里帰り(5)
 さて、暮れも押し迫った三十日。この日、喫茶アルト……じゃなくて、某県某所一般家庭浅間家に滞在している妖精アルトちゃんはお一人で留守番していた。そう言うのも、今朝、良夜がこんなことを言って出かけてしまったからだ。
「俺、今日、同窓会」
 付いていくと強硬に主張したものの、良夜が半分ほど泣き顔になって「頼むから来ないでくれ」と言うにいたり、アルトも引っ込んだ。もっとも、男子校の同窓会、しかも会場はホテルとかじゃなくて、一次会がファミレスで二次会は居酒屋っていうのだから、あまり付いていっても楽しそうにないのも事実だ。
「だけど、暇なのよねぇ……この家」
 暇なのには慣れているつもりだったが、周りにいるのはさっきから昼寝ばっかりしている猫が一匹。テレビを付けてもやってるのはつまらない年末特番ばっかり。楽しそうにおしゃべりと食べ物に興じている客もいなければ、香ばしいコーヒーの香りもしない。そうなるととたんに退屈の二文字が彼女の心を支配する。
「意外と……退屈に慣れてないのかしらね?」
 居間のテーブルから芸能人だけが楽しいテレビ番組に視線を向け、彼女は自嘲気味につぶやく。せめてテレビゲームくらいあれば……と思うのだが、良夜が持っているテレビゲームは全部アパートだし、小夜子はそういうことを一切やらない。だから、仕方なしに彼女はテーブルの上に両足を投げ出し、つまらないテレビの番をし続けていた。
「ニャァ〜」
 ぼんやりしていた耳に飛び込む、間延びした鳴き声。ちらっと視線を向けてみると、昼寝していた武王がぐぃ〜〜〜っと背筋を伸ばしていた。
 アルトは基本的に動物が嫌いだ。見えているのか、それともその他諸々の器官で感づいているのかはわからないが、動物はアルトの存在を察知する。それは武王と名前だけはやけに勇ましいが、実は日長一日昼寝してばっかりの駄猫≪だねこ≫も同じ。どうにもここ数日、奴と良く目があう。
 そんな彼は、ひとしきり体を伸ばし終えると、大きな瞳を彼女に向ける。
「ナァ〜」
 そして、もうひと鳴き。まるで話しかけているようにも聞こえるが、単にあくびをしたようにも見えた。
「おまえの言葉なんて判らないわよ」
 プイッとそっぽを向き、彼女は飛び上がる。パタパタと小さな一対の羽を羽ばたかせ、天井からぶら下がっている照明器具へと着地を決めた。和室にありがちな傘付きのペンダントライト、その裏っ側はちょっぴり埃で汚れているが、武王がここまで飛び上がれないのは確認済みだ。その端っこにちょこんと腰を下ろして、彼女はべろべろ〜っと数回舌を上下に動かす。それを見上げる武王の顔は、アルトの錯覚かもしれないが、どこか悔しげ。
「ふんっ! たかだか、猫畜生が私に喧嘩を売るなんて二十年早いわよ!」
 アルトが吐き捨てるように言うと、武王は招き猫よろしく右の前足を大きく前後に振るう。ちょいと伸びた体と合わせて考えれば、奴が彼女を狙っていることは明らか。
「このデブ猫! 運動不足なのよ! 悔しかったらここまで来てみなさい!」
 彼女が叫んでも、武王はちょいちょいと小さな手を前後に動かすだけ。それ以上のことは何もできやしない。それがアルトには心地いい。その心地よさと言えば、先ほどまでは全く面白さの判らなかったテレビ番組すら、気持ちよく笑えてしまうほど。
「くす……ほんと、馬鹿ね、こいつ」
 そういった対象は半分が液晶テレビの中で、くだらない体験談をぺらぺらとしゃべっている若手芸人、そして残り半分は未だに手をちょいちょいさせ続けている駄猫。傘の端っこから下に投げ出した足を前後に揺らし、素足のかかとを傘にぶつけてリズムをとる。きっと普段の木靴ならいい音が出ただろうに……と思うが、ないものは仕方がない。
 アルトは鼻歌とちょっとはおもしろくなったテレビ番組で時間をつぶす。駄猫は恨めしそうな(アルト主観)目で見上げる。そんな時間は数十分。武王は不意に立ち上がるとノッシノッシと垂れ気味の体を揺らして部屋の隅に向かって歩いていった。
「……勝った、動物相手に初めて勝った……」
 彼女は心の中で小さく拳を握りしめる。思い起こせば、今年は動物と関わってろくな目に遭っていない。綾音の飼ってるドーベルマンには追いかけられる、タカミーズの家のハムスターには噛まれる。それ以前にも、シオカラトンボと一緒に美月に叩き落とされたり……ほんと、動物なんて全部滅びてしまえばいい、と切に思う。
 だが、アルトの人生は無駄に理不尽にできあがっていた。
 部屋の隅へと向かった武王、彼はそこで素直に昼寝をするつもりではなかった。
 トコトコ……アルトが勝利の余韻を存分にかみしめているときの事だった。彼女の気づかぬうち、彼はキッと視線を照明器具へと向けていた。彼は静かにしっぽを三回だけ揺らし、そして――
 走った!
