四人でも飲もう(3)
「良夜、お代わり」
良夜の一気飲みで幕が切られた飲み会、それもそろそろ一時間が経過しようとしていた。
「ン……」
アルトの要求に小さく返事をすると、アルトがグラスの上に差し出したペットボトルの蓋へと酒を注ぐ。こうすれば、タカミーズからは、良夜が自分のグラスに酒を注いでいるようにしか見えないはず。
「良夜君、今日、ペースが速くないですか?」
一時間を食事メインで過ごしたタカミーズは未だに余り酔っては居ない。これからが本番、と言ったところだ。しかし、一時間を酒メインで過ごした良夜はちょっと良い感じに出来上がっている。
そんなに急なピッチで飲んでいるつもりのない良夜は、未だほとんどシラフと言った直樹の顔を見下ろし、小さく「そうかな?」とだけ答えた。
「りょーやん、お酒弱いもんね……もっかい、イッキいっとく?」
「弱いって判ってんなら、イッキを強要するなよな……しかも、注いでるし」
ぼんやりとした視線で直樹と話していた良夜のグラスに、再び貴美が酒を注いだ。今回はちゃんと胸元を押さえている。
「受ける良夜も良夜よ……お代わり」
まるで見えない椅子にでも座っているかのように、フヨフヨと宙を飛びながら発泡酒を飲み干したアルトは、良夜の都合も考えず、空になった蓋を差し出した。
良夜のグラスに発泡酒を注ぎ終え、残った分を自分のグラスに注いだ貴美から、空中浮遊をしているアルトへと良夜は視線を動かした。そして、ぼんやりとしはじめた頭で考える。手に持ったグラスにはすでに酒がなみなみと注がれている。アルトに酒を注ぐためには減らさなくてはならない……と。
良夜の出来上がり具合はなかなかの物だ。良夜は半ば無意識のうちに、グビグビとグラスに注がれた発泡酒を飲み干し、グラスを空けた。
「ン……」
空けたグラスをテーブルに置くと、小さく呟いてアルトに自分の杯を持ってくるように促した。そして、それに酒を注ぐ。もちろん、自分のグラスにも……
「俺が弱いって言うより……吉田さんが強いンだろ……」
自分で注いだグラスを、またも無意識のうちに口元へと運ぶ。
「家系的に強いんよ、パパもママも強いから」
強いの言葉通り、食事を終わらせた貴美の酒量は、一足先に飲み始めている良夜の酒量を猛追している。この調子ならば、良夜の酒量が貴美のそれに追い越されるのも時間の問題だ。
「それに、高校生の頃から飲んでるんですよ、この人」
ブルスケッタをかじりながら発泡酒を舐めていた直樹が、諦めたような口調で呟いた。
「正確には、高校入学直前だよ。合格祝いで一杯だけ飲んだら、これが美味しくて」
タカミーズの高校合格が発表された夜、高見家と吉田家は合同でちょっとしたお祝いを行った。その時、貴美は四人の両親が飲んでいたビールをせがんだ。両親達も合格したんだからと与えてみた所、彼女はその味をいたく気に入った。そして、翌日から両親が晩酌しているのを見付けるたびに、少しだけとせびり始めた、と言う事らしい。
「……お前、それ犯罪だぞ」
「りょーやん、知ってる? 犯罪は立件されなきゃ犯罪ちゃーうんよ?」
『『『なんて、無茶な人間なんだ……』』』
平然と言い切る貴美に、良夜達三人は唖然とするしかなかった。唖然としているが、こいつら、今現在でも犯罪者である。年齢不詳のアルトはともかく、未成年まっただ中の良夜と直樹に呆れる資格はない。
