里帰り(9)
 祖母の家から帰ってきて少しして、妙に寒いなと外を見たらみぞれ交じりの冷たい雨が降っていた。寒がり……というか、軽く冷え性入っている妖精さんは当然良夜の懐に潜り込んで出て来やしない。それが翌日、みぞれ交じりの雨から立派な雪に変わると――
「今日は読書とテレビの日! 出かけるとか言い出したら許さないわよ? 良夜」
 とストローを握りしめてすごんでみせる。まあ、どちらかというと引きこもり体質の良夜、雪のお正月に好きこのんで出かけたいとは思わない。思わないが、彼女に「出かけるな」と言われると向かっ腹が立つ。
「……お前、わがままだよな……」
「女はわがまま、それを許すのが男の度量なのよ?」
 そんな度量は要らない、と思いながら、彼は妖精のしたり顔から視線を逸らす。まあ、少なくとも出かけろ、どこか連れて行けと言われるよりかは出掛けるなと言われる方が気楽。幸い、活字なら何でも好きという小夜子のおかげで良夜の好きなライトノベルも浅間家には充実している。自室に置かれた本棚から適当な文庫本を数冊抜き取り、彼は居間のこたつに腰を下ろした。
「マンガはないのね? 良夜の部屋に沢山置いてるようなの……ロリコン雑誌とか」
「ねーよ! この家にもないし、俺の部屋にもないから!! 置いてる風に言うな!!」
「あら……そうなの? じゃぁ、夢でも見てたのかしら……仕方ないわね、じゃぁ、今日はライノベで我慢してあげる」
「我慢してあげるって……最悪だな、お前……」
 こたつに寝っ転がり、良夜が胸元までこたつ布団に潜り込むと、胸の上に寝っ転がったアルトも同じように胸元までこたつ布団の中に潜り込む。
「親亀の上に子亀が乗って、親亀コケたら子亀は逃げた〜♪」
「……逃げるなよ……一緒にコケろよ……」
 こんな感じでお正月の一日は平和に何事もなく終わっていく……のだから、今回のお話、良夜とアルトの出番はここでおしまい。ここからはほかの誰かへと物語は移っていく。

 良夜の家から二百キロほど離れたとある都市にあるとある分譲住宅地、ここも今日は朝から雪。しんしんと降り注ぐ雪を高見直樹は自室の窓からぼんやりとそれを眺めていた。考え込んでいる内容はもちろん、恋人吉田貴美にあげるプレゼントのことだ。彼女の誕生日は大晦日十二月三十一日。毎年、月末でお金がないのと、翌日にはお年玉でそこそこお小遣いが手に入るので年が明けてから買うのが半ば恒例行事になっている。
「今年こそ、何か面白いものが良いなぁ……」
 直樹は小学生の頃から使っている学習机に頬杖をついて呟く。
 貴美と直樹は毎年誕生日にプレゼントを交換し合っている。しあっているのだが、貴美は毎年毎年妙なものばっかりくれる。北海道直送の牛乳とか参考書とか枕とか……まあ、それ自体に文句はない。こういう趣向を凝らしたプレゼントというのは割と楽しい。ちなみに今年はジャージだった、それも高校生が体育の授業できるような奴、しかも臙脂。女子高生用だと思う。
「ほら、学祭までに体を鍛えるって言ってたじゃん? だから、協力してあげようと思って」
 一応はそれを着て夕方にジョギングなんぞをやってみた。
 三日坊主だった。梅雨時期だったし、雨が降って面倒くさくなって結局止めた。今ではアパートの衣装ケースの中、一番深いところに眠っている。
 ともかく、貴美は毎年こういう嫌みったらしい誕生日プレゼントらしき物を直樹にくれる。だから、直樹も毎年貴美の誕生日には何か嫌みったらしい物をあげたいと毎年考えているのだが、これが見事に思いつかない。そもそも、吉田貴美という女性は性格を除くと概ね完璧な女性だ。顔は恋人の欲目差っ引いても美人、学力は『やらなくても並以上に出来る』という『やっても並程度しかできない』直樹から見るとうらやましい人。家事一切全部ペケの直樹と同棲しながらも部屋が荒れないのはひとえに貴美の家事能力の高さゆえ。スタイルは時々『太った!!』と大騒ぎしているが、それも直樹が見てもピンと来ない程度、脱いでもわからない。そもそもスタイル関係でからかったり、貴美が本当にダイエットを始めたりすると直樹の食事まで鳥の餌――要するに野菜ばっかり――になる諸刃の剣。
「……客観的に見れば幸せなんだろうけど……なんだろう? この不幸せ感……」
