四人で飲もう(4)
「酒飲んだ翌日、頭が痛いと二日酔いって言うよな」
「言いますね……」
日付変更線は少し前に越えた、もう今は土曜日。
「じゃぁ、飲んでる最中から頭ガンガンするのはなんて言う?」
「飲み過ぎですね」
酒量の限界も少し前に超えた、もう二日酔いは確定。
「ひねりねえなぁ……」
「ないですね……」
男同士の馬鹿な会話。二人の手にはなみなみと金色の液体が注がれたグラス。
「所で、あそこで豪快に一気飲みしてんのはお前の彼女だな?」
「……良夜君の隣人とも言いますよ?」
「……誰がアレの始末するんだ?」
その視線の先には、豪快に缶から一気飲みをかます妙齢のご婦人が一人。彼女と視線があった。
「飲んどるかね!? 君らっ!!」
ズボンとは言え、十八の女が立て膝ついてる姿、と言うのは余り見栄えの良い物ではない。どうせなら、スカートでやればいいのにと良夜は思った。
「私は飲んでるわっ!!」
そのすぐ下、テーブルの上では妖精さんが同じく胡座をかいて小さなプラスティック製の杯を振り上げている。色っぽく入ってた頬の朱は、それを通り過ごし赤くなり、アルトトーンの艶がある声は小うるさいキャンキャン声に……さっきまでちょっと色っぽいな、と思った気持ちを返して欲しい。
「良夜君……缶が独りでに斜めになってるような気がするんですけど……」
「……そりゃ、お前が斜めになってんだ」
もちろん、それはアルトが自分で缶を斜めにして酒を飲んでいるからだ。飲んでいるのは良いが、ドボドボと彼女の極限までまっ平らな胸元を飾るブラを黄色く汚している……って、アルトはいつの間にドレスを脱いで下着姿になったのだろうか? いくら記憶をたぐっても思い出せない。よく見れば、ストローと一緒にテーブルの隅で丁寧に畳まれている。
「……あぁ、なるほど……そうなんですね」
良夜のいい加減な説明に納得する直樹、ヤツも十分すぎるほどに出来上がっている。
「あぁ……そうだ」
もちろん、数度の一気飲みで頭の中で百人の小人がラインダンスを踊るほどに良夜も出来上がっている。
「……寝て良いですか?」
「寝るんなら、アレ、何とかしてから寝ろよ」
アレとはもちろん、真っ赤な顔して気持ちよく発泡酒をラッパ飲みしている妙齢のご婦人のことだ。と言う事は、下着姿で酒盛りをしているアッチの方は良夜自身がなんとかすべきなのだろうか? と、祝福の鐘鳴り響く頭の片隅で良夜は考えた。
「……寝て良いですか?」
出来るだけその女性を見ないふりして、もう一度、直樹は良夜に聞いた。
「……逃げんな……」
良夜もそちら――主にアルト――を見ないように直樹に小さく答えた。
二人の間に嫌な沈黙が流れた……が、バックでは貴美とアルトが騒ぎ放題騒いでいる。全然、沈黙じゃない。直樹にはアルトの声が聞こえてないんだなと思うと、良夜は直樹に対して理不尽な怒りを感じずには居られない。
「逃がしてください!!」
泣きそうな顔で良夜の胸をつかむ直樹、彼の瞳には涙が浮かんでいる。泣きたいのは良夜だって同じ。
「俺だって逃げてぇよ!!」
大声を出し合うと、頭の中の鐘とお互いの声が絶妙のハーモニーをかもし出して……
「……怒鳴ると、頭に響きますね」
「……大声過ぎて酸欠なりかけたし……」
ズキンズキンと痛む頭を抱え会うのであった。
「とりあえず……飲みますか?」
「そうだな……飲まなきゃやってられないな……」
「……明日の二日酔いに乾杯」
直樹がグラスを掲げた。
「……すでに今日だ、乾杯」
良夜が訂正を加え、そのグラスに自分のグラスを軽くぶつける。チンっと澄んだ音が脳みその一番敏感な部分に刺さり、狂乱の宴本編がついに幕を開けた。
「おっ、りょーやんとなお、ついに男にょ子同士の愛に目覚めたか? そりゃめでたいねぇ〜飲め」
「飲んでますから、つがないでくださいよ……」
「飲んでんならもっと飲みなよ」