「そのうち、お前、酒で失敗するぞ……朝起きたら、知らない男が寝てるとか……」
「大丈夫、私、コンパとか行かないし、なおの居ないところで飲まないから……あっ、りょーやん、彼女居ないんなら、コンパとか行けば?」
「あぁ、コンパなぁ……一回行ったけど、なんか、肌が合わなくてさ……」
発泡酒の注がれたグラスに口を付けながら、良夜は気恥ずかしそうにそう答えた。理由はコンパに行ってはみたものの、そう言う場になれていない良夜は誰かを誘うどころか、まともな会話すらもろくにせず帰ってきてしまったからだ。何を喋って良いのかもよく解らなかった。ヘタレである。男子校出身者だから女慣れしてないんだよ、と思わず心の中で言い訳をしてみる。同級生には彼女の居るヤツが何人もいた、と言う事実には目を閉じて……
「良夜、ロリだもの。肌が合うわけないわ……お代わり」
空っぽになった杯――ペットボトルの蓋――をひっくり返して中を覗いてたアルトが、小さな声で言った。相変わらずロリ扱いしてくれるアルトを、良夜は軽く睨み付けると、またグラスを空け、そこにアルトの杯を誘った。そして、細い腕がグラスの上に差し出すプラスティックの杯へと酒を注ぐ。小さな杯からあふれ出る黄金色の液体が、自分のグラスを満たしきるまで……
「やっぱり、りょーやんは男同士の世界に生きるから、コンパなんてのにはあわないんよ」
何かにつけて、彼女は男子校出身の良夜をホモにしたがる。彼女の中では男子校出身者=ホモ、と言う公式が成り立っている。まあ、男が女子校=レズ、と考えるのと同じ様な物だ……なお、そんな妙な公式を持っているのはお前だけだ、と言う苦情は一切受け付けない。
「だから、俺はホモじゃないって……」
アルトの杯と自分のグラスに酒を注ぎ終えた良夜は、貴美の言葉に憮然とした表情で文句をつけた。しかし、アルトにはロリコン扱いされ、貴美にはホモ扱いにされて、そして、童貞なのは事実……知らない人が聞いたら、良夜は変態の総合商社だ
「あっ、良夜君、それ、禁句!」
良夜の『ホモ』という言葉に直樹が慌てた声を上げた。上げたが時はすでに遅かった。
「りょーやん! それは違う!!」
ガンッ! と缶を持った貴美の手がテーブルに叩きつけられた。彼女が缶を叩きつけたのは、アルトの左横一センチの所だ。アルトは額から一筋の冷や汗をたらし、顔色をなくしている。頭の上に叩きつけられてたら、本気で命の心配が必要だったかも知れない。
「なっ……なんだよ……」
良夜はその貴美の気迫に押され、思わず居住いを正してしまった。
「ホモとボーイズは違うんよ!!」
「……どっどこが……」
良夜の疑問に、新しい缶を開きそれを一息に煽った貴美がきっぱりと答えた。
「美しいところ!!!」
と。
『『『わっ、言い切っちゃったよ、この人』』』
「やっぱり、美しさがないとダメだよね……細っこい男にょ子がね、格好いい男にょ子に優しく教えて貰うのも良いし、ちょっぴり小悪魔的な男にょ子が素敵な男性を誘惑して……美しいよね……ボーイズ…………君ら、引きまくりだね」
ウットリとした表情で、美しさを解説していた貴美は、良夜と直樹が力一杯引いてるのを見てその顔を曇らせた。ちなみに、貴美の目から見えてないが、アルトもきっちり引いている。
「良夜……ロリは許してあげるから、ホモにはならないでね……お願いだから……」
