THE・お祭り(6)
 良夜が『男子』と書かれた更衣室を軽くノックすると、ドアはギシッと言う小さなきしみを立てて開いた。そして、中から出て来たのは、あのお姫様姿の女性だった。
「ッ!!……(ぺこぺこ)」
 彼女は良夜の顔を見るとハッと息を止め、さっきと同じように腰を大きく曲げ何度も頭を下げ始めた。どうやら、良夜が追いかけて文句を言いにきたと思ったようだ。
「あっ……いえ、喫茶アルトの配達なんですけど……あれ? えっと……ここ、男の方……だよね?」
「……(こくん)」
 ホッとした表情を浮かべ、彼女はこくんと小さく頷いた。ヒールのある靴の所為で良夜よりも頭半分ほど高い身長、少しだけ目つきはきついが笑うとかわいい顔、赤みがかった髪が丁寧に編み上げられているのは役作りのためだろう。どこからどう見ても美人の女性でしかない。
 って人がどうしてここにいるのだろう? ここは紛れもなく『男子』控え室だ。それは数回確認した。
 その疑問が無意識のうちにこぼれ落ちた。
「……男?」
「普通、そう言うこと、聞くものかしら?」
 つい反射的に聞いてしまった言葉に、アルトが呆れた声でそう言った。もちろん、最後には「だから童貞は空気が読めないのよね」と付け加えることも忘れない。
 良夜もアルトにそう言われアッと口元に手を当てたが、彼はあまり気にもしない様子。気にしないでとでも言うかのように、ニコッと満面の笑みを浮かべた。
「……(こく、にこっ)」
 そして、大きく一度だけ振り下ろされる頭。再び上げた顔には、笑顔が浮かぶ。それは愛想笑いだとは思っても鼓動を高めるに十分なものだった。
 その瞬間、良夜は薄汚れた天上を仰ぎ見上げ、心で呟いた。俺の人生なんてこんなものだと。俺だって、少しくらい、ベタな出会いに憧れたって良いじゃん……良夜は何処かにいると伝わる神様に向かって、心の中で訴えかけた。
 ちなみにこの時、神様は居留守だった。
「我が身を憐れんでないで、さっさと仕事を終わらせたらお店に戻ってブルマン飲むわよ」
「とっとりあえず……バスケットは後で取りに来るから」
 アルトの声に急かされ、良夜は幾ばくかの料金と引き替えにランチボックスを手渡した。
「……(ふるふる)」
 小さく微笑みながら、彼女、いや、彼は首を左右に数回振った。そして、バスケットを持ったまま更衣室の中に入ると、良夜に向かってチョイチョイと手招きをした。
「貴美が好きなシチュエーションかしら?」
 等とアホなことを言う妖精を捨て置き、良夜は言われるままに更衣室の中へと足を踏み入れた。
 コンクリート打ちっ放しの壁際に、ロッカーが置かれた六畳ほどの薄暗い部屋。どことはなしに淫靡な雰囲気を感じるのは、良夜の気のせいだろう。見知らぬ女装青年はその部屋の隅に置かれた椅子に座ると、にっこりと微笑み、バスケットの中のサンドイッチを食べ始めた。
 ――もの凄いスピードで。
 下品な食べ方ではない。一度に口に押し込むわけでもなければ、コーヒーで流し込むわけでもない。一度に囓る量はあくまで控えめ、小さな口を開いてはサンドイッチを適量かじり、租借して飲み込む。その動作は流れるようで気品すら感じる……ただ、それがまるでコマ落としのような速度になっているだけだ。
