Stray Pixie(4)
「これで許して貰えると良いんだけどなぁ……」
コンビニで仕入れた貢ぎ物は、雪苺娘という苺をホイップクリームと求肥で包んだデザート、少し前に美月が好きだと言っていた代物だ。良夜は、少し甘すぎるのと回りが柔らかすぎて食べにくいのとで、嫌いではないが大好きというわけでもない。他に飲み物とおにぎりを少々、こっちは良夜のの昼飯。
それらを買って、コンビニのガラスドアに手を掛けると、一人の女性が入ってくるのが見えた。女性だから、と言うわけでもないが女性が入ってくるまでドアを開いて待っていた。
「すいません」
大きな胸の女性はぺこりと小さく頭を下げて、コンビニの中へと入っていた。
「……」
軽く会釈しただけで揺れた胸、健康な青年であり、なおかつ女性に縁の遠い男としては視線がそこに釘付けになるのも仕方のないことである。良夜は女性が店内に入りきるまで、その後ろ姿をボーッと見つめていた。だから、探し人が視野のすぐ外にいたことにも気がついてなかった。
そんなアホを見守る一人の妖精、いますぐにでも後頭部に蹴りを一発かましたくなる気持ちを、ぐっと抑え、冷静にガラス戸を良夜の高さにまでよじ登り、努めて静かな声で良夜の背後から声を掛けた。
「……大きいわね、アルトや美月と違って」
「いや、あれは吉田さん以上だな……」
「そうね、貴美よりも大きいかも知れないわ」
「って言うか、アルトと比べるのはあの胸に対する冒涜だろう? 普通」
「……本人前にしてよく言えるわね、良夜」
正確には本人は背後にいた。良夜の首がゆっくりと後ろへと振り向く。アルトは知らないことだが、本日二度目舌禍事件発生。しかも一度目はツイ十五分ほど前の話、懲りない男だ。
「……げっ!」
「げっ! じゃなくて……」
「わっ!」
「わっ! でもないわ」
ズタボロのアルトの前でしばしの間言葉を失う良夜。
「……やあ、アルト、心配してたんだぞ?」
引きつった笑顔に棒読み台詞。
「……美味しそうね、おにぎりと缶ジュース、あら、それにデザートまで完備?」
こう言うとき、半透明のレジ袋ってのは困る。隠しようがない。良夜はそれを背後に隠し、引きつった笑顔を見せていた。
「こっちは美月さんにな、俺が食うためじゃないって」
「そう……美月も一緒なの……へぇ……そう?」
「ほら、帰るぞ」
「……一人で帰れ、この童貞!!!」
探しに来てくれたと思っていた。なのに、どういう訳だか知らないけど美月と一緒に甘い物を食べる事になっているらしい、と思うと無性に腹が立った、涙が出るくらいに。だから、アルトはくるっと良夜に背を向けて、力一杯羽を動かし、彼の前から逃げようとした。
が、しかし、悲しいかな、彼女の羽はそんなに高性能には出来ていない。元々、人が歩くよりも遅い速度でしか飛べないし、更に今は空腹と疲労がその性能を抑えている。そのスピードと言ったら亀と競争したら、亀がゴール直前で昼寝してくれるくらい。伸ばした良夜の手にひょいと捕まれてしまった。格好が付かないったらありゃしない。
「何すねてんだよ、帰るぞ、迷子」
コンビニの入り口で、何もない空間を握りしめて独り言を呟く青年。百パーセント怪しい人である。本人がそれに気付いていないのは幸運なことなのかも知れない。
「離しなさいよ! この変態! 童貞! 犯罪者! ロリ!!」
「暴れんなって、って、イテッ!」
勢いよく歯を食い込ませたら、どんなに頑張っても離れなかった良夜の手がアルトの体から反射的に離れた。ちょっぴり汗の味がした。
良夜の手から自由になったアルトは、一目散に羽を動かし逃げようとするけど、その速度はやっぱり亀以下。よたよたと何度もふらつきながら一生懸命に飛んでも、良夜が手を伸ばせばつかめるところからは逃げられない。情けなくて涙も引っ込む。
必死に飛ぶアルト、コンビニのレジ袋を下げてその後をのんびり歩く良夜。逃走と追跡と言うにはあまりにも穏やかな風景。
「……ねえ、良夜……」
コンビニから出て五分、良夜に背を向けて逃げていたアルトが小さな声で呟いた。
「何だ?」
「あのね……ここで目を閉じて、百、数えてみる気……ないかしら?」
もちろん、良夜にそんなつもりは全くなかった。
「お帰りなさい、遅かったんですね」
アルトの羽を摘んで帰ってきた良夜を、ベンチに座って退屈そうに空を眺めていた美月が出迎えてくれた。とりあえず、その怒りは落ち着いているようなので、良夜は人知れず胸をなで下ろした。大人しく摘まれてはいるが、どうにも不機嫌なアルトだけで手が一杯なのに、これで美月の機嫌が直ってなかったら、良夜の繊細な胃に大きな風穴が開く。
「ええ、アルト、見付けましたよ」
「本当ですか? 良かった……」
「それとこれ、おみやげ」
そう言って、ご機嫌を取るために買っていたお菓子を美月の膝に乗せた。
