THE・お祭り(7)
 昼飯抜きだった初日も無事終わり、明けて二日目。この日、良夜は昨日よりも少しだけ早く家を出た。貴美が直樹といっしょに例のコントテストに出るため、午前中のアルバイトを休みにしているからだ。その分、今日の仕事は多めになるかも知れない。また、忙しいのかなと思うと、胃のあたりがきゅーっと痛くなる。
 今日の服装も、一部で『馬子にも衣装』とか『ダンディズムが足りない』とか言われている喫茶アルトの制服だ。
「良いんですよ。また、手伝って貰うかも知れませんし、駄目でしたら、長さを直してお祖父さんに着て貰いますから」
 臨時でそれも二日しか働く予定ではないというのに、美月はわざわざ制服を一着用意していた。ワイシャツは昨日の夜、新しく渡されたものだ。クリーニングから上がってきたばかりのワイシャツはノリが効いていて、あまり着慣れていない良夜には少し窮屈に感じる。
 秋晴れ、絶好の祭日和を思わせる空の下、ピチッと蝶ネクタイに拘束された首元を気にしながら、部屋の鍵をかける。そして、手の中でキーホルダーのリングに指を引っかけクルッと一回転させると、そのままの流れでポケットにねじ込む。慣れた一連の行動も着ている服が違うと、俺ってちょっとイケてる? と言う気になってくる単細胞。
「全然イケてないから、心配せんで良いよ」
 良夜が声に吊られ振り向くと、そこには巨大な白い固まりがあった。
 ぱん!
 それが良夜の目の前で破裂し、ようやくそれが声の主の膨らませたガムだと良夜は気がついた。
「って……吉田さん、びっくりさせんなよ」
「りょーやんが自分に酔ってそうな気がしたから、釘を刺して見たんよ」
 破裂したガムを噛みながら左手を挙げる。そこにはちょっとした紙袋、中から昨日直樹が着ていたワンピースとウィッグが顔を出していた。彼女の顔も祭日和の好天に恵まれていた……わけだが――
「おはようございますぅ……」
 問題はこっちだ。
 貴美にひかれた手は力なく垂れ下がり、猫背気味の姿勢が普段よりも彼の体を小柄に演出する。うつむき加減の顔には冬の日本海もかくやと言うような分厚い雲が立ちこめていた。
 直樹は良夜の顔も見ずに挨拶をすると、自分が出て来たドアへと向き直りのろのろとした仕草で鍵を閉め、貴美に手をひかれて歩き始めた。一つ一つの行動が緩慢で、やる気とか覇気と言った類の物が一切見えてこない。
「暗いな……そんなにあれが嫌?」
「嫌に決まってるじゃないですか……」
 良夜の問いに答える声も小さく、これに比べれば蚊の鳴き声など絶叫に等しい。もちろん、言葉の端々にため息を付け加えることも忘れられることはない。
「いい加減なれればいいんよ、毎年のことなんだから」
「高校といっしょに女装も卒業できたと思ったのに……」
 卒業どころか、来年も二四研でレースガールをやらされることが半ば決定していた。
 昨日、貴美は直樹と約束したとおり、二研、四研、両部長と話をした。直樹に二日目はレースガールをさせないという方向で、だ。
 しかし、これが意外と難航する交渉だった。二研の方は部長が男性と言うこともあって意外とあっさり片付いたのだが、四研の部長は女性で、直樹のレースガールを結構楽しんでいた。その上、撮影会の収入も馬鹿に出来ないとあって、ただでは引き下がらない雰囲気があった。
 そこで、貴美は一つの条件を提示した。
「来年もレースガールさせるから」
 これを四研の部長は飲んだのだが、直樹には事後承諾。簡単に直樹もそれを受け入れはしなかったが、明日もやるか、来年もやるか? この究極の選択に「明日やっても、多分、来年もやらされる」という条件が附加された。だったら、明日やらされない方が得だ、と直樹はそれを受け入れざるを得なかった。
