四人で飲もう(2)
「あっ」
と思ったときには遅かった。僅か数分の間で、アルトはブラウザのキャッシュから一番エグイCGを選び出し、それを壁紙に設定していた。良夜のパソコンであるはずなのだが、良夜はそこまで素早くそのCGを壁紙に設定できる自信はない。いくら何でも早すぎる。
「GUIが発達してパソコンも判りやすくなったわね。昔はコマンドを打ち込まないとこんなことできなかったのにね」
マウスにしがみつき、パソコンを操作しているアルトはそんなことをしゃあしゃあと言ってのけていた。しかも、まだ終わってないようで、未だに設定画面を開いて色々と弄くり回している。
いや、お前、本当に妖精か? 良夜はそんな疑問を隠すことが出来なかった。
「あっ、直樹、冷蔵庫の中に色々入ってるから、先にやっててくれ。それと吉田さんは?」
「おつまみ作ってますよ。じゃぁ、先に頂いてますね。グラス出しても良いですか?」
「あっ、俺の分もな」
直樹の意識を冷蔵庫へと向けさせた隙に、マウスにしがみついて遊ぶアルトをひっつかまえる。そして、パソコンの電源を叩き落とした。これ以上ヤツにこれを触らせるわけにはいかなかった。アルトはその様子に「あぁ」と落胆の様子を隠す努力すらしていない。まだ、弄って遊ぶつもりだったようだ。このままでは、数分もしないうちに起動サウンドを『お帰りなさい、ご主人様』に設定されてしまうだろう。
「お疲れ様でした、ご主人様」
「って、もうかよ!」
大音量で疲れを癒してくれるパソコンに向かって、良夜は思わず大声で突っ込みを入れてしまった。データのありかは大体想像が付く。貴美から借りたゲームに付いてたオマケデータだ。ハードディスクの中に保存だけしていたのだが、まさか、アレを発掘された挙げ句に終了サウンドに設定されるとは思わなかった。
「なかなか、鋭い趣味してますよね、良夜君って」
その音声は、冷蔵庫から雑穀酒を取り出していた直樹の耳にも届いてた。缶雑穀酒……って言い方も変だが、そのプルタブに掛けた手を止め、少々引いた笑みを浮かべている。
「ウルセ、お前の彼女と同じ趣味だ」
良夜は半ば吐き捨てるようにそう言った。貴美から借りたゲームだから、言ってることは間違いではない。しかし、直樹は、その言葉をそれ以上の意味で取った。
「……えっ……ちょっと、勘弁してくださいよ……僕、一応、あー言う趣味の人だけど、『女性の』恋人が居るんですから……」
直樹の言葉には『女性の』に奇妙なアクセントがあった。直樹の想像がおとこにょこ同士にまで及んでることは想像に難くない。その証拠とでも言えるだろうか? 壁際の方へと逃げだし、表情はマヂで怯えている。そんなに貴美の趣味は凄いのだろうか? 話には聞いているが、どれだけ凄いのだろうか、と良夜は少しだけそれに興味を覚えた。ちょっとヤバイ。
「……ちょっと萌えるわよね、あの表情」
良夜の手の中で金髪危機一髪になっているアルトが良夜の心を代弁……いや、別に思ってないよ? 俺はそんなこと思ってませんとも! ええ、全然、思ってないんですよ!! と、心の中で何処かにいる陪審員へ言い訳をしてみた。
「童貞ロリショタヘタレトカゲ」
体を鷲づかみにされている割りには余裕のある口調で、一段と伸びた形容詞を言ってくれる。そろそろ、語呂が悪くなってきているような気がする。後、直樹は同い年だ、ショタには当たらない。身長が二十センチ違うけど。
「……そこまで行かない、そこまでは行かない。行き過ぎ、行き過ぎ」
くだらない形容詞を言ってくれたアルトを軽くにらんでから、直樹の隣へと腰を下ろした。
「……あぁ、さっきの、吉田さんがボロボロ泣いてたゲームのデータですよね」
良夜の言葉で自分の勘違いに気がついた直樹は、少々気恥ずかしそうに壁方面へと逃げた体を元の場所に戻した。
「えっ、マジで?」
「嘘でしょ?」