「まあ、雪苺娘ですね。好きなんですよ……あっ、もしかして……先ほどの暴言をこれ一つで忘れてくれ、とおっしゃりたいわけですか?」
手渡されたコンビニの袋から、薄桃色の大きなお餅のようなスィーツを取り出し美月は、それと隣に座った良夜の顔を見比べながら、少々拗ねた笑顔を見せてそう言った。
「いえ、まあ……俺一人で飯食うのもあれですから」
実際はその通りなのだが、まさか、それを認めることも出来ず、良夜は誤魔化すように袋から出したおにぎりにかぶりついた。パリパリとしたノリの歯ごたえと醤油の染みこんだ鰹節、おにぎりは鰹節とシーチキンに限る。
「忘れてあげますよ、これ、好きですから」
美月もその隣で甘いお菓子の箱を開け、それに小さく口を付けた。もうちょっと怒ってても良かったかな、と思うがこの甘さと柔らかさに自然と笑みがこぼれてしまう。
「そうしてくれるとありがたいです」
二人並んでベンチで食事、割とデートのようにも見えなくもない。たまったものでないのは、同じく空きっ腹を抱えているアルトである。右からは苺とホイップクリームの甘ったるい香、左からはノリの芳ばしい香、ごくりと生唾を飲んでしまう。しかし、一応、今の彼女は不機嫌なのである。良夜に対して怒っているのに、そのおにぎりをくれとはとても言えない。美月に貰うにしても、良夜を通さないと話が出来ない。不便な体質。不便な性格、だとは自分でもちらっと思った。
「食べ終わったら帰りますか?」
「そうですね……お前も帰るだろう?」
おにぎり……昨日の夜もおにぎりだったから、出来れば別のものが欲しい。でも、今はそんなこと言ってる暇じゃない。って言うか、今、良夜に頭を下げるのは嫌だし、奪うほどの体力ないし、それにストローもないから攻撃しにくいし。お腹空いた……
「……そっ、そうね、帰るわよ。帰ったら美味しいコーヒーが飲みたいわ」
おにぎりに視線を奪われていた所為で、アルトの返事がちょっと遅れた。
「あっ、コーヒーと言えば、お前、ストロー置いて行ってたろう? ほれ、忘れもんだ。後、ドレスも」
食いかけていたおにぎりを口に押し込み、良夜はポケットの中からドレスに包まれたストローを出した。アルトにしてみれば、確かにストローも大事だが、今はその口にねじ込まれたおにぎりの方が大事だったりする。残りはあと一つ、プライドを捨てて頼み込むか、喫茶アルトに帰るまでこの空腹に耐えるか、彼女は今、大きな分岐点にさしかかっていた。
「あの、良夜さん、アルト……今、どんな格好なんですか? もしかして……」
妙な想像をしてしまった美月は、顔を真っ赤にして言いよどんでしまった。一応、彼女もアルトが寝るときは素っ裸と言うことは知っている。
「タオル……おしぼりかな? なんか、そんなのを巻いてます」
「もう、良夜さん、ダメじゃないですか……アルト、着替えてきましょう」
素っ裸でないことに安堵したようだが、すぐに呆れたような表情になった。そして、立ち上がると、良夜の膝に向けて手を差し出した。大事そうにドレスとストローを抱いたアルトは、ちらっと良夜の顔を一瞬だけ見ると、プイッと視線を切って美月の手を踏み台に、トントンと美月の肩へと駆け上がっていった。そして、いつものように髪を一房握ると、それを一度だけ引っ張った。
「じゃぁ、待っててくださいね」
「はい、忘れて帰ってきたりしないでくださいよ」
「……もう一回、怒っても良いですか?」
「冗談です。それと、なんか、凄く汚れてるんで、何処かで水を使わせてやって下さい」
はぁいと機嫌の良い声を残して、美月はロータリーの隅にある小さな公衆トイレへと向かっていった。
「良夜さん、凄く心配してましたよ」
トイレの中に入り、備え付けられていた水道をひねった美月は小さな声でそう言った。彼女の目にはアルトの姿も映ってなければ、その声が耳に聞こえているわけでもない。ただ、注意深く蛇口から流れる水を見ていると、その水が僅かにおかしな跳ね方をしていることだけは判った。
「うそよ、胸の大きな人を見て、鼻の下を伸ばしていただけだわ」
もはや、ただのぼろ雑巾と化したおしぼりを捨て、美月が開いた蛇口の下に裸体を晒す。五月の中頃、まだ、行水には少々早い時期だが、埃が流れ落ちる感触は心地良い。全身を……特に顔を重点的に何度も洗う。良夜が鈍感で良かったと思う。泣き顔だったことに気がつかれずにすんだから……それともそれが判らないくらいに顔が汚れていたのだろうか? だとしたら、少しだけ恥ずかしい。
「アルトが居ないって判ったとき、凄く慌てて飛び出してたんですよ。教科書も置いて、ご飯も食べずに」
その美月の言葉に、ごしごしと顔を洗っていたアルトの手が止まった。
「ですから、ちゃんとお礼を言って上げてくださいね、私は良いですから」
