里帰り(1)
 唐突ですが、本日は十二月二十六日です。この日を良夜は喫茶アルトのフロアで迎えた。と、言うのも二十五日、すなわちクリスマス当日、喫茶アルトのクリスマス商戦のお手伝いに駆り出されて、それが終わったらそのまま忘年会に突入、飲めや歌えの大宴会……とまで行かないがそれ相応に楽しく飲んで、騒いで、気がついたら若い男女四人プラス妖精一人でフロアで雑魚寝し、目が覚めたのは日もとっくに登ったこの時間という有様。
「ただれてんなぁ……俺達……」
 大きなあくびをかみ殺し、良夜はグーッと大きく体を逸らす。一晩中、エアコンの下で寝ていたせいか、やけに喉が乾く。乾いた喉を親指と人差し指の間でもみながら、彼は自身にかけられていた毛布をはずし、そして気づいた。
「あれ……美月さん、もう、起きてるんだ……?」
 彼の記憶が酒によって書き換えられていなければ、美月は他の四人よりも一足早くに轟沈し、カウンターの隅っこにもたれて寝ていたはずだ。寝ている美月に毛布を掛けたのは良夜自身。起こしても起きないし、連れていくのも大変だから……と言う所なのだが、アルトに言わせると「また、人生のフラグを自分で潰した」らしい。
 その毛布が良夜の方にかけられ、美月がいた所には誰もいない。
「おはようございますぅ~」
 普段よりも少しだけ間延びした声、首をひねらせると美月が大きなトレイに三つ四つのモーニングを載せて、キッチンから出てくる姿が見えた。
「あっ、おはようございます」
「朝ごはん、出来てますよぉ~吉田さんたちもお祖父さんももう起きてるんですよ?」
「えっ? あっ? 俺が最後?」
 改めて、まわりを見渡してみればいつもの席では和明がパイプを磨いているし、その後ろの席では雑魚寝してたはずのタカミーズがニコニコと良夜に手を振っている。美月を含めて四人とも、既に朝食を食べる準備は万端整っているって雰囲気だ。
「はい、ちょうど起こそうと思ってた所なんですよ。朝ご飯食べたら、帰省するんですよね?」
「ええ、まあ……早めに出ないと家につくのが遅くなっちゃいますから」
「一週間ですか……? こっちも寂しくなっちゃいますね」
 恋人としての欲目抜きで、美月はその言葉に少しの寂しさを載せていた。それを少しだけ嬉しく、それ以上の罪悪感を感じながら、良夜は床から立ち上がり、笑みを返す。
「すぐですよ。プロバンスのケーキ、買ってきますから」
「あっ、はい! それは楽しみにしてますね!」
 そう言えば美月の顔にパッと笑みが浮かぶ。プロバンスは良夜が通っていた高校の近くにあるケーキショップの名前、すごく美味しいという訳でもないが、ここの焼き菓子を学校帰りにつまみながら帰るのが、高校生時代の良夜のちょっとした楽しみだった。と言う話を美月に何かの拍子にしたら、食べてみたいと言い出したのだ。
「コロッと態度変えられたら軽くムッとしますよ? それとアヤの事、よろしく頼みます」
「あはっ、裏表のない性格ですから。はい、ちゃんと面倒見ておきますね。絶対に逃したりしないので、安心してくださいね」
 良夜の飼っているハムスターの悪夜、当たり前だが一週間も放置していれば確実に死ぬ。実家に連れて帰ってやるのが一番良いのだが、あいにく、良夜の家では猫を飼っているのでハムスターなんて連れて帰るわけにはいかない。色々考えた挙句、白羽の矢が立ったのは美月だった。ものすごく不安だが、和明にも良く頼んである、という所に望みを託すしかない。
「良夜さん……信じてませんね?」
 そんな不安を的確に察したのか、美月の笑顔が曇り、良夜の顔をじぃ~っと斜め下から見上げる。見上げる顔から少しだけ視線をそらし、視野の隅っこにとらえながら、良夜は控えめながらもはっきりとした口調で言った。
「うちに来る度に逃してますからね……美月さん」
