里帰り(7)
 お年玉を貰ったら年末年始のイベントは八割終わったも同然、と先日良夜は言った。では、残り二割は?
「初詣と年賀状……って所だな?」
 玄関先のポストから年賀状を回収、暖房の効いたリビングでぺらぺらと宛先ごとに仕分けしていく。多いのは姉小夜子、同僚や生徒からも年賀状が届き、総数は二十枚を軽く超えている。特に高校生が教師に年賀状なんて出さなかっただろう? と思うと例のショタコン疑惑とも重なり、不穏な物を感じてしまうが、それは気のせいと言うことにしておく。
「今年は美月もこっちに出すって言ってたわよ、来てる?」
「住所も教えたし……あっ、来てる」
 その中で見つけた二枚の年賀状、一枚は喫茶アルトの常連全員に出してる年賀状、もう一枚は三島美月個人からの年賀状。店からの年賀状は業者に頼んだ印刷物に美月か和明が一筆添えた物だが、美月からのはしっかり手書きだ。特有の丸っこい癖字は筆ペンになっても変わらず。筆ペンでの文字が上手なのは、調理師学校の授業に毛筆があったかららしい。
『あけましておめでとうございます。
 旧年中は色々お世話になりまして〜
 今年もお世話してくださいね』
「……迷惑かけてる“自覚”と今年も迷惑をかける“つもり”はあるらしいわね……」
「今年、三年でそろそろ忙しくなるんだけどなぁ……」
 美月がしたためた文面に良夜は苦笑い。二枚まとめて自分の山へと重ねる。ほかにはタカミーズからもおのおの一枚ずつ来ているし、高校時代の友人――先日同窓会で会ったばっかり――やら、大学の顔見知りからも数枚、おおむね出したところからは帰ってきてるという感じ。
「ねえ? 良夜」
 四十枚前後の年賀状を一通り仕分けし終えた頃、アルトがふと、良夜の顔を見上げてつぶやいた。
「私宛には出した? 去年は『その他一名』扱いだったけど」
「お前、今年、ここにいるじゃねーか?」
 テーブルの上から見上げるアルトに言葉を返すと、アルトの顔が少しだけ曇る。とは言っても、年賀状を書いたのはこっちに帰ってきてから。目の前にいる上に元旦も朝から一緒にいる予定の奴に年賀状を出すなんて事は考えも及ばない。
 そんな説明を聞けばアルトも納得する以外にないのか、「そうね……」とつぶやく。しかし、その唇は釈然としない感情を隠すことなく、つんっと突き出されたまま。トコトコとテーブルの上を歩いて、良夜が仕分けした山から美月の年賀状を引っ張り出す。
「……じゃぁ、どうして、美月の年賀状に私の名前がないのかしら? あの子も私たちがこっちに来てから年賀状を書いたはずだけど……」
 引っ張り出した年賀状を見直してみても、名前は良夜の分が一つあるだけ。ひっくり返そうが、めくってみようが、アルトの名前なんてありゃしない。
 それをアルトから受け取り、良夜はもう一度、テーブルの山へと片付けつつ、答える。
「そりゃ、お前……お前の家が美月さんの家だからだろう? 同居人に年賀状出す人ってあまりいないと思うぞ?」
「……なんだか、釈然としないのだけど?」
 突き出した唇はますます鋭さを増し、彼女は良夜の顔をジト目で見つめる。見つめられても困るだけなのだが……だが、まあ、タカミーズ辺り、特に妙なところで律儀な直樹は三島家宛の年賀状にアルトの名前を書いていても不思議ではない。
「って所だから、帰るのを楽しみにしてろ……――って、なぜ、俺の携帯電話にとりつく?」
 テーブルの上、転がしていた二つ折りの携帯電話を両手両足で開こうとしている妖精が一匹。声を掛けると彼女は右半分を苦々しくゆがめながら、チッと口の中で舌を鳴らした。
「美月に聞いてみようと思ったのよ」
「美月さんと話しできねーじゃねーか……お前」
「だから、美月が出たら代わるつもりだったわよ」
 マイク側を踏みつけ、スピーカー側をちゃぶ台返しの要領で開くと、アルトは問答無用にメモリの中から喫茶アルトの番号を選び出して通話ボタンを押していた。
「お前、相変わらず、教えてもない家電製品を上手に使うよな……」