「助走つけたって……」
 部屋の隅っこから照明の真下に向かって、一目散に……通り過ぎる。
「ん?」
 あれ? と思うことにアルトは一秒の三分の一ほどを使用。その次の瞬間、疑問は氷解する。
「ニャッ!!」
 鋭い気合いのひと鳴き、照明の真下を通り過ぎた彼が一気に全身のバネを解放! その巨体が飛んでいくのは窓の障子! 障子の桟に前足を引っかけ、体を強引にねじる。ねじり、わずかに落ちた位置からもう一度後ろ足のバネを爆発させれば、その体は見事に宙を飛ぶ。
「うっそっ!?」
 アルトの大きな目がまん丸に見開かれる。見開く目には武王の勝ち誇った(アルト主観)笑み。
 がんっ!!
 大きな音を立てて、武王の巨体が照明の傘にぶら下がる。アルトの目の前に、二本の手と武王のどこか愛嬌のある顔がひょっこり。ニャーニャーと獣くさい吐息がアルトの鼻先をなめる。
「ぶっ、武王?! ちょっと落ち着きなさい!? 私なんかよりも猫まっしぐらの方がおいしいわよ!?」
 半ば抜けた腰を引きずり、彼女は照明の反対側へと逃げる。逃げるにしても狭い照明器具の上、逃げ場など限られているし、ここまで逃げても追っかけてくるんだから、ここから降りても逃げ場なんて……
 と、軽く覚悟を決めるも、武王はそこからいっこうに登ってくる様子はない。ただ、じたばたと体を動かし、ニャーニャーとやっぱり間延びした声で鳴き続けるだけ。不審に思って下をのぞいてみれば、武王の下半分は宙でぶらぶら。上がるための足場はもとより、体の支えすらない。
 トコトコと武王の目の前にまで戻り、彼女は言う。
「ねえ、武王……一つ聞きたいのだけど……貴方、これからどうするつもり?」
 そして、妖精はにやりと笑った。
「武士の情けよ、武王……介錯してあげる」
 彼女はストローを抜く……いや、元々ストローに鞘なんてないわけだが、一応は気分だ。
「小夜子には武王は雄々しく戦って散ったと伝えておいてあげるわっ!!!」
 サディスティックな笑みを浮かべて、ストローを振り上げる。振り上げたストローが窓から差し込む冬の日差しにきらりと光った。その光に武王もただならぬものを感じたのだろう、じたばたという体の動きはいっそう激しさを増す。
「ふふふ……無駄よムダムダ……武王、貴方の運命はここから落ちることに決まってしまったのよ。大丈夫、ここから落ちてもたぶん死なないわ……運が悪かったら死ぬかもしれないけど」
 数回、ストローを上下に動かし、彼女は焦らす。武王はそのたびにニャーと大きな声を出して、体を揺する。それがこれまた気持ちが良い。思わず、後二−三時間、このまま、焦らしてしまいそう。
 だから、彼女は気づいていなかった。
 頭の上、照明器具を支えるフックと天井がミシミシと嫌な音を立てていることに。
「さあ、お遊びはここまでよ、死になさい、この駄猫! 私を驚かした罪は万死に値するのよ!!!」
 ストローを一気に振り下ろす!! 武王は暴れる!! そして――
 天井があきらめる。
 ぼこっ!