 と自分で呟き、即座に理解する。
「誕生日にジャージ寄越すような人だからだよね……」
 ホッとため息一つ。がたっと椅子に小さな音を立てさせて彼は立ち上がる。頭の中に抱くのは『今年もアクセサリ』という全く捻りも嫌味もトンチも効いてない計画、それをどこで買うべきかを考えながら、彼は財布の中身を確かめた……と言うところまでが高見直樹の新年恒例行事だったりする。
「……予算は……七千円……五千円でも良いかな……?」
 正直、今年もお財布は薄っぺら。去年と違って罰金を取られたとか、免停講習に出たと言うことはなかったのだが、なぜか財布は薄い。まあ……貴美に借りてるお金がまだ二桁万円を越えて残ってたりして、その返済に追われる身ではこれも仕方がない。何より、上乗せ保険は毎年来る。
 考えても考えても我が暮らし楽にならず……等と考えながら直樹はトントンと階段を下る。余り広いとは言えない自宅、階段を降り切るとちょうど母柊子が玄関から中に入ってくるところだった。
「どうしたんですか?」
「うん、お父さんが仕事に行くから、送ったところ」
「また?」
 直樹の父親は大きな機械工場に勤めているのだが、これが休みの日だろうが朝っぱら早くだろうが、面白いように呼び出してくれる。年末も大晦日ぎりぎりまで働いてたし、元旦も呼び出しこそはなかったが電話で部下相手にあれやこれやと忙しく指示を出してた。流行の過労死なんぞにならなければいいが……と思うが、彼の父親は仕事が、と言うか仕事でもなんでも良いから機械を弄ってると幸せな人なのでその心配は少ないのかも知れない。
「亭主元気で留守が良いってね。直樹はこれから貴美ちゃんの誕生日プレゼント?」
「ええ」
「今年もアクセサリ? 捻りがないと飽きられちゃうわよ。貴美ちゃんみたいな美人に振られたら、次はないと思いなさい。あんたみたいなちびで貧弱な坊や」
「……親の意見とは思えない暴言ですよね……」
 靴を脱いだ柊子と入れ違いで土間に降りると、直樹は楽しそうに笑う母の顔をチラリと一瞥した。男子としてはかなり低め、女子としても並の直樹よりもさらに低い身長、大型の車に乗ってると『ナイトライダー』と言われるような母に、身長云々を言われる筋合いはないと思う。
「事実は冷静に受け止めないとね……育て方、間違えたかしら?」
「……遺伝子のレベルでちびに出来てるんですよ。両親がちび! だから」
 ここ数年来思っていたことをきっぱりと言ってやる。なんか気持ち良い。こんなに気持ちいいんなら、もっと早くに行っておくべきだったと、母に背を向けたまま、直樹は表情を崩した。
 が、彼の母はそんなに甘い人物ではない。
「あら、母さん身長はこんなのだけど、ブラのサイズ、貴美ちゃんと一緒よ? それとお父さんもアレで脱いだら結構筋肉質よ……直樹と違って」
 ガックリ……溜飲を下げたのもつかの間。ガックリとうなだれ、彼は先ほどの勢いが嘘のように消沈しきった声でぽつりと答えた。
「そうですか……」
 じゃぁ、どこの家の子供のなんだろう……と、直樹は思う。思って思い出す、身長こそ高いがひょろっとしたお隣さんのご夫婦。二組の夫婦をたして、悪いところを抽出したら自分で、良いところを抽出したら貴美って事ではないのだろうか? と。
「そういえば、良くお隣さんでご飯食べてたわよね、直樹……代わりに貴美ちゃんがうちで良く食べてたけど」
 玄関ドアに手を掛け、嫌な想像に固まる直樹を背後から母の冷たいお言葉が追い打ちを掛ける。深々とうなだれた頭は上がることはなく、弱々しい手つきで彼は扉を開ける。開ければ外は大粒の牡丹雪がしんしんと降りしきる寒空。とてもではないがオートバイで出掛けられるような天気ではない。
「……行ってきます……」
「気をつけてねぇ〜出がらしの息子」
 ドアを閉めるよりも早く母のさらなる一撃が彼の背中を直撃、嫌味なほど明るい声がいっそう深い傷を心に刻む。ちょっぴり『ちび』って言っただけでこの仕打ちである。
「……寒い……心が……」
 自宅の門扉をくぐり道に出ると、父の車が着けたのであろう轍があった。それは直樹の家の駐車場からお隣さん――吉田家の前を通りすぎて、表通りへと続いている。その轍を見るともなしに見ながら、彼は背を丸めて駅に向かって歩き始めた。