 それに直樹は毎年女装をさせられるという状況を甘んじて受け入れるつもりはない。
「来年までには体を鍛えます!」
 似合うから女装させられるのだ、来年までに似合わない風体になればいい。良夜に一通りの話をした後、直樹はその決意も新たに、顔を上げ、自分の手を握る恋人の手をぐっと強く握りかえした。
 貴美もその手を同じように握りしめる。自然と二人の視線が交わり、二人はにっこりと微笑み会う。美しい恋人達の構図。しかし、すぐに二人の腕がぶるぶると痙攣し始めた。
「……おい」
 二人の耳に良夜の突っ込みも届きはしない。ただ、お互いにお互いの手を力一杯握りしめ続けるだけ。
「僕は来年こそ、立派な男になるんです!」
「去年の夏休みに立派な男と女になったじゃん? いっしょに」
「それじゃありません!」
 額から脂汗をにじみ出させる直樹と、余裕のある表情を作ってはいるもののガムを力一杯噛みしめている貴美。実力伯仲の良い勝負、お互いに一歩も引きはしない。
 見物客が良夜一人というのがチョイと物足りない白熱の大一番。その勝負は直樹の敗北で幕を閉じた。
「いたたたたっ!!! 爪は反則!!」
「ふっ……ふぅ〜〜はぁ……良し、勝利!」
 伸ばした爪を直樹の手の甲に突き刺すという反則技で貴美の勝利、はっきり言って汚い勝利だ。だと言うのに、貴美は勝ち誇った顔と力こぶを作るような真似をして、存分にその勝利を味わった。
「おめでとう、吉田さん、はい、握手」
「まだまだ、なおには負けんよ?」
 喜色満面の貴美は、良夜が右手を差し出すとそれを疑うこともなく握りしめた。そして、貴美の握った手のひらに問答無用の力が一気に加えられる。
「いたたたたっ!!!」
「……吉田さん、力弱いじゃん……」
 貴美の決して力強いとは言えない手を握りしめながら、良夜は『これと良い勝負って言うんじゃ、話にならないな』と直樹の固い決意がかなわないことを予感した。

「おはようござーます」
 いつもしこたまやられている貴美にちょっとした仕返しが出来た良夜は、上機嫌をそのままに喫茶アルトのドアベルを鳴らした。いつものようにコーヒーの香りに満ちた喫茶アルトでは、笑顔の美月が出迎えて……出迎えてくれない。代わりに与えられるのは、汚物を見る視線。
「あれ……みづきさん?」
 良夜が一歩近付くと、美月は顔を引きつらせて一歩下がる。
 良夜に美月から避けられるような覚えは全くない……と、思う。多分……おそらく……もしかて、この間友人から借りたマニアなビデオのこととか……? いや、あれがばれてるはずは……
 ただでさえ女慣れしていない男が女友達からこの様な仕打ちを受けたのだ、おつむの中はあっという間に大パニック。良夜はキョロキョロと周りを見渡し、助け船を捜した。
「先ほど、誰かと電話をしていたかと思いましたら、急に顔色が悪くなって……」
 その電話が終わったのは良夜がやってくるほんの数十秒前、和明も美月に詳しいことは聞いていない。だから、彼にも詳しいことは判らず、少し心配そうな顔をして首を左右に振るだけだった。
 その時だった。とんと良夜の肩に小さな振動が響いた。
「電話の相手は貴美よ、どうせ妙な悪戯――」
 もはやそれ以上の言葉は必要なかった。良夜はそこまで聞くと、ポケットの中にねじ込んであった携帯を掴みだし、貴美の携帯に速攻で電話を掛けた。
「――でも思いついた……人の話は最後まで聞きなさい!!!」
 耳をキーンとさせるアルトの怒鳴り声、それよりも大きな声で良夜は握りしめた電話に向かって怒鳴りつけた。
「吉田! 美月さんに何吹き込んだ!?」
『あっ、りょーやん? げんきぃ? 私は元気だよ……――一泡吹かせたと思ったか?』
 前半は軽く、そして後半に付け加えられたドスの利いた声。それを聞きながら、はい、思ってました……と、良夜は携帯を握りしめながら、さめざめと泣いた。