貴美がゲームで泣く、そんなことは良夜とアルトの想像を遥かに超えた代物だった。二人は同時に驚きと疑問の声を上げた。
「凄かったですよ? なんか、大泣きしちゃって……慰めてるうちになんか、無性に何やってんのかなぁって、ちょっと人生見つめ直しましたよ……良夜君もやりました?」
多少の苦笑いは浮かべているが、何となく嬉しそうなのは、なんだかんだ言って、貴美が可愛いのだろう。そうでなければ、幼なじみだからと言って恋人にはしないだろう。
「やった……それなりに良かったけど、そこまでは泣かなかったかな。うるっとは来たけど」
と、言うのは嘘である。先月の終わり、良夜が、聞きコーヒーに敗北した貴美に呼び出されたとき、本気で泣きながらプレイしてたのはこのゲームだ。
「吉田さん、ダメなんですよ。意外と感情移入が激しくって。それも、攻略しなかったキャラの方に感情移入して、泣いちゃうんです」
止まっていた手を動かし、直樹は缶のプルタブを開いた。ぷっしゅっと言う心地いい音が広くない部屋に小さく響いた。
「難儀な性格してんな」
握りしめていたアルトテーブルの上に解放すると、良夜も直樹が出してくれた缶へと手を伸ばした。
握られていたアルトのドレスはしわになっている。それを彼女は小さな手で整えると、テーブルの端に座って良夜へと少しばかりの批判の視線を送った。
「でも、吉田さんのすすり泣きなんて数年ぶりですからね、ちょっと得した気分ですよ」
ゲームで泣いたときのことだろうか、それともその数年前に泣いたときのことだろうか、どちらを思い出しているのかは判らないが、直樹は少しだけ楽しそうに笑った。
「しかしなぁ……吉田さんがねぇ……所で……」
「これが意外に可愛く――ぎゃっん!」
ガッツーンっといい音がして、直樹の額はガラステーブルへと叩きつけられた。犯人は当然貴美。アルトの制服からジーパンとトレーナーというラフな格好に着替えた彼女は、自らの恋人の頭を力一杯踏みつけていた。
「吉田さんが背後で怒ってるぞ、と言おうとしたんだが……間に合わなかったな」
直樹の背後に立っていた貴美の顔が恐くて、良夜は早めの警告を出せなかっただけである。その証拠に、良夜は殺気九割に羞恥一割の割合で朱に染まった貴美の顔を真っ直ぐ見ることが出来ていない。
「ヘタレ」
その事に気がついているアルトは、良夜の顔を見上げて小さく呟いた。当然、その言葉は無視する。間に合わなかっただけだ、良夜はそう思いこむことにした。
「ごめんね、六年ぶりのすすり泣きがエロゲー相手で。なんなら、なおが最後におねしょしたときのこととか酒の肴にしちゃっても良いんよ?」
グリグリグリグリグリグリ、貴美の形の良いつま先が遠慮会釈なく直樹の後頭部でツイストを踊る。そのたびに直樹の鼻はガラステーブルの上にこすりつけられ、低めの鼻が更に低く潰されていく。
「ギブ? ギブアップする?」
テーブルに押し付けられた顔の傍まで駆け寄ったアルトは、そのすぐの横に寝転がってパンパンとテーブルを叩いていた。どうやら、プロレスのレフリーのまねごとをしているらしい。小さなネタを拾い忘れない彼女の芸人魂に、良夜はほんの少しだけ感心した。
「うっす、容赦のない踏みつけだな……」
良夜は持っていた缶を掲げて貴美へと声を掛けた。
「これが良い踏み心地なんよ、りょーやんには踏ませないけど。それでお酒は?」
グリグリと足の裏で恋人の頭の感触を楽しみ尽くした貴美は、それに飽きたのか踏みつけるのを止めて直樹を挟んで良夜の逆側に座った。痛そうに鼻を押さえている直樹と、これからの飲み会を楽しみにしている貴美、並んで座ってもカップルにはとても見えない。
「直樹の鼻とデコ、真っ赤になってんぞ……えっと、なんか知らんけど、安いのばっかり十四−五本」
良夜が買ってきた袋をテーブルに乗せると、貴美はその中を物色し始めた。
「まあまあね、私の所も同じくらいあるから、余るんじゃないの?」
