台風
 おはようございます、幽霊です。
 先日、私は空梅雨祈願を行いました。雨が降って湿度が上がると、私の猫っ毛がピンピン飛び跳ねてしまうからです。毎日毎日、お手洗いの鏡に向かってのヘアセットは面倒くさくてたまりません。その甲斐あってか――
 台風です。しかも、七月の台風としては史上最大だそうです。
 …………
 青天祈願の甲斐なんて全くありませんでした。
 春先、自分がお花見を出来ぬ悔しさに雨乞いをしたことがあります。大体うまく行きました。特にお店の方達がお花見をするという噂を聞いた時など、ほぼ百パーセントの確率で雨が降りました。嫌がらせです。ざまを見て下さい。ですから、きっと空梅雨祈願もうまく行くと思いました。
 ですが、台風です。しかも梅雨前線を刺激したとかどうとかで、朝一番から暴風雨。大雨洪水警報まで発令されています。他人事ながら大変です。
 あれでしょうか? 私のような非生ものには雨がお似合いなのかも知れませんね。からっと晴れた青天よりも、じめじめした雨空の方が非生ものには何となく似合っているような気がします。美女が水たまりを残して消えた、と言うのは怪談でも好評を博しています。
 まるでナメクジですね。
 そう言えば、ナメクジさんもお塩が苦手です。私もお塩が苦手です。ナメクジさんも水滴でその足跡を残します。
 ここで私は一つの仮説を掲げたいと思います。
 幽霊はナメクジと同類である。
 …………
 死にたくなるような仮説です。突っ込み所……お願いですから突っ込んで下さい。笑ってごまかさないと、本当に自分がナメクジの親戚のような気がしてきます。

 そう言うわけでして、今日は台風の日です。朝一番から叩きつけるような大雨と窓を揺らす暴風に、寝具売り場の安物ベッドで寝ていた私はたたき起こされました。素敵な夢を見ていたというのに残念です。あとちょっとで……いえ、これ以上は言えません。私の日記がハーレクインロマンスに早変わりしてしまいます。
 昨日の夜は曇り空でこそありましたが、雨はまだ降っていませんでした。しかし、起きてみるとのこの天気……何でも一部電車は運行を見合わせているとかどうとかで、出勤できない人が何人かいるそうです。食品売り場で魚谷さんと鳥山さんが話しているのを聞きました。
「今日は暇かも知れませんね……」
 外は暴風雨、時折吹く突風で窓は今にも割れてしまいそうな勢い。営業しているのが不思議なくらいです。こんな日に買い物にいらっしゃる方などいないでしょう。残念です。
 私は賑やかなお店を見て回るのが好きなのです。熱気、生気とでも言うべきものを別けて貰えるような気がします。特にタイムサービスに駆けるおば様なんて最高です。他者を押しのけ、お目当ての商品をひったくるような勢いで持ち去っていく、あの勢い。戦慄すら覚える勢いに圧倒されつつも、見ていると――
 こんな恥じらいもクソもないようなおばさんにならずに済んだ。
 と、非生ものである事に感謝すら覚えてしまいます。生気とは関係ないですか? 気にしないで下さい。私は気にしません。
 今日は特に冷凍食品が特売です。冷凍食品の日は特に凄いです。普段の半額になっている冷凍食品達をひったくるように彼女たちは持ち帰ります。それが今日は見られ……ないのかと……
 見られました。
 タイムサービスが始まった途端、冷凍ケースの周りに人が集まってきました。むせかえるようなおばさんの匂い、香水とかファンデーションとかの匂い、いえ、臭気ですね、これは。大きなケースの周りにおばさんが群がり、僅かな隙間からそれぞれに手を無理矢理突っ込んだり、体ごと押し入ったり。凄いです。今にも殴り合いの喧嘩でも始まってしまいそうな雰囲気です。
 本当にこういうおばさんにならなくて良かったです。いつまでもエロ可愛い女子高生幽霊さんで居続けましょう。
 しかし、良くこんな日に買い物に来ますね。外、暴風雨ですよ? ここは埋め立て地なので油断していると浸水の危険もあるそうです。実際、お店が出来る前には何度か冠水してしまったことがあるそうです。そう言う時に買い物をする意義が判りません。こういう日は家で某公共放送の災害特番でも見つつ、のんびり過ごすのが一番だと思います。
 と、言うわけでおばさんの戦場を離れ、テレビ売り場にやってきました。目的はもちろん某公共放送の災害特番です。
 今の時刻はお昼過ぎ、普段でしたらワイドショー辺りがテレビを賑わせている時間帯です。しかし、今日くらいは某公共放送をかけていると思いま……ああ、今日は土曜日でした。ワイドショーはありません。年中無働生活だと曜日の感覚がわからなくて困ります
 まあ、どちらにしても今日くらいはNHKでしょう……と思いながら、私は階段を上がり、二階に向かいました。
 台風の日だというのに家電売り場には人が沢山、よっぽどお暇なのですね、皆さん……さてと、テレビテレビ。
 人混みをするすると泳ぐようにかき分け、私はテレビ売り場へと近づいていきました。
 かっこぉ〜〜ん
 あっ……バーディ……凄いですね。ロングパットを一発で決めました。お上手な方。これでこの方がトップで折り返しです。二位とは四打差です。ドライバーショットも良く飛んでいますし、アプローチも安定しています。これは優勝でしょう……――
 違います。
 今の私はゴルフなどを見ている暇はないのです。しかも外国のゴルフを見てどうしますか? ゴルフなんて女子高生が判りはずありません。
 他のテレビを見てみましょう。
 古物鑑定番組の再放送……二時間ドラマの再放送……地域情報番組……全部民放。某国営放送を映しているテレビは一台もありません。
 このお店の方は判っていませんね。台風というものを。
 台風は年に数回の特別な日なのです。特別な日は特別に過ごすものではないのですか? それをいつも通りのけんか腰で冷凍食品を漁っていたり、某国営放送を見なかったりとは……なっていません。前半はお店の方ではありませんが、気にしないで下さい。
 全く、皆さん粋というものを解していませんね。台風の日は、まず台風が来る前に家の周りを点検し、その後は寝っ転がって某国営放送の台風情報を日長一日見るものです。
 そして、停電です。
 これを忘れてはいけません。雨戸を閉めていたら真っ暗闇です。その真っ暗闇の中、素敵なお兄さんと私は二人きりなのです。これこそ台風の醍醐味という奴でしょう。
「怖いです……」
「大丈夫だよ、幽霊ちゃん……」名前、相変わらずの突っ込み所です。よろしく。
 震える体を優しく抱き寄せられる幽霊さん。外は暴風雨、雨戸が風に揺れ、叩きつけられる雨の音……色々な音が混じり合っているというのに、二人にはお互いの鼓動しか聞こえません。
 二人の顔が静かに近づきます。暗闇の中でもお互いの顔がはっきりと見える距離、唇が――
 ふれあい直前、停電が回復します。
 咄嗟に離れる二人、二人の顔はリンゴのように赤いのです。気まずい空気が二人を包み、お互いに顔も見ず、声も掛け合いません。
 これです。これが正しい台風の過ごし方なのです。
 たまりません。ご飯三杯食べられそうです……食事なんて出来ない非生ものですが、そう言う勢いになると言う心意気です。惚れて下さい。そして、台風の夜を二人で過ごしましょう。
 だと言うのに、店内は相変わらず電気が煌々と光り、売り場ではおばさんが商品の奪い合いを演じ、テレビではゴルフと古物鑑定と地域情報番組。やってられません。
 良いです、もう、不貞寝します。丁度、綿田さんが電車が不通でお休みしています。今日は寝放題です。お休みなさい……