 一言も喋りもせず、ただ無心に、そして笑顔のままでサンドイッチ三人前を消していく美女、じゃなくて美女装。良夜はそれを椅子に座ることも忘れ、呆気にとられ見つめ続けた。
「ねえ、良夜……たこ焼きの匂いがするわ」
 興味を持ったアルトが近付き、彼のすぐ傍でクンッと鼻を鳴らした。言われてみれば思いつくことはある。良夜がたこ焼きを買って真っ直ぐここに向かっていっていたのだから、背後から来た彼もたこ焼きの屋台を経由していても不思議ではない。それに、よーーーーーーく、本当によーーーーーく見れば、ルージュがまぶしい口元にたこ焼きの青のりが付いている。これはこれで可愛いと思ってしまったことが良夜には悔しかった、相手、男だし。
「……たこ焼きも食べてたんだ……」
 アルトの食事はどれもこれも少し多めだ。人より食が細いというわけでもない良夜だと、一人前とコーヒーを飲めば十分に腹は膨れる。それを三人前、しかもその上にたこ焼き……細い割りによく食べる人だ。しかし、俺も腹減った……
 と、思っているうちにサンドイッチ三人前は彼の膝の上から消え去った。
 パチンと控えめに手をあわすと、彼は空になったバスケットを良夜の方に差し出した。一瞬だけ触れた指の柔らかさに、またも鼓動が早まる。そして、また、良夜は敗北感にうちひしがれた。早く女慣れをしよう、彼はそう誓わずには居られなかった。
「……(にこ)」
 ごちそうさま、とでも言いたいのだろうか? 彼は小さな手で自分のお腹をさすりながら、もう一度頭を下げた。
「あっ……ああ、えっと、それじゃ、またのご利用を……」
 受け取るだけ受け取りろれつが回らなくなった良夜に、頭の上に戻ってきたアルトがガツン! と蹴りを入れた。口が酸っぱくなるほどに注意されても、未だにきちんと挨拶できないことに対し、アルトなりの実力行使だろう。
「……(コクン)」
 小さく頷く彼女……じゃないんだって、全く! と、何度目かになる訂正を心に秘め、良夜は男子控え室を後にした。
 良夜が部屋を辞したのとほぼ入れ替わりに一人の女性が、その更衣室へとやって来た。
 少々ポッチャリ気味ではあるが、それは彼女の美貌を損なうものではなく、むしろ肉感的で良夜の好きなタイプとも言える。まあ……女縁の少ない彼に選べるような資格はあまりないわけだが。
(また、女装じゃないよな……)
 彼女(?)とすれ違う瞬間、良夜は心の中でそう呟いた。今の彼は誰も信じることが出来ない。
 足を止めず、視線だけを後方に送っていた良夜に小さな声が聞こえた。
「お姉さま、そろそろ、お時間です」
「何よ!? それっ!!」
 良夜が大声で突っ込みを入れずに済んだのは、頭の上に座っていたアルトが、それを代弁してくれたから。

 色んな意味で疲れ果てた良夜が、喫茶アルトに帰ってきたのは二時を大幅に過ぎ去ったあたりのことだった。
 入口のすぐ傍にスクーターを止め、ヘルメットを外して人心地、ホッと軽くため息をつくと背後から耳をつんざくエキゾーストノイズが聞こえた。
「ん?」
 脱いだヘルメットをバックミラーに引っかけながら、良夜が振り向くとそこに真っ黒なZZR−400が突っ込んできた。それを運転しているのは白いワンピース姿のお嬢様。バタバタとはためくスカートとそこから伸びる素足がチャームポイントだ。
「……直樹?」
 ギャバッ! バゥン!