と言いつつ取り出したビールは良夜が買ってきたのとほぼ同量。それがドーンとテーブルの上に置かれると、にこやかな貴美と対照的に直樹と良夜の顔は暗く曇った。
「……凄いわね、誰が飲むのかしら?」
自らの背丈よりも遥かに高く積み上げられたビールを見て、アルトも軽く驚きの声を上げている。そんなアルトを見て、良夜はアルトにだけ見えるよう、貴美を小さく指さし、そして、その隣に座っている直樹、最後に自分へとその指を動かしていった。
「……屍は拾ってあげるわ。でも、確か、明日は美月が休みの日じゃなくて?」
ビールの山、その頂上へ飛び乗ったアルトは、その上に足を組んで座った。
「あっ、そうだ。確か、明日、美月さん、休みだろう?」
「うん、本当はね。でも、今夜、みんなで飲むって言ったら変わってくれたんよ、日曜の休みと」
早速一本目を取り出し、そのプルタブへと白い指を伸ばしていた貴美が、良夜の疑問に答えた。喫茶アルトとしてはそれで良いのかも知れないが、良夜達にとっては良い迷惑でしかない。
「……今夜は死ねますね……」
「……恋人の始末はお前がしろよ?」
嬉しそうにプルタブを開き、乾杯の準備を整えようとしている貴美を良夜と直樹の二人は暗い気分で見つめざるを得なかった。
「それじゃ、面倒だから、かんぱーい」
誰も缶を掲げていないというのに、貴美はさっさと乾杯の音頭を宣言し、その液体を白い喉へと一気に流し込んだ。そして、半分ほど流し込むと、それをテーブルの上に置いて一息落とす。落とした息は色っぽい吐息ではない。
よどみなく豪快な漢――と書いておとこと読む――の飲みっぷりを見せつける貴美と、それを唖然と見つめる本物の男と妖精さん一人。
「いっいつも……こんなの?」
引きつった顔で尋ねるアルトに、良夜は小さくうなずいた。彼女の飲み方はいつもこんなのである。いつから飲んでいるのかはよく知らないが、彼女の飲み方は豪快だ。グラスも使わないし、一口で三百五十の缶、半分ほどを流し込む。屋外肉体労働者の晩酌のような飲みっぷり。そして、この三人の中で最後まで潰れない。と言うよりも、良夜は彼女が潰れているのを見たことがない。良夜と直樹が潰れて熟睡するまで平然と飲み続け、その後、部屋の戸締まりをした後、ベッドを占領して寝る。
「相変わらず、良い飲みっぷりだよな……」
「そぉ、二人とも飲みなよ。あっ、りょーやん、トースターある? 今夜のつまみはブルスケッタなんよ」
何度見ても慣れない貴美の缶ラッパに軽く引いた良夜を尻目に、貴美は長いバケットを取り出した。
「あるけど……ぶるすけった?」
ブルスケッタとはガーリックトーストに適当な物を乗せて食べるイタリアンの前菜。調理師学校でイタリアンを学んだ美月に、貴美が教えて貰ったメニューらしい。何を乗せても良いのだが、今日はポテトサラダ、トマトのマリネ、ツナとオニオンスライス、ブルーチーズ、アンチョビーペースト等々。今夜はトースターで焼きながら食べると言うことらしい。
貴美に命じられるままに、トースターを取りに行くついでにペットボトルの蓋を良夜は持ってきた。アルトの杯だ。これくらいが丁度良いかな、と思ったのだが、それを持ったアルトの姿はどう見ても……
「……優勝おめでとうアルト山、来場所は綱取りですね……」
と思わず呟いてしまう姿だった。呟いてしまって、アルトに刺される。いつものパターンだ。刺された手のひらを握りしめ、唇を噛んで絶叫をこらえられるようになっただけ、成長したと言えなくもない。
「りょーやん、いくつ食べる?」
手を押さえ、激痛に堪える良夜に貴美の声が掛けられた。今はほっといて欲しい。大昔のアメリカアニメみたいに、外へと掛けだしていって、アルトの馬鹿野郎、暴力妖精、蜂娘、イテーんだよ、この野郎、と叫ぶことが出来たら、どんなに気持ちいいだろう。
「おっ俺、飯、食ったから、一個で良い」