 起きました。こんばんは。
 台風は過ぎ去っているかと思ったのですが、どうやらこれからが本番のようです。今回の台風はしつこいですね。どうせ、私には台風を特別に楽しめるはずもないのです。全く、テンションが下がり放題です。
 やれやれ……今、何時ですか? 九時少し過ぎ……もうすぐ閉店ですね。少し、寝過ぎたようです。さすがにお客さんもずいぶん減っている様子。
 でもまあ、閉店した後ならば某公共放送の台風情報も楽しめるでしょう。それで我慢しましょうか……
「あっ、今夜、私はこっちに泊まるから」
 はい? 今、なんと言いました?
 そのお声はこのお店で一番偉い店長の長岡さんの物です。“長”岡だから店“長”なのでしょうか? それともただの偶然? 気になりますが、確かめようはありません。
 人の減り始めた店内の隅っこでは、その長岡店長さんが余りよく知らない女性店員さんとお話ししています。私は不可視の非生ものという立場を利用して、お二人のお話に聞き耳を立ててしまいます。
 二人の男女が話し合う隣で、幽霊が聞き耳を立てています。台詞がなければ非常に怖いシーンかも知れません。想像して、震えて下さい。
「一人で大丈夫ですか?」
「ああ……大丈夫じゃなかったら専務とか呼ぶよ」
 少しだけ不安そうな長岡さん(三十五歳)とよく知らない店員さん(多分二十代前半)がそんなお話をしています。どうやら、万一、洪水などが起きたら大変だと言うことで、店長さんが寝ずの番をするそうです。
 これでは私は某国営放送の台風特番が見られないではないですか……店長さんが寝ずの番をしている横でテレビなんて付けられませんからね。ショックです。
 代わり……と言っては何ですが、もう一つの方はかなえられました。
 停電……ありました。
 ひときわ大きな雷が落ちたのです。爆雷のような音に窓ガラスが震えたかと思った瞬間、全ての電気が消え去りました。シャッターの下ろされた店内は非常灯の薄明かりだけの世界に早変わり。
 私はおじさん店長と二人きり……しかも、そのおじさん店長は冷凍食品が溶けるだとか、お肉が傷むだとか大騒ぎ。スリスリしたところで、肩こりにすら気付いてはくれません。
 むしろその慌てふためきように、見物していることに対する罪悪感を感じてしまう始末です。
 台風なんて嫌いです。もう来ないで下さい。

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