「お祖父さんのお部屋で、触るときはお祖父さんのいるところで触るので問題ありませんよ」
「胸を張って言われるとさらに不安になるから……」
「ぶぅ~良夜さんは意地悪ばっかり言います」
 美月はほっぺたを膨らませるも、それは一瞬だけ。すぐに屈託のない笑みで良夜に微笑みかける。その微笑みに笑みを持って返し、良夜は彼女が持っていたトレイから二人分の食事を受け取る。持っていく先はタカミーズが座る席。
「ラブラブやねぇ」
「ウルセエ、お前らが言うな。直樹も笑ってんじゃねっ!」
「幸せそうで羨ましいですよ? 本気で」
「なお、後で話し合おうか?」
 直樹の失言に貴美の殺気を孕んだ笑みも今日から一週間は見られないかと思うと、寂しくもあったりなかったり……寂しいといえば……
「アルトのアホ……どこで寝てんだ? 弱い癖に深酒するから……」
 この時、喫茶アルトに住んでる妖精さんの姿を、良夜はどこにも見ることが出来なかった。
 そして、この時、彼女を探さなかったことを深く後悔することになる。
 
 それから二時間後、良夜は実家へと向かう新幹線に乗っていた。手には美月が持たせてくれたお弁当のバスケットが一つ、他に荷物らしい荷物は何もない。下着も着替えも実家には十分あるのだから、わざわざ、アパートから持ってくる必要もない。携帯電話と財布はポケットにねじ込める。一週間の里帰りだというのに彼は恐ろしく軽装だ。
「ちょっと早いけど……飯、食っちまうか……?」
 喫茶アルトのモーニングは美味しいんだが、パンというのがいただけない。やっぱり、朝はお米じゃないと食べた気がしない。食べた気がしないから、お昼が早めに欲しくなる……なんて言うのは適当な言い訳。実際にはやることがなくて、お腹が空いてきただけ。こうなることなら、適当な携帯ゲーム機でも買っておけばと思うが、もはや、後の祭り。
 冬の晴れ間、まぶしい光を窓際の席で受け止め、良夜はバスケットを開いた。喫茶アルトを出る間際、用意しておきながらコロッと忘れていた美月が、慌てて渡してくれたバスケット、バタバタと走って来たから中身が崩れているかも? とは美月談。
「美月さんらしいなぁ」
 思い出し笑いを浮かべ、大きなバスケットを開き……──
 そして閉じる。
「……!?」
 見てはいけないものを彼は見た。
 が、それは見ないで済ませられない物でもあった。
 だから、仕方なくもう一度開く。
「すー……すー……」
 やっぱり、妖精が寝ていた。しかも、真っ裸の上にサンドイッチを掛け布団というあられもないお姿。ツナマヨパックというのは新しいスキンケアなのだろうか? マヨネーズとツナの油分が肌に優しいのかもしれない。
「……」
 もし、この時、彼にもう少しの勇気があれば、彼はこのバスケットをそのまま、生ごみに出していただろう……と、のちに語る。が、へたれな彼にはそれをする勇気がなかった。
 取り合えず、まずは彼女の体を覆っているサンドイッチを剥がしてみる。
 やっぱり裸≪ら≫だった。ストローはちゃんと装備しているが、それ以外は一糸まとわぬ真っ裸、相変わらず胸は真っ平らだが、太股から腰に掛けてのラインは妙に女らしい。でも、その美しいラインはマヨネーズとツナで彩られている。頭が痛くなってきた。
 しかたがないのでサンドイッチは元に戻すことにした。このまま起こせば、きっと血を見ることは確実のような気がしたからだ。
 続いて、良夜はアルトの布団になっていないサンドイッチを全て食べることにした。食べなれた喫茶アルトのサンドイッチ、本日のメニューは卵サンドとハムカツサンド、レタスとトマトのサンドイッチもなかなか美味しい。この調子なら、きっとツナマヨサンドも美味しかったことだろう。食べられないのが非常に残念だ。
