お財布
こんにちは、幽霊です。ただいまの時間、午前十二時少し過ぎです。お昼過ぎとあって忙しい時間です。この時間帯はお客さんも多く、店員さん達は商品を出したり引っ込めたりと忙しそうにしています。
まあ、居候幽霊には何の関係もない話なんですけどね。相変わらず、やる事なんて何にもありませんから。
今、私はレジのすぐそばにたたずんでいます。レジ横の商品を袋に詰める台のそばです。これ、サッカー台って言うんですよ、ご存知でした? トリビアです、知らなかった人は私に感謝しつつ、スーパーで使ってみてください。賢そうに見えて、きっとモテモテです。
まあ、トリビアはどうでも良いのです。問題はこの台の上に忘れ去られている分厚いお財布です。
先ほどやけにあわただしく買い物をしていった方がいましたが、その方が忘れていったような気がします。この分厚い財布、仮に全て夏目漱石さんだとしても、数万円は下らぬ金額と見ました。仮に全て諭吉さんだとしたら……ここの店員さん達の月収を遙かに超えてしまう計算です。
日々ローテンションかつ心穏やかな幽霊であり続ける事を心がけている私でありますが、この分厚い財布を前にして平常心で居られるはずがありません。どきどきです。このお財布があれば、ちょっとしたホストクラブでちょっとくらい豪遊できそうな気がします。全て諭吉さんだったら、の場合ですが。
ドンペリも飲めるでしょう……ドンペリも飲めるでしょう、ドンペリ……ごめんなさい、ドンペリくらいしか知らないんです。ホストクラブなんて……どうせ、元未成年の上に生前の記憶がほとんどない幽霊です。そんな知識なんてあるはずないじゃないですか? 文句ありますか? あるんですね? どうせ、子供が粋がってるとかとお思いなのでしょう。死んでください。
と、ここで自分が幽霊である事を思い出しました。この分厚いお財布には、非生ものに非生ものである事を忘れさせるほどの衝撃があるのです。幽霊ですからね……どうせ。どんなに分厚いお財布であろうと、私はびた一文使えません。ガッカリです。一気にテンションが下がります。ローギアを超えてバックに入ってしまいました。後退します。
いけません、ここで後退してしまっては負けです。と言うよりも、他の方に渡すくらいなら、使えなくても良いので私の物にします。
いえ、猫ばばはしませんよ、猫ばばは。幽霊ですから、ばばなんて出ません。「幽霊さんはう○ちしないよ」です。食べてないのにでたら、体が減ってしまうではないですか……それは困ります。
ともかく、この財布は私が見つけたのです。落とし主の方は、私に、礼を言うべきなのです。間違えても後から見つけた人が礼を言われるなど、私が許しません。許しませんとも。
あっ、お礼は現金ではなく、仏花かお線香にしてください。もうすぐお彼岸です。先祖供養は忘れずに。
しかし、このまま放置していれば他の方が見つけてしまうでしょう。一割のお礼としても結構な金額になりそうです。それは許せません。私が得できないにしても、他の方が得をするなどもってのほかです。
はい、ここで「心狭いなぁ」とか「がめついなぁ」って思った人、呪います。お財布を落とす呪いです。私の目の前で。
そう言うわけで、まずはサッカー台の上から落としましょう。ここは目立ちすぎます。
周りを良く見渡します。目撃されれば口を封じるしかありません。空飛ぶお財布なんて事をやってしまえば、お払いされてしまいます。それは困ります。折角、今週はお菓子コーナーでホワイトデー特売があるのです。これに参加しなくては、死んでも死にきれません。はい、突っ込み所。
人目を避けるようにお財布に近づきます。今日の幽霊さんはスパイみたいです。ゴーストスパイ、一流な感じの響きです。
そして手を伸ばして、一気にサッカー台からたたき落とします。それはまるで、バーのカウンターでお金持ちのイケてるお兄さんが「幽霊さんに」とマティーニをプレゼントする時のように、滑っていきました。
わかりにくい例えでしたか? 気にしないで下さい。イケてるお兄さんに「幽霊さんに」とプレゼントされてみたい、と言う願望を言ったまでの事ですから。
私に叩かれたお財布は、すーっと気持ちよく滑って落っこちました……この時期に滑っただの落ちただの、書いちゃっても良いんでしょうか? 色々と傷ついてる方もおられるでしょうに。まあ、気にしませんが。
そして、落としたお財布を蹴っ飛ばし、サッカー台の下へと放り込みます。これにて一安心……とは言えないのがスーパー住まいの辛いところです。
このスーパーのお掃除のおばちゃんは非常に丁寧な仕事をする方なのです。お客さんの邪魔は決してせず、しかし、隙を見て素早く掃除をしてしまうのは、なかなかのテクニックです。このテクニックはもちろんサッカー台にも適応されてしまいます。お客さんが居なくなれば、すぐに台の下にまでモップをぶち込み、ゴミを取ってしまうのです。普段はほほえましくも戦慄を覚えるプロテクニックですが、今日はただ困るだけです。白日の下に晒されてしまいます、私の財布が。突っ込み所。
どうしましょう? 閉店まであと八時間もあります。一度も掃除されないという事は考えられません。さらにどきどきが高まります。今日の幽霊さんはちょっぴりハイテンションかも知れません。
ともかく、見張っていましょう。もし、ここが掃除されるとなれば身を挺して守らなければなりません。身なんてありませんが、そう言う気分になると言う事です。
ぼーっとします。ぼーっとするのは得意です。幽霊ですから……関係ないですね。ええ、関係ありません。気ぜわしい幽霊が居たって何ら問題ありません。
そして、なんと三時間が過ぎました。やり遂げました。サッカー台を眺め続けて三時間、もはや、サッカー台のプロです。これ一本で食べていけるほどです。なんと言っても生活費ゼロ円ですから。突っ込み所。
三時間後、ついに掃除のおばさんがいらっしゃいました。その手にはいつものモップ、ピンチです、私のお財布。
おばさんの持つモップが私のお財布が隠れているサッカー台の下に潜り込もうとする一瞬!