 天井ボードは心地よい音を立てて大きな穴を開ける。そこに刺さっていたフックは最後まで自身の役割を全うしようとしていたものの、土台がなくなれば蟷螂の斧に過ぎない。フックと照明器具、ついでにアルトと武王はニュートンが見つけた法則が正しいことを身をもって知る。
「うっそっ!? パートツーよ!!」
 どこか余裕のある悲鳴を上げつつ、アルトは真っ逆さま。飛び上がろうとすれば天井から落ちてきたボードの破片が頭を直撃、怯んだところにコードか何かがしたたかに背中をぶん殴り、彼女の開くべき羽は痺れて動かない。
「ニャッ!!」
 そんなアルトを横目に、武王はくるんと半回転、着地はもちろん両足から。十点満点で十二点あげたくなるような着地を見せると、彼はスタスタと部屋の隅っこ、テーブル下のお気に入りの場所へと歩いていく。そのテーブルの下に入る直前、彼は振り向き、チラリとアルトを一瞥した。
「にゃぁ〜?」
 そこで奴は笑った(アルト主観)
「かっ、勝ち誇ってんじゃないわよ!! 自分だって落ちたくせに!! 引き分けよ! 引き分け!!!」
 照明器具の下から彼女は叫んだ。
「ひっ、引き分けなんだからぁ……」
 そして、泣いた。

 さて、ひとしきり泣いて、照明器具の下からアルトは這い出した。這い出したところから天井を見上げると、そこには五センチ四方の穴がぽっかり、ブラックホールのごとくに口を開いていた。
「……手抜き工事じゃないのかしらね?」
 軽く冷や汗をかきつつ、馬鹿猫と施工工事屋に責任をおっかぶせる事にする。最悪、良夜が帰ってくる前に逃げだそうかとも思ったが、灰色の空が寒そうに見えたのでやめた。しかし……と彼女は思う。
「……ここも寒いのよね、穴から入ってくるすきま風が」
 気持ちよく効いていた暖房も天井裏から流れ込むすきま風で台無し。その音を聞いているだけで身も心も冷え切ってしまいそう。その証拠……とも言うべきだろうか? 武王はさっさと隣のリビングに逃げ出している。
「馬鹿猫ぉ……貴方にも責任があるんだから、半分は冷えなさいよ……」
 そう思うのなら、アルトもリビングに逃げ出せばいいのだが、問題が一つあった。それはリビングにはテレビがないってことだ。車は三台もある家なのにテレビは、居間に置かれている一台しかない。良夜がアパートに持っていったのと、小夜子にテレビを見る習慣がないのが原因。
「……寒さと暇さ、どちらを優先すべきなのかしら……?」
 二律背反。落ちた照明の端っこから穴を見上げ、彼女はつぶやく。つぶやいた声が天井から流れ込む冷たい風に紛れてどこかに飛んでいく。いくつも風にため息を乗せ、彼女はぼんやりと考え続ける。
 そして五分が過ぎた。
「仕方ないわね、穴をふさぎましょうか……」
 パタパタと飛び上がり、彼女はリビングへと向かう。リビングの隅っこには古新聞の束が丁寧に積み上げられ、片付けられているはず。ここに間借りして数日、すでに部屋の間取りはばっちり頭の中だ。
 が、今日の彼女はツイていなかった。
「この馬鹿猫ぉ……そんなに、私のことが嫌いなのっ!?」
 震える声、震える手にストローを握りしめ、彼女は苦々しく言う。
 角部屋の浅間家にはリビングの東面に腰窓が作り付けられている。古新聞の束は布製の袋に詰められ、そこに積み上げられているのだが、本日ただいま、そこは――
「ニャァ?」
 武王のベッドだった。
 東は腰窓、南にはベランダへと続く大きな窓、二つの窓から差し込む日差しは曇り空の元とはいえども、十分な暖かさ。彼はうずたかく積み上げられた新聞の上にでーんと丸まり、ひなたぼっこの真っ最中。近づいてきたアルトに気づいたのか、一度だけチラ見をするもすぐに興味を失い、すぐに視線を外す。外した視線と顔を壁と新聞紙の間に突っ込み、壁と新聞紙の間で彼は再び、大きめの体を小さく丸めた。
