里帰り(4)
 浅間家には三台の車がある。別に良夜の家がすごくお金持ちというわけではない。大学周辺同様、このあたりも地方都市で自家用車がなければすぐに身動きが取れなくなるってだけ。特に父の会社など最寄り駅から五キロも離れているし、姉の勤め先など、電車一つ乗り過ごしたら二時間待ちという愉快な場所にあったりする。マンションの駐車場は一家に一台と追加で一台の二台分が最大。姉の使っているスイフトと一番高い父のクラウンがそこを占領しているため、残り一台は家から五分ほど歩いた月極駐車場に止められている。
 そこに向かい、良夜は寒空の下、大きなトランクケースを両手にひとつずつぶら下げ、とぼとぼと歩いていた。
「……なに入ってんだ? これ……」
「一つはあっちで読む本だよぉ? ゴールドコーストで海を見ながら読んだり、エアーズロックを見ながら読んだら、きっと、つまらない本でもおもしろいと思うのぉ」
 夢見る乙女を気取る小夜子から視線をそらせば、月極駐車場の看板とそこに止まっているモスグリーンの軽自動車が見え始める。良夜が物心ついたときにはすでに家にあった車、スズキジムニーだ。購入して十数年は経っているはずなのだが、色々と手が加えられ、未だに現役。
「つまんない本はどこで読んでもつまらないと思うよ……」
 小さく、そして投げやりにつぶやきながら、預かっている鍵で後部ドアを開く。車体の割には広いが一般的な車として考えれば狭い荷台にどっかと二つ、トランクを放り込む。本が詰まってる方のトランクは異様に重い。下手に持ち上げると腰にきてしまいそうだが、小夜子は決して手伝わない。なぜならば――
「ねーちゃん、女の子だよ? りょーや君、やってくれないの? ひどぃ……」
 といってよよと崩れる。昔から、都合が悪くなると「女だから」と「ねーちゃんだから」を小夜子は多用する。きつく言えば言うとおりのことをやるのだが、終わってからネチネチネチネチネチネチとすねて、嫌みと不平を言い続けるのだからたまらない。
 どっかと荷物を放り込むと、だまーって良夜の胸ポケットに潜り込んでいたアルトがトンと飛び立つ。今朝、真っ裸を見られたことを未だに根に持っている様子。一応は一緒に朝ご飯も食べたし、付いても来ているのだが、一言も口をきかない。
「今更だろうに……」
 ぽつりとつぶやいた言葉にアルトの顔がクワッと上を向く。そして、怒り心頭に発し、彼女は大声で叫ぶ。
「その態度が気にくわないのよ! ちょっとは喜ぶか照れるか萌えるかなさい!! ロリのくせに!!!」
 石弓にはじかれたように彼女は飛んだ。普段はとろいくせにこういうときだけ早い。
 そして、ストローは二度振られる!!
 ざくっ! ざくっ!
「荷物、積み終わった?」
 ひょっこり小夜子がのぞき込んだとき、彼は頬を押さえてもがいていた。その弟を見下ろし、彼女は言う。
「ほっぺた……気がつかなかったけど、武王にやられちゃった?」
「違う……貧相な蜂にやられた……」
「ふぅ、やっと、すっきりしたわ」
 そして、ワインレッドのドレスを着た貧相な蜂は後部座席ですがすがしく背伸びをしていた。
 さて、良夜はすべての荷物を積み終えると迷うことなく、運転席のドアを開いた。ミッションの車は自動車学校卒業以来で多少不安だが、まあ……正直、十年選手のこの車なら相手がガードレールや電柱程度なら多少ぶつけても良いや、なんて危ない思考もあったりする。
 が、その出鼻をくじいてくれるのがお姉様だ。
 彼女はちょんちょんと良夜の肩口、アルトのすぐ横をちょんちょんと突くと、彼の顔を自分の真っ正面に向けさせた。
「りょーや君、どこに乗ってるの?」
「どこって……送るんだろう?」
「あのね、ねーちゃん、りょーや君の運転する車に乗る勇気――」
 ほにゃぁ〜とした半開きの目とやっぱりほにゃ〜とした口調、ぱたぱたと右手を振りながら彼女はいったん言葉を切る。今日も元気に寝不足なのか、彼女の外見から覇気という物を感じることはできない。
 が、次の瞬間、彼女の表情と口調はがらりと変わる。
「ないから」
 大きく見開かれる瞳、口調もきっぱりとした断言口調。ポカーンと良夜の口が大きく開く。
「……じゃぁ、送らなくて良いの?」
「ううん、ねーちゃんが運転していくから、りょーや君はねーちゃんが降りたら、ひ・と・り・で、車を家まで持って帰って。怪我するときは一人で怪我してね」
「……あんた、最低だ……」
 と、言うことで運転するのは小夜子、助手席にはアルトを頭に乗せた良夜が乗り込むことになった。
「あら、この車、カーナビが付いてるのね?」
 ふわりと頭の上から舞い上がり、彼女はダッシュボードの上に軽やかに着地を決める。そして、向かうのはカーナビのモニターの前だ。彼女は興味深そうにモニターを眺め始める。ぺたぺたとモニターを触りながらも、その周りにあるスイッチのたぐいに触れないのは、すぐそばに小夜子がいるという配慮からだろう。
 が。
 ぴろん!