貴美は直樹の小さな体を背後から抱きしめ、酒臭い吐息を愛らしい恋人の鼻先へと吹きかけた。大きな胸が直樹の小さな背中に押し付けられているようだが、押し付けられている当人にちっとも嬉しそうな様子はない。むしろ、貴美の全身からかもし出されるアルコールの香に深酒を加速させられているようで少々顔色が悪い。
等と言うことを、良夜が見物している暇はない。彼の目の前には下着姿の妖精さんが体を斜めにさせてヘロヘロと空中浮遊をしている。奇妙な軌跡を描く彼女の体、それを見ているだけで目が回りそうだ。ついでに彼女の体も貴美に負けず酒臭い。これなら普段のシャボネットとコーヒーの香の方がずっとマシだろう。少なくとも、そっちの香で人は酔わない。
「嘘……良夜、本当にホモに目覚めちゃったの?」
「目覚めとらんって……」
アルトは心配そうな顔と涙を浮かべた瞳で良夜の顔を覗き込む。その言葉を小さく否定し、良夜はもう一度グラスに口を付けた。別にタカミーズに気を使って小さな声を出したわけではない。大きな声を出す元気すらないだけだ。
「良かった、飲みなさい。お酌はセルフよ?」
答えた良夜の言葉に、アルトはニコッと微笑みアルコール臭い息を良夜の鼻先に吹きかけた。
アルトと貴美は何故か息が異様にあった。貴美からアルトは見えず、声も聞こえないはずなのに、良夜から見ていると一杯飲み屋でクダ巻いてるタチの悪い女子大生コンビ。片方は大学生と呼ぶにはあまりにもアレなスタイルではあるが……
「大体、どうして、良夜は直樹の傍にいて、二人で乾杯しているのかしら? 貴方にしか見えないのだから、良夜が私の世話をすべきなのよ!!」
「やっぱり、りょーやんとなおの間には性別を超えた愛が存在するんよ! 私は最愛の恋人を男の隣人に取られるんよ!!」
「うそっ、直樹、見損なったわ!! わかれるにしたって、男……それも良夜と貴美を比べて良夜を取るなんて、最低だわ!!」
貴美がよよとテーブルの上に崩れ落ち、顔を怒りなんだかアルコールのせいなのかは知らないが、顔を真っ赤にしたアルトが、その前で仁王立ちになって直樹の顔にびしっと人差し指を向ける。完璧なコンビネーションだ。まさか妖精さんに罵倒されているとは知らない直樹は、崩れ落ちた貴美の栗色の髪を見つめながら、グラスを空け、大きなため息を一つ落とした。
「りょーやん、なおを返せ〜〜〜〜」
「良夜の変態! 直樹を貴美に返してあげなさい!!」
あぁ、こっちにもおはちが回ってきたかと、当然と言えば当然のことを考え、良夜も自分のグラスを空けて大きなため息をついた。もはや、良夜がアルトに掛ける言葉などどこにもなかった。この酔っぱらい二人の理不尽な小芝居を見つめているしかない。
「と、言うのはもちろん、冗談」
「ええ、もちろん、冗談。良夜はホモじゃなくて、ロリだもの」
貴美がいつもの五割増しでへらへらとした笑い顔をテーブルから上げてみせると同時に、アルトもぴしっと直樹と良夜を差していた指を下ろした。そして、貴美は手に握った缶から一気に発泡酒を煽り、アルトはテーブルの上に置かれた缶を器用に斜めにして自分の口の中に直接流し込む。そして、同時に『ぷっはぁぁぁ』と大きなため息を落とす。良夜の目から見た二人の様子はあり得ないほどに自然だ。
「私はね、私はね、なおが好きだ〜〜〜〜〜〜〜」
「私は別にりょーやのことが好きじゃないわ」
空になった缶をゴミ袋に放り込む貴美と、空になった缶を小さな脚で蹴っ飛ばしてテーブルの下へと落とすアルト。貴美は新しい缶のプルトップを開き、アルトは良夜が残していた缶へと抱きつくように取り付いた。
「りょーやんは男の世界で生きるべきなんよ! でも、なおは取っちゃやーーー」
「りょーやはロリなのよ! ホモじゃないわ!!!」
貴美は何度も『りょーやんは男同士!』と言い、そのたびにアルトは『良夜はロリ』とその言葉を訂正している。貴美にその気は全くないだろうが、良夜から見るとちゃんと口論しているように見える。このコンビネーションの良さはなんだろう?