「……そこから降りる気はない訳ね? ふんっ! 別に良いわよ!! どーーーしても新聞紙がいる訳じゃないんだから!!」
 吐き捨てるように言うと、彼女もまた彼から視線をプイッとそらす。確かに『古新聞』はそこにしかおいてない。しかし、『今日の新聞』は、プイッとそらした視線の先――テーブルの上に鎮座している。今朝、良夜が読んで放置していった新聞だ。片付けなさいよ……と苦言を呈したものだが、今となっては救いの“紙”だ。
「ふーん! 私は大人だから、馬鹿猫なんか相手にしないのよ!!!」
 きびすを返し、テーブルの上へ。新聞の中から適当に数枚抜き出すと、彼女はその端っこをつかんだまま、ふらふらと宙に舞い上がった。たかが新聞紙数枚といえども、小柄なアルトには結構な重さ。先ほど痛打した背中とそこから生える羽は、いまいち力がこもらず、速度、高度、方向すべてにおいて安定飛行と呼ぶにはほど遠い状況。それでも彼女は一生懸命飛んだ。自身の生活環境を守るため。
 ところで猫は基本的に揺れるものを見ると飛びつかなくては気の済まない生き物だ。
 で、速度、高度、方向すべてにおいて不安定飛行を続けるアルトと彼女がぶら下げている新聞紙、『揺れる』と言えばこれ以上揺れるものなんてない。
 だから、彼は走った。
 跳んだ。
 つかんだ。
 武王がつかんだ端っこを中心に新聞紙が円を描く。
「うっそぉ!!! 第三部っ!?」
 円の端っこ、武王とは対角線上の新聞紙をつかんだまま、アルトは二度目の墜落事故を起こした。それも今度は顔面から。めくれるスカート、本日はストッキングが手に入らなくて生足、ずれた下着から見えるおしり半分ほど共に露わになる。
「もぉ……いやぁ……アルトちゃん、おうちに帰るぅ……」
 落ちた新聞紙と叩き付けられたアルトはぴくりとも動かず。動かない物体に興味を失った武王が一声鳴いた。
「ナァ〜〜〜」

 良夜が帰宅したのはそれから半日後のことだった。ファミレスで楽しい食事、ボーリングとゲーセンでたっぷりと遊んで、とどめは居酒屋で大いに盛り上がって、上機嫌……だったのも、部屋に入るまで。
 震えるような寒さと漆黒の闇の中、ぼぉ〜と浮かび上がる金色の物体とそこから聞こえる、
「えっぐっ……えっぐぅ……美月ぃ、和明ぃ……猫が……猫が私をいじめるのぉ……」
 と、すすり泣く声に彼は力一杯引いた。
「で……それでも新聞紙を詰めようとしたら、切れた電線をショートさせて、ブレーカーを落として、ブレーカーがどこにあるのかわかんないから、俺が帰ってくるまで、真っ暗アンド暖房なしの部屋で一人、めそめそ泣いてたわけか……」
 もはや、怒りすら通り過ごし、完璧に同情している良夜の前でアルトはコクコクと何度も頷いた。
「あのね、あのね、天井の件はすごく悪かったと思ってるのよ? でもね、三分の二くらいはあの馬鹿猫のせいだと思うの、何か言ってやって?」
 先ほどから呼吸の代わりにため息をつく良夜に、アルトは涙ながらに訴えた。その訴えを聞き、良夜はゆっくりと立ち上がる。そして、そばでくつろぐ武王の元へと近づき、彼を抱き上げた。
「……武王」
「ナァ?」
 しっぽを振って答える武王に良夜は重々しく言う。
「……良くやった。猫まっしぐら食うか?」

「美月に言いつけてやるぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!」
 その日、彼女は押し入れの中に閉じこもり、出てくることはなかった。

 そして、武王は大好きな猫まっしぐらに舌鼓を打っていた。

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