『反省したんなら、美月さんに代わり』
 この後、貴美が美月にネタばらしをし、良夜の名誉はどうにか守られることになった。なお、この時、貴美が美月に吹き込んだ嘘、それは美月も貴美も語りはしなかったという……
「わっ私の口から言うのはちょっと……」
「これは使える……と」
 後に良夜が問い詰めたところ、美月と貴美はこう答えた。
 と、まあ、軽い小ネタを挟んで喫茶アルトの学祭二日目が始まった。
 二日目の良夜の仕事は初日ほどには忙しくなかった。電話の応対が美月から和明に代わったからだ。
 美月は電話を受けると何でもかんでも速攻で「はい、今すぐ!」と嬉しそうに答えるだけだった。だから、良夜は一杯分のコーヒーを持って配達しなければならなかったり、帰ってきたときにはすでに次の配達が待っていたりした。
 しかし、それに引き替え、和明はその辺の効率をちゃんと考え、急ぎでない配達は後回しに、外注を受けているところへの配達は先回りしてと良夜が大学に赴かなければならない回数を随分と減らしていてくれた。
「年の功ですよ」
 そう言う和明に、良夜は頭が下がる思いをし、美月は自分の修行不足を痛感していた。
 おかげで貴美が居ないフロアも手伝うことが出来たし……
「良夜さんにこれを頼むことが出来ますね」
 客が途切れたタイミングを見計らい、美月は良夜をキッチンへと呼び出した。そして、そこで彼女が良夜に手渡したのは、ハンディビデオだった。彼女のお願いとはただ一つ。
「直樹くんのですね、艶姿を、余すところ無く全て納めてきて下さい!」
 出来る事ならば自分自身で行きたい、生で見てみたい。むしろ、着付けやお化粧もしたいところだ。しかし、貴美が居ない今、自分までもが抜けるわけにはいかない。だから、不本意ではあるが良夜にお任せする。と、美月は切々と語り始めた。
「美月さんまでそう言う趣味があったんですか……」
 押し付けられたカメラを手の中で少し弄りながら、良夜は呆れたような声を上げた。よく見ると、スイッチもまだ硬く、液晶には保護用のフィルムが張ったまま。おそらくこれも美月が何かのノリで買って、部屋に飾っていた物だろう。
「直樹くんは可愛いですからねぇ……」
 ウットリとした表情で美月はあらぬ方向へと視線を向けた。その横顔は夢見る乙女のようでもある。
「美月は可愛ければなんでも好きなのよ。だから、妖精が一番好きなの」
 何気に『自分は可愛い』と主張する妖精は無視して、良夜は「でも……」と言葉を濁した。今朝の様子から考えれば、直樹は絶対に嫌がるだろう。断ってやるのが優しさか……と、良夜はなんと言って断ろうかと思案し始めた。
 そんな良夜の心を知ってか知らずか、美月はきっぱりと言い放った。
「ぎょうむめいれいですっ!」
「うわぁ、美月さん、汚い……」

「そう言うわけで断り切れなかった、すまん」
「すまん、じゃないです!」
 ツインテール偽装巨乳の直樹は、ビデオカメラを構えた良夜に前日比2.5倍の不機嫌さで詰め寄っていた。
 ここは学祭のメイン会場になっている野外ステージの舞台袖だ。もう少ししたら直樹と貴美はここからステージへと登ることになる。本来、ここは関係者以外立ち入り禁止だ。しかし、コーヒーとビデオカメラを持ってきた良夜を見て、貴美が係員と掛け合ってここまで良夜を引っ張ってきたのだ。
「まあまあ、一生の思い出じゃん?」
 朝から噛みっぱなしのガムを軽く膨らませ、貴美はふてくされた直樹の肩をポンと一つ叩いた。
「それに、今更言っても仕方ないよ。じゃぁ、なお。私、そろそろ出番だから……絶対に勝とうね!」