「俺はホモでもロリでもねえって……」
良夜と直樹は、貴美の相手をしないで居ようと決めていた。何を言われてもほっとけば、貴美は勝手に飲んで満足するか、良夜と直樹が潰れれば勝手に寝る。少々恥ずかしかったり、うっとうしかったりするだけだ。我慢しよう……と二人は思っていたのに、良夜が我慢しきれなかった。直樹は貴美一人分だが、良夜にはその上にアルトの分が付いてくる。
「だから、それは禁句なんですってば……」
直樹は、良夜が貴美への禁句を呟いたことに眉をしかめ、良夜も直樹が眉をしかめるのを見て、しまったと思った。そして、二人一緒に手に持ったグラスを空ける。飲まなきゃ、これから流れる貴美の布教に堪えきれない。
が、貴美はそこには食いつかなかった。
「りょーやん、ボーイズは美しいだけだけど、ロリは犯罪なんよ!!! ロリはダメ!!」
ガン! 手に持った缶がまたテーブルに叩きつけられた。今度はアルトもちゃんと貴美が缶を振り下ろしそうなところには居ない。少し離れたところで『ロリは犯罪』という貴美の言葉に大きくうなずいていた。
「あっ、そっちに食いつきやがった……」
そっちに食いついて貰って良かったのかどうだか……
「よし、こーなったら、この吉田さんがりょーやんに女を紹介してやろう!」
どん! と大きな胸を大きく叩く。叩いたら揺れた。
「えっ、マジ?」
貴美の言葉に良夜の酔いが一瞬覚めた。気にしてないような振りをして、こいつも意外と気にしている。
「美人だよ〜〜〜私には負けっけどね!!」
「きっと、私にも負けてるわね」
「どっどんなの?」
浴びるほど飲んだアルコールも一瞬で抜けたとばかりに、居住いを正し真剣な顔で、近付くことのなかった貴美のそばへと近付いた。ちなみに直樹は、貴美が布教を始める代わりに、良夜をイジリ始めたことに軽く安堵の吐息を漏らしていたのだが、良夜がそれに気付く余裕はなかった。
「んっと、一年……日文だったかな……背と胸は私より小さいけど、ウェストも私より細いから、スタイルは良いよ。顔は化粧っ毛がないのが玉にきずだけど、なんと眼鏡っ娘!」
「うんうん、良い……吉田さん! 良い!!」
良夜はおっぱい星人ではなかった。この際、アルトよりもあればいい。都合が良ければ、明日にでも紹介して欲しかった。日付が変わった深夜である今すぐでも良い、と思ってる辺り、かなりの出来上がり具合が見て取れる。
「でね、でね、この間、処女捧げた相手に振られたばっかりなんよ〜〜傷心中だから、すぐに落ちるよ!!」
「そっ……そうなのか? すぐ、すぐ落ちるのか?」
すぐに落ちる……なんか、卑怯っぽい話だが、この際、背に腹は代えられないってヤツだ。いや、傷心の文学少女を慰めるのは俺しかいねえ!! 良夜はそう思うことにした。本当に小さな男である。
「うん、じゃぁ、紹介したげる! で……一つ聞きたいんだけど、りょーやん、お尻感じる?」
「……はぁ?」
アルコールも一瞬で抜けたが、期待が抜けるのも早かった。アルコール以外の理由で赤くなっていた良夜の顔は、一瞬で再び素に戻った。
「漫研の子なんだけどね〜〜〜男の子はみんなお尻が感じる物だと思っててさ〜〜〜いきなり、お尻に指突っ込んで、初体験の相手、痔にしたんよ〜〜〜〜〜そりゃ、振られるって〜〜しかも、懲りてないしさぁ〜『次の恋人はちゃんと調教する!!』ってさ。で、お尻感じる? 感じるんなら、今すぐ呼んだげるよ? 多分、まだ、同人誌書いてるだろうし。もち、ボーイズ」
げらげらとダイナミックに笑ながら、貴美は再び発泡酒、いや、今度は雑穀酒かな、まあ、その辺の酒を一気に飲み干した。
「……勘弁してくれ……」
もちろん、良夜にそんな趣味はなかった。試したことはないが、お尻も感じないと思う。感じたくもない。さようなら、見知らぬ文学少女……貴女のことは二度と思い出しません。
「吉田さんだって、初体験のと――」
直樹の言葉を、貴美が投げた缶が途中で止めた。顔面に潜り込んでいく三百五十の缶、ベコっと言う気持ちよい音は缶が潰れた音なのか、直樹の何かが潰れた音なのか、それは良夜にはわからない。
「よっ吉田さん……これ、中身、まだ入ってる……それもほとんど、全部……」
直樹は鼻血を吹き出させながらもがいているが、口調にはまだ余裕がある。意外と丈夫に出来ているらしい。
「良夜! 恋人を作るためには痔がどうしたって言うのよ!! だから、貴方はいつまで経ってもドーテイなのよ!!!」
「ドーテイだのホモだのロリだの、言うんじゃねえよ!!!」