「「うわっ!?」」
 ナビのどこか間の抜けたアラームが鳴るのとほぼ同時、小夜子とアルトが大声を上げる。アルトの方はともかく、いざ発信と意気込んだところにこのイベント、小夜子がガッ! とブレーキを踏みつけると良夜の体はつんのめる。シートベルトをしていた良夜はともかく、してないアルトはカーナビの液晶にディープキスをかましてる。
「タッチセンサー、ほこりでも付いてたんだろう? 気にすんなよ」
 つんのめった体を起こし、画面を拭く振りをしてアルトを回収。ホコリ呼ばわりされたアルトがジト目で睨んでいるが、この場合なので無視をする。
「そっ、そうなの? ねーちゃん、こういうの全然、わからないからなぁ……あーびっくり」
 スーツの胸元を押さえて、小夜子は人心地、気を取り直して出発。彼女の操る車は古さを感じさせない動きで月極駐車場から幹線道路へと滑りだした。
 良夜に回収されても未だカーナビが気になるアルトは、彼の肩にちょこんと座り、そこから小さな三角マークがピョコピョコと動くカーナビの画面を眺め続ける。そして、数分、たぶん言うだろうなと思っていた言葉を彼女は言った。
「ねえ、良夜。せっかくだから、空港まで案内させましょう?」
 案の定な台詞に良夜は小さく笑い、カーナビの画面に手を延ばす。ピッピッピポンッと数回、画面を触れば最寄り空港の場所が表示され、コースが制定される。
 その仕草を運転しながらポカーンとした表情で見るのは、姉小夜子だ。
「……りょーや君、すごいねぇ……それ、使ったこと、あるの?」
「相変わらず……機械音痴だよな……」
 見ればわかるだろうに……と良夜などは思うのだが、わからない人というのも世の中にはいる。小夜子はそういう人の一人だ。ビデオの録画は何とか出来るが、留守番予約は出来ない人。まあ、あまりテレビは見ないタイプなので生きていく上で問題はないそうだ。
「ビデオの予約が出来なくてもぉ、国立大学には受かるんだよぉ?」
「ねーちゃん、普通にけんか売ってるだろう?」
「気のせい気のせい。でもね――」
 走り始めた車が信号で止まる。彼女はサイドブレーキをぎゅっと引き上げると、言葉を切って良夜の方へと向いた。
「でもね、ねーちゃん、りょーや君が第二志望も落ちちゃって良かったと思ってんだよぉ?」
「……からかって良いように利用できるからだろう? どーせ」
「そんな〜利用するなら――」
「「近くに住んでる方が便利よね?」」
 続ける言葉はアルトと小夜子、二人のユニゾン。妙に納得するというか、納得してしまって軽く凹むというか。チッと舌を鳴らし、彼は堅いシートに深く体を沈めた。
 そんな良夜の顔をのぞき込み、小夜子はちょんと良夜の頭をたたいた。
「うふふ……男の子は一度くらい一人暮らししてみないとぉ〜どぉ? 一人暮らししてみると、色々、勉強になるでしょぉ? 人生の」
「まあ……そりゃ、色々……料理も出来るようになったし……」
「……最近はバイト先の残り物とお店の残り物ばっかりのくせに」
 アルトの余計な一言が耳から消える間、車を止めていた信号は青へと変わった。走り始める軽自動車、小夜子はいったん視線を良夜から外し、外したままで質問を続ける。
「お友達、出来た? 大学の友達は一生の友達だよ?」
「……良いのも……悪いのも」
 悪いのの代表をちらりと見れば、彼女は臆面もなく言い切る。
「良いのも、の代表ね? 私は」
 満面のほほえみ。どこが!? と思うが言えない苦々しさを視線に込めて、良夜は一瞬だけアルトを見る。そしてそこから正面を向いて車を走らせる小夜子へと向けた。いつも通り、半分くらい閉じた眠そうな目だが、ちらちらとこちらに向ける視線にはどこか真摯な物が感じられる。
「良い友人も悪い友人もたくさん作るんだよ? 人とのつながりは人生を豊かにしてくれるからね」
「……ねーちゃんもたまにはまじめなこと言うんだな……」