「こんな物、見たら判るように出来てるのよ?」
 呼び出しが始まった電話をぷつっと叩ききり、それをポケットへ。アルトが「あっ!」と落胆の声を上げるが、軽く無視。
「もぉ! けちんぼっ!」
「美月さんだって仕事中なんだから……さてと、初詣にでも行くか? お前は?」
「どーせ、暇をもてあまして昼寝してるだけよ……って、行くわよ。駄猫と留守番はもうこりごり」
 アルトの返事を聞き、良夜は美月がカウンターで突っ伏して昼寝している様を思い起こす。去年のお正月はそんな感じで過ごしていたそうだ。
「きっと電話してあげたら喜ぶわよ?」
「喜ばれてもなぁ……夜になったら、また、美月さんがかけてくるから。それを待ってろよ」
 仕分けし終えた年賀状を一人分ずつ輪ゴムで止めて、良夜はアルトに視線を向ける。その顔をアルトはやっぱりジト目の三白眼で見上げ、一言だけつぶやいた。
「電話代が高いとか思ってるでしょ?」
「そこまでせこくない」
 束ねた年賀状、自分の分は後で部屋に片付けるとして残りは茶箪笥の中。椅子に引っかけていたコートを手に取り、良夜は「出かけるぞ」と声を掛け……――る口が電話のコール音によって阻まれた。
「ん? 誰だろう……って、美月さんだ」
「ナイスだわ、美月」
 アルトの金眼が三白眼からまん丸い物へと早変わり。トントンと良夜の手から腕を蹴っ飛ばし、肩口へと舞い上がる。そして、良夜の肩にちょこんと腰を下ろすと、
「早く出たら?」
 と、良夜に促す。
「判ってるよ……」
 ため息一つ、やっぱり、今日も暇だったんだなと思うと喫茶アルトの今後がちょっぴり不安になった。
「もしもし、どうしたんですか? 美月さん」
『ふえ? どうしたもこうしたも、電話したの良夜さんですよね?』
 良夜の声に美月は不思議そうな声で応える。その声に良夜は「ああ……」と頭をかきながら、小声を上げた。番号通知、店舗の黒電話にはそういう立派な機能はついてないが、事務所のファックス付き電話にはちゃんとついてる。美月が事務所にいることは滅多にないので、きっとそっちまで確かめに行ったのだろう。
「アルトですよ、アルト」
『アルトですか? なんのご用でしょう? 私だって、忙しいんですよ? 知ってますか?』
「忙しいって……どうしたんですか?」
 てっきり暇を持て余して寝ているだろうと思っていた美月から意外な台詞。あれ? と小首をひねりながら、良夜は尋ね返す。
『はい! 悪夜ちゃ――いえ、何でもないんですよぉ? すごーく暇してました! もう、ものすごく暇でしたので、もっと沢山電話してくれても良かったんですよ?!』
 悪夜の名前だけは元気よく、続く言葉はしどろもどろ。失言に気づいてからの彼女は早口で言い訳を並べ立てた。それを聞きながら良夜とアルトは深いため息をつく。
「……店内にアヤのケージを持ち込んだんですか? ネズミ持ち込み禁止じゃなかったんですか?」
『うう……だってぇ〜お客さんなんて来ませんからぁ〜あっ、それで、アルトはなんの用事だったんですか?』
「……元旦から喫茶店って言うのもあまりないでしょうからね……ああ、タカミーズの年賀状にアルトの名前はあったか? って聞いてます」
『ああ、年賀状ですか? ちょっと待ってくださいね』
 ごまかしてるなと内心思うもそれをあえて指摘せず良夜が言うと、美月は安堵の色がにじむ声で答える。そしてしばしの間保留の音楽が受話器の向こう側から聞こえ始めた。
「書いてなかったら刺してやるわ」
「元旦早々剣呑なこと言うなよな……」
「とりあえず、今日は良夜を刺して溜飲を下げておくの」
「おいおい……」
 受話器を肩に引っかけたまましばしの待ち時間、それをアルトと言葉を交わすことに費やす。そして、彼女が構えるストローに軽く戦慄を覚える頃、不意に保留の音が途切れた。
『えっと……直樹君は『アルト様』で吉田さんのは『あるちゃんへ』になってましたよ?』
「誰があるちゃんよ!! 全く……まあ、許してあげるわ……」
