THE・お祭り(5)
 第二駐車場へと続く道はちょっとしたイチョウの並木道になっている。今年は少々気温が高めともあって未だ色づいてはないが、あと半月もすると黄金色の美しい紅葉が見られるらしい。
 レースガール姿の直樹と別れ、良夜はアルトを頭の上にチョコンと乗せ、その道を少しばかり急ぎ足で、そして何も考えないようにして歩いていた。
「昔は学生達が銀杏を拾って食べてたり、落ち葉を集めて焼き芋を作ってたりしてたのよ」
 頭の上でイチョウの木を眺めていたアルトが昔のことを懐かしむように呟いた。それは十数年前、前の『見える人』とのお話だ。流石に自分でやったりはしないが、ここで勝手にたき火と焼き芋作りをしている連中とは仲が良く、良く貰っていたらしい。
「銀杏はともかく、焼き芋は食べたいわね」
「確かになぁ……」
「秋刀魚、今年は豊漁らしいわよ。塩焼きが一番なんだけど、アルトだとパスタの具ぐらいにしかならないのよね、良夜の家で食べさせてくれる?」
「塩焼きか……それくらいなら良いな……俺も好きだし」
 グリルで良く焼いて、スダチをギュッ! たっぷりの大根下ろしに醤油を掛けて、油の滴る身といっしょに食う。自炊下手でもこれくらいなら出来る……と思う。
「後、松茸も中々出てこないの。まあ、喫茶店で松茸の土瓶蒸しとか松茸ご飯とか出て来た驚きだけど」
「……インスタントのお吸い物なら良いぞ」
 良夜が去年、松茸を食べたのは一度きりだ……それも炊き込みご飯の中に入ってる奴、もの凄く小さかった。松茸ご飯の松茸が足りないときは、松茸のインスタントお吸い物を出汁の代わりに入れると良い。足りない香りが補われる。浅間家定番の裏技。
「次、バイトが休みの時、良夜の家でご飯を食べましょう? メインは秋刀魚の塩焼き、ご飯は松茸ご飯! 食後にはブルマン」
 ナイスアイディア! とばかりにつかんでいた髪をぱっと離し、アルトは上機嫌で宣言した、一方的に。
「お前のバイト給料、全部出すなら考えてやるよ……って、お前、さっきから食い物の話ばっかりだな?」
「クリも美味しい時期だわ、マロングラッセとモンブランは食べたわよ。でも、天津甘栗も食べたいわね」
「だからなんで食い物の話しかしない?」
 太陽はとっくに天頂を通り抜けた時間帯、しかも今日は朝からずっと働きっぱなし。当然、ある種の生理的欲求は限界にまで高まっている。しかし、それを口に出したり、思い浮かべてしまうと更にそれが強くなってくるような気がしていた。だから、言わないし、思い浮かべない……つもりだった。
「ねえ、良夜? 口に出しても出さなくても、お腹は減るものなのよ?」
「判った上で言うな! このくそ妖精!!!」
「私だってお腹空いたし、コーヒーが飲みたいのよ!」
 高くなってきた秋空と色づき始めたイチョウ並木の下、良夜とアルトはスクーターが置いてある第二駐車場への道を二人で歩いた。二人仲良く空腹を抱えたまま……
「と、言うわけですから、次は体育館の更衣室なんですよ」
「何が『と、言うわけ』なのかは知りませんが、飯、食わせてください」
 空きっ腹を抱え第二駐車場からスクーターを駆って、喫茶アルトにまで帰ってきた二人を出迎えたのは、満面の笑顔で美月が押し付けるランチボックスだった。しかも、喫茶アルトの入口の外で。食事どころか、店に入れる気すらないらしい。
「うーんとですね、語ると長いわけなんですが――」
「美月さんが電話で『今すぐ体育館の男子更衣室にサンドイッチの盛り合わせ三人前』って注文に『はい判りました』って返事しちゃったのが原因」
 美月の背後から貴美がヒョッコリと顔を出し、美月の言葉を勝手にフォローし、された美月がはうっ! と息を詰まらせた。
「……長くないですね、どうしたんでしょうか?」
「付け加えるなら、開演の二時まで主演俳優に飯を食わせなきゃならない。だから、超特急で来いだって」
 貴美が言葉を重ねる毎に、美月の顔が恐縮し良夜の顔から視線が遠ざかっていく。
「飯は?」
「コーヒーは?」
「急げっ♪」
 良夜とアルトがほぼ同時に上げた声を、貴美は良い笑顔で踏みつぶす。そして、美月の肩越しに貴美の腕がニュッと伸び、その腕に撒かれた細い腕時計を見せつけた。時間はきっちり一時三十分、駐車場から体育館の時間、食べ終える時間を考えれば時間はギリギリ、いや、食うのが遅い人間ならギリギリを過ぎているかも知れない。
「ざけんな!」
「ふざけないで!」
 珍しくアルトと良夜が同時にキレ、それに美月がビクンと肩を振わせた。
「あっあの……帰ってきたらブルーマウンテン入れますから」
 申し訳なさそうに言う美月を見て良夜は、きたなっ! と思わず心の中で叫んだ。美月の台詞が自分に向けられたものではなく、彼の周囲で聞いているであろうアルトに向けられた言葉であることを的確に感じ取ったからだ。その証拠に――
