話を取り出した。どうやらメールを打っているようだ。誰にどんなメールを出しているのかは解らないが、それはものの数分で終了。送信が終わると、携帯電話はパタンと閉じられた。
「じゃあ、三日、アルトでパーッとやるからりょーやんもおいで、あっ、なおもね」
 何らの説明もなく言われて理解出来ようはずもなく、良夜は自身と貴美の間にいる直樹へと視線を落とした。すると、キョトンとしている童顔と目が合う。直後、フルフルと即座に彼も首を振って、何の説明も受けていないことを主張した。
「……アルトで? 吉田さんちとかうちじゃなくて?」
 直樹から顔を上げて貴美の方へと視線を投げかけると、彼女はウンウンと大きく何度も首肯してみせる。そして、説明を続けた。
「アルトで、だよ。アパートじゃ全員入らないし、ホントはどっか居酒屋でも行きたいんだけど、美月さんの脱ぎ癖、外で出たらシャレで済まないしねぇ……」
 貴美はそう言って肩をすくめる。少し芝居がかった仕草だが、言いたいことには理解出来る。むしろ、良夜が一番良く知っていると言って良いかもしれない。貴美に合わせるように良夜も軽く肩をすくめて、口を開いた。
「グラスワイン二杯目でブラウスのボタンを弄くり始めたからな……三杯目は危ない」
「そんなもんで済むわけないじゃん、私が行くんだよ?」
「自分で言わないでください……悲しくなりますから……」
 なぜか大きな胸をさらにそらす貴美に対して、直樹がため息混じりに呟く。半ばあきらめ顔だ。その直樹の頭を貴美がポンと一つ叩く。ニマッという書き文字の出て来そうな笑みを浮かべて、彼女はクシャクシャと直樹の頭をかき混ぜた。なんとなく幸せそうな構図にいたたまれず、と言うか、向かっ腹が立つというか……ともかく、見てられないので良夜はそこから視線をそらし、頭の後ろで手を組んだ。
「それで……アルトの新歓パーティになんで俺が呼ばれるんだ? アルトの通訳か?」
「三分の一はそれ」
 答える貴美に視線だけ向ける。視線を向けた貴美の向こう側にはそろそろ大学の正門、朝の散歩もそろそろ終わりだ。日差しが良くて、風はほどよく冷たい、良い散歩日和だった。
「残りの三分の二は?」
「三分の一が、りょーやんが来たらなおを呼びやすい」
「……僕、数に入ってるんですか? 三日、バイトですけど……」
「終わってから来りゃ良いよ。で、残り三分の一、聞きたい?」
 直樹が上げた不満の言葉を貴美は一蹴。一蹴された直樹はパクパクと口を数回開けたり閉めたりするも、有意な反論は出来ずじまい。かくんと項垂れて終わり。その直樹に哀れみの一瞥だけを良夜は与える。
「……まあ、一応」
 猛烈な嫌な予感しかしないが、聞かずに済むわけでもない。
 そして、その嫌な予感が当たった。
「うん、残り三分の一はなぎぽんとつばさんを家に送って欲しいんよ、美月さんの車で」
「えっ? ちょっと待てよ。それじゃ……――」
「うん、飲むな」
 きっぱりと貴美は言い切り、良夜の肩をぽーんと一つ叩く。満面の笑顔だ。その顔を見ながら、今度は良夜がパクパクと口を開けたり閉めたりする番。
「だって、しょうがないじゃん、なぎぽんの家、朝帰り許してくれないんだもん。つばさんはほぼ一人暮らしだから、最悪、うちに泊めても良いけど、なぎぽんだけは送って貰わないと困るんよ」
 活け作りの鯉みたいな良夜を尻目に貴美は事情を説明する。その説明はなんとなく理解出来た。年頃の女性が外泊というのは親としては心配なものだろう。良夜の姉、小夜子も少なくとも良夜が実家にいた頃には、外泊なんてしたことはなかった。だから、誰かが送るべきだと言う事は納得出来る話だ。
 そして――
「……なんで俺が……ってのは、ようは、美月さんと吉田さんが酒を飲みたいってだけだよな?」
「なんなら、二研か四研から適当な運転手を見繕うか? 男で」
 ニマリと貴美が笑う、底意地の悪い表情。しかも『男』の部分に強いアクセントを入れられれば溜まったもんじゃない。反論の言葉も見つからない。青年はバリバリと頭を掻きながら、諦めたように言葉を吐いた。
「それでも男が送ったりしたら、また、話が面倒になったりしないか?」
「うん、だから、美月さんか私が着いていっから大丈夫。りょーやんは純然たるただの運転手だよ」
 ピッと人差し指を立てて、貴美は言い切る。まるで子供を諭す教師のような顔つき。それに引き替え、良夜は額を押さえていた。
「……俺、なんで吉田さんと友達やってんだろう……?」
「部屋が隣だったからじゃない? と、急がないと遅刻やね」
 貴美はそう言ってとっとと足を先に進める。未だにがっくりと項垂れている直樹が貴美に連行されれば、取り残されるのは頭を抱えている良夜ただ一人。若草の香りを含む風が少し冷たかった……