 そして、直樹の父親が作った轍と直樹自身が作った足跡が雪の中に消え去るほどの時間が過ぎた。誰も通らなかった高見家と吉田家の門扉を繋ぐ道を、直樹が歩いたのと逆方向に歩く女が居た。もちろん、吉田家一人娘吉田貴美、数日前に二十歳になったばっかり、だ。彼女は高見家の門扉をくぐると取り立ててためらいもせずに、ガチャリと玄関ドアを開いた。
「こんちゃ〜なお、居る?」
 住民が出迎えに立ち上がるよりも早く、彼女は靴を脱ぎ捨て廊下に上がる。幼い頃からしょっちゅう入り浸っている高見家は貴美にとってももう一つの家同然。他人の家なんて思った事なんてほとんどない。
 そして、それはこの家の主婦、柊子も同じ。貴美が居間に入って来たというのにおこたの中で寝転がって出迎えようというそぶりすら見せず、視線も年末で撮り溜めしておいたのであろう新春特番からぴくりとも動かさない。視線は動かさないが手だけはしっかりこたつの上へと伸ばし、そこからせんべいを一枚拾い上げ、口に運びながら彼女は言う。
「あら、いらっしゃい。残念ね、直樹ならさっき出掛けたわよ?」
「そうなん? ふぅん……今年は何買ってくる気なんやろ……?」
 柊子が寝転がるこたつに貴美も腰を下ろし、せんべいを口にくわえる。ピーナッツがたっぷり入った分厚いせんべいは柊子の好物らしく、幼い頃から高見家には常備されているお菓子。貴美も割と好きなお菓子だ。
「また、アクセサリじゃない? 我が息子ながら、頭が固いんだから。誰に似たのかしらね?」
「うちのママじゃない? 杓子定規で妙に律儀なの、そっくり」
「ああ、そうね。メグちゃん、まじめだから……それでそのメグちゃんは?」
「親戚と家で酒盛り。みんな、底なしだから長くって……なんか、面倒くさくなったからこっちに避難して来たんよ」
「吉田家、みんな、底なしよね。貴美ちゃんも強いんでしょ?」
「強いよ。なおの三倍は行ける」
 ポリポリとせんべいをかじる音が見事なユニゾンと化し、テレビから流れる芸能人の馬鹿笑いがそれに合いの手を入れる。ピーナッツせんべいに飽きたら、ミカンに手を伸ばす。塩味が効いてて乾き物のピーナッツせんべいと甘くて水分たっぷりの温州ミカンの組み合わせは最強だ。こたつとテレビとピーナッツせんべいとミカンの組み合わせならば、半永久的に食べ続けることが出来るだろう、と貴美は思う。
 さらにどうでもいい話をいくつも行き来させ、つまらなくも会話のBGMにはちょうど良いテレビ番組がいくつか終わる程度の時間が過ぎる。貴美の前にははこたつの上にピーナッツせんべいの空き袋とミカンの皮がこんもりと山を作ってた。
「貴美ちゃん?」
 ふいに柊子が体を起こした。そして、じーっと貴美の手元、特にミカンの皮とせんべいの袋がてんこ盛りになっている辺りを見つめる。
「貴美ちゃん……もの凄い、食べてるわね……」
「んっ? ああ、本当。美味しいよね、ミカンとピーナッツせんべいの組み合わせ。こう、ピーナッツせんべいで喉が渇いたらミカンで喉を潤して、塩味に染まった口の中をリセットするって感じ?」
 そんなことを言いながら、貴美は新しいピーナッツせんべいの封を切る。その手つきを柊子はじっと見つめ、そしてぽつりと言った。
「……最近、太った?」
 ぴたり……小袋を開ける手が止まる。半分ほど封が切られ、そこから粉や破片がぱらぱらと五つ六つ、こたつの上にこぼれ落ちるも、貴美はそれに気づきもしない。目には映っているのであろうが、見えては居ないといった感じだ。
「貴美ちゃんって、わかりやすいセールスポイント顔とスタイルだけじゃない?」
「おっ、おばさん! そー言うこと、本人の前で言わないでくれる!?」
「ううん、おばさんはね、貴美ちゃんのわかりにくい良いところも沢山知ってるわよ? 本当は凄く繊細なところとか、本当は凄く傷つきやすくて臆病なところとか、ホント、可愛くて、貴美ちゃんみたいな子がうちの娘だったらいいなぁ〜なんて思ってるわけ」
 固まった貴美の手から半分ほど封の切られたピーナッツせんべいを柊子はひょいと取り上げる。取り上げられても貴美の視線は動かず、空っぽになった我が手をじっと見つめ続ける。そして、柊子はその封を最後まで開くとゆっくりと、時間を掛けて、せんべいを口にくわえた。