珍しくアルトが本気で『お願い』をしていた……ってそんな事、泣きそうな顔でお願いされなくても……
「ほら、良夜君のせいで吉田さんが語り出した……」
おそらく、何度も同じ話を聞かされているのだろう、直樹は手にグラスを持ったままうんざりとした顔で肩を落としていた。
「……あぁ、スマン、それで……直樹はどうなんだ? 合コン」
貴美は未だにボーイズラブの美しさについて語っているが、良夜も直樹もあるともそんなことに興味はない。少しでも興味を引くようなそぶりをすれば、貴美の解説、いや布教がさらなる熱を帯びそうなので、極力興味のないふりをしつつ、話題を逸らさなければならない。
「僕も一度くらい行ってみたいんですよね、楽しそうですし……」
ブルスケッタをかじっていた直樹が、ぼそっと小さな声で呟いた。こういう失言をしてしまうところを見ると、どうやら彼も良い具合に出来上がり始めたらしい。
熱く男にょ子同士の愛について語っていたはずの貴美の顔が、直樹の言葉に冷たく凍り付いた。
「何しに?」
小さな声ではあるが、小さなテーブルを囲む二人の男と妖精さんの耳には十分に届く声。その声に場の空気が固化した。良夜と直樹は言うに及ばず、アルトまでもがその固体化した空気の中に一瞬巻き込まれた。
「なお、あー言うのは、恋人の居ないりょーやんみたいな寂しい男が女を探しに行く場なんよ?」
そう言った貴美の人差し指は、ビッと向かいに座る良夜の顔へと向けられている。
「大きなお世話だ」
寂しくなんかないやい、アルトもいるし……と考えたら、ちょっぴり寂しくなった。目を閉じ無言で頭を撫でるアルトの手が悔しい。
「で、なおは何しに行きたいんかな?」
笑顔で発泡酒の缶を握りつぶす貴美、その笑顔には致死量の恐怖が含まれている。
「えっと……あの……その……」
直樹は貴美の顔を凍り付いたように見つめながら、返答に窮してしまった。それはまるで蛇ににらまれてた蛙だ。
数秒の沈黙。誰もが貴美に気圧されていた。その沈黙を解いたのも貴美だった。
「ねえねえ、りょーやん、知ってる? なおってね、小学五年生の時に隣の席の女――」
「わぁぁぁぁ、ごめんなさい、ごめんなさい、もう、行きたいなんて言いませんから、その話だけは勘弁してください!!」
「……合コンなんぞに行ったら、なおの恥ずかしい過去を全てばらす。なおに恥ずかしくて生きていけなくなるようなあだ名が一ダースは出来るくらいに恥ずかしい過去を吹聴して回る」
グビグビとやけ酒のようにアルコールを煽りながら、貴美は赤い顔で直樹を睨み付けた。
「脅迫するなよな……って言うか、幼なじみなら、直樹だって吉田さんの恥ずかしい過去、いくつも知ってるだろう?」
「私の恥ずかしい過去話をすると、なおはその流れでもっと恥ずかしい過去を話すことになるんよ、幼なじみだから。例えば、高校の学園祭で私が騎士でなおがお――」
「勘弁してください!! 本当にごめんなさい!! 大好きですから、その辺の話を掘り返すのは止めてください」
直樹は土下座するような勢いで、テーブルの上に頭をこすりつけて謝った。もしかしたら、真面目に泣いているかも知れない。しかし、この場合、二人に関係のない人生を生きてきた良夜にとっては、二人の恥ずかしい過去をノーリスクで知れるのではないだろうか?