「で、なんだかんだ言って、素直に運転手やるだけじゃなく、買い物にまで行くなんて、良夜も付き合いが良いわよね……」
「うっさいな……」
 当日、良夜は自宅から少し離れた処にある二十四時間巻営業のディスカウントストアーに来ていた。勿論、只今絶賛仕事中の看板娘ーズの代わりに買い出しをするためだ。時間は七時少し前。九時の閉店後から始めるのだから、少し早い。しかし、その余裕のある時間は、ディスカウントストアーで買った冷えてない飲み物を冷蔵庫で冷やすために費やされる予定だ。この辺りの事は貴美に任せるとそつがない。もっとも、そのそつのないプランを実行するのは、貴美ではない他の誰かであることが多いのが難点だ。
「ねえねえ、あっちにパーティグッズとか売ってるらしいわよ。わっ、何? このカップ麺、初めて見るメーカーよ。味見してみない?」
 頭の上から妖精さんの明るい声が響く。滅多に来ない店に来てるせいで、アルトのテンションも少し高め。何が珍しいのかは知らないが、先ほどから、やけにキョロキョロして落ち着きがない。
「余計な物はいらないの。お前が出すのか?」
「それはお断り」
 寄り道はせず、まっすぐに酒類売り場へと足を向ける。アルトでもディナーにワインを出すようになって、酒屋との取引も増えてきたのだが、安い発泡酒や缶酎ハイなんかはディスカウントストアーで買った方が安いらしい。
「このチューハイなんて、水より安いのよねぇ……何が入ってるのかしら……とか、思わない?」
「企業努力以外の何も入ってないよ……しかし、どのくらい買えば良いんだか……新人二人、どのくらい飲むんだ?」
 カートを押す手も止めずに良夜は尋ねる。すると、頭の上からアルトが答えた。
「あの二人、お酒、飲んだこと、ないらしいわよ」
 アルトが頭上からそう言うと、青年の口から「えっ?」との言葉がこぼれ落ちた。同時にピーチ味のチューハイに伸ばした手が止まる。
「凪歩は未成年、翼は機会がなかったそうよ」
 アルトが頭の上からひょこりと顔を覗かせて教える。天地逆転のアルトから青年はカートの上のカゴへと視線を落とした。そうなるとどのくらいの量が必要か、全く読めない。カゴを眺めること数分……青年は意を決して、発泡酒の棚に手を伸ばした。
「……多めに買っておくかなぁ……余ったら、俺が持って帰る」
「せこいわよ」
「それくらいの余録があっても良いだろう? 大体、美月さんも吉田さんも、酒を飲んだらテンション上がるから、素面で付き合うのしんどいんだよ」
 ポンポンと適当に安いアルコールをカゴの中に放り込んでいく。アルトの方にもワインやらブランデーがあるそうなので、その事を考えればこの程度で足りるだろうか……? 貴美は沢山あれば、あるだけピッチを上げてくる女だから油断出来ない。
「十分じゃないのかしらね……むしろ、良夜が持って帰る分が多くなりそうねぇ……朝まで飲むコースじゃないの、解ってる?」
 頭の上からアルトの声が聞こえる。その声に青年はハタと手を打った。
「あっ、そうだった……少し、減らすか……」
 貴美と飲む時と言えば、大抵がだらだらと飲み続けて、気がつけば日が昇っているというパターンが多い。そう言う時の貴美はほぼ底なしに飲むし、良夜や直樹、余り強くない美月までもそれにつられてかなりの酒量になる事が多い。しかし、今回はそうはいかない。いくら「何時でも」と言われているからと言って、せめて……――
「日が昇るまでには帰さないとね」
「……いや、いくら何でも日付が変わった頃には家に連れて行かないと……親、怒るぞ……」
「それだと、直樹が飲めないわよ? 帰ってくるの十時前後でしょう? せめて二時か三時くらいじゃないと面白くないわ」
「じゃあ、お前はよ、俺が、お前を置いて美月さんだけを連れて出掛けて、二時三時に――」
「殺すわよ?」
 良夜の言葉を遮り、妖精は力強く言い切る。クイッと髪の毛を引っ張る腕も力強いったらありゃしない。今にも長い友達を引き抜きそうな妖精に、「抜くな」とだけ言い置き、青年はカゴのアルコールを棚に戻していく。先ほどまでの三割引と言ったところ。それでも六人プラスアルファ分とあって結構な量だ。
「大体、良夜と美月が二人きりで出掛けるって時点で、死亡フラグよ?」
「……お前、俺にもう少し優しくできないのか?」
「無理ね」
「……言い切りやがった……」
 ずっしりと重たい買い物カゴをレジの上に置く。レジのバイトらしき女性が精算を済ませると、良夜は美月から預かった茶封筒からお金を取り出して支払った。一応、領収証も貰う。なんでもアルトの経費で落とすらしい。やっぱり、こう言うところはしっかりしている。
 大荷物を抱えて外に出れば、すでに辺りは薄暗く、国道を照らす街灯が眩しい。彼が胸ポケットに放り込んでいた携帯電話を取り出すと、液晶の時計がもうすぐ七時半だと教えてくれた。
「スタートまで二時間かぁ……」
 青年は小さな声で呟いた。

 そして……――
 四時間後、良夜は再び、この店の前にいた。勿論、なくなった酒を買うためだ。
「……どうしてこうなった……?」
 ディスカウントストアのネオンを見上げ、良夜は呆然と呟く……しかし、その疑問に答えてくれるものは誰一人として存在していなかった。

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