 深くシートに座り直し、彼はアルトからも姉からも視線を外し、窓の外の流れる景色に意識を向けた。
「たまにはね……りょーや君、滅多に帰ってこないもん」
「バイト、あまり休めないからなぁ……」
 窓の外の景色は幹線道路から片側二車線の国道へ……田舎らしい田んぼばかりの風景が大きなビルや量販店の並ぶと快適な物へと変わり始める。それをぼんやりと見つめながら、良夜はもう少しだけ無理にでも帰郷すべきかなと思った。
「仕事とか始めると、友達と疎遠になることはあっても、新しい友達はなかなか増えないよ? 最近、すごく思っちゃうのよぉ」
「ねーちゃん、元々、友達少ないからな」
「図書館と本屋さんばっかりの人生だからぁ〜」
「解ってんなら、ちょっとはそれ以外の場所にも行けよな……」
「あのね、教師なんて自分のことは棚に上げて、生徒にお説教する生き物なんだよ?」
「……開き直りやがった……」
 そんな会話をしながら、二人と妖精一人が乗る車は空港近くの国道へ、周りの風景に「何とかエアポート」とか「○○空港店」などの看板が目立ち始める。その頃には二人の会話も減り始め、車内はステレオが奏でるクラシック音楽――姉の趣味――とそれに併せてアルトが歌う鼻歌、それと時折忘れた頃に道を教えてくれるカーナビの声に支配され始めていた。
 そんなとき、ふと、不意に小夜子が口を開いた。
「大事なこと聞き忘れてた……」
「ああ? 何だよ……?」
 きゅっと音を立てて車は信号に止まる。彼女は止まった車のサイドブレーキをきつくかけながら、良夜に視線を向け、彼の瞳をまっすぐに見つめた。
「あのね、言い訳は良いから、イエスかノーで答えてね?」
「……何だよ、それ……?」
 まっすぐに見つめる瞳はどこか眠たそうだが、やっぱり、真摯な瞳。そんな風に聞かれると、なにを聞かれるのだろう? と妙に身構えてしまう。
「彼女、出来た?」
 身構えた耳に飛び込むすてきなお言葉。がっくりと肩を落とし、良夜は半分閉じた目をジトッと見上げる。
「……あのさ、そんな真顔で聞くことか?」
「いないの?」
「なぜ決めつける……?」
「良夜の性格をよく知ってるからじゃない?」
 どういう意味だ? この野郎……肩口のアルトに言われ、良夜の顔が一気に苦くなる。苦くなった理由を的確に察したのか、彼女はストローをふりふり、良夜の頬をそれでペチペチと叩きながら言葉を続けた。
「あら、私がいなかったら美月とつきあえてない癖に。どーせ、声を掛けるタイミングを逃し続けて、卒業式を迎えるのがオチよ」
 それが自分でもおおむねその通りだろうと思うのが血反吐を吐くぐらいに悔しく、彼の顔はいっそう苦くなる。
 そして、姉の思ってることもやっぱり同じ。彼女はため息を一つ漏らした後、半ばあきらめたような口調で言う。
「だって、りょーや君、昔から奥手だったもん」
「うるせー……巨大なお世話だ、ほっとけ。それと……一応、いるからな。ほら、でかいバスケット、持って帰ってきてただろう? あれ、彼女が作ってくれた弁当」
「……りょーや君……」
 良夜がそういうと、姉は哀れを含んだ視線を良夜に向ける。
「何だよ、その目……信じてないのかよ?」
「だって、あれ、喫茶アルトって書いてたよ? そんなに見栄を張らなくても良いのに……ねーちゃん、りょーや君が一生独身でも決して馬鹿にしたりしないよ?」
 バスケットにそんな名前なんて書いてあったかな? と一瞬思い起こそうとするが、気にしていなかったのか、思い出せない。しかし、肩に座ったアルトが「書いてあったわよ」と言うのだから、書いてあったのだろう。
「……よく見てんな……だから、そこのウェイトレスさんが彼女なんだよ」
「と、思い込んでるの? ストーカー的発想だよ?」
「……信じないんなら、信じなくても良いよ、別に」
 ブスッと膨れてそっぽを向けば、アルトと小夜子がクスクスと笑う声がステレオで聞こえる。姉はともかく、アルトに笑われるのは納得がいかない。