その気持ちを心の奥深くへ通し沈め、平然とした様子で答える。ちょっと声が震えているような気がするがとりあえず、今は気にしない。細かいことを考えていると、マジで絶叫してしまいそうだ。アルトの攻撃は日々進化して言ってるような気がする。
と、言う話はともかく、良夜はきっちりハンバーグ定食、しかも、ライスは大盛りで食ってきている。酒を飲んで騒ぐ程度ならともかく、この重たそうなつまみをいくつも食べる食欲はない。とりあえず、一つ味見をしてみて後は上に載せる具材をつつこう、良夜はそう思った。
なんだかんだで飲み会は始まった。
「りょーやん、酌してあげようか? 酌」
「……飲まないと許さないだろう?」
「当たり前じゃん、美人がロハで酌すんだよ? 空けるのが男の甲斐性ってもんよ」
貴美はテーブルの向こう側から、良夜に向けて缶を差し出していた。
「彼氏にしとけ、彼氏に」
「彼氏、ご飯、食ってるもん」
貴美の言葉通り、直樹は飲むよりも食べる方に忙しそうだ。せっせと自分でトーストを焼いては、その上に色々なトッピングを乗せて口に運んでいる。食事もせずに本屋でバイトをしていたのだから、空腹で当たり前だ。
「あら、女性のお酌も受けられないの? 流石童貞ね……使えないわ」
テーブルの上に乗り出し、今にも良夜のグラスに発泡酒を注ごうとする貴美の攻撃を、アルトが人知れずフォローした。
しかし……この角度だと、貴美の谷間が良い感じで見える。ゆったりとしたラフなトレーナーと言う格好で、テーブルの上に身を乗り出してくると良い感じにその中に隠れるブラを良夜の目に写しつける。見る気はないのだが、見えてしまうのだから仕方がない。
「りょーやんさ……見たっしょ?」
この女、いつになったら胸元のことに気がつくのだろうか、等と思いつつも胸の谷間を見物していた視線に、貴美の大きな瞳が滑り込んできた。口角を僅かにつり上げ、大きな眼を細くした視線、ニヤリと言う効果音がぴったりと来る笑みだ。
「……ただ見は良くないよ、りょーやん」
何を? と良夜が誤魔化す前に貴美は自分の胸元にクイクイと指先を向けた。
「きっきったねぇぇぇぇ、わざと見せやがったな! 直樹、俺は無罪だ!」
「ほら、なおも言ってやんなよ」
「えっ………………あっ、そっ、そーですよ。僕の恋人の胸を見たんですから。ダメですよ? 良夜君 ちゃんと、反省してくださいね」
唐突に話を振られ、トマトのマリネを載せたブルスケッタをかじっていた直樹の手が一瞬止まり、視線が宙をさまよわせた。そして、何かをひらめいたかのようにそんなことを言った。
「わざとじゃないよ? りょーやんが上から覗いたからだもん。さぁ、傷心の吉田さんを慰めるために、イッキ、行ってみよか? それとも……工学部中にりょーやんに視姦された、とでも触れて回っちゃおうかなぁ〜……いつの間にか『視』が『強』に変わってるかも?」
クイクイと何度も指先で、自分の豊満な胸元を指し示す。もはや、良夜に逃れる術はない。こうなるなら、もっとよく見ておけば良かった、良夜はそんな後悔をちょっぴりしていた。
「一気飲みは体に悪いのよね……倒れたら看病してあげるわ」
アルトは一気飲みを強要されそうになっている良夜に哀れみを含んだ視線を向けていた……けど、何処か嬉しそうなのは、良夜の被害妄想ではないはずだ。
「……直樹、お前、俺を生け贄に差し出しやがったな?」
渋々貴美の酒をグラスで受け始めた良夜は、隣でチビチビと発泡酒を飲んでいる直樹の顔を睨み付けた。
「えっ、そんなことないですよ〜それは被害妄想ですよ〜あっ、パン焼けましたねぇ〜」
にらまれた直樹は、口元を引きつらせ、視線を良夜からトースターへと動かした。そして、そこからこそこそと芳ばしく焼けたバケットを取り出し、バターとガーリックを塗りつけ始める。その姿に、こいつは安全で平和な食事のために、友人を恋人に売りやがった、良夜はそう確信した。
狂乱の飲み会は未だ始まったばかり……