 一緒に入れられていたポットから紙コップにコーヒーを注いで、食後の一服。いつもよりも少し温度は低め。ブレンドがいつもと違うのは少々温くなっても美味しいブレンドのつもりなのかもしれない。残念ながらその繊細な違いを理解するには、良夜の舌は少々経験不足だ。いつもと味が違うということが判っただけ、褒めてほしいくらい。
 で、バスケットのふたを閉めて──
 振る!! 力一杯振る!! 親の仇かと思うくらいにシェイクする。もうちょっと乗客が多かったら、車内からつまみ出されるんじゃないのかと思うくらい力いっぱい振る。
 で、開く。
「地震!? ついに来たの!? 東南海大震災!!!」
 真っ裸のまま、バスケットの中でパニックになっている妖精と目があった。彼女は取り繕うように服を直し……ているつもりなのだろうが、それは服じゃなくてサンドイッチのパンだ。パンを動かす度に、白い肌がツナマヨネーズに汚れていく事に、彼女はいまいち気づいていない。
 そんな時間が五分少々。ようやく落ち着いたのか、彼女は顔を上げて良夜の顔を見上げた。
「……コホン、おはよう、良い朝ね? 良夜」
 パンの服で胸元を隠す妖精をみつめ、良夜は本気でバカだと思った。
 さて、なぜアルトがここで寝ていたのか? それは神にすらきっと判らない。もっとも近い理由で言うならば「酔っていたから」以外にないだろう。昨夜、暑くなって服を脱いだ所までは覚えているのだが、それ以降の記憶はなく、気がついたら暗闇の中で一人大震災に遭遇していたらしい。
「……今更、家には帰れないわよね……」
 自体を把握し終わると、ため息混じりに彼女はつぶやいた。ため息を吐きたいのは良夜も同じ。今更引き返すわけにもいかず、事、ここに至れば、方法は二つくらいしか思いつかない。
「クール宅急便で送り届ける……」
「刺すわよ、本気で」
 スチャッとアルトはストローを腰だめに構える。バスケット、細い両足と小さな羽に全身の力を貯めてギロリと良夜を見つめる。でも、服はパン。凄まれてもいまいち迫力に掛けるが、刺されたら痛いことは疑うべくもない。
「じゃぁ……しゃーねぇ……うち、来るか?」
「……行くわよ……しょうがないわね、まずは……何か服を用意して。これ以上、あなたの目を喜ばせる趣味はないわ」
 と言う彼女のお姿は、三角に切られたパン二枚で体を挟むという器用な服装……リアルサンドイッチマン。もちろん、見て嬉しい姿ではない。それは彼女自身も重々承知なのか、そっぽを向いた頬が朱色に染まっていた。
「判った……ちょっと待ってろ」
 そう言って彼は席を立つ。そして数分後、持ってきたのは──
「ふざけているのか、喧嘩を売ってるのか、ウケ狙いなのか、対応に困ることは止めて」
 それを見た瞬間、アルトの表情は一気に陰る。なぜなら、彼が持ってきたのは新幹線のトイレに備えられているトイレットペーパーだったからだ。それをくるくると手に一メートルほど巻きつけただけの物を、良夜はぽいと彼女が居座るバスケットに投げ込んだ。
「贅沢言うなよ……向こうの駅を降りたらすぐ近くにおもちゃ屋があるから……そこで安いのなんか買ってやる」
「ハンカチとか持ってないの?! 身だしなみよ!?」
「良いんだよ、最近の公衆トイレにはハンドジェットが着いてるから。最悪、ズボンで拭くし」
「そう言う問題じゃないわよ……まあ良いわ、贅沢も言ってられないし……着替えるから、バスケット閉めて」
 言われるまでもなく、パタンとバスケットを閉める。そして、待つ事数分。これからどうすべ? と頬杖を突いて考えているとザクッ! と、鋭いストローが肘のすぐ横、数ミリの所に飛び出してきた。
「ちっ……」
 編まれた藤≪とう≫の向こう側から舌を打つ音、背中に冷たい物が一筋流れる。流れた背中をシートに押し付けながら、彼はバスケットを開いた。
「はぁい、良夜、ご機嫌如何?」
 満面の笑みで彼女は言う、バスケットの天井にぶら下がって。
「最悪だよ……」