「じゃぁ、ねーちゃんはどうなんだよ……どうせ、クリスマスだって仕事してたか、部屋で本を読んでただけだろう?」
 変わった信号を横目で見つめ、車は再び走り始める。流れ始めた風景を見ながら、彼は姉の顔も見ずに尋ねた。昔からという話をすれば、姉の小夜子は良夜に輪をかけての引きこもり体質だ。図書館と本屋と自室が余暇の九割五分を占めている。そもそも、この腹黒女相手につきあえる男がいるとは思えない。
 が、返事は意外な物だった。
「いるよ? 図書室で知り合ったのぉ」
「まじか!?」
「……そこまで驚くのもどうかと思うわ、私」
 跳ね上がる体、肩に座っていたアルトが落ちそうな勢いで体を起こす。セーターの襟首にぶら下がったアルトが頬をふくらませるも、それを無視する形で良夜の視線は姉の横顔に釘付け。その横顔はどこか誇らしげだった。
「ちょっと年下だけどねぇ〜かわいいよ?」
「……いや、年齢はどうでも良いけど……きっと菩薩のように全てを許せる度量の大きな人間なんだろうな……尊敬するわ、俺」
「そこまで言うとさすがにムッとするよ? ねーちゃんも」
「……腹黒の癖に……」
「だから、腹黒なのはりょーや君相手だけだよ? 学校では、優しくて美人の現国教師として有名なんだよぉ」
 車を右折させながら、小夜子はにこっとほほえむ。優しい笑みだが、よく言っても悪徳訪問販売員、悪く言えば詐欺師の笑みだと思うのは、良夜の被害妄想なのかもしれない。
「……良夜、今、ちょっと引っかかったんだけど……『学校では』ってどういう意味?」
 アルトに真顔で言われ、良夜も気づく。『年下』で『学校』って……
「……あっ、あのさ……ねーちゃん」
 右折した車の前に空港の大きなターミナルビルと管制塔、そして今まさにそこに着陸しようとするジャンボジェットの機体が滑り込む。ゴーーっと言う大きな音にかき消されそうなほどの声で彼はつぶやく。
「……おっ、教え子、なの……か?」
 着陸態勢に入った飛行機の下を車は駐車場に向かって走り続ける。それを走らせる姉小夜子はそれ以上答えることはなく、意味深な笑みを浮かべたまま、進むべき道と弟の顔を何回も見比べ続けていた。
 そして、約一分少々。車はターミナルビルの正面にある駐車スペースへとたどり着き、彼女は車を止める。
「ねーちゃん!?」
 沈黙に耐えられなくなった良夜が大声を出せば、車のエンジンを止めて小夜子は弟の顔を見つめる。そして、一文字一文字区切った声で彼女は言った。
「うふふ……い・ち・ね・ん」
 と。
「「犯罪者!?」」
 アルトと良夜が同時に叫ぶ。叫ばれた声を半分だけ聞き、彼女は運転席を後にする。一言だけを残して。
「う・そ。じゃぁね〜」
 降りた彼女は後部の荷台を開いてそこからさっさと自分の荷物を下ろし始める。それを良夜とアルトは呆然と見つめる事、十分少々。小夜子の姿がターミナルビルの中に消えた頃になって、ようやく二人は沈黙のくびきから解き放たれた。
「ほっ、本当に嘘なのかしら……?」
「本当に嘘って……事にしておきたいなぁ……」
 もう訳がわからないと二人はがっくりと肩を落としあう。そして、大事なことに気づくにはさらに五分、車を空港の駐車場から出すに至るまで待たなければならなかった。
「ねえ、良夜……お年玉は?」
「ああ!!! あの野郎! 持って行きやがった!!」
 三万円は飛行機に乗って大空へと羽ばたいていった。

 と、言うわけだが……
『世の中、騙される方がバカなんだよ?』
 頭を抱えて帰った自宅マンション、キッチンのテーブルの上にはそんな走り書きが添えられた封筒が燦然と置かれていた。
「……だめだ、俺、あの女に一生敵う気がしない……」
「……まあ、良夜が敵う女って言うのもかなり珍しい部類に入ると思うけど……」

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