「ほら! 行くわよ!」
 この通り。先ほどまで良夜といっしょにキレていたアルトは、良夜の髪をグイグイと引っ張り始めた。
「はい、これ、食べて、頑張って行っておいで。じゃぁね」
 ランチバスケットの上にポンとクッキーの包みが一袋、貴美の手により置かれた。メイプルシュガーとクルミを練り込んだ人気のクッキー。一袋百六十円、もちろん、良夜の腹を満たすにはあまりにも少ない。
「あっあの! ごめんなさい!」
 早口に謝り、美月は大きく頭を下げた。そして、パタンと閉じられる入口のドア。取り残されるのは、既にやる気を注入された妖精と、全くやる気の出ない臨時配達員。もの凄く寒い。
「ほら、見てたってランチは歩いていかないわよ!」
「お前、ブルマン一杯で魂を売るなよ……」
 はぁと大きくため息はつくものの、良夜は固く閉ざされたドアに背を向けた。
「まあ、クッキー食べたら少しはお腹も持つわよ」
 それもそうだな、と思いながら良夜は貴美から渡されたクッキーの袋を開けた。半透明のビニール袋から出て来たのは、焦げ茶色のクッキーが五枚。芳ばしく甘い香り、好きなクッキーではあるが出来れば食後に食べたい。
 それを一つは自分の口へ、もう一つはアルトに手渡した。
 そして、見比べてみる、自分の手にあるクッキーとアルトの手にあるクッキーを。
「……なあ、アルト……」
 両手でしっかりと握れて顔よりも大きなクッキーと、二−三枚は一度に口に放り込めそうなクッキー、同じ物なのに二人が持つと、その印象は真逆にまで違って見える。
「何よ?」
「お前……それ一枚で腹が膨れないか?」
 かじり付こうとしていたアルトも、ふと手を止め、良夜と自分のクッキーを見比べた。
「そうね、大体、お腹一杯になるわよ」
「……フェアーじゃねー……」
 やるせない気分で一杯になりながら良夜はヘルメットを被った。もはや揉めている時間すらも、彼には惜しい。

「たこ焼き一つ」
「たこ焼きは一船、せめて一皿って数えなさい」
 見知らぬ誰かは喫茶アルトのヒレカツサンド、おいらはとても大学生とは思えないテキ屋のオッサンが作ったたこ焼きが一つ。しかもタコは耳垢よりも小さい。そろそろ、枝振りの良い松の木でも捜してそこで……
「……ちっ」
 ちらりと向けた視線の先には、たこ焼きの中から一生懸命タコだけをほじりだして食ってる謎の生命体が居た。
 うん、こいつを吊るそう。
 良夜は硬く心に決めた。
 第二駐車場は誘惑が一杯だ。正門に一番近く、また、催し物を多くやっている体育館や特設ステージからも近いこの場所は、屋台系の模擬店が山のように並んでいた。
 良い具合に焼け上がり芳ばしい香を放つたこ焼き、甘ったるい香りをシルクのドレスに包み込んだクレープ、漫研の連中が精魂込めて作った、萌えキャライラスト付きビニール袋が大人気な綿菓子。どれもこれもが視覚聴覚を問わずに、良夜の空腹を容赦なく攻撃し続ける。油断すると、有り金全部で食い物を買ってしまいそう。
「私は綿菓子が良かったわ」
「綿菓子なんざ、いくら食っても腹の足しになるかよ」
 大量の屋台が学生を呼び、その学生達に呼ばれるように軽音部やアマチュアバンド、ジャグリングを披露している大道芸人(の格好をした学生)までいて大賑わいだ。
「帰ったらただ飯が待ってるからって……せこいわね?」
「さっきからたこ焼きのタコしか食ってない女にセコイとかどうとか言われたくねえな」
 駐車場から体育館へと続く道は、駐車場に負けず劣らずの人だかり。手にランチボックスなんぞを持っているものだから、余計に歩きにくくて仕方がない。そこを泳ぐ、いや半分おぼれかかるような姿で良夜は歩いていた。
「だって、さっき、クッキー食べたからお腹一杯なのよ」
「だったら、なんにも食うな」
「私もあまり欲しくないのよ? でも良夜が…………幸せそうなのだもの、邪魔しないと」
「なんて理不尽なんだ……――てっ。ごめん」
 邪魔なランチボックスが誰かに当たるたび、その誰かが謝ったり、良夜が謝ったり。
 籐かごに入れられたサンドイッチはとっくに崩れているかも知れないが、この辺は目をつぶるのが習わしになっているのであまり気にはしない。
 そんな風に人混みを縫って歩いているうちに、二人はようやく人でごった返す駐車場を抜ける事ができた。
「はあ……何でこんなに人が多いんだ?」
「ほんと、人波に酔いそうだわ」
 とか何とか言っているが、アルトは早々に良夜の頭の上へと逃げ出し、人波に揉まれることもなかった。それどころか、いつの間にかほとんどのたこ焼きからタコをほじりだし、ストローに焼き鳥の如くいくつも突き刺してる始末。それをバクバク食っている妖精にそう言うことを言われる筋合いはない。
 しかし、良夜も人混みの中から抜け出せ、気が抜けてしまっていたことは否めない。だから――
 ドン!