「……――って言ってます」
 フンッ! と肩口に座ってそっぽを向くも、その横顔が緩むことを彼女は隠し切れていない。指摘すればきっと烈火のごとくに怒り狂うだろうから、あえて指摘はしないが、良夜は含み笑いを漏らしながら美月にアルトの言葉を伝えた。
『あはっ、でも、あるちゃんって言うのも可愛いと思いますよ? あっ、そうだ。吉田さん達から年賀状いただいたんですから、アルトもちゃんとお返事、出してあげてくださいね』
「なによ! 笑うことないじゃな……――えっ?」
 照れ隠しの怒声が途中で止まる。
『当たり前じゃないですか〜貰ったら、返さなきゃ行けないんですよ? 知ってますか?』
「いや……まあ、確かにそうだけど……仕方ないわね、後で書いておくわ」
 不承不承といった面持ちで彼女は首を縦に振る。
「そういえば、お前、字なんて書けたのか?」
『ふえっ!? アルトって字が書けるんですか?!』
 ほぼ同時、良夜と美月が驚きの声を上げるとアルトは苦々しい表情で良夜をにらみあげる。
「あのね……昨今、幼稚園児でも文字は書けるわよ。だいたい、書けって言ったの美月でしょ!? 何でそんなに驚くのよ!!」
 そういわれれば書けても不思議ではないのだが、だったら、美月ともあんな遠回りであやふやな意思疎通の方法ではなく、筆談でも何でもやればいいのに……と良夜は思い、同じ事を美月も思ったらしい。
『じゃぁ、私にも書いてくださいっ! 筆談でしたらこれからもっともっと沢山、お話が出来ますね!』
 ぱっと華やぐ美月の声。頭の片隅で『じゃぁ、俺、用済み?』とか思ったりもしたが、それは口に出さない。本当に用済みとか言われたら立ち直れそうにないからだ。
 が、アルトの返事は素っ気ない物だった。
「いやよ。ほら、良夜。年賀状の余りを出しなさい。こういう事はさっさとやってさっさと終わらせるのに限るのよ」
 トンと良夜の肩を蹴ってアルトの小振りな体が宙へと舞い上がる。それを見送り、美月にアルトの言葉とほかに二言三言、軽く年始の挨拶を済ませて、良夜は電話を切った。
「少しくらい美月さんに書いてあげたって良いだろう?」
 アルトが向かったのはリビングの片隅、電話台の辺り。そこにメモ帳と共に置かれていたボールペンを引っ張り出して、彼女は背負っていた。
「これ、見てみなさいよ。こんなに大きな物を持って書くのがどれだけ大変か、貴方には判らないのかしら?」
 言われてみれば、ボールペンの長さはアルトの身長とほぼ同じ、太さは握った指が回りきらないほど。確かにこれで書くのは面倒くさそうだな……と良夜も思う。
「たまには良いだろう? 美月さん、がっかりしてたぞ」
「どーせ、すぐに忘れるわよ。それより、年賀状、二枚。さっさと出して」
 とりつく島のないアルトの態度にヘイヘイと投げやりな返事を返しながら、茶箪笥の引き出しを開ける。中には書き損じた年賀状と共に新しい年賀状が数枚、郵便局のマークが入ったビニール袋に包まれ、入れられていた。そこから言われたとおりに年賀状を二枚出して、良夜は携帯電話と共にテーブルに置いた。
「ほれ、年賀状。タカミーズの住所はここに入ってるよ」
「……判ったわよ。良夜、貴方、あっちの部屋で待ってなさい」
「なんでだ?」
「別に良いでしょ? 見られてると書きにくいのよ」
「なんだよ……それ……」
「良いから出て行け!!」
 ボールペンを投げ出し、彼女はストローを構える。右手はストローを震えるほどに握りしめ、両足は大きく曲げられ、あらん限りの力が込められる。まさに発射数秒前の弩だ。
「判った判った。判ったから正月位刺すなって。それ、書き終わったら初詣だからな」
 もの凄い剣幕で怒鳴るアルトを捨て置き、良夜は隣の部屋へと向かう。向かう背中にかけられる言葉はやっぱり怒声。
「覗いたら、その目ン玉、本気でえぐるわよ?!」
「鶴の恩返しかよ……」