今度は良夜がテーブルの上へとグラスを叩きつけた。見知らぬ文学少女がヤオイ腐女子さんだったことは、良夜に我慢の限界を軽く超えさせたのだ。本当に小さな男である。
「良夜君、童貞とは誰も言ってないですよ……」
直樹が小さな声で呟いた。しかし、童貞という言葉は直樹に聞こえてないだけで、良夜の耳には妖精さんに何度も童貞と言われ続けている。
「うるせえ!! なんで、直樹が初体験やってて、俺はまだなんだよ!! クソッ!! 酒!!!」
「うわぁ、ついに本音が出たわね……なんて小さな男なのかしら……飲みかけだけど、これ、飲む?」
あきれ顔のアルトに差し出された酒を分捕り、それを缶のままで一気にあおる。もう、味なんて感じない。何故酒を飲むのか、と聞かれ得れば、そこに酒があるから、としか答えられない。
「へぇ、りょーやん、ドーテイなんだ? ……ぷっ」
「あっ、いや……あの、まだ、未成年ですし……童貞でも悪くないと思うんですが……」
貴美があざ笑い、直樹がフォローする。しかし、直樹に慰めたところで全く嬉しくない。
「大体、俺にだって、幼なじみの一人や二人居ればだな、恋人も出来てたんだよ!!」
「それはないわね」
良夜の言葉にアルトが小さな声ではあるが、的確な突っ込みを入れた。酔ってる癖に、こういうところだけは的確かつ冷静な妖精さん。
「童貞はともかく、でも、りょーやん、処女は早めに捨てた方が良いよ? 処女捨てたら、さっきの彼女紹介してあげるから」
飲み干した缶を貴美に向かって投げると、貴美は酔っぱらいとは思えない華麗な手つきでそれを受け取り、流れるようにゴミ袋へと放り込んだ。そして、新品の缶を投げる。もろに良夜の胸にヒットしたそれは良夜をケホケホとむせかえらせた。
「……良夜君まで壊れた……」
今宵の宴会が無事終わらぬ事を覚悟にしたかのように、直樹も新しい缶を一息に飲み干した。もはや、彼が助かる術はさっさと潰れてこの戦線から離脱する事だけだ。
アルトは、フラフラとテーブルの上を歩きプルトップの開いた缶を捜すが、それは全て空か、誰かの手に握られている物しかない。
飲むことをしばしの間諦めることにしたアルトは、ペタンとテーブルの上に腰を下ろしガーターベルトのストッキング留めを外してストッキングをするすると脱ぎ始めた。
「良夜のことだから、どーせ、グジグジ悩んだ挙げ句に気がついたら他の男にかっさらわれて、一人泣くのがオチよね」
「うるせえ!!見てきたようなことを言ってんじゃねえ!! そのとーりだよ!!!」
ストッキングを脱ぐアルト、それは客観的に見て色っぽい物だった。しかし、良夜にそれを感じる余裕はやっぱりなかった。アルトに言われたことが図星だったからだ。
「……良夜君が弄られてる間は平和だよね……」
ゆっくりと良夜と貴美が囲むテーブルから直樹は逃げ出した。このまま良夜が貴美に潰されれば、直樹自身の傷は小さくて済む、そう思って居るであろう事は誰の目にも明らかだった。
「何々、りょーやん、その通りってどったの?」
「だからな、吉田、俺だって、中坊の頃には好きな女が居たんだよ……でもな、気がついたらツレと付き合ってたんだよ、くっそぉぉぉぉ!!!」
もう、彼に理性は残っていなかった。流れ込む酒に押し出され、自信の恥ずかしい過去があふれ出た。
「うっわぁ、痛い、痛いなぁぁぁ、なおの『高見君、女の子じゃん?』よりひどい!!」
「うわぁぁぁ、吉田さん、ついにその話を言っちゃった!!!」
逃げ出した直樹に思わぬ方向から攻撃が加えられた。その衝撃は彼の手からグラスを落とさせるほどのもの……
「ぷははははは、女だ、女!!」
「あははは、うんうん、直樹、可愛い! 女の子だわ!!」
「えぐっ……あぁ……吉田さん……その話だけは……その話だけはしないでくださいって……」
良夜に指を指されて笑われた直樹は、ついに涙を浮かべて貴美に土下座をしはじめた。ついでにアルトも指を指して笑っている。
「よし、なお、りょーやん、こういうときは飲むしかないよ!はい、これ」
琥珀色の液体が入ったグラスが良夜と直樹の手に握らされた。
「……お前……今日、はじめて見る酒だぞ」
「……吉田さん……そのテキーラって書いた瓶、なんですか?」
「ちっ……」
誰、憚ることなく舌打ちをかます貴美、手にはテキーラの瓶が強く握られている。それをどこから出したのかは永遠の謎だ。
「こんなもんイッキしたら死んでまうだろうが! ドアホウ!!」
「吉田さんが飲んでください!!」
その貴美の頭の上に良夜と直樹の握ったグラスが傾けられた。
「……いくら何でも終わりよね? この飲み会……」
下着姿の妖精さんが狂乱の飲み会の終了を、眠たそうな声で宣言した。