「あら、そう? 私も同じだわ。気が合うわね」
 スポッとストローをバスケットの天井から引き抜き、彼女はカゴの縁にちょこんと腰を下ろす。白いトイレットペーパーを器用に体に巻き付けた姿は、ちょっと地味目なチューブトップか今や懐かしのボディコンあたりに見えなくもない。
「それで……良夜の家って後どのくらい? このトイレットペーパードレスが破れたら、貴方の目ん玉、えぐるわよ?」
「……新幹線で二時間、在来線で一時間って所か……?」
 剣呑なお言葉に舌打ちしつつ、良夜がざっと答える。すると、アルトはキョトンと良夜の顔を見上げて言った。
「……あなたの家って、田舎なのね?」
「お前が言うなよ」
 自慢にはならないが、良夜の家のまわりにはパチンコ屋とスーパー以外の建物もちゃんとある。

「ツーわけで、なぜかアルトのアホがここにいたりします」
 新幹線を下り、在来線が来るまでのわずかな時間、良夜は駅のプラットフォームで美月に電話をしていた。新幹線の乗り入れる大きな駅、まわりを行き交う人も大学そばの駅とは大違い。人ごみから逃れるよう、壁際の隅っこに体を押し込め、彼は携帯電話を耳に押し付ける。
『ふえぇ~ アルト、そっちに居るんですか!? 良夜さんもいないし、吉田さんと直樹くんもいないし、アルトも居ないなんて……もう、私には悪夜ちゃんしか居ないじゃないですかっ!?』
 電話の向こう側から聞こえる声はとっても不機嫌と言うか、半泣きと言うか……いつも幸せそうにひまわりの種をかじっている悪夜を思い出し、かわいいマイペットへの罪悪感で何となく心が痛む。無事に居てほしい。
「まっ……えっと……今更引き返すわけにもいかないし、我慢、してください」
『ぶぅ~ぶぅ ブーイングですよ~クール宅急便で送り返してくれませんか!?』
「……発想が美月さんと同レベルか? 俺……」
『何か言いました?』
 その想像に良夜の首と肩ががっくりと落っこちる。落ちた首と肩に美月の不思議そうな声が届き、良夜はそれに「何にも」とごまかしの言葉を返した。
「ともかく、クール宅急便とか無理ですから。アヤに遊んでもらってください」
『うう……良夜さんだけアルトと旅行……裏切りですよぉ~これはひどい裏切りなんですよ~」
 グジグジとすねた声を耳にしながら、良夜は苦笑い。プロバンスのケーキを多めに買って帰ると、物で釣る作戦もすねすねモードの美月には効果は希薄。心の中で『悪いアヤ』と飼いハムスターに謝りながら、良夜は切り札を切った。
「アヤのケース、部屋に持ち込んでもいいから……ね?」
『お祖父さんがいない所で遊んでもいいですか?』
 良夜の言葉に美月の声が静かに反応する。今までの拗ねた声ではなく、ほんの少しだけでいつもの朗らかさを感じさせる声に、良夜は内心小さく拳を握る。
「……本当に逃さないでくださいよ……」
『大丈夫です! 信じてください!』
 物凄く信じられないが、それを素直に言うと美月の臍はさらに曲がるに違いない。それは、もう予想じゃなくて確信だ。良夜は本気でアヤへの詫びの言葉を思い浮かべながら「信じてますよ」と自身が信じていない言葉を口にした。
『じゃぁ、我慢します……それじゃ、気をつけて。いってらっしゃい』
「はい、行ってきます」
 二人が最後の言葉を交わした直後、頭上に取り付けられたスピーカーが、プラットフォームに電車が入ってくることを良夜に教える。
「あっ、電車来ましたから……また、夜にでも電話します」
『はぁい』
 プチッと電話を切ってポケットへ。壁にもたれていた体を起こすと、頭の上からトイレットペーパードレスのアルトがひょっこりと顔を覗かせた。
「……悪夜、もう会えないかも……」
「……不吉な事言うな……」

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