 元旦昼過ぎ、テレビ番組は年末の内に撮り溜めされた番組ばっかりでお世辞にも面白いとはいえない物ばかり。それをぼんやりと眺めること小一時間、高々年賀状二枚書くのに何時間待たせるつもりだ? と思い始める頃、隣の部屋からアルトの声が響いた。
「終わったわよ。綿菓子食べに初詣に行くわよ!」
「初詣の主題は綿菓子じゃねーぞ」
 居間とリビングを隔てるふすまを開くと、アルトはテーブルの上からポンと良夜の肩へと飛び乗る。小さな衝撃を肩で受け止め、良夜はテーブルへ。
「年賀状は?」
「後で出しに行くわ」
「……いや、無理だろう? お前じゃ……だいたい、年賀状が空を飛んでたら、怪奇現象じゃねーか。正月早々、テレビ局が取材に来ちまうぞ」
「いいから!!!」
 アルトは声を荒げて、良夜の髪をつかむ。つかむも良夜の歩みは止まらず、テーブルの上に放置されたままの年賀状をひょいをつかみあげた。そして、心の片隅に浮かんでいた想像が正しかったことを彼は知った。
「…………やっぱり」
「クッ……わっ、笑いたければ笑いなさいよ……」
 アルトの書いた年賀状とアルトの顔を良夜は数回見比べてみる。年賀状に変化は見受けられないが、アルトの顔はみるみるうちにゆだっていき、その大きな瞳が羞恥に揺れる。そして、年賀状をもう一度、今度はじーっと凝視してみる。何度見返しても変化することなく、年賀状は――
 読めなかった。
「……なあ、アルト。なんだ? この食中毒にかかったミミズのラインダンス」
 きっとこれが年賀状に書かれていなかったら、ただの落書きだと思って捨ててしまうこと請け合いってくらい、アルトの文字は下手くそ。
「うっ……うるさい!!! それでも努力したのよ!! 努力は!!!」
 そういって彼女は叫んだ、それも半泣きで。まあ、良夜自身はアルトの努力を買っても良いのだが、これを解読してタカミーズの家まで年賀状を運べと郵便局の配達員に言うのはいくら何でも酷という物だろう。なんと言っても、『吉田貴美』の文字がなぜか五つの固まりで構成されてるんだから、その暗号文の難易度が理解できるだろう。
「ああ、『吉』の字、『士』と『口』が離れすぎてるんだな。後、『士』が『土』になってるっぽい……何より、一画たりとして真っ直ぐに引かれてる線がない……」
 貴美の『貴』もなんだか怪しいし、『美』の字に至っては横棒が一本足りてない気がする。それでも『吉田貴美』なんて字は割と簡単で画数の少ない文字で構成されている分だけまだマシだ。直樹の『樹』の字なんて、潰れてただの黒い四角にしか見えない。これがタカミーズの実家にまで届いたら、配達した配達員を表しても良いと良夜は思う。
「じゃぁ、これを使ってみるか?」
 そういって良夜はボールペンを分解し、中の芯だけを取り出す。それを適当な長さに切り取ればアルトにもちょうど良いサイズの筆記用具。それを受け取ると彼女は、良夜を追い出すこともせず、黙って書き損じた年賀状にすらすらと文字を書いていく。
 待つこと数分……
「……どう?」  今度は上手、とまではいえないが、まあ、読めないことはなかった。ただし――
「お前、米粒に写経してみたら?」
 年賀状に隅に書かれた文字とアルトを見比べ、彼は静かにつぶやいた。アルトが二度目に書いた文字、それは上手とまでは言えないが読めないことはなかった。ただし、手元に虫眼鏡があったらの話。一文字が米粒よりも小さい文字を読めるほど良夜の目は良くなった。
「……割と簡単ね、それは」
 妖精は全泣きになっていた。
「……まあ、あれだな。住所と宛名だけでも書いてやろうか?」
「……全部、代筆、お願い……」
 結局、タカミーズ宛の年賀状は良夜が代筆することとなり、美月の『アルトと筆談』の夢は夢のままに消え去ることになった。

 なお、このとき、アルトが失敗した二枚の年賀状、そのうち一枚は切手シートが当たっていた……のだが、それは当選発表の日を待たず、アルトの手により滅せれていた。

前の話   書庫   次の話

ランキングバナーです
ランキングバナー
面白いと思ったら押してください