 ポリポリポリポリ……柊子がせんべいを噛む音とテレビから流れる妙に脳天気な笑い声だけが八畳ほどの和室を支配する。
 柊子の手の中からせんべいが一枚、消え去るまでに必要な時間は一分の半分ほどだった。コックンとそれを飲み干し、彼女はきっぱりと言い放つ。
「でも、二十歳くらいの男はそんなところに気がつかない!」
 ピシッと貴美の顔を柊子の指がとらえると、まるでそこから逃げるようにがんっ! 貴美の額がテーブルの上に落ちた。
「いくら、うちの直樹がちびで軟弱な坊やでも、世の中には『そー言うのが良い!』って言う歪んだお姉様も居るわけだし、安楽にせんべい囓ってミカン剥いてると、足元すくわれるわよぉ?」
 言われて貴美はガックリと肩を落とし、席を立つ。
「……帰る……」
 ぽつりと一言だけを残して、彼女は高見家を後にした。
「あら、帰るの? またねぇ〜あっ、おばさん、貴美ちゃんが直樹に振られても、娘だと思ってるから〜」
 うなだれた背中に柊子のとどめの刃が突き刺さった。

 ンでもって、高見家と吉田家を隔てる塀の辺り、雪の中、一組の男女がばったりと出会った。もちろん、高見直樹と吉田貴美のご両人だ。
(出がらし男……)
 と、直樹は自分のことを思う。
(顔とスタイルだけなのに太った……)
 と、貴美は自分のことを思う。
 見つめ合う二人の間にびっみょーな空気が流れ、その頭上を真白い雪がしんしんと降りしきる。
「よっ! 吉田さん! 今日、誕生日プレゼント、買ってきたんですよ〜」
 妙な棒読みで直樹は言い、小さな包みを貴美に手渡す。
「えぇ〜〜ほんと? なんか、悪いなぁ〜! そんなの気持ちだけで良いんよ?」
 やっぱり棒読みで貴美は答え、つつみを受け取る。中身は口紅、それも今年の流行色だ。
(……何でまともにお礼を言うんだろう……?)
 と、直樹は不思議に思った。
(……今年の流行色なんてどこで知った……?)
 と、貴美は不思議に思った。実際にはもの凄く恥ずかしいのを我慢して、売り場で店員のお姉さんに聞いただけだが、そんなこと、貴美は知らない。
 見つめ合う二人の間にびっみょーな空気が流れ、その背後をガッチャンガッチャンとチェーンを蒔いた自家用車が走り抜けていく。
「「あははははははは!!」」
 乾いた笑い声が二つ、グレイと白で染め上げられた空に響き渡る。
「それじゃ! また、後で遊びに行きますから!」
「うん! 待ってる!」
 そして、二人は妙にぎくしゃくとした足取りで自分の家へ、互いがやってきた方向へと足を進める。すれ違う二人、背と背が向き合う頃、二人の足がぴたりと止まる。ほぼ同時に振り向き、二人はひときわ大きく、ひときわわざとらしい口調で言う。
「あっ! 今年もよろしくお願いします!!」
「うん! 今年どころか、来年も再来年もずーっとお願いするから!!」

 そして、高見家……正月早々、トラブルで会社に呼び出されていた男、高見洋司(たかみようじ)はガチャンガッチャンっとうるさい車を駐車場に止め、自宅玄関のドアを開いた。
「ただいまぁ……家の前で直樹と貴美さんがいたんだけど……」
「お帰りなさい。どうでした? 機械の方は」
 暖かい室内に入ると中年男性の表情も緩む……ものだが、今日は別。出て来た柊子のやけに上機嫌な顔を見やり、彼は「はぁ……」と小さなため息をついた。
「たいしたことはなかったけど……」
 今朝出るときはピシッとのりをきかせていた作業着も数時間の余計な仕事ですでに油ドロドロ。それを靴と共に脱ぎながら、彼は愛妻に尋ねた……いや、愛妻に『確認』した。
「それより、あの二人にまたちょっかい出したでしょ? 柊子さん……」
「若いカップルって無条件にイヂメたくなりません? 幸せそうで」
 そういって高見柊子はにこやかな笑みを浮かべた。
 そして、高見洋司は思う。
(後でフォローしとかなきゃなぁ……)
 さらに彼は思った。
(何でこんなの、好きになったんだろう……)
 と。
 間違いなく、直樹と洋司は親子だった。

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