アルトは何の返事もせず、美月もそれ以上は何も言わず、ただ、水道の水が勢いよく流れる音だけが、清潔な公衆トイレの中に響き渡り続けていた。
「ただいま帰りました」
「帰ったわ」
良夜のポケットにねじ込まれていた所為で、しわだらけになったスカートを気にしながら、アルトは美月の肩からぴょんと良夜の肩へと飛び移った。飛び移ってから、下着を着けていないことを思い出し、慌ててスカートを押さえつけた。
「さっぱりしたわ。でも、スカートがしわだらけ……どうせ持ってきてくれるなら、ちゃんと折りたたんで持ってきて欲しかったわね」
「お疲れ様、アルト、ちゃんと居ますよ」
「ですから……私も何回も忘れたりはしません」
良夜の軽口に美月は少しだけふくれて、良夜の隣に腰を下ろした。そして、半分ほど食べただけだったデザートの残りに口を付け始めた。
「……良夜、もしかして、おにぎり、食べちゃったの?」
「えっ? お前……欲しかったのか?」
「私、昨日の夜から、何も食べてないのよ、当たり前じゃない。気が利かないのね、だから、もてないのよ」
いつもの口調のいつも軽口、アルトの不機嫌も直ったかな、と良夜は小さく安堵した。ストローを装備した今、不機嫌になったらまた刺されてしまう危険性がある。刺される代わりに噛まれたけど。
「欲しければ欲しいって最初から言えよな……すいません、美月さん、こいつが腹減ったって言ってるんで、何か買ってきます」
そう言って、良夜が立ち上がると、美月もお菓子を食べ終わり、ベンチから立ち上がった。
「じゃぁ、私も帰ります。なんだか、お菓子だけ食べに来ちゃったみたいですね」
美月が空になったプラスティック容器をレジ袋に入れると、それに良夜も自分が出したゴミを煎れて『一緒に捨てと来ます』と受け取った。
「いえ、一応、アルトも女ですから。着替えの時にいてくれたのは助かりました」
良夜の言葉に、肩に止まったアルトも「そうよ」と付け加えた。誰にも見られないのだから、その辺の茂みの中で勝手に着替えればいいのに、と良夜は心の片隅で思った。
「そう言ってくれると嬉しいです。それじゃ、また、アルトで……帰ってきたら、美味しいコーヒー、入れますね」
「ハイ、楽しみにしてます」
そう言って二人で頭を下げ合い、ロータリーの中で美月と別れた。
一日にも満たない時間、この程度の時間、顔を合わさなかったことは何度もある。それなのに、アルトも良夜も、やけに久しぶりに二人きりになったような気がしていた。そして、お互い、相手がそんなことを思っていることなど、気がついていない。
「良夜……」
美月と別れ、コンビニに向いて歩き始めた良夜の肩でアルトが小さな声で呟いた。
「何だ?」
足を止めることなく、良夜も小さな声で答える。
「えっと……迎えに来てくれてありがとう、嬉しかったわ……」
その言葉に良夜の足が止まり、肩の上に座ったアルトへと視線を向けた。
なんだかんだで、アルトは『ありがとう』という言葉は言う。でも、ここまではっきりと丁寧な口調で礼を言われた経験はほとんどない。なんというか、普段の『ありがとう』は雇用主が使用人にいうような言葉遣いなのだ。
「まあ……気にするなよ、暇だったんだ」
良夜は頬をかきながら、再び足を踏み出して、そう言った。
「……って、美月に伝えておいて」
その言葉に頬をかいていた指も、踏み出した足も止まってしまった。ガックリと力が抜ける思い。もしかしたら、彼女なりの照れ隠しなのだろうか? すましたアルトの横顔から、良夜がその真意をつかみ取ることは出来ない。
「……なんだよ、それ……」
「私の声は美月には届かないもの。だから、貴方から伝えて」
「へいへい……俺にはないのか?」
再び、良夜の足がコンビニに向けて動き始める。ゴミの入ったレジ袋をクルクルと回すと、そのたびにビニール同士のこすれる音がする。
「貴方は、美月とデーとした挙げ句に、スタイルのいい女の人を見て悦んでいただけだわ。お礼を言われる資格があるのかしら?」
「デートをしてた覚えもないし、スタイルのいい女の人見て悦んでたわけでもない」
「そうなの? じゃぁ、そう言うことにしておいてあげる」
「だったら、礼くらい言えよ」
「暇だったから来ただけでしょう? でも、美月は仕事時間を割いてきてくれたのよ。大きな差だわ」
「……お前なぁ……」
「何回もいうようだけど、こういうとき、先に言葉につまった方が負けなのよ」
いつもの掛け合い漫才は、コンビニに入り、レジのお姉さんに好奇の視線を向けられるまで続いた。
こうして、アルトのちょっとした冒険は無事終わった。流石のアルトも寝る場所には気をつけるようになった。わけだが……数日後。
「ここは……どこかしら?」
彼女は目覚めると、喫茶アルトの制服と一緒にクリーニング屋のライトバンに揺られていた。