 リアタイヤを滑らせながら良夜の隣に滑り込む。そして小気味良い空ぶかしを一発。ファイヤーパターンのまぶしいヘルメットが外されれば、中から出て来たのはやっぱり直樹の小さな頭だった。
「あら、ツインテールは外したのね……ちょっと残念」
 胸の中に潜り込んでいたアルトも顔を出してそう言った。
 彼女のいうとおり、直樹は女装姿でこそあるが頭を飾っていたツインテールはなくなり、いつもの短い髪型に戻っていた。ツインテールも可愛かったが、この髪型も十分に可愛い。むしろ、ツインテールは狙いすぎだと、良夜は思った。
「良夜君!」
 そして、直樹は良夜の胸にすがりつくような姿をすると、涙の浮かぶ目でそう泣きついてきた。
「お金、貸してください!!」
「惜しいわね、ここで『お金、返してください』だったら、問答無用の悪人って構図だったのに」
 直樹の掴む胸元から顔を出し、アルトは直樹の汗に湿った髪を撫でながら良夜の顔を見上げた。
 小憎たらしい笑顔のアルトから視線を外し、直樹の方へと視線を向けた。ヘルメットの所為で化粧も少々崩れているが元が童顔な上、胸元のパッドはそのまま。十分に可愛い。その可愛い女装青年にすがりつかれると言うシチュエーションに慌ててながら、良夜は思わず「いっいくらだよ?」とつっかえながら聞き返した。
「三千円……二千円でも良いですから!!」
「お前、バイトの給料とか仕送りとかどうしたんだよ……」
 その金額に良夜の頭がガクッと落ちた。曲がりなりにもアルバイトをしている十九の男が目に涙を浮かべ、友人にすがりつくような金額ではない。
「吉田さんに――」
 喫茶アルトのドアベルが直樹の言葉を遮る。そして、二人、妖精を含めて三人の顔が一斉にそちらへと向いた。
「なおのお財布はここなんよ〜」
 現れたのは、手に牛革製の財布を握った吉田貴美、その人だった。
「今のなおに現金持たせたら、逃げちゃうじゃん?」
「当たり前です! 逃げますっ!!」
「だから、これは人質、逃げ出したらこのお金で甘味フルコースを決めちゃる」
 革の財布をヒラヒラと団扇のように扇ぎながら、すがりつく先を貴美へと変えた直樹の手が届かないところへと財布を持った手を上げる。
「……悪魔か、お前は……」
 紛れもないイジメの構図に、良夜はため息をついた。ちなみにこの言葉は貴美にだけ言った言葉ではない。いつの間にか胸元から飛び出し、貴美の持ち上げた財布に腰掛けているアルトにも向けて言った言葉だ。彼女はヒラヒラと揺れる財布の上に立ち、涙目で見上げる直樹にベロベロバーとかアカンベーとかを繰り返している。
「ん? 本当なら、この中身、ぜーんぶ、私のもんだもん」
 貴美の言葉に、つま先立ちになっていた直樹が「うっ!」と息を呑んだ。伸ばしていた手も下がり、行き場を捜すかのようにもじもじとパッドで膨れあがった胸の前で行ったり来たりを繰り返す。
「先月、猫に二回引っかかれるわ、それで免停講習に行ったわで、なお、私に借金しまくっとんよねぇ〜返さないうちはこれをどう扱おうと私の自由」
 直樹の諦めた財布を自分の唇に押し付け、貴美はさも嬉しそうな顔をしてそう言った。
 貴美が唇を押し付けた先にはアルトのつま先があった。危うくつま先を貴美に舐められそうになったアルトが、顔色を変えて良夜の肩へと戻ってくる。
「猫?」
 返ってきたアルトを一瞥し、良夜は小首をかしげた。
「スピード違反、ねずみ取りですよ……」
「ああ……ねずみ取りだからネコ、か」
 直樹に説明され、上手いこと言うな……と良夜はちょっとだけ感心した。
「これも明日のためなんよ。今のうちに点数稼いでなきゃ勝てないよ? 去年、一年生でありながらダントツの一位、在学中はタイトルが動かないと言わしめられた人が敵なんだから」
「あっ、もしかして、演劇部の人?」