「あっ……うん、黙る」
しかし、貴美はそれ以上の話はしなかった。直樹がとっさに言ってしまった「大好き」の言葉に、顔を真っ赤に染め上げうつむいてしまったのだ。しかし、右手には泡を吹いた発泡酒の缶が握られたまま。可愛いんだか、恐いんだか、解りやしない。
「あら、一言で黙ったわ……お代わり」
「どういうカップルなのか、イマイチ判らないよな……ン……」
良夜の傍に転がる缶の数も判らなくなってきた。
「ふぅ……良い感じに酔ってきたわね……お代わり」
グラスの傍で飛んでいるアルトの体が、先ほどまでよりも随分と大きく上下左右に動いている。調子が良いときはミリ単位で一所に止まっていられると自慢していたのだが、今では数センチ単位、時折十センチを超える程度にフラフラし、体をグラスやテーブルにぶつけることもたびたびだ。
「……お前……酔ってるだろ?」
新しい缶をプッシュと開き、良夜は自分のグラスの上に構えるが、アルトの杯はいつまで経ってもフラフラしたままだ。
「良夜ほどじゃないわ……」
結局、飛びながら飲むことを諦め、アルトはグラスに胸を押し付け、なんとか杯を安定させた。上気した頬が冷たいグラスに心地よさそうだ。
「そうか……」
「そうよ……お代わり、まだかしら?」
こぽこぽと、プラスティックの杯が差し出されたグラスに発泡酒を注いだ。出来上がっている良夜は、アルトの杯に発泡酒を注ぐたびに彼女の白い袖を黄金色の液体で随分と汚している。しかし、アルトも良夜も余り気にしていない、二人とも仲良く酔っぱらっているから。
「どうでも良いけど……暑いからって脱ぐなよ……」
彼女は先ほどから、しきりに長いスカートの裾でパタパタとを顔をあおいでいる。あおぐたびに、白いガーターベルトに包まれた華奢な足がちらちらと見えて、目の毒と言えば目の毒。
「見たいの? ロリ……」
ペットボトルのキャップを杯にアルコールを飲んでいたアルトが、良夜に細めた目を向けた。その頬は随分と朱色が差し、何処か普段よりも大人びて見える。
「貧相なもん、見せんな……」
朱色の染まった頬と潤む大きな瞳から視線を外し、良夜は小さく呟いた。
「見たいって言えば見せるわよ……嘘、見せない」
だらしなくテーブルに投げ出していた足を閉じ、アルトは再び残っていたアルコールに口を付けた。
「だから、貧相なもんを見せるな、って言ってんだよ」
「貧相だから見たい癖に……ロリコン」
声が普段よりも低い気がした。透き通るようなソプラノから、艶のあるアルトへと……
さて、いつもの良夜ならば他人の前でアルトと話すときには、その声が聞こえないように出来るだけ気を使っている。しかし、今日は良い感じに出来上がってしまっている。意識が拡散しているのか、それとも小さな声で話しているつもりがそうなっていないのか……どちらかは判らないが、ともかく、その声が隣に座っていた直樹の耳にまできっちり届いていた。
「良夜君……誰と話してるんですか?」
普通の声でアルトと会話をしていた良夜に、直樹が男にしては大きな目で顔を覗き込むようにして尋ねた。
「誰って……よーせい……」
酒にかすむ頭は、聞かれたことに素直に答えてしまう。良夜はぼんやりとした頭で、直樹の質問に正直に答えてしまった。答えた後、一瞬、酔っていた頭が正常に立ち返ったが、ちょっと遅い。
「「はぁ?」」
タカミーズの見事なハーモニー。きょとんした顔で良夜の顔を心配そうに覗き込んできた。
「あっ、いや、なんでもない……ちょっと飲み過ぎたかな」
慌てて訂正する良夜を、空き缶を背もたれに座っていたアルトが馬鹿とでも言いたげな顔で見上げた。
「良夜君、飲み過ぎてるんじゃないんですか?」
「飲み過ぎてんよ? りょーやん……はい、これ」
冷蔵庫から取り出されたグラスが、良夜の手に握らされた。アルコールに熱せられた体に、よく冷えたグラスが心地良い。良夜はそれを迷わず一息で煽った。
「おぅ……サンキュー……変な味の水だな……」
「あっごめん、カップ酒だ、それ」
「一気に飲んじまったぞ!」
定番のギャグである。実際に間違えたのか、わざとやったのかは、へらへらと笑っている貴美の赤い顔から判断できない。
「うん、こういう事もあろうかと、冷蔵庫で冷やしてた」
へらへらと笑った顔で素直に白状しやがった。
「わざとかよ!」
『平和だなぁ……良夜君が遊ばれてるから……』
直樹は後にこの夜を振り返ってこういった。彼女が彼女なら、彼氏も彼氏だ。
狂乱の酒宴第二部へと続く。ってまだ続くのか、この宴会……