「あっ!」
 脇目もふらずに掛けてきた人物に背後から体当たりを喰らわされ、そのまま大きくたたらを踏んでしまった。
「!!」
 籐かごを手放さなかった自分を、良夜は褒めてやりたい……中を見る気には絶対になれないし、たこ焼き(多分皮だけ)は落下して食える状態にないけど。
「ぶつかった相手じゃなく、最初に荷物を確かめるあたりがモテナイ男の面目躍如ね」
 空に逃げ出し良夜を見下ろしているアルトに言われ、良夜はえっ? と視線をぶつかった相手へと向けた。
 尻餅をついて痛そうにしている女子大生、その姿はどこのコスプレ会場から逃げ出したのか、と言うようなお姫様の姿、ロングドレスの裾からはみ出ている生足が健康そうでまぶしい。
「こう言うとき、手の一つでも出すのが正しいのよ……と、第三者と話をしているうちに相手は立ってしまうのよね。これでフラグは立たなかったの……ああ、こうやって良夜は各種出会いを無駄に浪費してきたのね……哀れな男」
 大仰なそぶりで同情の演技を繰り広げるアルトに、チッと小さくしたうちすると、良夜はあらめてぶつかった女子大生の顔を見た。
 大時代な白いドレスをピチッと着こなし、フワッとしたショールを首に巻いた長身の女性。ノースリーブなのに首にはショールというのは少し引っかかるが、スタイルも貴美に負けず劣らずと言っても良いレベルだ。はっきり言って美人、長身と落ち着いた雰囲気とで、品の良いお姉さんと言う感じに見えた。
「……(ぺこぺこぺこ)」
 美人のお姉さんにぺこぺこと何度も頭を下げられている男というものは、問答無用でこう見えるものだ。
「悪党」
 きっぱりと言いきる妖精に、新たな殺意を覚え、良夜は『お前にだけは言われたくない』と心の声で叫んだ。
「大丈夫……です……か? っていねーし」
「あっち、良夜が私にガンくれてる最中に走っていったわよ」
 あっちとアルトが指差したのは、良夜達が向かうべき体育館の方向。よく見れば、先ほどの女性がロングドレスとは思えない速度で走っていた。
「演劇部の部員じゃないのかしら?」
「よっぽど急いでるんだな……」
 良夜とていつまでもここで時間を潰している暇はない。人混みを抜けるのに少々余分の時間を費やしてしまった上に、この騒ぎ。時間は限りなく少ない。
 行くかと小さくつぶやき、彼女が駆け出した方向へ、後を追うように足を進めた。
「こう言うとき、もう一度会えば、フラグが立つのよね」
「お前さ、俺の人生を妙なゲームに例えるの、止めてくれないか?」
「でも、そう言うの、少し運命っぽくて憧れるものじゃなくて?」
「……かもな」
 前髪にぶら下がるアルトを手で払いのけ、良夜はぶっきらぼうに答えた。確かに、そう言うベタな出会いがあったら楽しそうだが、そんなことを考えるのは妄想入ったヤバめオタクのようなので、頭の中から追い出す。あり得るはずがないのだから。
 しかし……と言うべきなのだろうか? 良夜は良夜の予想に反し彼女と再会した。
 演劇部男子控え室で。
「俺の人生、こんなんばっかりか……」
 やっぱり、枝振りの良い松の木を捜そう。そして――
「ロリが年上に憧れるからこうなるのよね」
 やっぱり、この妖精を吊そう、隙を見て。

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