 貴美の言葉を聞き、良夜は自分の目の前でたおやかに笑っていた顔を思い出した。あのレベルで女装が似合う人間が他に何人もいるはずがない。居て欲しくない。
「あれ、りょーやん、知ってんだ?」
「知ってるって言うか、さっきの配達がその人だった……と思う」
「なんかね、普段から女装してる人らしいよ?」
「ふっ……普段からぁ?」
「なんか、子供の頃からそうなんだって……」
「……もしかして……」
 思い浮かぶのは例のチラシに書いていた言葉だ。
『ホモの男役は容認』
 本職さんなんだ……と思うと、凄い世界もあったものだと良夜の背中が少々寒くなってくる。
「ああ、りょーやんの同族ではないらしいよ? 残念なことに……男子校出身じゃないし」
「またんかい、そこの腐女子」
「……良夜……やっぱりそうだったのね……あの過剰反応は女慣れしてないってだけじゃないと思ったの……逃げなさい! 直樹、良夜が狙ってるわっ!!」
 またんかい、そこの性悪妖精、と吐き出しそうになった言葉をグイッと飲み込む。しかし、何も言わないことを良いことに、彼女は汚物を見るような目で良夜を見つめているし、口の悪さも更に加速していく。
「腐女子だも〜ん」
「腐女子だからって何を言っても良いってわけじゃねーぞ!」
「ともかく、なんか、家庭の事情らしいんよ、よく知らないけど」
 彼女が言うには、優勝候補の名前は二条陽――にじょうひなた。演劇部で無言劇を専門でやっている人だそうだ。そして、彼が普段から女装している理由を知る者はほとんど居ないらしい。と言うのも、良夜が体験したように彼がほとんど喋らないからだ。だから、勝手な憶測だけが飛び交い、本当の理由を知る者は彼の親しい友人数人だけ。それもこの大学にはほとんどいないというのだ。それどころか、大学で彼の声を聞いた者すら数名しかいない。
「ふぅん、色々あるんだな……」
 金持ちの家は大変だな、普通の家に生まれて良かったと……言うところなのだが……
「逃げてぇ〜直樹、逃げてぇ〜〜〜」
 貴美との立ち話を続けている間、ずっとこの調子の妖精に良夜の我慢の限界がゆっくりと近付いてきていた。
「悪い……ちょっと待っててくれ……」
「ン? あっ、私、もう、仕事に戻るよ。ほら、なおも泣き崩れてないで、ご飯食べたら、昼からの営業があるんだからね!」
「もういやですぅ……うう……お願いですから、明日はレースガールをなしにしてくださぃ……」
「はいはい、二四研のぶっちょーずには言っておくから……ほら、行くよ」
 ズルズルと引き連れ行く直樹を見送り、良夜はゆっくりと肩の上で挑発を繰り返すアルトへと向き直った。
 さて、胴綱着けて振り回すか、羽を画鋲で刺して昆虫採集ごっこをするか、はたまた、瓶詰めにして川に流すか……
「やる気ね……この場合、殺る(さつる)と書いてヤルと読むのね?」
「当たり前だ……この腐れ妖精」
 良夜の肩から飛び立ちストローで威嚇する妖精を、殺意を込めた視線で睨み付ける。隙を見せた方が死ぬ、比喩表現なしで。
 その一触即発の空気は、喫茶アルトのドアベルの音により終わりを告げた。
「りょーやさぁん……」
 猫なで声を立てるのは――
「えっとぉ……また、カフェM&B(メイド&バトラー)にケーキとコーヒー……お願いできたら嬉しいなぁ……なんて思いまして」
 新たなケーキの箱と水筒を抱えた美月だった。
「ごめん! 私、もう限界! 和明! コーヒー!」
 先ほどまで真剣に殺人者の表情で良夜を見ていたアルトが、そう言って美月の頭を一つ蹴った。目指すは、美月が開け放したままのドア。一気にフロアーの中へと逃げ込んでいく。
「ふざけんなぁぁぁぁぁ」
 良夜の絶叫が喫茶アルトのフロアーにまで響き渡った。
 季節は秋、学祭は明日まで。明日もこの調子……多分。

前の話   書庫   次の話

ランキングバナーです
ランキングバナー
面白いと思ったら押してください