 チュッと軽く投げキッスをすると、貴美はたったったっとステージ中央へと掛けだしていった。今回のコンテストは、某テレビ番組と同じでまず彼女の方が先にステージに上がり、そこでちょっとしたトーク、その後に彼氏を呼ぶというスタイルだ。だから、貴美が出て行った今、直樹の出番ももうすぐと言うことになる。
 まさに『今更言っても仕方のない』状況だ。
「綺麗に撮ってやるから諦めな」
「……綺麗に撮られちゃうから嫌なんですよ……」
「なぁに、今回、一番綺麗に撮られるのはあっちだよ」
 そう言って良夜が親指だけで示した方向には、例の二条陽とそのパートナーがいた。彼のパートナーは良夜がホールの控え室前ですれ違った女性、彼を『お姉さま』と呼んだ女性だ。
「見に来てる奴らもあっちが目当てだろうしさ、どうせ、お前の事なんてあっちが出たら忘れられるよ」
「えっと……素直に喜ぶべきなのでしょうか? それ……」
「……喜んどけよって、まっ、気楽に行ってこいや。ほら、出番だ」
 良夜との軽口に直樹の不機嫌さも少しは和らいだようだった。彼は良夜にポンと腰を叩かれると「はいはい」と苦笑いを浮かべながらも、先ほどの貴美がしたかのように軽い足取りでステージの中央へと駆け寄っていった。
「良いところあるじゃない?」
 そのやりとりを聞いていたアルトがとんと頭の上から肩へと飛び降り、良夜の髪をクルクルと腕に巻き付けた。
「何が?」
「最終オッズ……直樹とあの陽って人、ほとんど変わらないって言ってたの、良夜でしょ?」
 昨日の二四研サーキットでの営業だ。あれの所為でオッズは大きく変動した。それに、昨日見損ねた連中が観客席に集まり、直樹も立派な今回の目玉に成長していた。
「でも、二番は二番だよ、嘘は言ってない」
 アルトと話をしながら、元気よく駆け寄る直樹の姿にズームを寄せる。
「ここで『注目浴びてるぞ』なんて言ったら――」
 びった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!
 それは直樹が貴美の前を通り過ぎようとした瞬間だった。盛大にすっころび、直樹は磨かれたステージの上を力一杯滑った。しかも、スカートは思いっきり捲れ上がり、白い足だのサポーターになっている大きめの白い下着だのが全て、まさしく余すところ無く丸見えだ。
 直樹は慌てて座り込み、スカートを直そうとするのだがこれが何故か戻らない。それが直樹を余計に慌てさせ、慌てると更に戻らなくなるの悪循環に突入していた。
「……注目、浴びちゃったわね」
「……野郎……やりやがった……」
 かわいそ、と呟くアルトを横目に良夜は呆れかえった声で小さく呟いた。
「どうしたの?」
 アルトの液晶画面を見せながら、良夜はデジタルの目が捕らえた決定的瞬間へと巻き戻した。
 直樹の右足が貴美の前を通過する。そこに貴美の右足が滑り込み左足を引っかける。たたらを踏む直樹のお尻をパンと一叩き。そこにはいつの間にやら握り込まれていたガム、それを使ってスカートの裾をお尻に貼り付けて完成。哀れ直樹はお尻丸出しでステージの上をスライディング。美月の希望通り、直樹の艶姿は全て良夜の手に持つカメラに全て余すところなく納められていた。
「勝つためにここまでやるか……」
「……恐ろしい子ね、貴美って……」
 ステージと客席はやんややんやの大騒ぎ。もはや、この後、誰が出てこようが相手が女装男では相手にされることもないだろう。
 こうして、直樹は最終一番人気が出てくる前に優勝をほぼ確定させた。
 
 そして、その夜。
「ごめぇ〜〜〜ん! なお、やりすぎたって思ってる! 家に入れてぇぇぇぇぇ」
 初秋の夜空の下、部屋から追い出された貴美が懇願し続ける声が、一晩中鳴りやむことはなかった。

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