私の細く長い手が、サッカー台の下に隠れているお財布を叩きました!
ちなみにこのときの私の格好は、床に寝っ転がってます。はい、女子高生がやる格好じゃないですね……少なく見積もって現金数万円の分厚いお財布ですよ? 恥も外聞もありませんって。
たたき出された財布はお隣のサッカー台へと潜り込みます。ここにはサッカー台が四つほどあるので、掃除のおばさんが移動するたび、私も財布を叩いて移動させます、床に寝っ転がって。
気分は一人エアホッケー、なかなか、新機軸な遊びです。全然、楽しくありませんが。
全然楽しくない遊びをしたり、見えないとはいえ昼下がりのスーパーで下着を晒す不祥事を起こしてしまった私ですが、ともかく、私のお財布を守りきる事が出来ました。掃除のおばさんは午前中に一回と午後に一回、掃除をすればもう翌日まで掃除はしませんから。よっぽどの事がなければ、このサッカー台の下をのぞき込む方はいらっしゃらないでしょう。これにて、私のお財布攻防戦は終わりです。さっさと、特売にでも行きましょう……
と、思ったのが大きな間違いでした。
「あれ……何だ? これ」
お菓子コーナーにたたずむ私に聞こえてきたのは、例の乾物のお兄さんがつぶやいた声でした。お兄さんはなぜか、本当になぜか、サッカー台の下をのぞき込んで、私の、私のお財布へと手を伸ばして居るではないですか!! びっくりマーク二つも使う大事件です。
どっどうして、お兄さんがサッカー台の下をのぞき込んで……あぁ!!! なんと、なんと、お兄さんは間の悪い事に、ご自分の鍵をサッカー台のすぐそばで落として居るではないですか? なんてことをしやがりますか!? お兄さん!!
ホワイトデーのマシュマロやちょっとした小物が並ぶ特設売り場の中、静かにたたずんでいた私は、慌ててお兄さんの元へと駆け寄ります。
「返して……私のお財布」
思わず、普段の五割マシの声を出してしまいました。それでも小さめなのは普段がローテンションだからです。ほっといて下さい。
しかし、所詮は非生もの。生ものさんにはかないません。
「財布……げっ……なんだ、この大金……」
開いたお兄さん――小市民――の顔色が変わります。とたんに挙動不審になってしまうお兄さん。彼はキョロキョロと周りを見渡し、こっそりという雰囲気でその場を離れていこうとしました。猫ばばする気ですか? 見下げ果てた野郎です。あっ、一応、サービスカウンターの方へと持って行ってるようで、ちょっぴり見直しました……
って、持って行かないで下さい。それは私が見つけた物です!
……許せません。最近、彼女をゲットしたとか言うだけでも許せないというのに……もう、呪いでは許せません。もっと直接的な復讐に走るしかないです。
と、言うわけで、ここは先ほどのホワイトデー特設会場です。目指すは香水です、香水。ありました。安いのから高いのまで色々。値段は何でも良いので、試供品を一つ……周りの方にばれないよう、私の手のひらに振りかけます。たっぷりと……相手がただの液体なら、私の手で運んでも目立ちません。手のひらにたっぷり取ります。
そして、サービスカウンターからいつもの乾物コーナーで働き始めた兄さん、その首元に塗ったくってやります。ふっふっふっ……これで明日が楽しみです。
そして翌日……
見知らぬ女の匂いをプンプンさせながら、帰ったお兄さんは、そのほっぺたに見事な紅葉模様をつけてバイトにいらしてました。
彼女の誤解は二週間ほど解けなかったようです。ざまを見ましたか? お兄さん。反省して下さいね。